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第八十一話 上の悩み、下の苦しみ その4


 額に傷痕のある男。

 その顔を認識した刹那、俺は、朝倉を抜き打っていた。


 「ヒロ殿!」

 「何です?」


 「『賢者』だ!南ファンゾの『教祖』側近!貴様、確かに斬ったはず!」


 「うわわわわ。ラスカル、ボウガン、ボウガンを早く!」


 

 「また腕を上げたねえ。加護持ちは厄介だよ。」

 そんなことを口にしながら、「賢者」が、ひょいっと身をかわす。


 それでも俺の揮った一刀は、「賢者」の衣服を切り裂いていた。

 袈裟懸けの跡が、生々しい。ノブレスが与えた眉間の傷といい、間違いない。

 こいつは、「賢者」だ。


 「その傷で、なぜ生きている!」

 

 「ヒロ殿、助太刀。」

 千早の飛び蹴りも、かわされる。


 狭い部屋ではないものの、乱闘できるほどのスペースでは、ない。

 「ここは、一撃必殺」と考えたのであろう。

 フィリアが、霊気を杖に集め始める。

 

 「やめてえ!」

 部屋のあるじ、まだ二十歳にもなっていない女性が、横ざまに俺に抱きついてきた。

 殴り倒す訳にもいかない。


 その隙を突いて、「賢者」が、突進してくる。

 朝倉を八双に構え、白衣の女性をかばうようにした俺を、嘲るように抜き去る。

 ビスコンティ枢機卿の脇を潜り抜けて、廊下に飛び出し……凄まじいまでの速さで、消えて行った。


 「何事ですか!なぜ、男性がここに!」


 「猊下!あれがこの間お話しした、『賢者』です!最近では、ジョン司祭の話を聞いていませんか!」


 「額に傷のある男……司祭を異端に引き込もうとした男!」

 さすがに回転が速い。

 突発事態にも、慌てない。

 「警備兵に指示を!当聖堂敷地を封鎖せよ!一切の外出を禁ずる!」

 

 「了解!」

 秘書らしき女性が、慌てて走り去っていく。



 「でも、どうして!僕は確かに眉間に当てたよ!あれで生きているはずがない!初めて人を殺しちゃったと思ってたのに……。」

 

 ノブレスの疑問は、もっともだ。

 俺も、あの時の一刀には、確かな手応えを感じていた。

 カルヴィン、孝・方、ノブレス、ヒューム、俺。全員が、強かな一撃をお見舞いしたのだ。


 特に、ヒュームの大腿動脈へのくない、ノブレスの眉間へのボウガン、俺の袈裟懸け。

 この3つは、どれひとつを取っても、それだけで致命傷のはず。

 実際に、海中へと沈んでいく姿を、目撃してもいる。


 「いくら加護を受けているといっても、人間が……。」



 「人間では、ないのでは?」

 フィリアが、そんなことを言い出した。

 「あの霊格は、人のものではありませんよ!?」

 


 「え?でも……。おい、ミケ、ラスカル、どういうことだ!アイツは『希望の神』の眷属だって言ってただろ!?」



 ラスカルが、バカにしたように目を細めた。

 「あーあ、ばれちゃったか。面白そうだと思って、ヒロの勝手な誤解を、そのままにしておいたのに。」


 「私は、『眷属』とは言ってないよ?ひと言たりとも。報告書、もう一度読み返してみたら?」

 後ろ足で耳を搔きながら、ミケが応ずる。


 「人間じゃないなら、アイツは一体、何なんだ!」


 「ゴーレム。」


 「は?」


 「私たちと同じ。『希望の神』が、人間社会を出歩くために作った、入れ物。人型の方が、そりゃあ融通が効くもんねえ。」



 「『希望の神』など、存在しません!存在するのは、『希望の悪魔』です!人に希望をちらつかせ、可能性を提示して、破滅へと引き込む。元筆頭天使、原初の堕天使ではありませんか!」


 ヴィスコンティ枢機卿が、絶叫した。


 「『人が後天的に霊能を得るための手段』を提示していたのが、『希望の悪魔』だったとは!皆さんの懸念は正しかった。そんな手段など、封印しなければ!」


 明晰な頭脳が、フル回転しているのであろう。

 ぎゅいん、と音を立てるかのように、枢機卿がフィリアの方に首を振り向ける。


 「フィリア司祭!あなたはあれが『希望の悪魔』だと知っていたのですよね!?なぜそれを教えてくれなかったのですか!」


 「私は、直接には目撃しておりません。現場に到着したのは、あの『ゴーレム』ですか、それが海中に没した後です。報告書を読み、あるいはその可能性があるかとは思いましたが……。ヒロさんからも、ゴーレムではなく眷属だと聞いておりましたし。『好奇心の女神』、いえ、『好奇心の精霊』ですね。彼女が言うところの『希望の神』と、『希望の悪魔』が同一のものであるかどうかは、軽々に断定すべき事柄ではないと判断いたしました。私の推測が予断となってはいけませんので、先日は報告しなかったのです。」


 フィリアの説明に、ヴィスコンティ枢機卿の目が、落ち着きを取り戻した。


 「あまりのことに、取り乱してしまいましたか。確かに、フィリアさんのその判断は、正しい。軽々しい断定は、いけませんでしたわね。」


 聖神教には、認定の手順のようなものがあるのだろう。

 フィリアはそれに則っていたようだ。


 理を尽くした説明に、どうにか落ち着いたヴィスコンティ枢機卿。

 しかし、今ここには、空気を読まずに冷や水を浴びせるヤツがいるのだ。足元に。

 

 「あんた達の言う、『希望の悪魔』で間違いないよ?ひとを悪魔だの精霊だの、ひどいよねえ。とんでもねえ、わたしゃ神様だよ。」

 

 ミケ!逆撫でするんじゃあない!


 ヴィスコンティ枢機卿が、崩れ落ちる。気絶したか。

 3人の女医が、素早く彼女を支え、寝かせる。



 「そんな……あの人が悪魔だなんて、嘘だよ。天使よ、あの人は……。」


 部屋の主、くしゃくしゃ頭の女性が、しゃがみこんだ。

 

 「いけない!異端認定される前に、薬を作らないと!あともう少しなんだ!」


 急いで机に向かい、作業に取り掛かる。


 「お願い!邪魔はしないで!できる話なら、何でもするから。今やってるのは、話しながらでもできる作業だから!」


 彼女の名は、リリー。15歳。

   

 「あたしはね、農家の娘だった。去年、父さんが怪我をして、それが膿んで死んじゃってから、お医者さんのところで、お手伝いやってたんだ。少しでも、怪我や病気を治す仕事に関わりたかった。」

 

 何かを、濾過している。


 「ついこの間の、3月の末なんだけど。あの人が、運び込まれてきた。大怪我していて、こりゃあ助からないって、誰もが思ったんだ。先生も、あたしも。でも、助けたくて、看病した。可能性があるなら、最後まで、賭けたかった。」


 何かを、かき混ぜている。


 「そうしたら、あの人、起き上がったんだ。『ありがとう。助かったよ。』って、そんなこと言ってたけど、まるで助けなんかいらないみたいだった。『なんでここまでしてくれたの?普通諦めるでしょ?』なんて言うから、思い切り張り倒しちゃったよ。『生きられる可能性が少しでもあるなら、最後まで諦めたくない!』って叫んでた。ひどいよね、大怪我してやっと助かった人に、あたし、何てことしたんだろう。」 


 手を、止めた。


 「あの人が見せた顔、今でも覚えてる。何だろう、慈母の微笑み、って言うのかな、男の人なんだけど。『君の夢は?』って。『聞かせてくれないか』って。」


 リリーの目は、どこか遠いところを見ていて。

 「吸い込まれるような、そんな気がした。」

 そんな言葉を、口にした。


 「『怪我を治したい。怪我を治す、薬を作りたい。』そう答えたんだ。」


 慌てて、作業に戻っていく。


 「『わかった。それじゃあ』って、あの人があたしのおでこに、手を当てた。そうしたら、何だか一気に頭が良くなったような気がして。『今なら、薬を作れる』って、確信した。」


 容器から、何かを抽出する。


 「『それはね、君の勘違いだ。今の君では、作れない。勉強しないと。だけど、勉強しさえすれば、作れるよ。』って。あたしの考えなんて全部お見通しなんだ、この人はきっと天使なんだって思った。」


 だから、信じた。

 そう言って、リリーは再び、作業を止めた。

 

 「仕事をやめて、一日中勉強した。あたしね、文字の読み書きもろくすっぽできなかったし、算術も足し算引き算しかできなかった。それが、ひと月もしないうちに、どんどん分かるようになって。で、ここの門を叩いたってわけ。」


 「さきほど聞きました。試験は満点だったらしいですね。」 

 「和服」が、合いの手を挟む。


 「簡単だったよ。でも、昔のあたしのままだったら、たぶん一生かかっても、ありえない出来事だったと思う。最終面接で、ヴィスコンティ枢機卿猊下と対面した。物凄く怖い笑顔だったけど、すぐに顔が変わって、深く頷かれて。『あなたなら、できるわ』って。嬉しかった。」


 ……あたし、猊下を裏切っちゃったのかな。

 口にして、首を振り、作業に戻る。


 「あの人ね、時々会いに来たんだよ?こないだなんか、『良くない知らせなんだけど、伝えなくちゃいけないことがある。君の寿命は、残り少ない。こればっかりは、どうしようもないんだ。』って。」

 

 ヴィスコンティ枢機卿は、もう、目を開けていた。


 「ちょっと驚いたけど、まあそうかなって思った。ここ数ヶ月、無理してる。ううん、ただ無理してるのとは違う。本来ありえないことをしてるんだって、確信してた。『でも、今なら薬を作れるでしょう?』って言ったら、あの人、またあの時の微笑みを見せてくれた。」

 

 枢機卿が、音を立てずに立ち上がる。

 リリーの背中を、見つめている。

 

 「『ああ、今なら行ける。でも、たぶんギリギリだから、個室をもらうんだ。集中できる環境が必要だ。』そう言って、大金貨をくれた。何枚も。『ちょっと、どうしたの!もらえないよ!』って言ったら、『今更なにを。君が僕から受けたものの価値は、そして僕が君から受けたものの価値は、こんなもんじゃ計れないんだよ。それに、汚いお金じゃない。公正な取引の、対価として受けたお金だ』って。」


 そうだよねえ。今さら金貨なんて。

 もう、引き返せないんだから。


 そう口にしたリリーの手は、震えていた。

 

 「『ギリギリだよ?』だってさ。それこそ、何を今さら。答えてやったわよ。『言ったでしょ?少しでも可能性があるなら、賭ける。たぶん、私にしかできない。そんな気までしてるんだ、今は。』って。」

 



 あの人の笑顔、あの時の言葉、忘れられない。


 「僕は、希望を抱く人が好きなんだ。可能性を信じる人が、好きなんだ」って。


 答えたいの。あの人の笑顔を、もう一度見たいの。




 リリーの手の震えは、収まっていた。

 

  

 父を失った悲しみの後に訪れた、恋の喜びと、夢と希望と、使命感と。

 綯い交ぜになった思いを抱いて、削った命を動力炉にくべるかのようにして、驀進するリリー。


 美しいと、思った。

 下ぶくれで、あたまもくしゃくしゃ。小さな目。


 全然美人じゃないけど、美しいと、思った。



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