第六十五話 帰還 その2
双月港を出たクリッパーは、北へ向かう。
春3月の、強い南風を受けて。
行きも帰りも順風というのは、ありがたい。
船に乗っていると、どうしても足が鈍る。
俺は特に、脚力勝負というところがあるから、気をつけないと。
そんなことを考えて、スプリットスクワットと言う名前だったか、そんなことをしながら甲板をウロウロする日々。
「たかが5日かそこらじゃない。暑苦しいわねえ。」
レイナあたりに、そんなことを言われながら。
右手に見える景色が、山がちになってきた。
次の目的地は、往路では寄らなかった、北ファンゾ。
その出入り口である、猪鼻港。
突き出した岬の形がイノシシの鼻に似ている、そういう理由で名づけられたらしい。
この猪鼻港には、地元に配慮して、4日滞在する予定だ。
行きにスルーした分だけ、長めに時間を取る。
山がちな地形、イノシシが身近な土地柄。
北ファンゾに勢力を誇る百人衆は、いわば山岳猟兵であった。
ちょうど一年前に出会った、「山の民」とどこか似たような人々。
それが、「山家五行八横」である。
南ファンゾが、南方二十八騎。中ファンゾが、中津三十六家。
北ファンゾは、五行八横。
ここでの「行」とは「縦」のこと。「縦横」とは、すなわち「掛け算」。
5×8=40の家がある、そういうこと。実際数えてみたら、42家あったけど。
猪鼻港も、双月港と同様の理由、すなわち、「各家では争奪はできても確保ができない」という理由から、メル家の直轄領となっていた。
代官の権限は双月港よりもだいぶ小さいようだ。諸家に対して、多少の遠慮を見せている。
「五行八横衆が、狩りはいかがかと。」
代官が、気まずそうに、そんなことを口にする。
「あらかじめご予定を伺うことをせず、申し訳ありませんが、彼らなりの歓迎の意思で……。」
「ええ、喜んで。」
フィリアが、即答した。
代官がほっとした顔を見せる。
「いわゆる巻狩です。」
そう言って、代官が地図を広げた。
平地で待ち構えているところに、山側三方から獣を追い立てる。そういうやり方。
接待される側が、待ち構えるポジションに位置するのが慣わし。
「私たちの位置を、少し変更しましょう。」
追い立てられる獣を真正面から引き受けるのではなく、横手に見るように。
そういうポジション変更を、フィリアが指示した。
「獲りすぎるべきでもないでしょう?彼らの狩場なのですし。」
「ありがたきご配慮。彼らに伝えておきます。他に、皆様からのご要望は……。」
「もしよろしければ、私は勢子に回りたいのですが。」
「ヒロさん?」
「弓を射るよりは、山を走る方がまだしも得意だから。接待を受けておいて副使の獲物がゼロじゃあ権威にかかわるし、向こうも気まずいだろう?」
「姑息にござるなあ。なれど確かに、権威の問題は大きい。名目は、交流ということにしておくでござるか?」
「では、その旨もあわせて伝えておきます。」
「ええ、楽しみにしています。」
フィリアのその返答を聞いた代官が、嬉しそうに去って行く。
中間管理職は、つらいよね。
「狩り、好きなんだ?」
「嫌いではありませんよ。貴族の、特に軍人貴族にとっては必須の嗜みですし。」
「なら、遠慮しなくても。彼らの接待、真正面から受けなくて良いの?」
「ポジション変更のことですか?一方向を開けておくのは、マナーです。」
「逃げる獣を真正面から引き受けるのは、危険でもござるしな。某がついているとは言え、万一のことがあっても困る。」
弓の腕に、狩猟のマナー。
学ぶべきことが、次々に出てくる。
そうだ、新都に帰ったら、動物図鑑も調べないと。グリフォンにドラゴン、他に何かいないか……。
「ケモノを殺して、平気なの?」
言うと思ったよ、ラスカル!
でも、実際、ちょっと気になる。
「ヴァガン、人間達の狩猟について、グリフォンの見解を。」
「『俺たちも狩りをするからなあ。自分が狩られるのはゴメンだけど』だってさ。『俺たちみたいな霊獣ならともかく、そこらの獣なんざ、三欲以外のことを考えてないからな。気にすることはないと思うぞ』だって。」
ううむ、この差別意識……。
「『おい何だそのツラ。お前ら、俺たちと獣を同類だと思ってるのか?人間とイノシシが別種である以上に、グリフォンとイノシシは別種だぞ!?』」
「『人間は、自分たちばかりが賢いと思っている。傲慢な連中だ。』」
ヴァガンを通じて得られる、グリフォンの知見は、いつも何かをもたらしてくれる……ような気がする。
まあ少なくとも、「そういう配慮」をすることなく狩りに臨むことは、できるようだ。
朝倉を腰に下げるようになってからというもの、ピンクに預けっぱなしにしていた、鉈。
一年前に山の民から、「大猪」からもらった、鉈。
その鉈を、久しぶりに振り回す。
枝を落とし、藪を切り払いながら、一団となって山を走る。
走るだけでも大変なのに、獣を追い立てるべく声を上げるのだから、息が上がってどうにもならない。
それなのに、なぜか。
こんな時に限ってくだらない話に盛り上がり、大声で笑う。で、息を切らしてはまた笑い、走る。
はじめは、「本当にいるのか?」と思っていた獣が、やがて見え隠れするようになり。
山から下りるころには、連休帰りの高速道路みたいになっていた。
横手から、弓の斉射……と言うほどではないか。
各人がバラバラと狙いをつけては弓を射る。
この頃になれば、勢子もどんどん弓を射て良い。
獣が次々と倒れて行く。
正直なところ、「かわいそう」と思うよりは、壮観だと感じた。楽しくもあった。
……結局、一頭も仕留められなかったけど。
「いや、走ったら息切れして、狙いが定まりませんでした。皆さんお見事なものです。」
「なんのなんの、新都から来られたにしては、良い走りっぷりにござった。」
そんな言い訳と社交辞令の応酬。予定調和である。
お膳立て通りに(勢子や郎党が、足を狙い撃っておく)、フィリアは大鹿をキッチリと仕留め。
千早は強弓でイノシシの頭を吹き飛ばしていた。
李紘に、ノブレス。
これも予定調和。
腕力はからっきしだが、運動神経と嗜みのあるレイナは、三射でウサギを三羽。
弱い弓でも仕留められる獲物を見極めて、狙って。
全て外さず、数を稼ぐことで腕を見せつけて。
それでいて数を競うこともせず、早めに切り上げて、後は優雅に馬上の麗人。
嗜みと言えば、カルヴィンやフリッツにもあるわけで。複数の獲物を当然のように確保した二人が、こちらにドヤ顔を見せる。
マナーの都合上、「弾をばら撒く」ことを禁止されたマグナムは、フィリアの助言に従い、素手でイノシシを仕留めていた。
改めて思う。やっぱみんなスゴイわ。
女神のギフト(全ステータス20ポイントアップ)と、霊能と、後は……日本の教育水準?のおかげで、どうにかやって来ることができたけど。
やっぱり俺は、この社会で生きていくには、まだまだ色々と「足りていない」。少なくとも、エリートを張るには。
そう言えば、ギュンメル伯爵に「足りていない」と言われてから、ちょうど1年。
学園に在籍できる、あと2年の間に、いろいろと積み増していかないと。
そんなことを考えて。
猪鼻港を出た後も、クリッパーの甲板で、スクワット。
我ながらちょっと小物臭いけど、他にできることもないし。
大陸が近づいて来る。
ここはファンゾ島と大陸とに囲まれた、言わば内海。穏やかな春の海。
盛大な噴水が、いきなりその安寧を突き破った。
「海竜が出たぞー!」
見張りの叫び声に、船員達が慌てふためく。
乗客が、船内に飛び込む。
俺だけは、大笑い。
あいつ、律儀に挨拶に来たな?
「見送り、ありがとうな!」
大声で叫ぶ。聞こえただろうか。
もう一度、今度は遠くで噴水が上がる。
新都を出てから、53日目の午前。
クリッパーが、船着場に再び碇を下ろした。
ソフィア様ご夫妻が、立花伯爵閣下が、姿を見せる。
「南ファンゾ招安使、フィリア・S・ド・ラ・メル以下132名、任務を達成し、帰還いたしました。」
フィリアが兵権を返上し、各種書類を引き渡す。
出た時は134名。ナイト2名が犠牲になった。
……ともかく、簡単な宴席に出席して、滞りなく挨拶を終え。
さあ明日は、メル館への帰還だ。後は心配することなんか何もない。
あくびをしながら控え室に戻ったら、立花伯爵が待ち構えていた。
「どうだったね?何か面白い話は?」
「閣下、そんなにお急ぎにならなくとも。レイナさんからゆっくり聞けば良いではありませんか。」
「玲奈とは会話が成立しない。反抗期の娘は難しいんだよ。」
反抗期でなくても難しい親子関係だと思わなくもないが、まあいいや。
「そうそう。お土産に、ファンゾ各地の酒を持ってきたんですよ。今出します。」
「君も分かるようになってきたね、ヒロ君。肴にファンゾ女性の話を聞かせたまえ。」
「ですから、そのような話は何も……。」
あれっ?
荷物に近づこうと思って、横倒しになる。
膝が、関節が痛い。割れるようだ。
「ぐっ。」
「どうした?」
「いえ、関節が、急に痛んで……。」
助け起こそうとして俺の手をつかんだ立花伯爵が、急に手を離した。
「君!」
おでこに手を伸ばしてくる。
「ひどい熱だ!待っていたまえ。医者を呼んでくる!」
扉を乱暴に開け放つ音が、背後から聞こえた。
「医者を!ヒロ君が熱病を!」
そんな叫び声を聞きながら、俺は意識を失った。