第八十四話 ダグダ盆地 その5
俺の隣に立っていたのは、第二支隊の隊長。
やはり報告のために幹部会議に出席していた。
セルジュ・フィルマン・モンテスキュー。15歳、十人隊長。
細身だが見るからにしなやかな身体に、整った顔を載せた少年。
この演習が終われば、その功績をもって十騎長に任命されることは確実と見られている。
第二支隊は、斥候任務を負っていた。
先遣隊とされた第一支隊との違いは、「横を見る」こと。
第一支隊は、本隊の行軍予定路を、いわば「狭く、深く」調査する。
第二支隊は、本隊の行軍予定路の周辺を、「広く、浅く」調査するのだ。
第二支隊が斥候をすべき範囲は、広い。
そのためでもあろうか。
第二支隊は、騎兵を中心に構成されている。
「随伴歩兵も、僕の下にいるチンピラどもとは雲泥の差。精鋭ですよ。特に、脚が良い。」
雑談していて、彼らに話題が及んだ時など、李紘がため息をついていた。
騎兵に随伴して行動するわけだから、それが必須条件なのだろう。のみならず、健脚は、兵士にとって一番大切な要素であるらしい。
以前聞いた、ジョーやギュンメル伯爵の言葉が、それを示している。
装備に費用がかかる騎兵と、精鋭の歩兵から構成される、第二支隊。
当然、その隊長は、郎党の中でも有力な一族から選出されているというわけだ。
モンテスキュー家。
メル家直参のひとつ。
娘を姉妹で総領の秘書(侍女)に出している、クレアのシャープ家と並んでも、見劣りしない一族。
ドメニコのドゥオモ家よりも、一つ、いや半分ぐらいであろうか、格上のイメージ。
ただ家格が高いというだけではない。
大戦を意識して行われる演習に呼ばれ、支隊のひとつを任されているのだ。
セルジュ自身も能力が高く、期待もされているということが窺われる。
実際、セルジュの指揮能力は、優秀そのもの。
グリフォンの「翼」に騎乗して、上空から斥候を行いつつピンクに地図を描かせている時など、必ず第二支隊を見かけたのだが。
セルジュを中心に、一糸の乱れも無い隊列を組んで、馬を走らせていた。
上空から見ていても「ここぞ」というポイントで馬を止めるや、合図を出す。
各員が一斉に散り、周辺を索敵。
その間、セルジュは悠々と周囲を眺めつつ、隣の兵に地図を描かせていた。
全員が集合するや、また走り出す。
十分に斥候を終えると、これまた全員が、馬を走らせたまま替え馬に乗り換えて帰還していた。
惚れ惚れする。
さすが、「武のメル家」の一翼を担うだけのことはある。
俺のグダグダっぷりとは大違い。
マナーや儀礼も、当然叩き込まれているに決まっている。
それなのに、はじめて間近でみるセルジュは、ガチガチに緊張しているように見えた。
―ひょっとして。
特に何を意図したわけでも無く口にされた、李紘の一言を、思い出した。
「本領の、モンテスキュー家」のひと言を。
有り体に言ってしまえば、「無能」な連中が多いとされている、「メル本領系」。
女神に下駄を履かせてもらっている身で、ひと様を「無能」などと言える筋合いではない俺だけど。
ともかく。
無能なのは、セルジュではない。
王都にも新都にも連れて行ってもらえなかった、彼の父親が無能だったと。
おそらくそういうことなのであろう。
もし、父が新都に連れてきてもらっていれば。
セルジュがフィリアの初陣に参加し、ファンゾ遠征にも参加していることは、間違いないところだ。
家格も合わせれば、すでに十騎長になっているはず。
いや、職階などどうでも良い。
総領ソフィア様の、その夫・征北将軍のアレックス様の、フィリアの、絶大な信頼を得ていたに違いない。
ドメニコ同様、俺やイーサンと言った、メル家以外の貴族とも交友を得ていたであろう。
彼にとって、この演習は、ひとり我が身の出世のためにあるのではない。
内外に縁を築き、傾きかけている家の勢いを挽回するチャンスなのだ。
彼の双肩には、家族の、家来たちの生活がかかっている。まだ15歳なのに。
それはガチガチになるに決まっている。
「モンテスキュー第二支隊長、報告をお願いいたします。」
フィリアの低く強い声が、会議の場に響き渡る。
「はっ。これが、一日の行程に影響がありうると思量される範囲の、地図です。」
第一支隊の地図に比べれば、ずっとデキが良い。
当たり前だ。俺達は急造チームだもの。
「チンピラ」を育成するという目的込みで作った地図だし。
しかし。
「空間認識の『天才』にして、同人作家として画力を日々磨いている、シスターピンク」が、「上空から」作成した地図に比べれば、見劣りする。当然のことだ。
それで悪いというわけでもない。
第二支隊は、「広く、浅く」見ることが求められている。
簡にして要を得た地図で良いのだ。いや、むしろその方が良いのだ。
フィリアとアレックス様が頷いている。
さすが。
部下の評価を誤ることなど、あり得ない。
セルジュ・フィルマン・モンテスキュー。
絶対に引き上げなければいけない若者だ。
「さて諸君、何かあるかな?」
アレックス様のその問いに、斜め前にいた少年が反応した。
本隊第二大隊の副隊長。
ダミアン・グリム十騎長、17歳。
こちらの世界に転生してから、武術を学ぶようになってから、人の体格に注意が向くようになった。だから分かる。彼は着やせするタイプだ。僧帽筋など、相当のはず。間違いなく、「使う」。
そのくせ、細面の理知的な顔。イケメンの部類だけど、王国社会では、少し受けが悪いかな。「線が細い」と評されかねない。
逞しい身体を衣服に隠し、さきほど来の慇懃な態度。どことなく、天真会のアランに似ている。
いずれにせよ、「文武両道」タイプであろう。
などという、第一印象は裏切られた。
いや、「文武両道」には違いない。が、その知性の方向が、好きになれない。
アランとは異なり、「仲間を思う温かみ」と「身の内に燃え盛る情熱」が、まるで感じられないのだ。
「モンテスキュー隊長、食中毒の件をお聞かせ願えますか?私達も気をつける必要があります。第一支隊の事前の注意があってなお、防げなかったのは何故か。」
セルジュが抱えている、すねの傷。ガチガチになっている理由。それが食中毒問題。
ダミアンは、それを抉りにかかった。
事情は、こうだ。
先行した俺達第一支隊は、2日目の午前中に「食中毒予防の心得」を、伝達していた。
(「手を洗え」なんて当たり前だろうって?当たり前じゃなかったんだ、この社会では。注意している者は注意しているけれど、気にしない者は気にしていなかった。「それじゃダメだ、全員に徹底させるべきだ」って強調することには、意味があった。)
セルジュの支隊は、その伝達を受けたにもかかわらず、集団食中毒を起こした。
第一支隊の手際に比べ、味噌をつけたと言わざるを得ない。
だが、セルジュから伝達されてきた報告に、俺は舌を巻いた。
第二支隊は、決して油断したわけでも、注意を無視したわけでもなかったのだ。
もちろん手洗いは励行していた。
そしてまず、あえて鍋を小さめのものにしている。
鍋の数を増やし、一つの鍋をつつく人数を減らす。そうすれば食中毒が起こっても、罹患する者の数を小さく抑えることができると考えたのだろう。
次に、腹を壊した者が出てからが素早かった。
まず、隔離。当然のように連れてきていた医療スタッフをつける。
直射日光の当たらない、すずしい木陰に休ませ、煮沸した湯冷ましを十分に飲ませる。
健康な者に大穴を掘らせておいて、吐瀉排泄はその一箇所で行うように厳命。
残った者で仕事を分担し、患者の健康状態がある程度回復したところを見計らってから、後送。
この手際の良さ。
間違いない。「予防」と聞かされて、「予防も大切だが、もし起きたら事後処理をどうするか」を、あらかじめ考えたのだ。
「一を聞いて十を知る」……とまで言えるかはわからないが、「打てば響く」であることは確かだ。
「事後処理は見事だったと思わぬかね?仲間の足を引っ張るようなマネを!」
ダミアンに反論したのは、さっき俺に嫌味な態度を取ったおっさんだった。
本隊第一大隊の、副隊長の一人。
ってことは、「メル本領系」。地元の若手をかばってるんだな。
俺に嫌味を言ったのは、要するに「メル原理主義者」だったからか。「メル家バンザイ、他は去ね」って。
まあ、立場何ぞどうでもいい。
おっさん、今回はあんたが正しい。
「足を引っ張るなど!これは演習です。だからこそ、ヒューマンエラーは、徹底的に潰しておかなくては。特に今回は、ウッドメルのセイミ爵子閣下とカレワラ支隊長が事前に注意すべき旨報告し、各隊に通達されていたのです。……カレワラ支隊長。あなたはどう思われますか?せっかくの通達でしたが。」
ダミアン・グリムを「嫌なヤツ」と確定的に認識したのは、この言葉を聞いた時だ。
これは、罠だ。
ここでセイミと俺の手柄を誇ってセルジュを叩くなど、貴族として見苦しい。
それだけではない。俺は、外様だ。本領系の優秀な若者を不必要に叩けば、メル家の郎党達から嫌われるに決まっている。
出世のライバルになりそうな「年少者」を、一気に二人叩こうとは。
14・15歳頃の、肥大してアンバランスになりがちな自意識と、攻撃的になりがちな精神を利用しようとは。
効率的な発想かもしれないけど、情けというものが感じられない。
ダミアンに対して冷えた心を覚えつつも、頭は熱くなっていた。
「熱い心に冷えた頭」じゃなくちゃいけないんだろうけど。
何せ、セルジュの仕事ぶりに感動していたものだから、仕方無い。
「モンテスキュー隊長の事後処理は、完璧でした。食中毒は、気をつけていても完全には防ぐことができない事故です。……その意味では、『エラーを潰しておくべきだ』とするグリム副隊長のご指摘も、もっともであります。『常に起こりうるもの』として、予防のみならず事後処理のマニュアル化もしておく必要があるかと思料いたします。第二支隊の事後対応をもって、今後の模範とすべきでありましょう。……なお、この地図についてひと言申し上げることもお許しください。簡にして要を得ており、広範囲の概略を掴むには最適かと。勉強になりました。」
長広舌だな、と自分でも思う。
ダミアンの思惑を、かわせていれば良いのだが。
そちらを見るのは危険だと思ったから、正面を向いて答えた。
「軍人バカ」っぽく振舞えただろうか。