第八十五話 死者の山 その1
「崖際に立ちすくんだ男の耳のそばで、ささやきが聞こえた。『死ねばいいのに』。」
キャー!
ベタな心霊話に、期待通りの反応をありがとう。
反応したのは、まさかのティナだったけど。
マッチョ少女のティナ・ウィリス。文学少女アンヌ・ウィリスの従姉妹。
幽霊嫌いは、ウィリス家の伝統なのだろうか。
ひょっとして。
「なあ、ティナ。死霊術師を嫌ってる理由、不気味だとか男らしくないとかじゃなくて、単に幽霊を連れ歩いてるからとか……。」
「分かってるんなら聞くな!悪趣味だぞ、ヒロ!」
悪趣味は認める。
でもな、こんなバカ話でもして憂さを晴らさずにはやり切れないんだよ!
高岡城での報告を終えて、宿営地に戻った俺を待っていた話は、2つ。
ひとつは、右前方に見える山の話。
高岡城から西へと延びる「北の大道」。その北側に張り出している、小さな山。
この山までが、「ダグダ盆地東部」とされている。
現時点で王国の支配地と断言できるのは、その東部だけだ。
この小さな山、地元では「丘」とか「丘山」と呼ばれているそうだ。
ここから見て東にある「高岡」と向かい合っていて、でもそれほど高くないから「丘」。
話を聞くために連れてきた、近場の集落の長は、そう説明してくれた。
「名前の由来には、もう一つの説がありますのじゃ、お武家様。」
そう語った長の、悲しげな顔。
それを思い返せば、心霊話をするなんて、やっぱり悪趣味だった。
もう一つの説、それは。
「おっかあの山」だから、「おかやま」。
いわゆる、「姥捨て山」であったのだ。
ダグダ盆地は、貧しい。紛争状態が続いていたという事情もある。
「そういうこと」があったとしても、不思議はない。
「そんな!ひど……」
言いさして、サラが口を覆った。
それを口にしてはならぬと、途中で気づいただけでも、立派だと思う。
まだ13歳なのだ。
父・ミーディエ辺境伯の善政の元で育った彼女は、「姥捨て山」など聞いたこともなかったはずだ。
「政治の安定……。大勢力の支配による、効率的な行政……。そして紛争の予防……。」
サラのつぶやきが聞こえてくる。
何を考えているか、よく分かる。
「だから、大防壁。フォート・ロッサ。父上は、臆病風に吹かれたわけではなかった……。」
サラが口にした、「大防壁、またの名、フォート・ロッサ」とは。
ミーディエ辺境伯領の北の境界に築かれた、いわゆる「万里の長城」である。もちろん、あれほど長くはないけれど。
まあ、その話はまた後日。
「最近は、戦もなくなり、暮らし向きが楽になりましたでのう。もう何年も、丘に行く年寄りはおらぬ。お武家様方のおかげじゃ。ありがたや、ありがたや。」
手を合わされてしまった。
仏様のように扱われるのは、どうにも、気まずい。
その前に、鬼になったばかりだったから。
俺を鬼にしたもう一つの報告。
それは、留守の間の不祥事。
留守の間の宿営地の事情、ダグダ盆地入りした初日からの経緯。
それは、以下のような流れになっていた。
第二支隊ほどではないにせよ、本隊に比べれば身軽な我ら第一支隊は、盆地入り初日の昼過ぎには、この宿営地に到着していた。
そこで地図や報告書の仕上げをし、兵たちに宿泊の準備をさせ。
あらかじめ出動を要請しておいた工兵を迎えに行かせるべく、伝令の軽騎・スヌークを走らせ。
夕方には工兵が到着。
打ち合わせをし、一泊して後、午前中は工兵隊長について回って、工事を少し見学。
で、2日目の午後、俺はグリフォンで高岡城に向かい、その夜の会議に出席したというわけである。
留守の間の隊長代行は、セイミ・ド・ウッドメルに任せた。
各中隊の隊長は、サラ、セイミ、李紘、ジャックである。
貴族としての格は、伯爵になることが決まっているセイミが一番高い。
格だけで言うならば、サラでも悪くはないのだが。さすがに、ミーディエにメルとウッドメルを率いさせるのは、時期尚早。
それに、(実際の戦争ではない以上、)隊長の俺が留守の間は、合議によってことを進めてもらわなければいけないが……。代行が子供のセイミであれば、彼がリーダーシップを取れないのは、理の当然。
自然、合議によらざるを得なくなるというわけだ。
で、その2日目の午後。
小さな事件が起きた。
この宿営地は、追い追い「駅舎」とすべき立地である。
「駅舎」とは、あれだ。高速道路のサービスエリアとか、国道沿いの「道の駅」みたいなヤツ。
軍隊の宿泊施設というのがメインの目的ではあるが、それでも、旅人への便益も提供できるわけで。経済の活性化にも一役買う。
だから、現時点では本格的な造成まではしないにせよ、「ただ森を切り開いて、テントを張るスペースを作る」というだけの作業をしてもらったわけではない。
ごくごく簡易ながら、杭を打ち、縄張りをし、見張り台を立て、門的なものを作り……。と、工兵隊はそういう作業をする予定であった。
われらが第一支隊は、周辺の警戒と、食事の支度ほか、雑用を担当。
「それだけでいいのかな?木の伐採ぐらいはできるだろうけど……」と思ったのだが。
午前の作業を見ているだけで分かった。素人は、邪魔なだけだ。
全てが人力で行われる、王国社会。
「工兵隊」という、専門家であることを示す名前がついている集団は、まさにエキスパート、達人なのである。
夜明けから始まっていた作業。
朝食休憩を入れる前に、森が切り株だらけになっていた。
高台の下にある湖の見晴らしの、素晴らしいこと。
これが「朝飯前」ですか。
50手前と思しき工兵隊長を、思わず「親方」と呼んでしまった。
怒られるかと思いきや、「ふん」とせせら笑われた。
ともかく、その親方を隣に、全員に訓示を垂れた。
「諸君、絶対に邪魔だけはしないように!工兵隊の作業の円滑を確保することが、任務であると心得よ!」
そう言ってから、高岡城に飛んだはずだったのだが。
またレオが、やらかした。
いや、やらかしたわけでは無かったのかもしれない。
真相を知っているのは、その場を照らしていた、盛夏の太陽だけであろう。
見張りをしていた、レオ。
交代の時間になり、柵から離れようとしたところ、滑って転倒。
その衝撃のせいかどうか。近場に立てかけてあった材木が、倒れてきたのである。
レオではなく、交代の隊員に向かって。
幸か不幸か、通りかかったのは、巡回をしていたサラ。
説法師の彼女が、成人男性約3人ぶんの筋力で、材木を撥ね飛ばしたのは良いのだが。
手にちょっとしたかすり傷を負い、材木も数本、壊してしまった。
助けられたのがウッドメル隊員だというのが、また間が悪いというか何と言うか。
李紘は平謝り。
親方(工兵隊長)にしてみれば、「あたしのとこのミスだ、済まねえことを。」
助けられたウッドメル隊員は、ミーディエのサラが怪我をしたと聞いて顔面蒼白。
サラはサラで、「材木を壊し、作業に遅れを生じさせてしまいました。」
「絶対に邪魔をするなと言ったはずだ!」
怒鳴り上げてしまった。
李紘に散々殴られたのであろう、顔を青あざだらけにしているレオに向かって。
「申し訳ございません!大隊長殿!」
なぜか、李紘が飛び出してきて、頭を下げた。
いや、頭を下げることには疑問はない。
おかしいのは、飛び出してきた位置。
?
視線を感じた。
視察に来ていたジョーが、こちらを見ている。
俺の、手を見ている。
朝倉を引き寄せ、その鍔に親指をかけていた、俺の左手を。
李紘も、見ていたのだ。
抜かせまいと、いや、まさか盾になるつもりで?それで前に飛び出したのか?
俺は、レオを、部下を殺そうと……?
寒気がして、朝倉を脇に置く。
李紘の緊張が解けたのが、はっきりと分かった。
「レオ!お前はいつも!」
衆人の前で、李紘がふたたび拳を振るう。
痛々しいが、よく見れば、きちんと急所は外していた。
「李紘。それまでにしてくれ。報告を聞きたい。怪我人はいないか。そして進捗状況、遅れの有無。」
「済まねえ、大隊長さん。あたしんとこの若い者が、いい加減な仕事をしたんだよ。遅れはない。予定通りだから、安心してくれ。……千早ちゃんの友達、ヴァガンの恩人のあんたに、傷は入れねえ。」
声を潜めて、付け足してくる。
天真会の会員か!
工兵も、土建業界なんだな。
「いえ、私のところの隊員が、ご迷惑をおかけしました。」
「大丈夫だって!ほら、隊務に戻んなよ大隊長!怪我人はいないのかい?」
「ミーディエ隊、怪我人ありません。……転んで手のひらを擦りむいただけです。傷を洗い、処置もしてありますのでご安心ください。」
サラも分かっている。
「そういうことにした」わけね?
「ウッドメル隊、怪我人ありません!ヒロさん……ではなくて、大隊長殿、留守中の事故、申し訳ありません!」
こういう時、セイミの明るさには、本当に救われる。
これ以上追及しては、俺はともかく、セイミの傷になってしまうか。
「だから言ってるだろう?大隊長さん。あたしんとこのミスだって!」
「親方、いえ、工兵隊長殿。怪我人がなく、工期に遅れが無いのであれば、ミスも何もありません。私のところの隊員が、何やら大騒ぎをしたというだけのこと。隊内の問題として処理をいたします。……ジョーさん、真相については、伝達をお願いいたします。」
「ヒロ君はバカ正直だねえ。そこは口裏あわせを頼むところじゃないの?何なら乗るよ?」
「それをしたら、信頼を失うでしょう?私もジョーさんも。」
「ひっかからないか。」
「諸君、本隊は明日、この宿営地に宿泊する。明後日は、ダグダ準州の新庁舎に宿泊するので、我々が宿営地の設営をする必要はない。したがって、明日の我々の任務は、斥候と地図の作成である。庁舎まで1時間の距離で小休止を取る。その間私は『丘』に霊的な危険がないかを確認してくる。留守中の指揮は、本日同様、セイミ君に任せる。」
「『丘』には僕もついていくよ。採点官として。……実のところは、登ってみたいだけなんだけどねー。」
「では、お願いします。ジョーさん。」
「そうそう、それと。」
顔を上げたジョーは、表情を消していた。
「レオ君も、連れて行こう?セイミ君に迷惑かけたくないだろう?」