表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

304/1237

第八十一話 上の悩み、下の苦しみ その1


 

 神学校を後にし、学園における6月の他流試合ラッシュを終えれば、次は社会科見学の季節。



 「ヴィスコンティ枢機卿猊下から、是非見学に来て欲しいとのご依頼がありました。『女子修道会の活動を、霊能や医術の研究を、将来を担う皆さんに是非見ていただきたいのです。』とのお言葉です。」



 「では、第一の候補は『聖神教女子修道会付属の研究施設』だね、フィリア君。」


 社会科見学では、3箇所を回る。

 メンバーは去年と同じで、俺、フィリア、千早の3人に、イーサン、トモエ、ノブレスの3人。


 

 「ここのところ少々、聖神教づいておるように思われてならぬ。それも神学校・研究施設と、少々『頭でっかち』ではござらぬか?天真会からも、候補を挙げておきたい。具体的には、後日。適切なものを見繕っておくゆえ。」


 「千早さんなら、天真会のどの施設にも渡りをつけられるわね。いいんじゃないかしら?」


 後にトモエは、この時の言葉を少し悔やんだらしい。

 まあ、それは追い追い。



 「分かった。では、第三の見学先を、どうするかだね。軍関係は、1月に見学できたし、ここにいる者のうち5人は、夏にまた参加できる。トモエ君が……」


 トモエが、ほほを膨らませる。


 「あ、いや、トモエ……が、軍を見学したいなら考えるけれど……。」


 笑顔に戻ったトモエ。

 あらまあ。幸せそうなお顔!


 「気にしないで、イーサン。私は軍とは無縁だから、1月に見学できただけで十分。」



 このやり取りがあっても気づかない、2人のことを誰からも知らされていない。

 そんなノブレスが、のんびりと口を開いた。


 「去年は民間を回ったんだよね。今年は宗教関連がメインかあ。」

 

 「ノブレス殿、某が選ぶつもりでいるのは、民間の職場にござる。天真会の影響が強いというだけにて。」


 「じゃあ、フリーハンドで選べるね。みんなで決めちゃってよ。」 



 去年もそうだったけど、今年も。

 俺には、希望があった。


 「じゃあ、いいかな。アサヒ家の職場……刑事裁判の部署を、見学したいんだけど。」


 「え?見るほどのものなんか、何も無いわよ?貴族仲間でも、あんまりいい仕事とはされていないし……。」


 「トモエ、謙遜が過ぎるよ。刑事裁判は、立派な仕事だ。ヒロ君、理由を聞かせてくれるか?」


 「ああ。『裁く』ということ、その周辺を知りたいんだ。家名持ち、あるいは貴族は、『決断をする者』・『責任を取る者』だろう?軍事ならば即断即決が大切だけど、行政や司法は、じっくり考えた上で決断を下していると思うんだ。その考え方や、思いを知りたい。トモエからすれば、見飽きているかもしれないから、悪いんだけど。」


 フィリアと千早が、こちらを見た。


 「私としても、知りたいところです。領邦貴族は、どうしても『力でごり押し』ですから。正義……特に手続きの問題は、後回しにするところがあります。」

 

 「いいんじゃないかな。去年は民間、冬に軍で、政府機関はあまり見てないしね。」

 ノブレスも、賛意を示す。


 「トモエが良ければ、だけど。僕も見てみたいな。」


 このイーサンの一言が、効いた。


 「分かったわ。じゃあ、そうしましょう?」


 「イーサン殿を、アサヒ家の郎党に至るまで、皆にお披露目できるでござるしな。」

 

 「もう!千早さんったら!ただ、刑事裁判を語る場合には、弁護人を外すわけにはいかないわ。どうするの?アサヒ家とは仲が悪いと言うか……あえて馴れ合わないようにしているところがあるから、紹介できないんだけど。」


 「こっちで、あてがある。お願いしておくよ。」

 そう、ドッペローム氏に。



 

 「礼金?いただけないよ。」

 

 「いやしかし、お忙しいビジネスマンの時間を割いてもらうわけですから。」

 

 「社会的義務だよ。弁護士協会としても、推進しているところさ。裁判、法、手続き。君達のようなエリート候補生には、是非理解しておいて貰わなくてはならないしね。」


 アレックス様の横紙破りを、まだ根に持っているな、こりゃ。

 


 見学当日。

 新都の中央にある、極東道の政庁。そこから5時の方向、船着場や並木街にもほど近いところにある事務所に、ドッペローム氏を迎えに上がる。


 そこから、アサヒ家の職場である刑事裁判所へと向かう。

 所在地は、極東道の政庁から見ると、6時~6時半あたりの方向。

 

 門に、トモエの父親、アサヒ家当主のヨシカツ・アサヒが迎えに来ていた。

 トモエとは、あまり似ていない。

 小柄で、ちょっと太め。いや、これは筋肉か。貴族だもの、一応の武術は修めているはず。そして穏やかな顔。

 あれだ、「スーパーひ○し君」の元になっている人、的な雰囲気と言えばいいか。

 庶民から「閻魔大王」の如く恐れられている人には、とても見えない。

  

 「学園の生徒さんが見学に来てくれるなんて、珍しいことです。歓迎します。」

 物腰も、穏やかなものであった。

 日本的に言えば、高等裁判所の裁判長ぐらい(?)に偉い人なのに。



 事前に、一応の予習をしてきた。

 裁判は、刑事民事問わず、基本的には一審制。


 「冤罪であることが後から判明した」場合や、「明らかに、法律がひどい・間違っている」と考えられるケースのみ、上訴が許される。


 冤罪・事実問題ならば、ここ新都の裁判所で再審。

 法律の審査になる場合は、王都の貴族院で、特別裁判が開かれるというわけだ。




 「弁護士も、訴追担当も、裁判官も、『正義』を大切にするの。立場は違っても、裁判に携わる者は、その意識は共有しているのよ。」

 と、これはトモエの説明。



 「でもさあ、人を殺したような極悪人を弁護するって、正義とは思えないんだけど。」

 ノブレスが、疑問を口にした。

 

 俺の理解も、ノブレスと似たようなもんだ。

 日本にいた頃は、何となく、「弁護士って、それが仕事らしいし」ぐらいにしか思っていなかったが。

 こちらに転生した俺は、今後、人の上に立つことになる。「裁く」ということに携わる可能性が出てくる。

 こういうめんどくさいことも、一度は、考えておかなくてはいけない。



 わが意を得たりと、ドッペローム氏が、語りかける。

 「ノブレス君。人を殺すことは、悪だよね。」


 「そう思います。僕は軍人志望だけど、まだ人を殺せない。」

 

 「ノブレスさん、軍事活動における敵兵の殺害は、適法な行為です。むしろためらうことが、軍法違反になる可能性があります。……ノブレスさんの哲学的疑問とは関係ありませんが、一応これだけは言っておかないと。失礼しました。続きをお願いします。」


 ドッペローム氏が、フィリアに対して、鷹揚に頷いた。


 「では、人を死刑にすることは?これも人を殺すことだ。悪ではないのかな?」


 「ええ!?そう言われてみれば……。でもそれ、屁理屈みたいに聞こえるよ。だって、悪いことをしたら処罰されないと。そうだ、それが正義じゃないですか!」


 「じゃあ、国が治安維持のために人を殺すのは正義で、個人が人を殺すのは悪だと。」

 

 「そう思うけど……。」 


 「治安維持のために、王都のスラム街の住人を、軍隊で一掃するのは正義かな?」


 「それは……それはひどい。無抵抗の人を、何も悪くないのに殺すなんて。そうだ、悪い人を殺すのは正義だけど、悪くない人を殺すのは、悪です!」


 「王国政府から見たら、治安維持の妨げになっているというだけで、『悪い人』ではないかな?」


 「じゃあ、何が正義なんですか?誰が悪人で、誰が悪人じゃないんですか?」



 「そういうことさ。それを問うのが、弁護人の仕事だ。裁判の場で、『犯人とされたこの人は、本当に犯人ですか?悪い人ですか?』と尋ねる。国に対して、『国の行動は、本当に正義にのっとっていると言えますか?』と尋ねる。被疑者の弁護を通じて、正義に貢献するというわけだ。」


 

 「訴追側からすると、屁理屈に聞こえることも多いわ。」

 トモエが、苦笑を見せる。

 「でも、建前論としては、理解できます。実際に、そうした活動から正義が明らかになるということもありますし。」



 「なるほど。その苦笑が、『裁判に携わる者の共通の理解、共感』にござるか。」





 「訴追側は、『この人は犯人です。悪い人です。』、『刑を下すことが、正義です。』と主張するわけですか。では、裁く人は?裁判官はどう考えているのですか?」


 見学当日、これが、ヨシカツ・アサヒに対して俺がぶつけた質問。



 「迷っている君に、まず言わなくてはいけないことがある。裁判官は、結論を出すことから逃げることだけは、許されない。それは、軍人貴族とも、行政官僚とも共通する、家名持ちの義務だ。」


 「自分なんかが裁いていいのか、裁くという行為が許されるのか、そんな風に思うことはありませんか?」


 「ある。それはあるよ。ただ、じゃあ他の誰が裁くんだ、ということもある。私が裁かないということは、責任を他の者に押し付けて、逃げる行為でもあるわけだ。あとは……研鑽、だね。」


 「研鑽、ですか?」


 「子供の頃から、これまで行われた裁判の資料を読んで勉強するんだ。『なぜこの結論になったか』、『その判断は、正義に沿ったものか』、『自分ならこう判断する』……というふうにね。で、それを家のおとなに、裁判官に見てもらう。成人する頃には、正義を理解できるようになっている。曲がりなりにも『裁ける』者になっている。」 


 「家業、なのですね。」


 その視点が、俺には欠けていた。

 この世界は、封建社会……だ、たぶん。基本的には、職業は自由に選べない。その分、ノウハウの蓄積は、やりやすい。


 「他の仕事と同じだよ。軍人も、農家も、子供の頃からの訓練によって、職業知や職業倫理を身につける。『刑事裁判は、私たち以外に誰ができるのだ』と、そういう自負心の元に、日々研鑽を積むんだ。」



 「裁判官の研鑽には、頭が下がりますよ。正義を、真実を追求しようとしていることは、間違いない。」

 ドッペローム氏が、口を挟んだ。

 「それでも、納得のいかない判決もある。だからこそ、私たち弁護人も、つねにその過程に参加するんだ。」 


 「そういうことだ、ヒロ君。ひとりで仕事をする者など、いない。どの職業だって、同じだろう?先祖代々、積み重ねられてきた判決から『正義』を読み取り、自分もまた、正義を追求する。同世代の、そうだね、仲間やライバルと言えばいいかな。そういう人たちと共に。」


 理解できた。

 つまるところは、自覚と責任感。そしてやっぱり、「慣れ」だ、これは。


 俺だって、一年どころか、半年で人を殺せるようになってしまった。

 常日頃の研鑽と、事後の内省。そしてまた、次の仕事へ。 

 繰り返せば、慣れるものなのか。

 迷わなくて、済むものなのかな。


 「実際の裁判の様子を、見ていただきましょう。」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ