第六十九話 裁判 その1
「『珍しい案件』ですか?」
縁談もさることながら、そちらに食いつくのがフィリアである。
「ええ、征北大将軍府で起きた横領事件なんだけど。」
ファンゾに行く前に、俺たちが関わった案件か。
「横領事件でござるに、珍しいとは?」
千早は、社会の根っこを支える天真会の、幹部候補生である。
それだけに、世間知には長けている。
許容はしないが、「横領というものは、珍しいとまでは言えない」ということは、知っている。
「そもそも、軍法マターでしょう?アサヒ家には関係しないのでは?」
フィリアの疑問にも、理由がある。
アサヒ家は、「刑事裁判の家」ではあるが、彼らの縄張りは「一般社会で起きた事件」に限られる。
征北大将軍府、軍部で起きた刑事事件は、「軍法裁判」にかけられるはずなのだ。
「あ……、まあ、言ってもいいのかな。フィリアさんだし。」
いったん迷ったようだが、トモエは言葉を継いでいった。
「『珍しい』というのは、そこなのよ。『一般の司法手続で裁かれるべきか、軍法裁判で裁かれるべきか』ということが問題になる案件として、父が弟に勉強をさせてるの。実際にそういう手続に入ったらしいわ。」
「なるほど、横領という事件の中身ではなく、その前提の問題ってわけね。」
「ええそうよ、ヒロさん。」
「なれど、軍内部で起きた出来事にござろう?問題になるのでござるか?」
「そうね……。じゃあ、たとえばだけど、千早さん。仕事中の兵士から、別の兵士が財布を盗んだとしたら?」
「それは問題なく、軍法裁判でござろう。」
「じゃあ、近くを通りかかった商人が、仕事中の兵士から、財布を盗んだとしたら?」
「う。どうなるのかな、それ。」
「軍法裁判所行きですね。」
フィリアの答えは、明確だった。
「そうね。じゃあ、仕事中の兵士の留守宅から、商人が財布を盗んだとしたら?」
「一般司法ではないかと。詰めないと分かりませんが。」
「と、まあ、曖昧な部分はどうしても出てくるというわけなの。フィリアさんは分かってるだろうけど。」
「で、今回はその曖昧なケースでござると。」
「そうなのかなあ。外の者がかかわってはいても、軍内部の事件みたいに思えるんだけど。」
「でもそこで争わないでいると、一般司法の縄張りはどんどん小さくなっちゃうの。」
「ああ、メンツと意地の張り合いか。」
「社会正義のため、って私達は言っているけどね。軍人でない王国民が、軍法に支配されるべきではないでしょう?」
トモエが、笑顔を見せる。
「軍の働きが、一般社会を支えているとも言えますが。」
フィリアも、笑顔を返す。
「……という話を聞いたのです。」
料理対決の話に続いて、トモエの話を披露した。
いつもの週末、ネイト館の談話室。
「ええ、トモエさんのお話ももっともです。私達にはみな、各々の立場があります。」
ソフィア様が、頷いた。
「だが今回は、私にとっても大事な案件だ。押し通らせてもらうさ。」
アレックス様の目が鋭く光り。
そして、すぐに和らいだ。
「そんなことより、私はとんかつが気になってしかたない。今度作ってくれるか?」
「ええ、喜んで。」
それにしても、と口にして。
ソフィア様がため息をついた。
「フィリア、メシマズはいけません。私達はメイドに作らせる立場ではありますが、それでもメシマズの評判は縁談を遠ざけます。」
「姉さまとほぼ同じ味付けですよ?」
あれがメル家の味なのか……。
「私は既婚者ですから、問題はありません。」
開き直ったソフィア様の目が、アレックス様に注がれる。
「普段はあれぐらいが良いと、私は思うぞ。ただ、動いた後は少々物足りぬ。」
必死ですね、アレックス様。
談話室では少し情け無い姿を見せていたアレックス様だが。
法廷(?)では凛々しい姿を見せていた。
凛々しい?
いや、少し違う。いつもに比べて、威圧的だった。
アレックス様やソフィア様、フィリアや千早もそうなのだが。
彼らは、威圧的になるということが、滅多にない。
「威、おのずから備わる」という趣で、そこにいるだけで大きな存在感を放射しているのだ。
ことさらに「強く見せよう」とする必要が無いし、そのことを自分でも分かっている、そういう人々。
それなのに、今日のアレックス様は、いつもと違う。
あえて、威を張っている。
それを眺めている俺達、いつもの3人は、「場合によると証言を求められるかもしれないから」という理由で、この法廷(?)の傍聴席に、座っている。
法廷?と言ったのには、わけがある。
法廷と言うよりは、イギリスの議会みたいにも見えたから。
正面高いところに簾がかかっていて、おそらくあの向こうには、征北大将軍 兼 知極東道 兼 新都尹 殿下が、座していらっしゃるのであろう。
その下には、数人の、おそらくは征北大将軍府や極東道、新都の高官が席を占めている。
彼らが裁判官役であろうか。
そして、議会の中にあって、2人の人物が向かい合っていた。
ひとりが、アレックス様。征北大将軍府教書令の立場で発言している。
その背後には、征北大将軍府の官僚らしき人々が座を占めていた。
もうひとりが、背後に極東道、あるいは新都の一般行政官僚を従えた弁護人。やはり高位貴族だ。
そして、弁護人のすぐ後ろには、見知った顔があった。
法廷に入る前に挨拶をしたのだが……。
「私と君たちは、対立当事者に近い。疑いを避けるためにも、事前に話や挨拶をすべきではない。」と、拒否されてしまった。
昨年の他流試合を、ふと思い出す。
今回の裁判……事件の中身に入る前の、「管轄をどちらにするか」の裁判だが。
それが終わった後で、いろいろと教えてもらうことができた。
その、見知った顔の男性に。
クリーシュナグの病院で出会った、二人羽織氏である。
彼は、いわゆる事務弁護士であった。
王国の制度では、法廷で弁論することが許されているのは法廷弁護士だけだが、事務弁護士も、「法廷の中に入る」ことはできる。
法廷弁護士に必要な書類を渡し、訴訟戦略を練る、言わば参謀役なのだ。
と、二人羽織氏こと、レスター・ドッペローム氏が教えてくれた。
「法律を扱う、しかも参謀役ですか。資格を取るのは大変なんでしょうね。」
「ヒロ君、何を言っているんだい?」
「ヒロさんは記憶喪失で、王国の社会制度には疎いところがあるのです。」
「そうか……君も苦労しているんだね。昨夏までの、私の態度の見苦しさが恥ずかしくなる。」
また、嘘をついているのが、申し訳なく感じられる。
「ともかく、資格などいらないよ。君も名乗れば事務弁護士だ。法廷弁護士は、資格と言うか……関係各所に認められる必要はあるが。」
こういうことも、日本とはだいぶ違うんだなあ。
「文字が書けない人のために、役所に提出する文書を作るのが、事務弁護士の第一の業務だ。そこで評判を得て、各種の法的トラブル解決の依頼を持ち込まれるようになれば、まずは『ひとかど』と言える。」
「法廷弁護士と組んで、難しい案件を扱えるようになれば、『腕利き』ですよね?」
「自分から言うわけにはいかないだろう?」
フィリアと顔を見合わせて、笑っている。
「しかし、『名乗っただけ』から、そこまで信用が得られるのですか?」
どうにも分からないから、聞いてみる。
「あ、まあ。実際には、弁護士事務所の書生になって、勉強して実務をこなすんだ。そうして弁護士協会から認定されないと、商売にはならないね。それが資格と言えば資格かもしれない。でも、たとえば田舎なんかで、読み書きができる人が誰かに代わって書類を提出すれば、その時点でその人は事務弁護士だよ。」
ともかく、「参謀役」であるドッペローム氏の法廷における働きは、見事だった。
法廷弁護士も押し出しが良く、弁論術も見事なもの。
「俗に、5W1Hなどと申します。今回の件を考えてみてください。『誰が』……主犯格とされる人物は軍人ではない、一般の王国民です。『どこで』……実体審理にあまり踏み込むべきではありませんが、川の上です。軍事基地ではありますまい。」
うんぬんかんぬん。
「軍法は、特別法であります。その適用範囲が野放図に拡大されることは……王国民の権利を不当に侵害し……ひいては栄光ある王国の国体を傷つけるものであります……。」
後に、ドッペローム氏はこう語った。
「確かに、無理筋ではあったと思う。普通に反論されれば、軍法マターだという結論になっただろう。征北大将軍府、あるいはメル家ならば、有能な弁護士をいくらでも抱えているだろうし、彼らに反論されれば、厳しかったと思う。」
拳を、テーブルに叩き付けた。
「だが、あれはない。アレクサンドル閣下は、理性的な方、脳筋の軍人とは違う方だと思っていたのに……。」
「あの時の義兄は、ああする他、なかったのです。」
フィリアが、気まずそうに、言い添えた。
「何か事情があったのだろうとは、私も思う。だが、あの時のあの行動は……」
言葉を、呑んだ。アレックス様の義妹であるフィリアに配慮して。
「『紳士』と称される人物の多くが失望した。もう二度と、ああいうことは。」
「ええ、もう二度としないでしょう。」




