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第八十話 薔薇の季節の終わりに その4


 潜入調査員が監禁されていたのは、庭園の一角を占める、クラブハウスのような建物であった。


 ピンクが、外で待っていた。

 それこそ幽霊にでも出会ったような、青い顔をして。

 ジロウを抱きかかえて。



 「アリエル殿が、中で待ってござる。」

 

 大体のことは分かっていたつもりだが。

 モリー老に、毛布を渡された時点で、何が起きていたかについて、確信が持てた。


 日本にいた時、自分の身近でそのような事件が起きたことは、無かった。

 どう対応して良いか、分からない。

 だけど。俺の中身は、今年で22歳。カルヴィンとシンノスケは、15歳。

 役割分担は、あって然るべきだと、思う。


 「2人は、周囲の警戒を頼む。俺が踏み込む。幽霊がついているから、さ。」



 その一室は薄暗く、饐えた臭いに満ちていた。


 「ざっと見たところ、外傷は無いわね。衰弱しているけど。」


 アリエルの言葉を受け、朝倉を抜く。

 人影を拘束していた、縄を断つ。

 

 「大丈夫ですか?」

 

 俺の声に振り向いた人影が、毛布を受け取った。

 自分で身体に巻く。 


 「気を使わせてしまいましたか。助かりました。あなたのその気持ちには感謝しますが、憤怒は罪ですよ?」


 思わず、伏せていた顔を上げてしまった。

 目を合わせない方が良かろうと思っていたのに。


 腹を立てているように、見えたのか。

 それが、俺が抱いた感情だったか。この件に対して。


 「気に病むことはありません、少年よ。」


 こんな目に遭っていても、俺への配慮を優先している。

 ここは、事務的な対応が、正解なのかな。


 「ピウツスキ枢機卿猊下から派遣された潜入調査員とは、あなたですか?」


 男の目が、細められた。

 寸鉄も帯びず……どころか、何も身につけていないというのに。

 事と次第によっては、武装している相手でも殺してやろうかという、そんな目つき。 

 少し、ひるみを覚える。 


 「半病人にビビってんじゃねえ!こんなヤツ、まともな状態でも大した腕じゃないだろうが!」

 俺にしか聞こえない声で、朝倉に喝を入れられた。

 腹を据え直す。


 「この件を再調査すべく、枢機卿猊下から依頼を受けました。ヒロ・ド・カレワラです。」


 「こんな若僧を!?失態を犯したとは言え……。」


 思慮深い年長の聖職者から、警戒心丸出しの密偵に、そして意地と憎悪に身を焦がす若者へ。

 次々と表情を変えた男が、腹を据えた俺の顔を見て、目を逸らした。


 「勝てそうに無いな。噛み付いても恥の上塗りか。……聖神教所属、ジョンだ。ここでは教育実習生・マヌエル司祭と名乗っている。君の言うとおり、ピウツスキ枢機卿猊下から派遣された潜入調査員だよ。」

 

 「話を聞かせてください。体力的に厳しいようでしたら、後でも構いませんが。」

 

 「『気にするな、今すぐにでも』と言いたいところだが、この姿では、な。ひと風呂浴びて、その後ということにさせてもらえるか?」




 薄暗い部屋に、薄汚れた格好で転がされている状態では分からなかったのだが。

 風呂に入ってさっぱりしたジョンは、ちょっとした男前であった。

 

 「ベンジャミン司祭、私は犯人の姿を見かけました。誰か確かめるために追いかけようとしたところを、後ろから殴られて……。」


 その後何があったかは、言わない。

 後任の調査員の……つまりは俺達だが、その若さに配慮したのであろう。


 「金子の件はともかく、マヌエル殿を監禁した者については、あたりがつくでござるな。」 


 「庭園を管理し、クラブハウスを使っているのは、褐衣団でしたね。」



 その後が、ちょっとした騒ぎであった。


 この件には、褐衣団の全員が関わっていたわけではなかったから。

 犯人たちをかばう者、突き出そうとする者。仲間の犯罪に茫然と立ち尽くす者。

 犯人たちの中でも、恭順の意を示す者、抵抗する者。

 野次馬に、教師達。収拾がつかない。



 どうにか身柄を確保した後で、さらに事態をややこしくしたのが、「監禁事件は、お金の問題とは別の話だ」という理屈。

 「この件は、フィリア司祭の管轄ではない。神学校で処理すべきだ」という意見が出たのだ。


 「2つの事件に関連性が無いとは言い切れません。」とするフィリアの主張には、根拠が薄かった。

 「マヌエル司祭ことジョンは、潜入調査員だ」ということを告げるわけにはいかなかったから。


 それでも最後は学校長を半ば脅迫するようにして、管轄をもぎとったのだが……。

 犯人を俺達の側で確保できたのは、6月の長い陽が沈んだ後のことであった。



 ベンジャミン司祭を追い出して、取調べを行う。

 恭順の意を示した者が、すんなりと応じてくれたのは、助かった。

 

 「数ヶ月前に、自殺者が出たとされていますが。あれは、他殺だったのです。」

 

 ことの発端から話せと言ったら、いきなりの爆弾発言。


 「褐衣団の者と恋仲にあった、決闘クラブの一員が、別れ話を切り出したのです。『他に好きな人ができた』と言って。」

 

 そういうところは、男女の仲と変わらないんだな。

 考えてみれば、当たり前のことか。


 「別れ話のもつれから、その男は、恋人に暴力を振るったのです。それに憤慨した我々褐衣団が、彼に詰め寄り……。」

 

 「死なせてしまった、というわけか。それを自殺に偽装した、と。」


 「はい。罪深いことをしたと思っております。」


 「それが、なぜマヌエル司祭の監禁に?」


 「マヌエル司祭は、この件を調べに来た潜入調査員でしょう?それで、褐衣団の一部の者が、暴走してしまい……その、口封じを、と。」


 やましいところがあったから、神経過敏になっていた。

 それで、マヌエルことジョンが潜入調査員だという事を、見抜いたのだ。

 調査対象については、勘違いしていたけれど。


 「ですが、命を奪うことには躊躇いを覚える者が多く……。どうしたら良いか分からぬままに、監禁していたのです。」


 根っからの悪人には、なれない者達なのかな。

 生徒を死なせたのも、事故的なものだし。

 

 そう思ったのだが。

 マヌエルことジョンが受けた仕打ちを思い出してしまった。


 狭い人間関係の中での共犯意識。相互監視の必要性。そうして追い詰められるような心理状態の中での、暴走。

 やり切れない思いだが、やはり、許してはいけないことだと、思う。 

 それをどう裁くべきなのか、俺が裁定を下しても良いものなのか、それは分からないけれど。


 ただ、とにかく一つ言えることとして。

 「その後何があったか」は、皆に聞かせたい話ではない。

 マヌエル司祭ことジョンも、主に俺たちへの配慮として隠そうとしている。


 だから、そこは聞かない。

 言わせない。少なくとも、この場では。


 そう決めたから、本題に入る。


 「最近、神学校内で、訳の分からないお金の動きがあることは知っているだろう?そっちについては、何か関わりがないか?」

 

 「私達には、関わりがありません。大きな秘密を抱えて、それをどうすべきかで頭が一杯でした。」



 この言葉には、嘘はなさそうだった。

 そちらの件については、彼らは、シロだ。 


 なにも印象だけで言っているわけではない。

 褐衣団のメンバーが派手になったとか、そういう事実は存在していなかったし。

 所持品や各人の部屋、クラブハウスを捜索しても、お金が出てこない。


 


 「では、何者が金子集めを?別の事件ということにござるのか?」

 

 「今日はもう遅いし、明日にしないか?マヌエル司祭……この6人の間なら、ジョンでいいか。ジョンも一晩休めば、また何か思い出すかもしれない。」

 


 正直、疲れていた。

 間違った判断ではなかったはずだ。夜に動いても仕方ないし、休息は絶対に必要だ。


 まして、昼にあんなものを見せ付けられた後とあっては。


 フィリア、千早、アイリンを休ませる場所を探し、部屋の安全を確保しなくてはならない。

 近場に俺達男子3人が部屋を取る必要もある。

 それぞれの部屋に、幽霊達を見張りに立てる手筈も整えて。


 やるべきことは、多かった。

 いったん捜査を打ち切りにしなくてはならなかったのだ。


 

 この時の決断を、後悔してはいない。

 どうしようもなかったと、思っている。

 「細かいところで完璧を期するな」と、事ある毎にモリー老から言われてもいる。


 それでも、この晩に起きたことを思うたび。

 「もう少し、やり様はなかったものか」と思わずにはいられないのだ。



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