第七十五話 高岡城 その2
本丸周辺では、防衛上の必要から、木が切り倒されていた。
地形がよく見える。
西のかた、緑に広がる低地がダグダ盆地であろう。その向こうにはリージョン・森が、北に向かって青い山並みを見せている。
そのまま少しずつ北へと視線を転じていくと、遥かな平野のその先に、ぽこんと突き出た存在がある。山の民と共に歩いた、ギュンメル中央の火山だという。
東を見れば、これもまた、どこまでも平地。緑が少ないところは、新都であろう。
海の向こうに、かすかに線のように見えるのは、北ファンゾの高地だそうだ。
南東方向が、カンヌ州。青々としていて、農地としての豊かさを感じさせる。
そして真南は、またしても、山。
「王都から極東地域に入るためには、大きく分けて2つのルートがあります。」
四十がらみの城代が、説明を始めた。
高岡城は、極東の防衛の要のひとつ。
したがって、その城代の任は、「名誉職」である雁ヶ音の城代とは異なり、現役の有力者が務める。
「まずは、真南方向の山の、さらにその南の平地を東行するルートです。ここからは見えませんが、あの山並みの南西方向にも、もう一つ山塊があります。二つの山塊の間を抜け、海沿いの平野を進むというわけです。」
フィリアの祖父と父、当時のメル公爵親子が通ったルートだ。
東進した先にあるミューラー半島の近くで、千早の祖父であるモリー老こと佐久間盛政と出会った、というわけか。
「当時、北賊は地の利を恃むところ厚く、置かれていたのは砦規模の防衛施設だったと聞いています。その隙を突いて、王国軍は、このルートをたやすく突破したのです。」
城代の言葉は続く。
仕事だからか、生徒の中にフィリアがいるせいか、ていねいな口調を崩さない。
「敵の失敗を教訓にすべく、現在、海沿いの山塊で、地形を活かした大城が建設されているところです。完成すれば、この高岡城以上の要地となるでしょう。」
どよめきが上がったのだが……。
南に城が必要か?北ならともかく。
ほら、イーサンが難しい顔してる。やっぱり疑問だよなあ、そこは。
まあいいや、後でフィリアに聞こう。
メル家の大幹部なんだから、知っているはずだ。
城代の説明は、続く。
「もう一つが、第一のルートに入る手前で北上し、ダグダ盆地から東へと向かうルートです。」
眼下から西に向かって伸びる道を、指し示す。
それなりの道幅があり、道沿いには所々に湖も見える。水の補給に困らない、行軍しやすいルートと言えるだろう。
「それを扼するのが、この高岡城というわけです。」
下げられていた城代の右腕が、ゆっくりと上がる。
大きく開かれた彼の掌は、尾根筋にそって幾重にも重なる、高岡城の防御施設を指し示していた。
振り返って、生徒達に問う。
「皆さんは、この城をどう見ますか?」
「これは落とせる気がしません。」
「どれほどの大軍をつぎこんだのですか?」
「でも、高岡城攻防戦は、戦史ではあまり大きく扱われていないような。」
代わる代わる口を開く生徒達の疑問顔に、城代が笑顔を見せた。
「皆さんの見立ては、正しい。西からでは、この城はまず落とせません。」
「あ、そうか。王国軍は南ルートからカンヌ州に侵攻したんでした。」
「ここから南に見える山塊の、東の裾野を通って北上し、東側から攻めたということですか。」
「今日俺たちが通ってきた山道か……。それでも結構大変だと思うのですが。」
「高岡攻城戦の経緯は、ご存知ですか?」
挙手をしたのは、努力家のマグナム。
「王国軍は、高岡城に攻めかかる様子を見せ、『北賊』の援軍の到来を待ちました。斥候を放ち、敵の援軍が近づいてきたのを察知した日の晩、盛大に篝火を焚いて偽装を施した上で夜陰川を渡り、現在のメル家郊野駐屯地に陣を取ったと聞いています。翌朝、旧衙近くで行われた野戦に勝ったことで、高岡城の運命は決しました。実際の攻城の段階では、特筆すべきことは無かったと聞いています。」
「これはよく勉強されている。まさにその通りです。篭城戦は、援軍があってこそ成り立つもの。いかなる堅城でも、それは変わりません。」
城代の声に、力がこもる。
「そう、攻城戦そのものには、戦史上、特筆すべきことはない。マグナム君でしたか、君の発言を非難するわけではありません。……これから言うことは、重々承知のはずですから。」
言葉を切り、歩き出す。
「高岡城には、数百人の、非戦闘員がいました。」
とどろく水音が聞こえる。
「北賊の幹部の家族です。旧衙に留まるのではなく、こちらに避難してきていたのです。」
もう、言われなくとも、分かる。
「決して誤解しないでいただきたい。我々には、軍規がある。人である以上、完璧というわけにはいかないが、むやみな暴力を振るうことはありません。私達は、軍人であり、武人なのですから。」
歩を進めるごとに、水音が大きくなる。
「しかし、この戦は、北賊と王国との、最初の本格的な戦闘でした。相手の流儀を知らないのは、当然です。必要以上に我々を恐れ怯えたとしても、やむを得ない。戦史には書かれない、悲劇が起きたのです。」
いわゆる「本丸」と「二の丸」との間に存在する、滝が姿を現した。
遮るもの無く響き渡る水音。
それに負けぬ、腹の底からの声が、城代の口から発せられた。
「戦は、勝たねばなりません。どうかそのことだけは、絶対に忘れないでください。」
さらに質疑応答が行われる中、フィリアが崖から下を覗き込む。
千早が肩を掴むに任せているのは、お互いの立場と信用あってのもの。
「近いですね。しかし、ここではないような?」
俺も覗き込んでみる。
「姿は見えないね。霊気が立ち昇っているとか、そういうこともない。」
ピーターが慌てて俺を掴みに来た頃には、崖から離れてしまっていた。
フィリアと千早のコンビネーションに比べると、あまりにも未熟。
そりゃまあ、子供の頃から5~6年付き合っている2人と急造コンビとでは、比べ物にはならないけれど。
城代による、各種施設の案内が、続く。
「ここでしたか。」
「某ですら、感ずるでござるよ。」
量は多くないものの、漏れ出る霊気が、はっきり見える。
優れた霊能を持っている(千早には及ばないというだけのことだ)マグナムも、そちらに目を向けていた。
乏しい霊能を、感覚に全振りしているミーナも、感づいた。
「これ、やばいんじゃない?」
滝の向こう、西側「二の丸」(?)にある、封鎖された枯れ井戸。
どうにも、その、禍々しい。
間違いない。悪霊の気配がする。
「いかがされましたか、フィリア様。」
「城内に霊能力者はいないのですか?定期的に点検をしていますか?」
「霊能力者はおりますが、能力はあまり強くありません。定期的な点検と浄化は、聖神教団に頼んで、怠り無く行っております。」
「この枯れ井戸に対する評価は?」
「霊気がたまりやすい場所だとの報告が上がっており、点検の度に浄化されております。城内の霊能力者も、『浄化の直後は、明らかに雰囲気が良くなる』と申しております。」
「原因について、考えたことは……?いえ、これは城代を責めるべき筋合いではありませんでした。」
霊能が無い者は、専門家の知見を信用する他ない。
上に立つ者は、部下を信じて任せる他にない。
検証を行う必要はある。しかし検証の能力を持っている者もまた、限られているのだ。
伝統と実績を持ち、基本的には善良と評価できる聖神教団が調査した結果だ。
「井戸の近辺で、霊による被害が起きた」という話も出ていない。
調査結果を鵜呑みにしてしまったとしても、非難はできない。
遠間から井戸近辺の霊気を浄化したフィリア。
しばらく様子を見ている。
今や清浄な気に包まれた、枯れ井戸へと近づいてゆく。
言われるまでも無く、俺と千早が先行する。
フィリアの後ろをマグナムが固める。
「ピーター、霊能が無いなら下がれ。」
慌てて前に出ようとした少年を制しておく。
「皆さんは、どのように?」
「霊気は見えなくなったね。」
「某は、何も感じぬ。」
「俺にも感じられない。」
聖神教団の浄霊師が、「これで浄化された。原因となる霊も存在していないし、悪しき霊気がたまりやすい場所なのだろう」と判断したのも、頷ける。
だがフィリアは、さらに周囲を回り、確認を続ける。
視線は、封鎖された枯れ井戸から離れない。
蓋がされた、枯れ井戸から。
フィリアの視線のありどころを確かめた千早が、頷く。
まさに阿吽の呼吸。
フィリアが杖を掲げる。
マグナムが、拳銃を腰だめに構える。
俺も妖刀・朝倉の柄に手をかける。
千早が、蓋となっている石板を、軽々と取り除けた!
……何も飛び出して来ない。
三拍。
ちょうど三拍の間をおいて、フィリアが井戸に近づいていく。
杖の先に浄化の光を灯したままで。
4人で覗き込んだ枯れ井戸は、完全に封鎖されていた。
ごていねいにも、岩や石が放り込まれてある。
悪霊の姿はもちろんのこと、霊気すら、見えなかった。
が、分かる。
こりゃ、いるわ。
いったん、井戸から離れる。
「岩の向こうですね。」
「動いておったゆえ、某にも分かる。間違いござらぬ。」
「どうする?早速行くか?」