第八十二話 下から見ると その3
「本当に、締まりませんわねえ。フィリア様のおっしゃる通りですわ。」
馬車の中でも、クレアのお説教。
「足踏むことはないだろう!?」
「『痛くなければ覚えませぬ』と申しますでしょう?それに……あ、いえ、下の者の憂さ晴らしと思ってください。」
「どこまでも、いじられ役か。それはそうと、何か食べてから帰ろう?」
俺の奢りで。
いや、「奢り」なんて言葉は、この社会・このメンバーでは、あてはまらないのだと思う。
当然俺が負担するのである。
「並木街で、お茶でしたら、あのお店が……御者さん、そこで止めてください。」
お昼は、ブルグミュラー商会でいただいていた。
時間帯としても、ちょうど「お茶」といった頃合。
馬車のメンバーは、異世界人、郊野出身、ファンゾ者、王都育ち。
新都一番の商業地・並木街を知るオシャレ女子は、クレアだけだ。
「あるじが指定しない限りは、従者が店の段取りをつけることになります。皆さんも、新都のお店を、押さえておくように。」
従者も従者で、覚えることが多いのね。
俺のテーブルマナーに、お珠とデニスは意外そうな顔を見せていた。
失礼な!こちとらアリエルに80年前の古式ゆかしき作法を叩き込まれたんじゃ!
おうピーター、何か言ってやれ!
……って、お前もテーブルマナーでいっぱいいっぱいか……。
「こういうところは、隙がないのですよね、ヒロ様は。」
「なんか引っ掛かる物言いだね、クレア。……いや、構わない。正直な感想を聞かせて欲しい。」
「アンバランスなのです。しっかりしているところと抜けているところの差が大きすぎて。『上』の方々にはご愛嬌に映るのかもしれませんが、『下』からすると苛立ちを感じます。」
叩き込まれたところだけは、しっかりしているのです。
つまりは基本、間抜けであると。
ともかく、大事なのはそこではなくて。
「苛立ちって?」
「どう言えば良いでしょう?」
「『そこに居てください、降りてこないで。こちらは私達の居場所ですから。』という感じでしょうか。」
お珠?
「抜けていることは構わないのだと思います。それは下から見てもご愛嬌です。ただ、『品が無い』、いえ、下品さではありませんね……その、『威厳が無い』姿には、どうしても抵抗を覚えます。」
デニス?
「腰が軽すぎます。武人ですから、戦場では身軽でも良いのかもしれませんが、その……。どうか、ネイト館にかかっている、公爵閣下の肖像画のように。『丈夫はああでなきゃおんね』と思います。」
ちょっと興奮したのか、方言が出ている。
メル公爵。フィリアとソフィア様の、父親。今年51歳だったか?
どうやら、お珠には、理想の男性に見えているようだ。
14歳にしては、渋好みですこと。
大剣を地面に突きたて、その上に両手を重ねた、雄偉な威丈夫。
銀色の長髪を風になびかせ、真っ直ぐに正面を見据える武将。
額は秀で、眉太く、がっしりと張った顎に、これまた白銀の美髯。
それが、肖像画に描かれているメル公爵である。
「公爵閣下、どれぐらいの体格なの?」
「あの肖像画は、かなり精確に描かれています。2m近い、いえ、越えていますわね。アレクサンドル様よりは、頭ひとつ大きく見えます。胸板厚く、腕は太く。下手な説法師よりも力強い、まさに武人の棟梁です。」
アレックス様を「かわいがった」って聞いたしなあ。
婿殿の側には遠慮もあったんだろうけど。
「ヒロ様は細すぎます。ちゃんと食べていらっしゃいますか?」
お珠よ、おまえはお祖母ちゃんか。
「心配しなくても、大食いで有名になるぐらい食べてるよ。千早に聞いてみ?」
「お珠、男性の身体に厚みが増してくるのは、30歳ぐらいからだそうですよ。アレクサンドル様も細身でいらっしゃるでしょう?」
「細い男性は、好みではないのです。想像すると鳥肌が立ちます。」
鳥肌って。言い過ぎだろ。何を想像してるんだよ。
「いや、お珠。それなら、がっしりした彼氏を作ればいいじゃないか。」
「千早様を差し置いて、先に殿方を作るなど。それに、ヒロ様の『お相手』をする可能性もあるからこそ、せめて好みに合わせていただきたいと申しているのです。」
お茶を吹いてしまった。
正面に座っていたクレアの目の、冷たいこと冷たいこと。
「何言ってんの?」
「ヒロ様と千早様が一緒になれば、そういうことはあり得ますわね。諸般の事情で、あるじがお相手できない時に、侍女がお相手を務める。」
ハンカチで顔を拭いつつ、クレアも爆弾を投下してきた。
「ヒロ殿?」
モリー老。分かったからその槍を下ろそう?なっ?
「冗談にござるよ。なれど、あり得なくは無い。千早がこのまま出世しすぎてしまうと、『本人は位が高いゆえ、相応の相手を選ばねばならぬのに、実家の力が弱いどころか、そもそも家が無い』という、嫁入り婿取りにはまことに難しい状態に陥るゆえ。まして、武人であの馬鹿力となると。」
モリー老の声が聞こえていないはずのクレアも、似たようなことを言い出した。
「まあ、お珠も半ばは冗談で言っているのですよ。ただ、下の者は、『あるじの周囲にいて、連れ合いとなる可能性がある異性』には、アンテナを張り巡らせておく必要があることも、確かですわね。」
半ばは本気なわけね。
何がどう転がっても、鳥肌ものとまで言われたら、そういう気にはなりません!
「フリッツ様もそろそろというお年ですが、まだまだ嫁取りの話はできません。春にドメニコ・ドゥオモ様とお友達になって、『ああなりたいものだ』とおっしゃっていました。ドゥオモ家のレベルになれば、引く手も数多なのでしょうね。」
思わず、クレアに目が向かう。
あれ?俺だけ?
ああ、従者3人組は、まだ事情を知らないのか。
机の下で、また足を踏まれた。
ぐりっと。
だから痛いって!
「下世話に流れすぎましたわね。上の方にお聞かせする話ではありませんでした。」
「気をつけないと、ヒロ様はすぐにこちらに降りてきちゃうんですよね。」
まさに「下」、足元から声が聞こえてきた。
「全くだ。気をつけたまえよ?」
私が下世話なのは、半ばはあなたの影響なんですけどねえ?
好奇心の女神さんよ!
「会長とクララ殿は、いかがでござった?」
「会長はますます気力充実といった趣だったよ。クララさんも、赤ちゃんも、元気そうで。名前はヨハネス、男の子だ。……その、『今後もよろしく』ってさ。」
「ああ、そうでした!私たちも行けば良かった。今度、お祝いを持って会いに行きましょうか。ええ、『今後とも、よろしく』お付き合いしていきたいものですね。」
フィリアが俺を見て、頷いた。
委細承知、か。ベルンハルト父さんも、安心だろう。
「お祝いと言えば、2人にも、昇進のお祝いをって。預かってきたよ。」
「実用品では、ブルグミュラー商会に勝るところはござらぬ。」
「軍への卸などは、お願いできないのでしょうね。あくまで個人向けの小売り、という姿勢でしょうから。」
「ご歓談のところ、失礼致します。フィリア様、千早様。ヒロ様について、報告いたします。」
おい、俺の「あるじ」スキルの採点をクレアに頼んでたわけ?
何をどう評価したのやら…
「ヒロ様は、Mではなさそうです。足を踏んでも喜ぶ素振りは見られませんでした。ただ……。」
そっちかい!
「ひとのSっ気を誘発するところは、あるかもしれません。」
「なるほど!『Mと言われればそうかも知れぬが、何か違う』と思っておった。これは的確にござる!」
「クレアに任せて、正解でしたね。」
「ヒロ君は、ひとのSっ気を誘うって?これは僕のお仲間かも知れないねえ。」
え?あなたは……。
お久しぶりです!