第七十八話 斧の小町 その3
師匠の声に、サラの力が緩んだ。
得物の重量に配慮し、俺の方から飛び退る。
十分な距離を開けたところで、双方、武器を収める。
「サラ、分かっただろう。お前にはまだ、真剣勝負は、早い。」
斧道場の師範の声は緩やかで。
それでいて、厳しいものだった。
「まだ私は全力を出していません!」
「二度、命を救われている。最初の奇襲と、今のつば競り合いと。理解できない腕ではなかろう?」
「それは……。」
サラの返事を待たず、斧の師範が、俺に言葉をかけた。
「ヒロ君、感謝する。」
ここだ。
「恩に着せるつもりはありませんが、私が預かることを、お認めいただきたく。」
「なかなかどうして、甘くないではないか。塚原君?」
「この年頃は、まさに『三日会わざれば、刮目して見よ』でした。」
塚原先生、とぼけている。
最初からこういう流れにするつもりだったくせに。
「では、どうするね、ヒロ君。」
「まず、サラ。君は、他流試合がしたい。そういうことでいいね?」
「ヒュームさんと、試合がしたいのです。」
「それは、試合を預かった俺が、認めない。理由は、聞くな。自分で分かってるだろう?」
学園の外の、それも政治問題を勝負に絡ませるわけには行かない。
ヒュームを、本気にさせてしまう。
サラの拳が、震えていた。
目を逸らす。
「師匠の許しが出ていない以上、真剣勝負も認めない。木製武器による他流試合ならば、都合をつける。君が希望する相手に、俺からも渡りをつけると約束する。」
「お人よしねー、ヒロ。つけこまれるわよ?『フィリアと試合させろ』なんて言い出したら、どうすんの?って、フィリアがたんこぶ作るところは見てみたいかも。ともかく、2度も命を救ったんなら、『言う事聞け、俺が決めた相手と試合しろ』で十分!」
身分に対する会釈を一切必要としない、レイナ・ド・ラ・立花が、恐ろしいことを口にした。
確かに、フィリアとの試合はマズイ。
「と、ともかく。命の危機の原因を作ったのは、ヒュームだろうが。こっちにも責任はある。」
「それを言ったら、サラに覚悟が無かったのが、もともとの原因じゃん。」
議論では、レイナに勝てない。
ヒュームだヒューム。
「で、ヒューム。サラとは試合ができないことになるけど、それは構わないな?」
「致し方ござらぬ。ヒロ殿の顔を立てるでござるよ。」
てめえヒューム!
本当はやりたくなかった癖に!
なんだよ、そのねっとりした言い様は。
「邪魔だてされたことは、水に流すといたす。……結果に『こみっと』するのが、ニンジャでござるゆえ。」
……忘れていた。
さっきのヒュームが、本気だったことを。
サラを殺して、自分も死んで。
それをミーディエからの独立の口実とする。
俺は、決死の行動を、邪魔だてしたのか。
ニンジャの流儀として、「過程がどうあれ、結果が全て」だから、良い方向に転がった今回は許してやる、と……。
「やはり、まだ覚悟が甘いか。」
塚原先生の、苦笑。
「かような御仁に救われる、己の不甲斐なさが腹立たしいでござる。結果として見れば、ヒロ殿に借りを作っている。」
「塚原君、君の道場では、腹芸やら話術やらの指導もしているのですか?」
そんなことを口にした斧の師範。
穏やかな笑顔を見せている。
「いえ、そんなことはありませんよ。この3人は、『立花の跡継ぎ』、『ニンジャの頭領の息子』、と、それに……『数奇な生い立ち?』なものですから。」
「うちの門下は、単純なのが多いからなあ。お前達、よく見ておくように。」
ぽかんと口を開けていた間抜け面が、真剣な顔になる。
やっぱり、気持ちの良い連中だ。
「男は、単純で誠実なほうが良いと思います。その方が、尊敬できる。」
つい、言わいでものことを口にしてしまったが、これは本音。
サムにエルトン、ドメニコ・ドゥオモ。塚原・真壁の両先生。ヨハン司祭。
みな、尊敬すべき人々だ。
「なるほど。数奇な人生か。この若さで気苦労の多そうな……。」
どうにも話をまとめられないのは、俺の力量不足。
「お言葉の途中、失礼いたします!ともかく、試合を預かった俺に対して、ヒューム、何か要望は?」
「さよう。某も他流試合の必要は感じていたでござるゆえ……ヒロ殿宛に山と来ている申し込みを、こちらに回してはもらえぬか?試合を取り上げられた分、こちらも試合を取り上げる。それで手打ちといたそう。」
「名目はアレか、ボス戦前の露払いか。ヒロに挑みたければ、まず俺を倒せ!って。」
「レイナ!俺とヒュームの腕はそんなに変わらないだろ?特にヒューム相手に実戦形式で試合するなんて、絶対にゴメンだね。」
「そうよね。人質使うとか、どん引きだよ。……って、ごめん、クリスティーネ。怖い思いしたでしょ?」
「そうだ、クリスティーネ。まずは君だった。申し訳なかった。何か、こちらに要望があれば……。」
当のクリスティーネ、うっとりとした顔を見せている。
「いえ、いいんです、ヒロさん。サラ様、いえ、サラさんの問題に、巻き込まれるのは光栄です。斧を振り下ろすのをためらってくださるなんて……あんな素敵な経験、身に余る幸せとはまさにこのこと。感謝を申し上げなくてはならないぐらいです。」
お、おう。
「クリスティーネ、あんたの作風に興味湧いた。後でさ、小説見せっこしない?」
レイナェ……。
「私にもよろしく。」
ミケ!いつの間に!この駄女神が!
ますます拡散していきそうな流れを一気に収束に持ち込んだのは、やはり主演女優。
サラ・E・ド・ラ・ミーディエ、その人。
「では、ヒロ先輩。あなたに試合を、申し込みます。」
感情の揺らぎを飲み込んで、いつもの落ち着いた微笑を顔に貼り付けている。
それでも内容といい言葉遣いといい、まだ微妙に殺伐としているのは、仕方無いところか。
まあ、この申し出、半ばは覚悟の上だった。
サラの腕では、千早には絶対に勝てない。試合をする意味が無い。
(フィリアと試合をするなんて、口にするだけでも、再び政治問題だ。)
「何でもあり」ならば、俺、マグナム、ヒュームあたりが相手でも、サラでは難しいだろう。
だが、木製武器ならば。
上の3人の中では、俺やヒュームとならば勝負できる……どころか、たぶん上回るぐらいの実力は持っているのが、サラだ。
実際に得物を打ち合わせてみて、実感した。
俺ならば、「試合になる」。
と言うか、他に知り合いで「ちょうど試合になる」ような者は、すぐには思いつかない。
「済まんね、ヒロ君。それに、塚原君。」
「いえ、こちらこそ。済まんな、サラ。それで納得してくれるか?」
「まだまだ覚悟が甘い」という問題はあるが、その分だけ冷酷にはなりきれない門下生。
それを「殺しの専門家」であるヒュームの代わりに、試合相手とする。
道場まで直接出向いて、現状をきちんと認識させ、その上で「この話」を押し付ける。
大貴族の令嬢・道場の花に対する、それが、塚原先生なりの配慮。
「ほらヒロ、先生にいいように使われてる。毛が足りないんじゃないの?」
レイナ!それは口にしちゃならんと思っていたのに!
「言ってくれるな、レイナ。良いではないか。ヒュームよりもヒロの方が、サラとの試合では学べることが多い。後で説明する。……ともかく、話がまとまったようですので、我々はこれで失礼します。ヒューム、帰りはお前に荷物を持ってもらおうかな。」
「ヒロは、あたし達を送るように。言われるまでも無く分かってるでしょうけど。」
「レイナさん、サラ様には私が……。」
「そうよ、クリスティーネ。サラとあなたと私、3人を送りなさい、って言ってるの。」
「やはり毛が足りぬのは、うちの門下生か。傘を差し掛ける機会を、みごと出し抜かれている。」
斧の師範の笑い声と、微妙にうらやましげな連中の視線を受けながら、再び雨の中。
気のせいか、先ほどよりも、雨脚が強い。
「だいたい、何でこんなことを。霞の里との関係は、サラ、君じゃなくて、辺境伯閣下ご自身が判断すべき問題だろう?」
どうしても聞きたかったから。
斧道場の門下生達が希望するポジションは、クリスティーネに譲ってもらう。
「ちょっと、ヒロ、何の密談よ。フィリアに言いつけるわよ?」
悪いな、レイナ。構っていられない。
サラも分かっている。レイナの言葉をスルーして、言葉を返してきた。
「ええ。父か、跡を継ぐ兄か。どちらかが判断すべき問題ではあります。が、あまりに弱腰の方針に、腹が立ちまして。」
「辺境伯閣下も、ご存知ではあるのか。」
「知っているも何も、むしろ後押ししている節があります。」
「独立を認める!?領邦内の里に?」
「独立は、させません。高度の自主性を発揮できるように、自治を認めるつもりです。『それがちょうど良い扱いであろう』と。『誰も傷つかず、まるく収まる。こちらも里に恩を売ることができる』と。ニンジャが里全体で敵に回るような事態が絶対に無くなる、そのメリットが大きいと考えているようです。」
「君は、それが気に食わなかったのか。」
「ミーディエの諜報機関として、丸抱えにすれば良いではないですか。父の方針では、こと諜報に関しては、霞の里はフリーランス。メルでも、他のトワでも、利用・提携できる。他家に塩を送るようなことをせずとも。」
「しかし、霞の里は、諜報の仕事が少ないということで、現状に不満を覚えている。……すでに知っていることだろうね、これも。」
「だからこそ、もっと積極的に使えば良いのです。そのためにも前提として、裏切ったらこうなるぞ、という威を見せなくては。今のミーディエに必要なのは、武威です。自治領などと、半ば独立を認めるなどと!弱腰を外に見せて、これ以上の侮りを受けるわけには……。」
雨の音が、小さくなった。
地面に跳ね返る水滴に煙っていた視界も、開けて行く。
「焦りすぎだよ。お父様とお兄様と、一族で連携して方針を立てるべきじゃないのか?トップダウンに見えるメル家も、その辺はそうとう綿密にやっているみたいだよ。」
「フィリアさんに、この会話も伝えるのでしょう?」
「フィリア始め、メル家では最近、辺境伯閣下を見直し始めているらしい。サラ、君の奮闘も一役買っているんだ。思っていたより、ミーディエの家風は軟弱ではないらしいと。情報を伝えるほどに、その印象は、間違いなく強化される。霞の里との関係も、ソフトランディングさせられるさ。」
「同じ末娘でも、こういう話のできるスタッフを抱えている。寮内に、実質的な乳姉妹、無双の武人を、控えさせている。……焦るなと言われても、難しいのです。」
13歳。
大人になりたくて焦る年頃では、ある。
まして、王国では成人を宣言する者も出始める年齢だ。
大領の直系ともなれば、その年でも地位と責任は大きくて。
俯きかげんの、整った顔。
ふいに、前を向いた。
雨が、止んだのだ。
さあっと、雲間から、光が差し込む。
「ストレス、思い切り発散させてもらいます。試合では、お覚悟を!」
嘘くささを欠片も感じさせない笑顔を見せて、傘の下から飛び出したサラ。
クリスティーネの肩を叩き、そのまま寮内へと、駆け込んでいく。
小町の、笑顔。
目にする栄光に浴するなんて。
斧道場の少年達には、申し訳ないことをしてしまったな。