第八十一話 上の悩み、下の苦しみ その1
神学校を後にし、学園における6月の他流試合ラッシュを終えれば、次は社会科見学の季節。
「ヴィスコンティ枢機卿猊下から、是非見学に来て欲しいとのご依頼がありました。『女子修道会の活動を、霊能や医術の研究を、将来を担う皆さんに是非見ていただきたいのです。』とのお言葉です。」
「では、第一の候補は『聖神教女子修道会付属の研究施設』だね、フィリア君。」
社会科見学では、3箇所を回る。
メンバーは去年と同じで、俺、フィリア、千早の3人に、イーサン、トモエ、ノブレスの3人。
「ここのところ少々、聖神教づいておるように思われてならぬ。それも神学校・研究施設と、少々『頭でっかち』ではござらぬか?天真会からも、候補を挙げておきたい。具体的には、後日。適切なものを見繕っておくゆえ。」
「千早さんなら、天真会のどの施設にも渡りをつけられるわね。いいんじゃないかしら?」
後にトモエは、この時の言葉を少し悔やんだらしい。
まあ、それは追い追い。
「分かった。では、第三の見学先を、どうするかだね。軍関係は、1月に見学できたし、ここにいる者のうち5人は、夏にまた参加できる。トモエ君が……」
トモエが、ほほを膨らませる。
「あ、いや、トモエ……が、軍を見学したいなら考えるけれど……。」
笑顔に戻ったトモエ。
あらまあ。幸せそうなお顔!
「気にしないで、イーサン。私は軍とは無縁だから、1月に見学できただけで十分。」
このやり取りがあっても気づかない、2人のことを誰からも知らされていない。
そんなノブレスが、のんびりと口を開いた。
「去年は民間を回ったんだよね。今年は宗教関連がメインかあ。」
「ノブレス殿、某が選ぶつもりでいるのは、民間の職場にござる。天真会の影響が強いというだけにて。」
「じゃあ、フリーハンドで選べるね。みんなで決めちゃってよ。」
去年もそうだったけど、今年も。
俺には、希望があった。
「じゃあ、いいかな。アサヒ家の職場……刑事裁判の部署を、見学したいんだけど。」
「え?見るほどのものなんか、何も無いわよ?貴族仲間でも、あんまりいい仕事とはされていないし……。」
「トモエ、謙遜が過ぎるよ。刑事裁判は、立派な仕事だ。ヒロ君、理由を聞かせてくれるか?」
「ああ。『裁く』ということ、その周辺を知りたいんだ。家名持ち、あるいは貴族は、『決断をする者』・『責任を取る者』だろう?軍事ならば即断即決が大切だけど、行政や司法は、じっくり考えた上で決断を下していると思うんだ。その考え方や、思いを知りたい。トモエからすれば、見飽きているかもしれないから、悪いんだけど。」
フィリアと千早が、こちらを見た。
「私としても、知りたいところです。領邦貴族は、どうしても『力でごり押し』ですから。正義……特に手続きの問題は、後回しにするところがあります。」
「いいんじゃないかな。去年は民間、冬に軍で、政府機関はあまり見てないしね。」
ノブレスも、賛意を示す。
「トモエが良ければ、だけど。僕も見てみたいな。」
このイーサンの一言が、効いた。
「分かったわ。じゃあ、そうしましょう?」
「イーサン殿を、アサヒ家の郎党に至るまで、皆にお披露目できるでござるしな。」
「もう!千早さんったら!ただ、刑事裁判を語る場合には、弁護人を外すわけにはいかないわ。どうするの?アサヒ家とは仲が悪いと言うか……あえて馴れ合わないようにしているところがあるから、紹介できないんだけど。」
「こっちで、あてがある。お願いしておくよ。」
そう、ドッペローム氏に。
「礼金?いただけないよ。」
「いやしかし、お忙しいビジネスマンの時間を割いてもらうわけですから。」
「社会的義務だよ。弁護士協会としても、推進しているところさ。裁判、法、手続き。君達のようなエリート候補生には、是非理解しておいて貰わなくてはならないしね。」
アレックス様の横紙破りを、まだ根に持っているな、こりゃ。
見学当日。
新都の中央にある、極東道の政庁。そこから5時の方向、船着場や並木街にもほど近いところにある事務所に、ドッペローム氏を迎えに上がる。
そこから、アサヒ家の職場である刑事裁判所へと向かう。
所在地は、極東道の政庁から見ると、6時~6時半あたりの方向。
門に、トモエの父親、アサヒ家当主のヨシカツ・アサヒが迎えに来ていた。
トモエとは、あまり似ていない。
小柄で、ちょっと太め。いや、これは筋肉か。貴族だもの、一応の武術は修めているはず。そして穏やかな顔。
あれだ、「スーパーひ○し君」の元になっている人、的な雰囲気と言えばいいか。
庶民から「閻魔大王」の如く恐れられている人には、とても見えない。
「学園の生徒さんが見学に来てくれるなんて、珍しいことです。歓迎します。」
物腰も、穏やかなものであった。
日本的に言えば、高等裁判所の裁判長ぐらい(?)に偉い人なのに。
事前に、一応の予習をしてきた。
裁判は、刑事民事問わず、基本的には一審制。
「冤罪であることが後から判明した」場合や、「明らかに、法律がひどい・間違っている」と考えられるケースのみ、上訴が許される。
冤罪・事実問題ならば、ここ新都の裁判所で再審。
法律の審査になる場合は、王都の貴族院で、特別裁判が開かれるというわけだ。
「弁護士も、訴追担当も、裁判官も、『正義』を大切にするの。立場は違っても、裁判に携わる者は、その意識は共有しているのよ。」
と、これはトモエの説明。
「でもさあ、人を殺したような極悪人を弁護するって、正義とは思えないんだけど。」
ノブレスが、疑問を口にした。
俺の理解も、ノブレスと似たようなもんだ。
日本にいた頃は、何となく、「弁護士って、それが仕事らしいし」ぐらいにしか思っていなかったが。
こちらに転生した俺は、今後、人の上に立つことになる。「裁く」ということに携わる可能性が出てくる。
こういうめんどくさいことも、一度は、考えておかなくてはいけない。
わが意を得たりと、ドッペローム氏が、語りかける。
「ノブレス君。人を殺すことは、悪だよね。」
「そう思います。僕は軍人志望だけど、まだ人を殺せない。」
「ノブレスさん、軍事活動における敵兵の殺害は、適法な行為です。むしろためらうことが、軍法違反になる可能性があります。……ノブレスさんの哲学的疑問とは関係ありませんが、一応これだけは言っておかないと。失礼しました。続きをお願いします。」
ドッペローム氏が、フィリアに対して、鷹揚に頷いた。
「では、人を死刑にすることは?これも人を殺すことだ。悪ではないのかな?」
「ええ!?そう言われてみれば……。でもそれ、屁理屈みたいに聞こえるよ。だって、悪いことをしたら処罰されないと。そうだ、それが正義じゃないですか!」
「じゃあ、国が治安維持のために人を殺すのは正義で、個人が人を殺すのは悪だと。」
「そう思うけど……。」
「治安維持のために、王都のスラム街の住人を、軍隊で一掃するのは正義かな?」
「それは……それはひどい。無抵抗の人を、何も悪くないのに殺すなんて。そうだ、悪い人を殺すのは正義だけど、悪くない人を殺すのは、悪です!」
「王国政府から見たら、治安維持の妨げになっているというだけで、『悪い人』ではないかな?」
「じゃあ、何が正義なんですか?誰が悪人で、誰が悪人じゃないんですか?」
「そういうことさ。それを問うのが、弁護人の仕事だ。裁判の場で、『犯人とされたこの人は、本当に犯人ですか?悪い人ですか?』と尋ねる。国に対して、『国の行動は、本当に正義にのっとっていると言えますか?』と尋ねる。被疑者の弁護を通じて、正義に貢献するというわけだ。」
「訴追側からすると、屁理屈に聞こえることも多いわ。」
トモエが、苦笑を見せる。
「でも、建前論としては、理解できます。実際に、そうした活動から正義が明らかになるということもありますし。」
「なるほど。その苦笑が、『裁判に携わる者の共通の理解、共感』にござるか。」
「訴追側は、『この人は犯人です。悪い人です。』、『刑を下すことが、正義です。』と主張するわけですか。では、裁く人は?裁判官はどう考えているのですか?」
見学当日、これが、ヨシカツ・アサヒに対して俺がぶつけた質問。
「迷っている君に、まず言わなくてはいけないことがある。裁判官は、結論を出すことから逃げることだけは、許されない。それは、軍人貴族とも、行政官僚とも共通する、家名持ちの義務だ。」
「自分なんかが裁いていいのか、裁くという行為が許されるのか、そんな風に思うことはありませんか?」
「ある。それはあるよ。ただ、じゃあ他の誰が裁くんだ、ということもある。私が裁かないということは、責任を他の者に押し付けて、逃げる行為でもあるわけだ。あとは……研鑽、だね。」
「研鑽、ですか?」
「子供の頃から、これまで行われた裁判の資料を読んで勉強するんだ。『なぜこの結論になったか』、『その判断は、正義に沿ったものか』、『自分ならこう判断する』……というふうにね。で、それを家のおとなに、裁判官に見てもらう。成人する頃には、正義を理解できるようになっている。曲がりなりにも『裁ける』者になっている。」
「家業、なのですね。」
その視点が、俺には欠けていた。
この世界は、封建社会……だ、たぶん。基本的には、職業は自由に選べない。その分、ノウハウの蓄積は、やりやすい。
「他の仕事と同じだよ。軍人も、農家も、子供の頃からの訓練によって、職業知や職業倫理を身につける。『刑事裁判は、私たち以外に誰ができるのだ』と、そういう自負心の元に、日々研鑽を積むんだ。」
「裁判官の研鑽には、頭が下がりますよ。正義を、真実を追求しようとしていることは、間違いない。」
ドッペローム氏が、口を挟んだ。
「それでも、納得のいかない判決もある。だからこそ、私たち弁護人も、つねにその過程に参加するんだ。」
「そういうことだ、ヒロ君。ひとりで仕事をする者など、いない。どの職業だって、同じだろう?先祖代々、積み重ねられてきた判決から『正義』を読み取り、自分もまた、正義を追求する。同世代の、そうだね、仲間やライバルと言えばいいかな。そういう人たちと共に。」
理解できた。
つまるところは、自覚と責任感。そしてやっぱり、「慣れ」だ、これは。
俺だって、一年どころか、半年で人を殺せるようになってしまった。
常日頃の研鑽と、事後の内省。そしてまた、次の仕事へ。
繰り返せば、慣れるものなのか。
迷わなくて、済むものなのかな。
「実際の裁判の様子を、見ていただきましょう。」