第七十三話 高岡城へ その1
5月の朝は、早い。
学園の南の出入り口、龍門の車溜りには、十数台の馬車と……百頭以上の馬が並んでいる。
それぞれの馬の鞍に置かれた、各家の紋様が描かれた布が、鮮やかな彩りを見せていた。
若手貴族に、令嬢たち。そして出頭の俊才という面々。
初夏の日の出を背に、彼らが馬に跨って居並ぶ姿は、まさに颯々。
鑑賞に足る、すでに一幅の絵画と言える。
先頭に立つイーサンなど、典型だ。
騎乗用の軽装防具を身に纏った、堂々たる体格。
ぴしりと背を伸ばして馬上にある姿は、本当に、「絵になる」。
「カッコいいなあ。こういうとき、家名無しは損だよね。」
正直なミーナ。
しかし彼女も、「防具ギルドの紋章に、火にかけられたフラスコを重ねた」、そんな刺繍があしらわれた布を、馬の背に掛けていた。
「悪くないと思うよ。フラスコってのは、なかなか傾いてる。」
「全くだぜ。俺なんか悪目立ちしちまって、どうしようもない。」
正真正銘、家紋も個人紋も持っていない雄偉な少年は、「マグナム」と大書された布を肩に担いでいた。
「悪目立ち」とは、しかし、その布のことを指しているのではない。
なぜ俺とミーナが、マグナムの傍で会話をしていたか。
体格が良すぎて、馬に乗れないはずのマグナムの傍で。
それは、彼の隣に佇んでいたのが、自転車だったから。
「オットー・マイヤー工房に、テスターを頼まれてさ。次の銃を割引きしてくれるって言われたから。」
マグナムがそう口にすると、ミーナは全く遠慮しなくなった。
さっそくにチェーンを目掛けて、手を伸ばす。
「やっぱそこだよね、肝は。」
ピンクも唸り声をあげる。
俺たちの世界で「自転車」ができたのは、確か19世紀。
こちらの世界では、もう少し早かったということか。
まあ、霊弾とは言えミニガンを開発した変態技術者集団、オットー・マイヤー工房だ。
回転と、それを伝えるチェーンの概念は既に知っていたということを考えると、当然の結果かも知れない。
姿は、いわゆる「補助輪つき自転車」に近い。
子供用の補助輪とは違い、かなり頑丈そうだということ以外は。
あと、前輪が、少しばかり、大きい。
「金属だし、耐久性には問題なさそうだね。スピードはどうなの?」
ミーナが止まらなくなってきた。
「俺(の脚力)なら、馬並み(のスピードが出せるん)だってさ。実際試してみたけど、かなりのもんだ。それでいて、足が全く疲れない。これはいいぞ。」
マグナム自身から発せられた「馬並み」という言葉に、見慣れぬ自転車を遠巻きに眺めていた一部の女子が赤面する。
お嬢様方、マグナムのマグナムはマグナムではありますが、さすがに居並ぶお馬さん達ほどではございません。
「『途中で壊れたら、荷車に乗せて、馬車移動』という許可も、学園長から得てある。直接乗って確かめてたぜ。」
ああ、あの学園長ならそうだろう。許可を出すに決まっている。
十数台の馬車は、ノブレスのように、馬に乗れない者(ヴァガンがいれば、馬をニンジンで説得できるのだが……)や、途中で体調を崩したり、何らかのアクシデントに見舞われた者に備えて、用意されたもの。
最初から乗り込んでいるのは、まさに「お嬢様」たちばかりで、これはこれでまた、一幅の絵になっている。
先にも述べたように、騎馬の若者達もまた、凛々しい姿を見せている。
と、そんな状況であれば、物見高い者達がやってくるのは当然であって。
学園の中には入れないから、雁ヶ音街道の沿道に、見物人が出始めていた。
まあおかげで、賊の襲撃というような事態が起こる恐れも、小さくなってはいるのだが。
しかし、特別に物見高いという人々も、世の中には存在する。
それが、学園内に入り込めるとあらば、当然押しかけてくるわけで。
たとえば、生徒の保護者として堂々と学園に出入りできる人。
四大貴族の一角、その本宗家の当主である、オサム・ド・タチバナ伯爵閣下もその一人であった。
日頃の夜更かし、こんな時間はつらいだろうにと思うのだが。
絵画の、文学作品のネタ探しともなれば、そんなことは言っていられない。
軽々しく、もとい、気さくにあちこちを歩いて回り、知り合いがいれば馴れ馴れしく、もとい、親しげに声をかける。
本性を知りすぎていると、「またあのおっさんは」なのだが、そうでもない若者からすれば、「伯爵閣下が、おん自らお声をかけて下さった」という事態なわけで。
得してるよな。
レイナが、「同級生に手を出したら許さない」と宣言するのも、分からなくはない。
俺に手を下させようとするのは、どうにかしてもらいたいところだが。
「ヒロ君、このあいだは銘酒をありがとう。呑み友達も喜んでいた。……しかし、君は相変わらずだね。」
気さくなおっさんが、俺に気づいた。
「真っ黒な服に、真っ黒な防具。真っ黒な刀。それで獣の頭蓋骨の兜。くどいとは思わないのかね?」
「『もう少しドスを効かせたまえ』とおっしゃったのは、閣下ですよ?」
「効かせすぎだよ。見ろよ、イーサン君を。都すずめが黄色い声をあげるぞ。君も少しはさりげなさや軽さをだな。」
「私の場合は、位置取りや立場もありますので。」
騎行も、学園の生徒となれば、軍事パレードのような趣を見せる。
その中にあって、俺の位置は、いわゆる「中軍」。
イーサンやジャック、スヌークと言った、押し出しの良い者や華やかな者が、先鋒。
マグナムやヒューム、キルトと言った、雑然としているが、いかにも戦士然とした者が、次鋒。
その次に、レイナやトモエなど、身軽で華やかな女子の集団が続き……。
彼女達の後ろ、馬車の前というポジション、それが中軍である。
メル家の郎党のような、「手堅い」軍人然としたメンバーを引き連れ、その中心にはフィリアが「収まる」。
フィリアと三角形を作るように、緋色の千早と黒い俺が続く、という配置なのだ。
「つまらんなあ。後ろから見ると、良いのだがなあ。その紋章。どこで見たんだったかなあ。」
「いいから早く帰りなさいよ、見苦しい。酒臭いし。」
レイナが父伯爵を、追い立てる。
時まさに、出発の合図である太鼓が鳴り響いた。
先頭のイーサンが、後方を意識して、緩やかに馬の歩を進めていく。
沿道沿いに、伯爵閣下の予想通り、黄色い声が上がる。
150人の行列だ。大体3列になっていることもあるし、通り抜けるにはそれほどの時間はかからない。
俺達中軍も龍門を抜け、馬車も抜け、さて門扉も閉まろうかというその時。
ひとりの男が駆け出してきた。
足をもつれさせ、荒い息をしながら。
「ヒロ君、思い出した!どういうことかね!」
叫んでいる。
「玲奈!お前も知っているだろう!ほら、あの初版本!ヒロ君のあの紋章!……」
よたよたと走りながら、日頃の不摂生に息を切らした三十男が、必死に声を上げる。
もちろん、行列には追いつかない。
真相を堂々と口にするわけにも行かないせいもあって、何を言っているのだか要領を得ない。
恒例となりつつある父親の醜態に、レイナは小柄な体を必死に伸ばして、聞こえぬふり、他人のふりをする。
伯爵の声は、すぐに沿道の歓声に紛れて、聞こえなくなった。
……帰ってから、どう説明しよう。
「ヒロ。今はそれどころじゃないわ。人目があるんだから、堂々としてなさい。学園の生徒、フィリアちゃんの側近なのよ。」
張本人アリエルに励まされ、どうにか背を伸ばす。
この格好では、堂々としようとすると威嚇的効果ばかりが生まれるのだが、それは諦めるしかない。
修学旅行の一団は、まず、雁ヶ音街道を北上する。
左折して、直行する大通りに合流し、南西の方、ネイトへと向かう。
無駄があるようにも感じられるが、学園から見て直接の南西方向、新都の都心を抜けるルート上には、極東道の政庁があり、各種軍事施設もある。
いろいろと手続きもめんどうだし、検問もあったり、時として道幅が狭くなっていたりもする。
騎行に慣れていない者がいることを考え合わせれば、できるだけ平坦な大通りをつなぐルートの方が、間違いが無いというわけだ。
馬車のペースに合わせた速度。昨年の今ごろ、初陣の騎行に比べれば、だいぶ緩やかだ。
それでも昼前には、最初の休憩予定地に到達した。
ネイトにある、新都の政庁に。
新都尹丞新都執金吾(新都の副知事兼、新都警察長官)の、アレクサンドル・ド・メル閣下とソフィア様ご夫妻が、礼装にて、おん自らお出迎え。
若僧どもには破格の待遇なのだが、それぐらいには、学園は尊重されている。
まあ、フィリアの保護者ということもあるし。
昼食の用意も、されてあった。
ありがたいことに、立食形式で。
イーサンとスヌークが、ご夫妻に挨拶に向かう。
スヌークをさりげなく押しやるようにして、イーサンにトモエが並ぶ。
その足運び、塚原先生の指導の賜物である。
まああれよね、そのポジションは譲るわけには行かないよね。
スヌークも、レディファーストは当然理解しているので、大人しく下がったし。
十分以上に打ち合わせはしているはずなのだが、今後の旅程を、今一度確認しあっていた。
ネイト庁舎から先は、高岡軍道に入る。
やはり平坦な、複数車線の軍用道路。騎行にはもってこいだ。
ネイトから西へは、順に、以下の施設がある。
天真会郊野支部
旧衙
メル家郊野駐屯地……ここまで、ほぼ真西
高岡政庁……駐屯地から見て、南西方向
高岡城……高岡政庁から見て、真西
である。
今日は天真会郊野支部まで進み、そこで一泊。
翌日、メル家郊野駐屯地で、二泊め。
高岡城のふもとにある政庁で、三泊め。
高岡城で、四泊め。
政庁に戻って、五泊め。
帰り道は、旧衙で六泊めを迎える。
その日のうちに学園まで帰り着ければ、六泊七日。
帰り着けないようであれば、ネイト庁舎で一泊し、七泊八日。
「郊野」と言われる地域を、行きは二日で、初心者も馬に慣れた帰りは一日半で、通り抜けるという旅程が組まれているわけだ。
昨年の初陣では、「ネイトからならば、高岡政庁とは、ほぼ同じ距離」にある「小山」までを、一日かけずに走破したが、それは軍事活動で、馬脚の限界に近いペースで飛ばしたから(記述は省略したが、替え馬を次々に乗り換えてもいる)。
二日かけて良いのであれば、中級者以上にとっては、のどかなペースである。
俺にとっても、今年は余裕ある旅程と言えそうだ。