第七十五話 高岡城 その1
俺の決心は、案外あっさりと受け入れられた。
フィリアと、千早には。
「アリエル殿が良いと仰せならば、良いのでは?」
「こうなることも、一応予定していました。王家の許しも、得られると読んでいます。」
「記録抹殺刑って、重いんじゃないの?」
「重いですよ。でも、大丈夫です。時間も経っていることですし、まあ、他にも。」
「メル家は強うござるゆえ、な。『アリエルの孫』を客人にしているとあらば、フィリア殿の名も上がる。」
「しかし、『カレワラ』という家名だったのですか。なるへい・ド・カレワラ。」
「フルネームにすると、悪くない響きにござるな。何ゆえ、ペンネームを?」
「親しい人からは、『なるへい』呼ばわりでしょ?嫌だったの!」
照れくさそうな、そのアリエルの言葉を、伝える。
「して、『アリエル』なる名乗りの由来は?」
モリー老が、尋ねる。
そういやそうだった。
湖で出会ったもんだから、何となくそこには疑問を持っていなかったわ。
「それこそ家名からよ。カレワラ→アレアラ→アリエル。」
「安直!」
「ピンク頭のシスターピンク、よりは捻ってるわよ!」
本当に案外と、いつもの調子に戻ってしまった。
この世界に根付くって、一大決心のはずだったのに。
「旅行委員長として、一応は聞かせてもらって良いかな?何が起きたのか。」
近寄ってきたイーサンの背中の向こうには、レイナとアンヌの姿。
必死に耳を澄ませている。
「トニー氏のお父さんが、俺の祖父の従卒だったんだ。かすかに蘇った記憶に合致しているし、証拠も出た。」
「そういうこと」にする。今後は「アリエルの孫」で押し通す。
フィリアと千早と相談して、そう決めていた。
「身元が分かったのか!?おめでとう!」
「正式な発表は、旅行から帰った後で、ソフィア様ご夫妻と相談の上、ということにさせてほしい。」
「そうだね。微妙な問題もあるだろうし。じゃあ、明日以降は、予定通りに行けるということで良いかな?」
「ああ、そのことで、一つだけ。先ほどの少年が、臨時の従卒を勤めたいと言い出したから、連れて歩きたい。許可願えるか?」
あの後、戻ってきたピーターとトニー氏と、話し合いを行っていた。
「お預かりしていた懐剣は、お返しいたします。しかし、従卒のお話は、なにぶん、あまりに急で。」
ピーターは、取り繕っていた。
病室を飛び出した時の感情を。
覚悟が決まらない、と言われた。
「想像とのギャップが大きすぎて、戸惑ってしまい……。」と。
祖父と父に繰り返し「我らが誇り、詩人アリエル」の姿を叩き込まれてきたのだろう。
おとこ気溢れる、堂々たる体格の、威厳ある老人を想像していたのだろう。
それが、現実ときたら。
年下で、まだ背も伸びきらずに、成長痛に悩まされている、薄い顔の少年。
間の悪いことに、馬子の役目を引き受けている姿まで見られている。
「私などに勤まりますかどうか。高岡城への行き帰り、臨時の従卒としてお連れいただきたく。」
と、そんなことを言い出したのである。
言葉は丁寧だが、つまるところ、見くびられている。
いや、少し違うか。
彼にしてみれば、祖父の、それ以上に父の、人生を浪費させた男なのだ。俺は。
従卒としての教育を受け、そういう人生を歩みたいと思っていたとしても、どこかひっかかりがあって当たり前。
見極めたいという思いが強いのだろう。
明けて4日目は、そんなピーターを連れて、日の出どきから山登り。
高岡城は、高岡政庁の「裏山」にあたる。「裏山」と称するにはだいぶ広大である上に、その裏山の全体が城域ではあるのだが。
とは言え、いわゆる「本丸」までは、直線距離なら3kmも無いであろう。
上級者なら騎馬でも行けるらしいが、大した距離でもないし、団体行動でもあるので、徒歩での登山。
ではあるのだが。
さすがは新都の西の固め。
そうそう簡単に登れるものでもなかった。
俺ひとりなら、と言うか、誰であれひとりなら、まあすんなりと登れるとは思う。
しかし団体となると。
道が折れ曲がったり、幅が狭くなったり。
傾斜がやけに急なところがあったりで、渋滞してしまってどうにもならない。
「城だって実感するよなあ。」
視界が開けた途端に警備兵と鉢合わせた生徒が、苦笑する。
兵士も笑顔を返す。
さすが学園の生徒だけあって、みな真剣に城郭の、防御施設の構造を見極めようとしている。
それは結構なことなんだけど。
バテる者が、出始めた。
何せ中学生年代は、体力差が大きい。大人の体格になったヤツ、まだ成長期になってないヤツ、両方がいる。
そこへ持ってきて、軍人志望と箱入りお嬢様とが交じり合っている団体なのだから。
と言って、「バテてるヤツがいるから、休憩しようぜ」と言うわけにもいかない。
軍人志望はもちろん、それを言われたらお嬢様でさえ「バテてないし!余裕だし!」と言い返さなくてはならないのが、意地とメンツの王国社会。
しかし自分を悪者にすべく、「ちょっと疲れたから休憩したいんだけど」なんて嘘をつくのも、悪手なわけで。
「配慮は分かるけど、そういう発言はカッコ悪すぎる」と思われてしまう。赤っ恥である。
いつもなら、こういう時に頼りになるのが、ノブレス。
赤っ恥を一切気にしないのが最大の強みだから。
「疲れた、休憩したい」と遠慮なく申し出てくれるはず……なのだが。
それでもさすがに軍人志望。ファンゾを歩き回って、体力もついたのか。
今のところはバテる気配を見せていない。
どうしよう。
俯いて顔を上げたら、ピーターの視線とかち合った。
優柔不断な渋り顔を見られたか。
思わず互いに視線を逸らす。
目を逸らすべく見上げた顔に感じるは、五月の薫風。耳には、木々のざわめき。
山登り……というほど大げさではないな。トレッキング?ハイキング?
自分のペースで登れるならば、これほど気持ちの良いこともないのだろうけれど。
って、そうだよ。その手があるじゃん。
「ピーター!」
「は、はい!」
不躾を咎められるとでも思ったか。
ちょっと緊張した顔を見せている。
「皆さんに、こちらの森や鳥の説明を頼む。……おーい、みんな。少し足を止めてもらえるか?」
フィリアが笑顔を見せる。
イーサンが頭を搔いている。
遠くから、ヒュームが振り返り……。
レイナは、遠慮なく口に出す。
「気が利いてるじゃん、ヒロ。」
そして千早が口にするのは、苦言。
「少々いやらしくも思える。」
この辺りが、きっちり気がつく連中。
そういうことは、もう分かってる。
「はい。こちらの山に生えているのは……。鳥は……。秋になりますと……。このもう少し先からは……。」
さすがに地元。よく知っている。
「ご苦労様。またしばらくしたら、頼むよ。」
こういう感じで良いのだろうか。
「いい感じよ。」
「『ご苦労』『頼む』でようござる。ヒロ殿は、どうも人を使い慣れておらぬようだ。」
「ヒロが暮らしていたのは、あまり身分差がない社会らしいのよ、モリー。追い追い、ね。」
貴族の幽霊と殿様の幽霊が、そんな会話を交わしていた。
またしばらく行って、行列が止まった。
見張りの兵士からの、解説があるようだ。
「ご覧のとおり、下は谷になっております。篭城して苦戦するようであれば、この吊り橋を落として、時間を稼ぐというわけです。景色は良いのですが、なにぶん吊り橋ですので、足元にご注意ください。」
「秋にはこちらの紅葉を見に訪れる方が、たくさんいらっしゃいます。吊り橋は城の衛兵さんが管理していますし、事故の話は聞いたことがありません。」
と、これはピーターの補足。
「本当ですか?」
フィリア?
兵士が、青くなる。
「いえ、その。」
何か言っているが、要領を得ない。
兵士を責めるのは酷だ。立場の差が大きすぎる。
「ピーター、頼む。」
「は、はい。フィリア様、衛兵さんには落ち度はありません。吊り橋は常に点検され、事故はないのです。しかし、その、ここから飛び降りる人が、たまに……。それで、お城でも衛兵さんを付けるようになったと、それが街場での噂です。」
女子の一部が、悲鳴を上げる。
「ちょっとフィリア、やめてよ~。」
ピンクにコンニャクで脅された経験のあるアンヌ。
幽霊話は、大の苦手。
しかしフィリアは、真剣だった。
「万全を期しましょう。2人ずつ渡ってください。力のある人と、無い人と。私はここで待機し、万が一に備えます。」
「じゃあ、俺が最初に渡る。両岸から見張れば、確実だろう?」
マグナムの提案も、受け入れられた。
……結果としては、何も起こらなかった。
しかし、最後に、いつもの3人(と、ピーター)で橋を渡っている、そのさなか。
まさに橋の中央付近で、フィリアが足を止めたのが、ちょっと怖かった。
「感じませんか?」
「某は、動かぬ霊はあまり感じられぬゆえ。」
「俺にも見えない。いや、かすかに、谷底にあるかな?でも、あれぐらいの『霊気だまり』なら、どこにでもあるし……。」
そういうものなのだ。霊気はこの世に薄く、あまねく存在しているが、たまにちょっとした「霊気だまり」のようなものがある。
ふつうならば、全くもって無害の存在。日本で言えば、「落ち葉が風に吹き寄せられて、たまっている」とか、そういった趣のものに過ぎない。
はずなのだが。
フィリアが目を細め、下流を振り返り、そして上流へと目を向ける。
視線の先には、高岡城の、いわゆる「本丸」があった。
「気のせいならば、良いのですが。」
「フィリア殿の感覚は、鋭うござるゆえ、な。」
「浄化すればいいだけのことだろ?俺も去年よりは腕を上げたし、マグナムもいる。」
「こころ強うござるなあ、ヒロ殿?」
「これまでなら千早さんのセリフでしたよね?」
「よしてくれよ。どうせ2人ともそのつもりだったくせに。」
橋を渡り終え、いわゆる「本丸」に到着したのは、お昼前といった頃合であった。