第八話 おとな その2
昼食を終えると、大ジジ様から話を持ちかけられた。
「説法師を求めていたのにはわけがあるのだ。われら一族の中にも幽霊が出ていてのう。」
そのようですね、とフィリアが答える。やはり感知能力は鋭い。
「浄霊師もいるとあれば、心強い。二人のいずれかにお願いしたいのじゃが。」
あれだけの霊能を持っている大ジジ様にして、対処に困っている様子が伺える。なぜだ?そのような疑問が頭に浮かびかけたのだが。
「承る。」
千早は即答していた。
「いずれが行うかは、様子を見てからということでよろしうござるな、フィリア殿?」
「ええ、実際に対面してから決めるべきですね。」
大ジジ様と、「鷹の翼」と、テントの一つに向かった。「黒猿」のテントだ。
テントの中は、間仕切りによって部屋を分けられる構造になっていた。
その一室に、若い女性が寝ている。病気なのか、苦しそうだ。
その隣の部屋に、霊がいた。
「頼む。」
大ジジ様が苦しそうに言う。
霊は、小さな子供であった。前に関わったトマスに比べても、なお幼い。子供と言うよりは、幼児である。
「母さん、母さんはどこ?」
泣いている。
隣の部屋にいるだろうに、と思ったのだが。どうやら部屋の出入り口に、何らかの呪術的な封印を施されており、出られないようだ。
「では、早速に。」と千早が準備に入る。
「ちょっと待ってくれ。」
いちおう説得を、そう言って遮った。
「無理でござろう。すでに悪霊化してござる。できるだけ早く、輪廻の輪に還してあげるべきでござるよ。」
「ちょっと待て、悪霊って。ただの子供じゃないか。どこにも禍々しいところはない。」
「姿かたち、霊の意図、それは問題ではござらぬ。こちらの霊によって、母御でござろうか、隣室のおなごが苦しめられてござる。現に生きている人間に害を及ぼしているならば、悪霊なのでござる。」
「それでも。」
「くどい!」
一喝された。
「崖崩れの際にも止めたでござるな。女子供の霊であったのでござろう?姿が見えるのも善し悪しでござるな。我ら説法師、己の所業を知らぬわけではござらぬ。それでも、御霊のためには、早く輪廻の輪に還して差し上げるのが一番なのでござる。女子供、老人であっても、それは変わらぬ。」
「千早が子供を殴る、千早に子供を殴らせる、それも見たくないんだ!」
千早の頬に、朱が差した。
「侮るな!」
片手で胸倉をつかまれ、持ち上げられる。
「某を子供扱いされるか!若年といえども、某とて天真会の末席に坐し、説法師の名乗りを許されてござる!説法の業について、ヒロ殿にとやかく言われる筋合いはない!」
フィリアが声をかける。
「私が承りましょう。ここは狭い室内。千早さんの拳が万一にでもテントに当たれば、大事です。」
「む、いかにも。ここはフィリア殿のほうが適任でござるな。」
二人の声は、どこまでも事務的であった。
「待て!フィリア!フィリアにもさせたくはないんだ!」
フィリアがこちらを見た。
「私も止めようとするのですか。クマロイ村でのヒロさんの様子、ヨハン司祭の様子。浄霊術も、霊に対して過酷なところがあるようですね。」
頭のいいヤツはこれだから……。
「私からも千早さんと同じ事を言わせてもらいます。」
冷えた声が、耳を打つ。
「侮るな。このフィリア、義務を前にして、退くことはあり得ません。」
……そうか、ふたりはもう、おとなとして生きているのか。これは俺が悪かった……
「分かった。もう止めない。邪魔をするつもりもない。だから降ろしてくれ。俺はこの目で見届けたいんだ。その子が、安らかに天に帰って行くのを。目を逸らしたくはないんだ。関わった者の義務だろ?」
千早が力を緩めた。
俺は地面に降りて、幼児に向きなおる。
フィリアが杖を掲げる。何事かを唱えると、杖の先端が光りだす。
光球が大きくなり、杖から閃光となってほとばしる。テントの一室を満たしてゆく。
子供の霊は、泣き叫び、母を呼びながら、灼き尽くされていった。
やがて、溶けていった子供が、その場に浮かび上がる。
この上もないぐらいに、安らかな顔をして。
そのまま子供の霊は消えていき、光は杖に収束していく。
「天に帰りました。」
フィリアが告げた。
言葉が出せない。
分かっている。あの子にとっても、これが一番幸せなんだ。
いっとき苦しい思いをしても、自分ではどうにもできない悲しみから解放してあげる方が良いのだ。
フィリアだって千早だって、分かっている。
「いろいろと、済まなかった。」
大ジジ様が言う。
「つとめですので。」
フィリアが答える。
何を言うべきか分からず、「黒猿」にただ一礼して、テントを出る。
子供の母親らしき女性は、やはり眠っていた。
目から涙をひと筋、流しながら。
それでも、血色は良くなり、呼吸も安らかだ。
フィリアと千早に、詫びを入れた。
「済まなかった。侮っていたと言われても、申し開きはできない。」
二人からの返事はなかった。
午後は、大ジジ様と話をした。
何せ幼児で、説得のしようもなかったこと。浄化や説法ができないため、ああして封印しておかざるをえなかったこと。
「死霊術師の限界であろうか、ワシの限界なのだろうか。お主にも、きつい思いをさせてしまったな。」
悲しげであった。
「お気遣いなく。私は大丈夫です。フィリアと千早については……、認識を改めることにしました。彼女たちは、一人前のおとなとして遇さなければならなかったのですね。」