第六話 説法師《モンク》 その4
「観念なされよ。理法とは、自然の道理。苦しいことなどありませぬ。」
千早は呼びかける。
「聖神教徒であるならば、私が天に帰るお手伝いをいたしますよ。」
フィリアも声をかける。
……犬の霊に対して。
なるほど、千早でも追いつけないわけだ。
霊は物質に干渉されない。その上、犬である。
どれほど千早の足が速くても、四足歩行の4WD相手では、山林では分が悪すぎる。
犬だということを伝えたら、二人は同時にこっちを見て叫んだ。
「まさかそんな!」
「まことにござるや!」
そんなに驚くことなのか。
二人が目を離した隙に、犬の霊は、俺に向かって跳躍した。
思わず身をかわす。「やられた!」と思ったのだが……。俺をスルーして背後に駆けて行く。
ゴアアアアア!!
すさまじい咆哮が響き渡る。
俺の背後、やや離れたところで、ヒグマ(?)が叫び声を上げていた。
犬の霊に後ろ肢を噛み付かれて。
千早が身構える。フィリアが杖をかざす。
その時にはすでに、ヒグマ(ということにしておく)は逃げ去っていた。
二人が構えを解く。
犬の霊はヒグマを少しだけ追いかけて、止まった。
「どうやら、あの獣に後を付けられていたようでござるな。」
千早が口にする。
「私たちが気づかなかったということは、危険な距離ではなかった。そういうことではあると思いますが、……それでも。」
フィリアが言葉を継ぐ。
「それでも、我らの修行不足を示すものでござる。」
「ですね。目先の霊に気を取られ過ぎていました。」
やだ、この女子たち、男前……。
「あの霊が逃げていたのは、私たちを誘導するため、でしょうか?」
「そのようでござるな。ご覧あれ、ここはやや平らで見通しも良い。戦いやすい場所にござる。」
やだ、この女子たち、戦闘民族……。
そういうレベルの会話にはついていけない俺としては、犬に礼を言うほかにすることがない。
「ありがとうな、シロ!」
その霊は、白い犬だったから。
ついでに言えば、昔俺が飼っていた犬がやはり白い犬で、名前がシロだったから。
シロ(仮)は、尾を振って答えてくれた。聞こえているのだろう。
干し肉の切れっぱしを投げる。
シロ(仮)は、それをくわえて、そのままどこかへ去って行く。
元の山道にはどう帰るのだろう、そういうことを考えていたら、二人に声をかけられた。
「本当に犬だったんですね……。」
「犬でござったか……。」
「聖神教では、動物は人間に比べて、霊的に『低い』、あるいは『小さい』ものであるため、死ぬと霊体を維持できず、すぐに霧散すると考えられているのです。動物には霊性がない、という人もいます。」
「天真会では、動物は『知能が低い』から悩みがなく、死ねばそのまま輪廻の輪に還るとされているのでござる。あるいは、動物は『知恵が邪魔しない分だけ、理法を体得している』という考え方もござる。」
いずれにせよ、「動物の霊が幽霊となってこの世をさまよっている」という事例は、王国では大発見であるようだ。霊の「姿」が見える、という人がほとんどいないからであろう。
「これまで何度驚かされたか……。」
「某も、ヒロ殿とはつい昨日出会うたばかりでござるに、驚かされることばかりでござる……。」
俺からも二人に疑問を投げかけた。
これまで、幽霊が「物に干渉する」という事態を見たことがない。しかし、シロは、ヒグマに噛み付き、俺が投げた干し肉の切れっぱしを口にくわえていた。これはどういうことなのか、と。
「動物は霊に敏感だ、とは以前から言われていました。霊の存在を感知できるのであろう、と。恐らくは、霊と動物は近いところにいるのではないでしょうか。それだけ干渉できる可能性が高いのかと。」
「幽霊も、なりたての霊にできることは少ないと聞き及んでござる。年月を経るにつれ、物に干渉できるようになるとか。あるいは、心残りの強い幽霊は、その思いを果たさんとする一念から、現世に干渉する能力を備えるに至るとも。いずれにせよ、霊の側から物に干渉する事例は、以前から報告されているでござるよ。」
新発見について語り合い、疑問を整理したところで、さて元の道に戻ろうとしたのだが、フィリアと千早は動こうとしない。
前に立つ千早が、森の中へと声をかけた。
「御用がおありならば、出てこられてはいかがか?」