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第八十一話 上の悩み、下の苦しみ その9


 目が覚めた。

 「夜光杯」の、真ん中で。


 李老師と、カトレアが、残っていた。


 「みんなは?」


 「安心せい。学園に、送り届けた。千早とフィリア嬢は渋ったが、『わしが責任を持つ、おかしなことはせぬ』と言って、帰したよ。」 


 「私だけを残した、意図は?」


 「痛い頭を酷使するものではない。見てもらいたいものがあるのよ。先代ママの手記だ。……いまの『夜光杯』には、マネージャーはいるが、ママはいない。このカトレアが、代行しているというべきか、の。」

 

 「3年前に亡くなった先代のママ、『夜光杯』を立ち上げた人なんだけどね。偉大すぎて、私じゃ名前を継げないって思ってるの。」


 「とにかく、手記を。見てはもらえぬか、の。」


 まだ、それほど古ぼけてはいない、手帳。

 パラパラとめくった俺は、ある一ページで、言葉を失った。


 これ……アラビア文字じゃないか!?


 俺の反応を見たカトレアが、手帳の別のページを大急ぎで開いた。

 そこにあったのは、TOY○TAの文字が書かれたピックアップトラックの絵。

 パーマの前髪を垂らした、「ムーンウォーク」のダンサーの似姿。

 最強魔法・著作権法の呪縛によりその名を口にすることが許されぬ、「甲高い声で笑うネズミ」のイラスト。

 

 これ……。

 このイラストならば、誰でも分かると信じて……。


 眩暈がして、ソファに倒れこんでしまった。

 その俺の襟首を、カトレアが締め上げ、揺さぶる。

 

 「何でもっと早く来てくれなかったのよ!ママは、姐さんは……ずっと待ってたのに!知り合いに会える日を!」


 「取り乱すな、カトレア。ヒロ君が来たのは、1年半前だ。会えぬ運命だったのであろう。……ヒロ君、どれぐらい説明できるか、の?」


 混乱して泳ぐ俺の目を、李老師が覗き込む。


 「カトレアには、話しても構わぬ。」


 低い声が胃の腑に叩き込まれる。

 どうにか落ち着くことができた。


 「私とその女性は、同じ世界の出身ですが、住んでいた所は遠く離れています。この文字については、『外国語だ』ということしか分かりません。それでも、この3つの絵は、私達の世界では、『言葉が通じなくとも、誰もが知っているもの』です。それ以外のことは……残念ながら、分かりかねます。」

 

 

 「先代ママのジャスミンは、侵入の痕跡も見せず、いきなり天真会の新都支部に立っておった。目だけを出した黒づくめの服装で、突然現れたものだから、すわアサシンかと、慌てたものよ。」


 「聞かせて欲しい」と言い出す前に、老師が説明を始めた。


 「話を聞いてみたが、訳が分からぬ。言葉は通じるのに、まるで話が通じない。信じられぬ話だが、どうやら全く違う世界から飛ばされてきたらしいと分かり、仕方ないので、天真会で……いや、新都支部で、極秘に預かった。アランもロータスも、まだ子供だったころの話よ。この件は、知らぬ。カトレアは、ジャスミンの……そう、腹心と言えば良いか。それゆえに知っている。」


 「天真会の、それも新都支部。飛ばされた場所が、幸いだったのですね。何かの神様の、配慮でしょうか。」


 「初めはヴァガンと似たような扱いよ。だが、ジャスミンは普通のおなごで、家事もできるし、すぐにこちらに馴染んだ。おなごが顔を見せても良い、学問や仕事をしても良いと知って、大喜びしておったよ。」


 「彼女がいた国では、女性は家族以外に肌を見せてはならず、学問を修めることも仕事をすることも許されないと聞いています。目だけが見える黒づくめの服装は、民族衣装です。」

 

 「確かにジャスミンは、系統立った教育を受けていたようには見えなんだ。こちらに来てからは、苦労も多かったよ。だがの?『夜光杯』を立ち上げたのは、『クラブ』という概念を持ち込んだのは、ジャスミンよ。」


 「それまではね、どれほど高級でも、夜の仕事は『娼婦』しかなかったの。そんな中、ジャスミン姐さんが立ち上げたのは、まさに『クラブ』。『そっち』の接待無しのお店。『夜光杯』ができたことで、いろいろなスタイルのお店が次々に立った。女の子の選択の幅が、広がった。」


 「『元居た世界で、旦那が出入りしていた店と同じ。マネしただけよ。』と言っておったわ。『思い出したくもない話だけど、何が役に立つか分からないわねー。』と笑っていたよ。」


 「ジャスミン姐さん、強烈な人でね?気に入らない男は、店から放り出してた。高位貴族でも。考えられない話よ?それがまた受けて、気持ちの良いお客さんばかりが集まるようになって。」


 「さよう、やりたい放題であった。どれほど尻拭いをさせられたか。」


 苦労などしていないはずだ。

 ひとの裏事情は全部つかんでいるのが、天真会だもの。

 ちょちょいと脅して、黙らせてたに違いない。



 「ヒロ君の話を千早から聞いた時、『ひょっとして』と思うた。『ジャスミンの同類ならば、ルール無用のじゃじゃ馬ではないか、いらぬ軋轢を起こしはしないか』と心配しておったのだが。うまく合わせてくれているようで、助かった。」


 「『と、思っていたけれど』、でしょう?ジャスミン姐さんと違って、ヒロさんは外に向かう人ではなかった。自分に良い様に世界を作り変えようとはしない人。でもそれじゃあ、『大物にはなれない』わよ?バニラの言葉を借りるけど。」


 「ヒロ君、やりたい放題、言いたい放題でも良いのだよ?メルの若夫婦を傍で見ておるであろう?自分の良い様に世界を動かす。やれるならば、何を憚ることもない。異世界の知識を持ち込めば、できることのひとつやふたつ、あるだろうに。」


 李老師の目の色は、深かった。

 

 「何も、天真会でその知識や技術を独り占めしようとは言わぬよ。だが、ヒロ君の得になり、この世界にも得になる。そういうことを、なぜやらぬ?」 


 自分でも、よく分からない。

 話せば、整理できるだろうか。


 「初めは、この世界で何ができるか分からなかった。分かり始めてからは、たぶん保身です。ルールに従っている限りは、安全ですから。」


 何か違う。

 そう思っていることは確かだけど、そうじゃない。

 とにかく、整理したい。

 そう思って、口を動かし続けた。


 「私は、具体的に何かができるわけではありません。それでも、この世界ではまだ発見されていない『概念』『発想』を知っています。」


 火薬、内燃機関、民主主義、高度金融資本。

 パッと思いつく中で大きいのは、こういうところだと思う。 


 「その概念や発想を口にすれば、この世界の人は、間違いなく現実化・具体化するでしょう。私はそんな人にばかり巡り会ってきました。」


 現にフィリアは、二言三言の会話から、『市民図書館』を立ち上げてしまった。

 火薬や内燃機関「なるもの」をうっかり口にすれば、オットー・マイヤー工房あたりが、数年もかからぬ内にそれを作りだしてしまうだろう。


 「でも、それって、許されるのでしょうか?」


 この間出会って別れた、リリー。

 仮に2ヶ月前に、彼女と出会っていたとして。

 「『青カビから、(ペニシリンっていう)すごい薬が作れる』って聞いたことがあるよ。」

 と、そう言うのは簡単だ。しかし、彼女の前でそれを口にすることは、許されてはいけない所業のような気がする。

 どれほど彼女がその薬を渇望していたとしても。



 「何が悪いの?誰も損しない、みんな得するんでしょ?」

 

 「あ、いえ、人に害をもたらす知識もあるような気がします。」


 民主主義なんて言い出したら、社会秩序が崩壊する。

 火薬だってそうだ。ノーベルはダイナマイトを発明して、アインシュタインは原爆を発明して、後悔したって言うじゃないか。


 「なら、得する知識だけ使えばいいじゃない。困ってる人を助けられるのよ?ジャスミン姐さんみたいに!」


 「ペニシリン」を口にしていれば。

 いや、火薬ですら。

 もっと早く、アレックス様やソフィア様に具申していたら、ファンゾで「部下」を死なせずに済んだかも知れない。


 「臆病者。意気地なし!」


 「何と罵られても、でも、ダメなんです。ジャスミンさんも、決して口にしなかった。そういう知識が、あるんです。」 


 追い詰められて、そんな言葉が出たけれど。

 これはジャスミンへの責任転嫁じゃない。

 そうだよ、ジャスミンだって、火薬の話はしていないのだ。たぶん、同じことを考えたんだ。


 

 それでも、カトレアの追及は止まない。


 「随分お高く止まっていらっしゃるのね?『この世界』をバカにしてるの?自分の手を自分で縛るような真似をして、真剣に生きてるって言えるの?」


 縛りプレイ(ゲーム用語ですよ、念のため)は、舐めプレイの一種よ?

 カトレアが言っているのは、たぶんそういうことだ。



 「すでに多少は、知識を使っています。だいたい、元々持っていた知識と、こちらで得たものと、明確に区別できるものでもありませんし。」


 言い訳。

 分かってる。カトレアの問いに答えるものではない。


 「全力で、真剣に生きる」ならば、「知識を披露してのし上がる」べきなのかもしれない。

 けど、それはやっぱり、違うような気もする。



 「お主が抱いておるその感情。『畏れ』に似ておるの、ヒロ君。」 

 

 ああ、そうか。「畏れ」か。

 いつだって、李老師は的確だ。


 「だいたいそんな感じ」で納得させる。

 「それ以上考えるべきではないこと」からは、引き戻しにかかる。



 李老師が、カトレアに厳しい目を向けた。

 「カトレア、ヒロ君の感情は、巫女や預言者と似たようなものだ。神託を受けても、彼女らはそれを軽々しく口にはすまい?異世界の知識には、それに似たところがあるのであろう。……以後、追及することを禁ずる。」

 

 「老師のお言い付けならば、従います。今のご説明で、納得もできました。」



 「わしもひと安心か、の。ヒロ君、お主はこの世界をメチャクチャにすることは、なさそうだ。だがのー。ストレスたまるであろうの、その生き方は。……と言って、それが性分ではどうしようもないか。」


 

 なぜ、李老師は、いつでもこんなに「的確」なんだろう。


 「年の劫、よ。あとはまあ、修行の賜物か。」

 

 相変わらず、こちらの考えはお見通しですか。


 「『そのように生きる』のであれば、この世界のみなの様に、生きれば良い。わしが言いたいことは、変わらぬよ。もう少し、言いたいことを言い、やりたいように行動せい。それぐらいは、問題ない。できるフォローは、こちらでもする。わしらも世話になっておるし、お互い様。それが天真会よ。」

 

 「ええ、お互いに根を張ってつながるように、ですよね。」


 「そう言えば、そもそもヒロ君の気を少しでも軽くしてやろうとして、『夜光杯』の見学を企画したのであったな。その仕事は果たさぬと。もう少し気楽に生きられるように、手助けして進ぜよう。まったくもう、人の上に立つ者は、気苦労が多くて敵わん。」

 


 

 そういうわけで。


 翌日から、「どうやら、ヒロの性癖はMらしい」という情報が、流れるようになった。


 縛りプレイ(意味深)。   




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