第六十四話 過ち その4
「娘」の手を引いて行く塚原先生の背中を見ながら、坂道をゆっくりと下っていく。
夕闇が迫り、お互いの表情が、見えにくくなってきた。
「ヒロ殿。先ほどの、『賢者』にござるが。」
「ヒューム?」
「幻術をかけられたでござろう?あの時に、何を言われたかと。」
「……。」
「術を破ったカルヴィン殿は、『我が望みは神殿騎士たるに非ず!』と宣言してござった。各人の願望を、都合の良い夢を、見せる幻術であったのでござろうな。」
「カルヴィンは、強いな。バカだと思っていたけど、なかなかそうでもなさそうだ。」
「ヒロ殿。」
隣を歩むヒュームの顔は見えない。
「某は、『ヒロの秘密や弱点を、知りたくはないか?』と問われてござる。」
「何を……。」
「ニンジャであれば、たとえ味方であっても、友や親兄弟、妻子であっても、『やれぬ』ということは許されぬ。『やれるがやらぬ』、そうあらねばならぬ。そこを突かれたでござるよ。」
「ヒューム……。」
「今のところ、勝ち筋が見えぬことは確か。不意討ち・集団戦は幽霊に阻まれる。人質に取れる身寄りも無い。飲食物に毒を入れるぐらいでござろうか?」
「おい、ヒューム!」
「迷っている内に、カルヴィン殿の一撃にござる。危うくござった。あの時の某は隙だらけ。『賢者』に打ち込まれでもしていたらと思うと、ぞっとするでござるよ。」
「やめにしないか?あの『賢者』は、ロクでもないやつだった。」
しかしヒュームは、口を閉じようとしない。
「ヒロ殿が崖を下った後のことにござるがな。ノブレス殿が、しゃべり出してござる。『要領良くなりたくはないか?それだけの能力を持っていて、馬鹿にされるのは辛くないか?』と問われた、と。」
「で?」
「『仕方ないさ、事実間抜けだし、射撃の腕は評価されているから、気にならないよ。』と答えて、さらに勧誘を受けたところで、カルヴィン殿が術を破ったとのことにて。」
「ノブレスらしいな、言わなくてもいいことを。正直なのは買いだけど。」
「さよう。あの善良さも、カルヴィン殿とは異なる強さにござるな。何せ、孝・方殿まで、それに釣られて口を開いたのでござるから。……『霊能が欲しくはないか?』と問われたとのこと。『正直、かなり危なかった』と申してござった。」
「なあヒューム、何が言いたい?」
「某も含めて、あの場にいた者はみな、己の心の柔らかいところを曝した。ヒロ殿だけ知らぬのでは、『ふぇあ』ではござらぬ。」
「『俺が言わないのも、フェアではござらぬ』と、そういうことか?」
夕闇の中、ヒュームの影が、頷いた。
「俺は、『故郷に帰りたくはないか?』と聞かれたよ。」
「……それが、ヒロ殿の望みにござるか?」
「自分では意識していなかったけど、そういうことなんだろうな、たぶん。」
「今日この日、『仲間』であることを。そして、ヒロ殿の正直さを。」
そんな事を、ヒュームが、厳かな声で言いだした。
「寿ぎて。『黙っておいた方が某の得になること』をひとつ、申し上げる。」
「何だよ、おい。」
「『記憶を取り戻したい』わけではないのでござるな、ヒロ殿は。」
「!」
「隠し事は、それが邪なものでなくとも、『隠している』というだけで弱みになるもの。」
「ああ、そうだね。」
声がかすれていることが、自分でも分かる。
「フィリア殿あるいはメル家と、千早殿だけには、いつか告げておくべきにござる。『仲間』として、申し上げる。」
「ありがとう。……いや、感謝を申し上げる。」
「可能であれば、塚原先生にも。おそらくは、すでに読み取られておるとは存ずるが……。己が口から伝えられよ。師があれほどのことを告げたのでござるぞ?弟子としては答えねばならぬところでござろう?」
塚原先生の肩が、波打った。
笑っているな、あれは。
「ええ、いつか必ず。……お約束いたします。」
大声で、呼びかけてしまった。
塚原先生が、背中を向けたまま、声を上げる。
「ヒロに、ヒューム。玲奈にトモエ。樹もそうであったな。私の門下からは、武術に限らず『バカ』が出ないようだ。」
だがなあ。
そう、先生が言葉を継いだ。
「『バカではない、バカになることができない』と、自他共にそう認めていた者が、ある日突然バカになることもある。心しておいて、損は無いぞ。」
「はい。」
「ご指導、ありがたく。」
「ん、よろしい。そろそろ入城セレモニーか。急ぐぞ!」
塚原先生が、娘を肩車した。
「父さま!星です!」
星の瞬く中、フィリアが、入城した。
歓迎の宴があり。
また酒を次々に勧められ。
(あらかじめ薄めておいてもらったのは、我ながら良い仕事だったと思う。)
そして久しぶりに、何憚ることなく睡眠を貪ることができたのであった。
明けて翌日。新都を出てから36日目は。
朝から、事務処理の日々。
この日、白浜家と七浦家の当主に、長尾景明が到着。ボロボロになった三原・和田家から、一族の血を引く生き残りの少年もやってきた。
これで、南東部の扱いを決めることができる。
南東部は、交通が途絶している箇所が多いため、もともと一体感がない。直接に佐久間家を旗頭と仰ぐことに決まった。
三原・和田両家の復興も、佐久間家が主導すると決定。
「まずは、城外にいる弱り傷ついたものの保護を。」
フィリアの言葉に、千歳家の将兵は感涙に咽んでいた。
南方二十八騎を、一旦家に帰す……つもりだったのだが、みな、兵だけを送り返した。
当主、あるいは跡継ぎの28人を帯同しつつ、6日かけて佐久間領を目指す。
佐久間家で、盟約を正式に締結するのだ。
時はあたかも3月。
南国ファンゾの、うららかな陽気に包まれた、のどかな旅。
時に武術談義を交わし、時にファンゾの文化について話を聞き。
だが俺は、宿舎に着く度、事務仕事に追われていた。
お金のチェック。荒れた南東部に対して、当座の復興資金を拠出する。
フィリアからも、「これは当然の支出。姉夫婦も認めるはずです。」との太鼓判を頂いた。
南東部の、「残党狩り」や、捕虜の処遇。
メル家から派遣されてきた部隊の通常業務……は、千早が担当しているが、彼女からの報告の受領。
その合間合間を縫って、報告書を作成するのも、俺の大事な仕事。
改めてまとめ直してみると、ひとつのことが見えてきた。
北西部と中央部は、もともと好意的。問題なし。
北東部では、大山家の抵抗の鎮圧に成功。だが、大山家には、「してやられた」。大山親子の「意図」を読み切れず、犠牲を出した。
南西部では、戦を回避することに成功。だが、やはり館家に、「してやられた」。館貞家の「意図」を読み切れず、利用された。
南東部では、問題視されていた新興宗教を鎮圧することに成功。だが、「賢者」に、「してやられた」。
特に南東部では、「教祖」と「賢者」の卑劣なやり口に翻弄されてしまった。
そのために、正規兵が出てきた段階で、戦争に、戦って勝つことに、意識が集中してしまった。
彼らの本来の目的は「入り江」であった。それなのに、「城を落とさなければ『入り江』には至れぬはず」という固定観念を持ってしまい、戦争に目を向ける意識を植え付けられ、完全に裏をかかれた。
2人を討ち取れたのは、結果論だ。
「戦争は、目的ではなくて手段である。」
誰でも知っているはずのことだが、いざ戦争となると、その意識がすっぽりと抜け落ちてしまっていた。勝つことばかりを考えて、視野が狭くなっていた。
一度の過ちは仕方無い。いや、実戦の場では許されないが、まあ今回は、仕方無いと片付けることができるケースだった。
だが、大山親子にそれを教わり、館貞家にそれを教わったのに。
二度の過ちを犯した上で、三度目まで。
まして三度目は、戦略的な意味だけではなく、戦術的な意味でも裏をかかれていた。
これは、深く反省する必要がある。
「冷たい」頭を持つこと。犠牲に心を奪われすぎないこと。自由な発想を持つこと。視野を広く取ること。
よい勉強になったのではないかと、思う。
と、そんな会話をフィリアや千早と重ねた数日間。
この問題は、俺の過ちには違いないが。
「実のところ、私の過ちでもありますね。課題が残りました。」
フィリアが頭を抱えていた。
「フィリア殿。しかし、結果としては、南ファンゾ全土で問題を解決してござる。佐久間家を旗頭にするという目標も達成している。これは、政略・戦略的には成功したと言えるのでは?」
「確かに。大きな目で見ればそうですね。」
「失敗は、ヒロ殿の職務レベルということにしてはいかがか?」
「それは名案ですね。」
いや、そんな爽やかに笑われても。冗談だってのは分かってるけどさ。
「『トカゲの尻尾、祭りの牛』かよ。」
「それは何でござる?」
立花伯爵親子の言葉だ、と告げる。
「貴族とは、上の者とは、責任を取る存在。下に転嫁すべきではありませんね。」
フィリアが真顔になった。
レイナに軽蔑されたくないのか、立花の洞察力を評価しているのか。
笑えないのは、むしろ俺の発言だったか?
口にしてしまったということ。それも、ちょっとした過ちだったかも、しれない。