第七十八話 斧の小町 その2
塚原先生に傘を差し掛け、その鞄を手に持って。
そぼふる雨の中、歩いて行く。
「さて、斧の道場は、どちらだったか。」
知らないはずは、ないと思うのだが。
それでもその声に、師の後ろを歩んでいたヒュームが、前に立つ。
「先に立ちまする。失礼を……。」
ヒュームも、何か、おかしい。
気配が、いつもより大きい?
先導するとなれば、気配を小さくしてはいけないのかもしれないが、それにしても。
「ヒロ。……いや、やめておこう。」
ひと言多いぐらいに騒々しい朝倉が、珍しく言葉を飲んだ。
塚原先生も、俺の顔をちらりと見た。
何だというのだ。
斧道場は、まだ稽古を終えていなかった。
男子の比率が圧倒的に高いように感じられる。
小太刀・薙刀も教えている塚原道場は、他の道場とは比べ物にならないほど女子の比率が高い。
そのことを、改めて思い知らされる。
斧道場の師範自らの案内で、奥まった一角に招じ入れられる。
12畳ほどのスペースがあったろうか。
上座に、斧の師範と塚原先生が並んで座る。
約5mの距離を開けて、サラとヒュームが向かい合い、下座に俺が席を取る。
ひとわたりの挨拶を済ませた後、塚原先生が、口火を切った。
「サラ。真剣勝負の申し出ということだが、取りやめてはもらえないか。ご領主の娘が相手では、ヒュームもやりにくい。」
サラの返答は、しかし、頑なであった。
「武術の試合に、身分への配慮など、無用です。ヒュームさん、返答はいかに?」
「されば致し方ござらぬ。お受けいたす。なお、奥襟に……。」
奥襟に、返答の書簡を針か何かで留めた!?
俺と同じことを考えたか、サラが驚いて後ろへと首をひねり、手を奥襟に伸ばす。
「埃がついているでござるよ?」
抑揚無く言うや否や、やや大きめであった気配が一瞬の内に消えた。
サラに向かって、黒い影が跳躍する。
!
飛び出して、朝倉を抜き放つ。
小太刀を、辛うじて受け止める。
「よせ!ヒューム!」
「なにゆえ邪魔立てを。」
どこまでも、抑揚の無い声。表情の無い顔。
「こんな不意討ち、許されるか!」
「真剣勝負は、申込みと承諾あらば、開始される。試合当日立っていた者の、勝ちにござる。」
言い放つや、ふわりと後ろに飛び退る。
すでに、元の位置に、着座していた。
「無礼な!」
傍らに置いてあった木製の斧を、説法師の剛力任せに振り下ろすサラ。
これも、朝倉で両断する。
「やめてくれ、サラ!ヒュームを止める理由がなくなる!」
まさに、一触即発。
それなのに、聞こえてきたのは、間延びした声。
「おーい、ヒューム。言われたとおり、クリスティーネを連れて来たよ~。約束どおり、サラと何の話合いするのか、教えなさいよ!」
レイナの呼びかけも終わらぬうちに、ヒュームが再び大きく跳躍した。
クリスティーネの後ろに立つ。
「ヒューム!」
「当然にござる。火付け・闇討ち・毒・人質。ニンジャを何と心得る?」
サラも既に、本来の得物である大戦斧を手に取っていた。
道場の面々が、遠巻きにではあるが、ヒュームとレイナを逃がさぬように、円を描いて立つ。
「塚原君、これは少々。私は、昨年のヒロ君を見て、塚原君の門弟ならば安心できると考えたのですが。」
「これが本来の他流試合、本来の真剣勝負でしょう。このヒロは、どうも覚悟が甘いところがありまして。」
「む、確かに。これが本来でしたなあ。サラが何か、失礼を?」
「詳細は分かりませんが、ヒュームが本気になったことは、確かなようです。」
暢気な会話を交わしている2人の師範。
止める気が無いのか。
そう言えば、昨年の俺とカルヴィンの試合も……。
勝負が着くまでは、両当事者が納得するまでは、師範は口出しをしなかった。
張本人に目を移せば。
ヒュームは、明らかに腹を据えている。
問題は、サラだ。どう見ても、そこまでの覚悟は無い。
これは、ヒュームの勝ちだ。
塚原先生の見立ては、そういう意味だったか。
だが、ヒュームが勝ったとしても、その後が……。
サラを死なせてしまえば、霞の里はミーディエに攻め滅ぼされる。
ヒュームは覚悟を決めているし、里もその判断を受け入れるだろう。
ファンゾの民と同じ、古き武家の精神を持っている連中なら、そうなるに決まっている。
それ以前に、だいたいヒューム自身、無傷で済むはずもなし。
サラを斃したところで、斧道場の門下生にズタズタにされてしまう。
クリスティーネも、巻き添えを食う。
いや、レイナだ。塚原道場の門下とあっては、ただでは済むまい。
立花の後継に事があっては、もうこれ、大政治スキャンダル。
ミーディエの内輪揉めでは済まなくなる。
ヒュームめ、本当の人質は、レイナか……。
それで俺!?
レイナを守れって?こいつらみんな、叩き斬れと?
塚原先生、そういう理由ですか!?
俺を連れてきたのは!
ヒュームとサラを視野の中に入れつつ、首を後ろに傾ける。
2人の師範は、塚原先生は、どうするつもりなのか。
「しかし、サラは覚悟が決まっていませんな。真剣勝負を申し込んだというのに。」
「何の、不意討ちの機会を逃してしまえば、いかなニンジャでも、説法師相手では、勝ち目は薄いでしょう。」
「いえ、ヒュームはここからです。この場は逃走を図り、試合当日まで昼と無く夜と無く暗殺を狙うはず。」
「逃走を許すほど、甘くありません。サラは当道場の、花ですからなあ。良いところを見せようと、弟子どもめ、気合のノリが違う。斧の一撃は、重いですよ?」
聞こえてくる声は、どこまでも暢気なもの。
弟子自慢で張り合っている。
この場を血の海にするつもりは、無いと見て良いのか。
じゃあ、俺は、何のために連れてこられたと?
塚原先生の、目。何が言いたかったんだ?
サラが、間を詰めた。
もう2歩といったところか。
いや、ヒュームには投擲もある。猶予は無い。
どうする!?
何か、手は!?
これまでの勝負……
高岡の悪霊、賢者に教祖に中海衛、大山長治、夜中の乱闘、カルヴィンに、初陣、詩の決闘……
って、それだ!
「双方、引け!ヒロ・ド・カレワラが勝負を預かる!」
ジャックに比べると、どうしても声量が足りないけど。
「何を貴様!一門で道場破りのような真似をしておいて!」
たぶん、君の発言の方が、理は通っている。
だがこの場は、封殺させてもらう!
走り寄り、木の斧を叩き斬る。柄頭を、腹に叩き込む。
「ヒューム、サラ!引かねば、この場で斬る!」
「いいぞ、ヒロ。」
朝倉が、楽しげな声を出す。
悪い笑みを浮かべているに違いない。
「みな、引け。わざわざお越しいただいた塚原先生に対して、失礼をするものではない。」
「レイナ、こちらへ。クリスティーネも。」
両師範の言葉によって、人の輪がほどける。
場に残っているのは、ヒュームとサラと、俺。
サラは、霊気を集めている。
ヒュームは、懐に入れた手に何かをつかんでいる。
俺は、朝倉から霊気を吹き上げる。
もう一度、言う。
「双方、真剣勝負を取り下げてくれ。」
「なぜです!?」
「聞けぬと申さば?」
「斬ると言っただろ、ヒューム。真剣勝負の相手が俺になるだけだ。それとサラ、理由は無い。俺がそう決めた。」
ヒロ知ってるよ。
軍人貴族は、ごり押しが命。
それでもサラは、言い募る。
「力づくで止める覚悟があるのですか?」
無言で踏み込み、上段から朝倉を振り下ろす。
受けたサラとの、つばぜり合い。斧には鍔はないけれど。
重い!
説法師の剛力と、斧そのものが持つ重量。
これは、戦場の武器だ。刀術と違い、街場での戦いなど一切考えていない武術だ。
鎧ごとつぶしにかかる、そういう流儀に違いない。
腕がきしむ。
全く、説法師というヤツは。
美少女千早と言い、慇懃で細身に見えるアランといい、このサラと言い。
見た目と中身のギャップが大きすぎる。
マグナムは、そういう意味でも、良心的なんだよなあ。
しかし。
道場の花、か。
つばぜり合いとなり、間近でにらみ合っていると、よく分かる。
涼やかな目元。
斧を得物にする連中というのは、まあ、お察しである。
さすがに学園、蛮族ヅラの少年はいないが。
斧道場は、若き間抜けヅラ達の、一個小隊。
贔屓目に見てやれば、マッチョ系イケメンもいるけれど。
どいつもこいつも、見るからに、固い強い遅い。
断言する。
男同士、友達になるなら、コイツらほど付き合いやすい奴等はいない。
そんな中に、ごくごく普通の体格の、整った顔の少女が、一人で斧を振っているのだ。
手にマメを作り、弱音の一つも吐くことなく。
彼女が抱える事情は、家名持ちならば、誰もが知っている。
どういう思いで斧を手に取っているのか、想像するだけで切なさを覚える。
メルの郎党ですら、憎むことなどできないはず。
日頃の稽古では、そういうあれやこれやの感情を、見せはしないだろう。
師範が許すはずも無い。
そういう気風の少年達でも、ない。
それでも、間違いない。
サラは、道場の花だ。
門弟達の憧れ。
大怪我など、させてはなるまい。
が、今の俺は、そんなことには配慮していられない。
相手は大斧を得物とする説法師。つばぜり合いで、手を抜く余裕など、無い。
朝倉の出力を上げれば、押し切ることも可能だが、しかしそれでは……。
「サラ、引きなさい。ヒロ君も、収めてくれるか?」




