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第七十九話 宗教者たち その1


 

 「以前報告してくれた、霊能に関する仮説について、説明会を開きます。各教団トップのアポイントメントが取れました。」


 ソフィア様が指定した日付は、6月上旬。

 他流試合がそろそろ始まるか、という頃合であった。

 

 ネイトのメル館。

 いくつもある応接間のうち、恐らくは「最高級」の部屋に入って来た、3人の宗教家。


 

 ひとりは、おなじみ。

 天真会・極東総本部長、浄霊師(エクソシスト)(チョウ)(リー)

 


 もうひとりは、顔だけは見たことがある。

 銀髪に、柔らかい笑顔の女性。

 去年8月の武術大会で、孝・方とヴァンサン・ビガール……ヴィンセントに治療を施した人。

 

 聖神教女子修道会、極東大司教区代表。

 浄霊師(エクソシスト)のドロテア・M・ヴィスコンティ枢機卿。



 これまでも数人、聖神教の神官達と出会ってきたが。

 彼ら・彼女らは神官になっても、家名を捨てることはしない。

 呼び名にも、それほどにはこだわらない。

 「シスター○○(名前)」、「××(名前)司祭」、「△△(家名)枢機卿」など、どう呼んでもいいらしい。


 「……というのが、建前ですけれど、ね。」

 ソフィア様の、笑顔。


 「偉い人ならば、『家名に役職名をつけて呼んでおく方が、間違いが無い』ということですね?」

 

 俺の問いに、フィリアが何も言わず、苦笑だけを返してきた。



 最後のひとりが、まったくの初対面。


 聖神教・極東大司教区の責任者。

 ユゼフ・H・ピウツスキ枢機卿、説法師(モンク)


 この雰囲気、誰かに似ている。

 学園長?いや、あれほど豪放ではない。

 雁ヶ音城のジョー、の方が似ているが……。もう少し、泥臭い。

 たたき上げ軍人のジョーよりも泥臭い高位宗教家とは、どういうことなんだ?


 

 目が合うと、日焼けした顔が、くしゃっと笑み崩れた。

 思わず、うつむいてしまった。

 

 「失礼しました。ヒロさん、あなたを見ていると、懐かしいような気持ちになりまして。」

 

 「ピウツスキ枢機卿猊下は、若い頃、家を失われたのだ。聖堂騎士団員として活動され、実績を上げ、家名を取り戻されて、若くして聖堂騎士に就任。中隊長から、当時まだ不安定であった極東の司教に志願して転出され、以来極東での布教活動に携わってこられたというわけだ。……失礼いたしました、猊下。」


 「構いませんよ、将軍閣下。私も彼の身の上を調べたのですから、お互い様というものです。カレワラ家の後継者でありながら、家名も記憶も失い、それでも皆様に受け入れられ、軍功でその名を取り戻されようとしている。正しき道を歩む者を、主は嘉したまうでしょう。」


 恥ずかしい。

 痛い。

 

 そう思わざるを得ないほどの、人格的圧力を、この人は帯びている。

 嘘をついているという疚しいところがあるからか。

 自分で勝手に痛みを感じてしまう。天に唾するがごとく。


 

 「私は、千早を通じてこのヒロ君と付き合いがあるのですが。どうもいろいろと、複雑な経験をしているようでして、な。まだ、胆が据わり切っていないのですよ。陽射しというものは暖かくはありますが、そう眩い光ばかりを浴びせるのも、時としては毒になりかねぬかと。」


 「これは李老師。もと聖堂騎士の……教えの剣たらんとする、悪い癖が出てしまいましたかな。子供達と直に接している老師の柔軟なご配慮、見習わなければ。」 


 そう口にしながらも、ピウツスキ枢機卿の力強い笑顔は、俺を見据えて離さない。 


 「聖神教団の良くないところですね。身分が重くなってしまうと、『ひと』に触れる機会が減ってしまいます。」


 ヴィスコンティ枢機卿の柔らかい笑顔も、笑顔でありながら、突き刺さってくる。


 苦しい。

 心臓が、締め付けられる。



 「両枢機卿猊下。」


 もの静かだが、斬りかかるような声が響いた。

 

 「この者、ヒロの行動には、過ちもありました。が、悪意や邪心を感じたことは、これまで一度もありません。」

 

 フィリア……。


 続いたのは、力強い声。

 圧力を、押し戻していく。

 

 「危急に際しては、ひとの地金が出るもの。時として甘さは見せても、卑劣酷薄という行い、このヒロには一切ござらなんだ。」


 千早……。

 


 同時に、前方から、重い空気が押し寄せてきた。

 別種の圧力に、押しつぶされそうになる。


 「少なくとも私は、この者よりは酷烈な行動を重ねて参りました。ヒロと対すると、己の所業と引き比べては、物を思う……ということがありますな。」


 「メル公爵家の歴史など、大量殺人で切り開いた権道の路程ですわね。」


 アレックス様、ソフィア様……。


 しかしこの圧力は、ただの援護射撃では、ない。

  

 聖神教団の理屈、あるいは倫理観や道徳といったものを、主張させまいとしている。

 メルの城内で、総領夫婦を前にして、聖神教の権威を振りかざすことは許さない。そう、言っている。

  

 援護射撃どころか、主砲による艦砲射撃だ。

 



 悪いことは、何ひとつしていない。

 恥じ入ることなど、ないはずだ。

 フィリアと千早が、そう伝えてくれている。


 決断と、行動。その結果は、己一人が引き受けるものだ。

 倫理?道徳?他人には何も言わせるな。圧殺せよ。

 アレックス様とソフィア様が、そう教えてくれている。


 ここで退けば、俺は皆の信頼を裏切ることになる。

 ここで屈すれば、俺は拠って立つ足場を失う。 

 



 背を伸ばし、丹田に力を込める。

 顔を、上げる。


 「失礼いたしました。教養無き若輩者にて、ご挨拶もいたしませず。死霊術師(ネクロマンサー)、ヒロ・ド・カレワラです。」


 言葉と共に、気魄を叩きつける。

 


 両枢機卿の笑顔に、さらに深みが増す。

 圧力が強まり、押し寄せ、ちりちりと頬に伝わる。

 

 何、これぐらい。

 塚原先生に比べれば、どうと言うこともない。

 

 迫り来る「気」を押し返す。

 さらに押し込んでやろうと、そう思った刹那。


 間延びした皮肉な声が、横っ面から割って入ってきた。


 「私など、今でも過ちばかり。遥か遠い十代の頃の罪、熱く真っ直ぐな思い、共に忘れてしまいました、の。そうしなければ、とても生きてはおられぬ。」


 李老師!?

 

 声とは裏腹に、俺に向けられた目は、厳しかった。

 「猛るな」か……。

  

 気魄を、収める。

 放出している気を、尖らせるのではなく、整える。  


 ただ、これ以上押し込んでくるようであれば。

 あなた方の「理」を、「徳」を、押し付けて来るならば。


 斬る。

 是非も、成敗も、後先も、知らぬ。

 斬る。



 不躾極まりない態度を取っているにも関わらず。

 ヴィスコンティ枢機卿の気配は、かえって、小さくなった。

 得心した、という目を見せる。 


 「紛うことなく、軍人貴族でいらっしゃるようですね。死霊術師(ネクロマンサー)という名乗りばかりを耳に入れ、先入観にとらわれておりましたか。」


 ピウツスキ枢機卿は……。

 気配を、収めきっては、いない。それでも、一応は、縮めた。


 「自分の十代を思い返せば、なるほど。過ち多く、熱で周りを灼いたこともありました。私にはヒロさんを試す資格など、ありませんでしたか。」


 どの口が。まだ試しているじゃないか。

 そうか、学園長に似ていると感じたのは、こういうところか。




 「自己紹介が済んだところで、本題に入りますわね?」

 

 ソフィア様は、実に楽しげだ。

 

 「ヒロは、これから申し上げる仮説を口外するのに、一年迷ったと申しております。社会への影響を考えたと。不幸になる人が出はしないかと。少々、バカ正直に過ぎます。軍人としては、もう少し悪辣になってもらわぬと困るのですがね。」


 アレックス様が、気配を収めきらぬピウツスキ枢機卿に対し、メル家の、軍人貴族の理屈を、もう一度叩きつける。



 「善良な方だったのですね。先ほどは、小さな過ちを過剰に気に病まれましたか。私はてっきり、なにか後ろ暗い大罪を隠していらっしゃるかと。」


 ピウツスキ枢機卿が、俺の感じた罪悪感を、的確に表現した。

 「小心者」と評しながらも、その言葉は使わない。文句無く適切だ。


 「幼時に、貴族の家庭教育を受けずにお過ごしでしたか。なるほど、教育の方向性ががらりと変わり、職業柄の倫理観がまだ固まりきっていないがゆえの動揺……。李老師のお言葉、理解いたしました。」

 

 ヴィスコンティ枢機卿は、「常識的」な人のようだ。

 自分のものさしで、他者の言葉を測る人。「家」に信頼を置く人。

 「家に属し、家の理屈に従っている限りは、善良なる社会の一員。死霊術師であっても、『軍人貴族』であるならば、『軍人貴族』としての信頼を置くことができる。」

 そのように考える、安定した倫理感を持った、常識人。




 「この者を信用していただけたところで。では、フィリア。」


 「はい。ではまず、カデンの町で溺れていた主婦の話から……。」


 溺れていた主婦が瀕死の状況で幽体離脱し、魂が戻ってきたら、霊能力者になっていた話。

 山で出会った死霊術師が、幽体離脱できるという話。

 臨死体験をした俺が、死霊術師になったという話。

 ファンゾの「教祖」が、霊能力者を増やしていた話。


 フィリアらしく、明快な論理で筋道立てて、「幽体離脱、あるいは臨死体験によって、霊能力が身につくことがある」という仮説を、説明してくれた。


 

 「これは、危ういの。」

 (シァオ)(ファン)の切望を知る李老師が、眉を寄せた。

 

 「ですな、李老師。」


 霊能を得るべく、死すれすれの無茶な修行に挑む者が出る危険。

 「教祖」のように、郎党や配下に霊能を得させるべく、無茶をさせる者が出る危険。

 仮説を確かめ、効果的に運用すべく、人体実験を試みる者が出る危険。


 李老師と同じく、ピウツスキ枢機卿も、こうした危険を一発で見抜いた。

 ピラミッド型の組織を駆け上がり、内外と渡り合って今の地位に登り詰めたに違いない男。

 泥臭く見えても、鋭い。当たり前か。

 その丸い顔が、再びこちらを向いた。

 

 「ヒロさん、懸念を一人で抱えていらしたのですか?」

 

 「いえ、猊下。フィリアと千早と、相談した上です。ファンゾの『教祖』と出会ったことにより、報告すると決断しました。『すでに気づいている者がいるならば、隠すべきではない。報告して対策を立てていただかなくては』と考えた次第です。」


 「将軍閣下は『バカ正直』とおっしゃったが、なかなかどうして。秘密を守りながらも決断の機を逸しないとは、大した胆力です。」


 「年に似合わぬ、の。」


 じろりとこちらを睨んでくる。

 李老師、言わなかったのは悪いと思っていますが、勘弁してくれませんか?

 

 

 アレックス様・ソフィア様ご夫妻に仮説を打ち明けた時も気が楽になったものだが。

 宗教関係者にまで伝えれば、もう完全に「上つ方」に任せられる。

 肩の荷を降ろすことができて、この時の俺は、正直、気が緩んでいた。

 

 しかし。


 「ヒロさん?皆様?何が問題なんですの?恥ずかしながら、私にはさっぱり見えて来ないのです。」


 ヴィスコンティ枢機卿のこの質問が、俺の肩に再び、不安という名の重石を載せにかかる。



 ヴィスコンティ枢機卿だって、ピウツスキ枢機卿と同じような知性を持ち、経験を重ねているはずだ。

 理解できないとすれば、それ以外の理由によるわけで。

 

 考えたくない。知りたくない。

 そう、思った。

 目をそむけては、いけないのに。 


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