第八十話 薔薇の季節の終わりに その2
高台に聳え立つ、大司教区座聖堂。
視覚的な効果も見事なものだが、これはやはり、城砦。
謁見を終え、下を眺めると、聖神教が所有する広大な敷地が一望できる。
神学校は、その一隅、緑色の濃い地域に建っていた。
全体に物柔らかく、穏やかな空気の流れている敷地の中でも、その一角は特に静かで。
盛夏を前にした長雨の止み間に、まどろんでいるかのようであった。
などと、かっこつけている俺をおいてけぼりにする勢いで。
女子3人が、鼻息荒く神学校に突き進んでいく。
向こうに見える生徒達は、みな男子。
あるいは眼鏡のインテリ、あるいは痩身のイケメン、あるいは紅顔の美少年。
彼らがいかなる秘密を隠しているというのか。
これは、断じてゲスな興味などではない。
畏くも、枢機卿猊下じきじきに下された密命なのである。
それは鼻息も荒くなろうというもの。
近づくにつれ見えてきた神学校の校舎は、蔦に覆われてあり。
そこで学ぶ生徒達同様の、涼やかさを提供していた。
同年代の美少女を見れば、多少は色めき立つかと思いきや。
神に仕える少年達は、邪念を敏感に感じ取って……いや、実に適切な慎ましさを見せて、そそくさと去って行く。
「なんか……失礼だよ……。」
「某は慣れておるでござるがな。『化け物』を見たかのような、視線。」
「禁欲教育の行き過ぎ、でしょうか。」
「仕方無いのです。若いうちは、どうしても異性のことで過ちを犯しがちなもの。神に仕える身とは言え、まだ未熟な魂を守るためには、少々行き過ぎがありましても……。」
神官の衣服を着た、30手前ぐらいの男性に、声をかけられた。
「極東大司教区神学校の教師を務めております。司祭のベンジャミンです。学校長より、皆様をご案内するようにと。」
「学校長に、ご挨拶をしなくては。」
「私がお相手するように、と。」
「ご挨拶に伺うと言っています。」
そう主張するフィリアを遮ろうとするベンジャミンの前に立ちはだかるのは、俺の役目。
柄頭を、肝臓に、擬する。
「あなたの責任問題には、しません。学校長のところまで、案内を。」
押し入るようにして入った校長室。
部屋の主は、頭から湯気を立てていた。
「ベンジャミン!会わないと言ったはずだ。メル家の直系といえど、司祭に過ぎぬ。私に会うには、それなりの手続きというものが。」
権威も実力も、何の裏打ちも無い空威張り。
武家を苛立たせるには、十分。
「私は枢機卿猊下から全権を委任されています。」
「この神学校内で、自由に動く権限が欲しいと?」
「あなたから受ける権限など、ありません。自由に動く旨、報告に来たのみ。邪魔立ては許さぬ旨、通達に来たのみ。」
フィリアのご機嫌は、斜めだ。
初手を誤ったな、学校長。
下手に出ていれば、フィリアだって配慮も見せただろうに。
「許さぬと言って、何を!」
一歩、前に出る。
学校長を間合いに入れる。
ベンジャミンは慌てたが、学校長は、気づいてすらいない。
だからと言って、白刃を抜いて脅すわけにもいかないしなあ。
千早が、微笑をもって、俺を制した。
学校長に、向き直る。
「マルコ殿はお元気にござるか?叔父上殿?もう一人の甥御とは、母御が違うのでござったな?」
赤くなったり青くなったりしている学校長を無視して、フィリアが決めつけた。
「ベンジャミンさん。学校長の名で、バジル・マレと、……、以上~名を呼び出してください。今すぐに。」
いたたまれなくなった学校長が、部屋を飛び出す。
「フィリア、ありゃ、下に当たり散らすぞ?どうするんだよ。」
「この件の全容が解明されれば、降格は免れないでしょう。当り散らすことはできなくなりますから、問題ありません。」
呼び出されたバジル・マレ助祭は、15歳。中等部の3年生。
「枢機卿猊下の命により、調査が行われることになりました。私達の指示に従ってください。」
バジル助祭が、ベンジャミン司祭の顔を窺った。
「この方々の指示に従いなさい、バジルさん。」
「では、さっそくにござるが。この部屋には何体の幽霊がいると思われるか、答えられよ。」
「はい!?その……複数体いることは確かなようですが、それ以上のことは……。」
「あなたが……神学校では、一番鋭いんだよね……。」
「おそらくは、そうかと思います。」
続いて、まずは、何でもない質問。
それを通じて判明した(あるいは、事前に調べてあった)情報は、以下のようなもの。
神学校は、定員があるわけではないが、だいたいひと学年30人。
中等部に入学すると、助祭資格を得られる。卒業すると、司祭の資格を得る。
全寮制。下級生と上級生を組み合わせ、2人で一部屋。
それを聞いたミケが、目を輝かせ、尻尾を揺らしている。
「これまで、何か不祥事はありませんでしたか?」
バジルが、再びベンジャミンの顔を窺った。
「その件は、私から……。」
言いさしたベンジャミンを、千早が遮る。
「ベンジャミン殿。申し訳ござらぬが、バジル殿にお答えいただきたい。」
千早とベンジャミンの顔を見たバジル。
言葉少なに、答える。
「自殺者が、出ました。」
「理由は?憶測や噂でも良いので、お願いします。枢機卿猊下の命による重要な調査ですので、戒律や教義、倫理に対する配慮は無用です。」
ぴしぴしと逃げ道を塞ぐフィリア。
神官の倫理観や、修辞というものをよく知っているからこそ。
「はい、噂では、その。いわゆる、『痴情のもつれ』ではないかとされています。」
女子3人が、頷いた。
どういう意味合いですかねえ、その挙動は?
「他に、何か不祥事は?」
「私は、聞いていません。」
一応、俺からも。
「関わっているとは言わないね?」
「聞いてはいません、人づてには。だって俺が張本人だもん。」という逃げ道を、塞いでおく。
張本人ならば、平気でシラを切るだろうけれど、一応。
「はい?知りもしない、あるかないかも分からないものに、どう関わるとおっしゃるのですか?」
バジルは少し、当惑気味だ。
質問の意味が分かっていない。
女子3人とベンジャミン司祭は、俺の質問の意味を理解していた。
修辞の問題だということを。
推定に過ぎないが、バジルは白だ。
あの枢機卿から隠れて悪さをするだけの、「頭の良さ」がない。
もちろんこの当惑が演技だとしたら、お手上げだけど。
俺と視線を合わせたアイリンが、質問を投げた。
「神学校内では……生活はどうなっているの……?食事とか、買い物とか。」
バジルが白だと考えたからこそ、であろう。
神学校内でのお金の問題を、それとなく聞きだそうとしている。
「食事については、神学校に食堂があります。日用品も、購買があります。大きな買い物ですか……。神官の制服等は、下級生は上級生のお下がりをもらうことが多いですね。身長が伸びるまではそれで十分、ということです。」
男子校らしい、ざっかけなさ。
「上級生になって、正式にいろいろと活動するようになると、必要となるものが出てきます。それは、聖神教の敷地内にある、仕立て屋さんであるとか、そちらに赴いて、ということに。」
「つかぬことを伺うでござるが。入学金、授業料、諸費用、生徒会等への納入などは、どのように?」
「入学金は大金貨1枚、授業料は諸費用込みで年に大金貨1枚です。生徒会……おそらくそれに当たるものは、評議会ですね。評議会と、寮自治会に、それぞれお金を払います。他に、多くの者が『各会』に入りますので、それぞれ……。」
「ずいぶんと……物いりなんだね……。」
アイリンの発言も当然だ。
諸色、「学園」の2倍である。
「いえ、これは払える者が払うということです。貧しい家庭出身の者は、免除されていますし、あるいは一部免除も認められています。……実際には、裕福な家庭の出身者が多いですけれども。」
と、これはベンジャミン司祭の言葉。
「『各会』って何?」
「学園で言えば、『社交部』のようなものです。あるいは『結社』ですね。」
解説してくれたフィリアが、核心に迫る質問を繰り出した。
「生徒が他にお金を払うことはありませんか?」
「清貧は、聖神教の教えのひとつです。必要な費用以外に、お金をやりとりするようなことはありません。」
きっぱりと断言したバジルを、いったん次の間に下がらせる。
「白、にござるな。『痴情のもつれ』と言い放ったところなど、話しやすい御仁にござる。」
「……それで、うなずいてたの……。」
赤くなった。
アイリンだけは、違う理由で頷いていたようだ。
「ヒロさんの修辞が理解できなかったことを見ても、悪事には向かない人でしょうね。」
「むっ?ヒロ、やはり貴様は悪人なのだな!」
「聞いた感じでは、『評議会』、『寮』、それと『各会』。これがカギになると見て、いいのかな?」
アホのカルヴィンを無視して発した俺の言葉に、全員が同意を示した。




