第六十二話 千歳家 その2
「ご想像の通り、私も死霊術師ですが。」
何も知らぬ兵卒は、難敵をあっさり退けた俺に喝采を浴びせたが。
俺が何者であるかに気がついた、千歳の近臣たちの顔は、強張っていた。
「拳で語りました。」
「死霊術師……。」
千歳氏元が、口を開く。
「にして、フィリア様の側近、招安副使にござったな。敵将2人を討ち取って見せた。」
家臣達に、目を向ける。
「申し上げる他、あるまい。異議ある者は?」
「殿のお心のままに。」
その声に、氏元が太い息を吐いた。
「ヒロ殿、お約束どおり、『入り江』について申し上げる。なれど……この場にてはヒロ殿ひとり、伝えて良いのはフィリア様と、総領さまご夫妻、公爵閣下までとさせてもらえぬか?」
「そこに千早を加えることを、お許し願います。私と並ぶ、フィリアの側近。ご存知でしょうが南ファンゾ出身で、地元への思いは、ひと一倍強い。漏らす恐れは、ありません。」
「承知いたした。それでは、皆様には申し訳ないが、某とヒロ殿は、席を外す。各々、必要なやり取りを。」
言い置いて、氏元が俺を連れ出す。
本丸の広間から廊下を通り、搦手の門を潜り。
城の背後、天然の防壁となっている、尾根筋へと歩を進める。
急に視界が開けた。尾根筋の頂に出たのだ。
視線を遠くに投げれば、北のかたには、白く広がる砂地。
まさに「白浜」。地名がそのまま家名になったということが、よく分かる。
視線を戻せば、こちらは断崖絶壁。
はるか眼下、黄昏の暗さに沈む、入り江。
波が崖にぶつかる轟音が、響き渡る。
秘密の話をするには、最適の場所だ。
「入り江の奥に、洞窟がござる。人跡未踏とは言わぬが、容易には入り込めぬ。」
「白浜側からは?」
「潮流の兼ね合いがござる。さらに崖に当たった波が跳ね返るゆえ、白浜側からは入れぬのでござる。」
ご覧あれ。
そう言って、千歳氏元が、足下に切り立つ崖の一点を指差した。
「そこより下る他はない。祭事の折には、白浜と千歳の当主が、命綱をつけて洞窟に入るのでござる。」
崖の下に、僅かな踊り場があった。
満潮時には水に沈むのであろう。苔が生えていて、見るからに危険だ。
「祭事、ですか。」
「さよう、祭事にござる。」
「……。敵の目的を知る必要があります。」
「重ねて申し上げるが、メル家の中枢部と、千早殿までにとどめていただきたく。」
朝倉を、二寸引き抜き、納める。
戦拵えの金属鞘と、黒く沈んだ鉄製の鍔を、打ち鳴らす。
塚原先生から教わっていた、金打。
澄んだ金属音を耳にした氏元が頭を下げ、おもむろに口を開いた。
「祭っておるのは、カイリュウにござる。」
「はい!?」
「信じられぬのも、無理はござらぬ。」
信じられなかったわけではない。
それ以前に、聞き取れなかった、いや認識できなかった。
俺の狼狽に気づかなかった氏元が、強調する意図の下に、言葉を継ぐ。
「海竜。ドラゴンにござるよ。」
「まさか……。」
いや、待て。
ここはグリフォンがいる世界。ドラゴンが存在していてもおかしくはなかった。
海竜ということは、その、いわゆる、リヴァイアサンか?
「驚かれたでござろう。こちらにまで海竜が来ることは、王国では知られていないはず。」
やはり、俺の驚きの理由を勘違いしているが……。まあ、好都合ではある。
「それは、広く知られてはならないことですね。」
話を、合わせる。
「ご理解いただけたこと、何よりも有り難く。」
千歳氏元が俺に見せたのは、真摯な、信仰者の横顔であった。
少し、心が痛む。
「この入り江は、海竜が卵を預けるところ。無遠慮な権門や、金を持った好事家に勘付かれでもしたら、大事にござる。」
「まさにその通りです。ひとの信仰の対象を冒瀆するなど、許される行いではありません。」
ちょっと良いことを言ったんじゃないか、俺。
しかし、返って来たのは、呆れ顔。
「ヒロ殿……ありがたきお心遣いながら……。さよう、王国の方はご存じないやも知れぬ。」
その呆れ顔を、千歳氏元が、厳粛なものに改めた。
「海竜が怒ると、大事となりまする。見境なく暴れ回るため、海が狂う。船も出せなければ、漁場も荒れる。怒りの原因が人であれば、港が打ち壊され、船という船が沈められてしまう。ファンゾでも王国でも、ひとの生計が立ち行かなくなってしまうのでござる。」
ドラゴン、リヴァイアサンであれば、それぐらいのことはするか。
「なるほど。敵は、海竜の怒りを引き出そうとしているのですか。」
口にしてみて、気づいた。
おそらく、そういう理由ではない。意味が無いもの。
……断言は、できないが。
「目的は海竜の卵ではないかと、我等は考えておりまする。どこから漏れたかは知らぬが、厄介な者に目を付けられたものにござる。」
そういうことか。
その方が、理由としては納得できる。
「ならば、教祖なる者、他人任せにはしないでしょう。こちらに来るのが本隊と見て間違いない。」
昼に打ち倒した侍大将は、降って湧いた異能に、力に、酔っていた。
あいつなら、卵を取ってこいと命令されれば、自分のものにしてしまうだろう。
「教祖」なる人物は、人の心の嫌な部分……あるいは、正直な欲望。それをよく分かっている。
部下の行動原理など、お見通しのはずだ。自分で取りに来るに決まっている。
「やはり、そう思われまするか。」
「敵の意図が分かれば、こちらの対応も決められる。お話しくださったことに、感謝を申し上げます。」
笑顔が、返って来た。暗闇の中でも分かるほど、はっきりとした笑顔が。
「それでは、軍議の続きを。」
千歳氏元が、来た道を引き返す。
後ろから見たその足取りは、来た時よりもだいぶ軽いように見えた。
「詳細は差し控えるが、敵本隊、死霊術師本人がこちらを目指していることは、ほぼ間違いない。」
俺の発言に、別働隊の7人が頷く。
「私たちとしては、それを知ることができれば十分だ。」
塚原先生の発言に、千歳家の家臣たちが安堵の表情を見せる。
「2人が席を外している間に、お互いに突き合わせた情報だが。」
そう前置きして、塚原先生がブリーフィングを始めた。
敵の総勢は、多く見積もっても、300程度。
ただし、これはいわゆる三原家と和田家の郎党、いわば「正規兵(半農半武も含めて)」に限った数字。
昨日見かけた、「褌にだんびら」のような、……なんと言えば良いか、雑兵?民兵?……要は、「純然たる庶民」まで総動員してくれば、1000の単位になる。
純然たる庶民と言っても、農民や漁師は力が強いので、馬鹿にはできない。
千歳家は、正規兵だけならば、200人強ぐらい。
城に籠もって防衛戦となれば、こちらも民兵の協力を得られる。
敵の特徴は、霊能力者が多いこと。
また、霊能力者が「隊長格」を務めることが多いらしい。
「兵の進退を知らぬ者が多いのは助かるが、強力無双という者もおるので、やりづらい」とのこと。
一年ほど前に聞いたヨハン司祭の話によると、「霊能力者は、全人口の1割ぐらいではないか」とのことであった。カルヴィンと孝・方も、そう言っている。
だが、「敵方は、5人に1人が霊能力者ではないか」と千歳家では見ているようだ。
割合としては、かなり高い。
「戦闘向きでない霊能力者を総動員しているにしても、多いな。」というのが、カルヴィンの見解。
ヨハン司祭や、カデンの主婦のような人々まで動員されているのか?
霊能があるという理由だけで。
「許しがたいな。」
思わず、そんな言葉が口を突いて出た。
意外そうな顔を見せたカルヴィンを見据えて、言葉を繋ぐ。
「『人は、霊能の有無やその強弱によって差別されてはならない』んだろう?その言葉には同意するよ。霊能があるからという理由で、非戦闘員を兵にして良いわけがない。」
「そうだ。霊能の有無は、関係ない。」
孝の言葉は力強かった。力が入りすぎているように思えるほど。
「あ、ああ。そうだな。」
俺の「意外な態度」に動揺しているところに、孝の生硬な表情を見せられたカルヴィン。
珍しく、歯切れの悪い返事であった。
気圧されたような気分を嫌ったか。
カルヴィンが、声を励まして追加情報を提示してきた。
「いつのことからか、正確な時期は分からないそうだが。『賢者』なる男が教祖の脇についてから、勢力を大きく広げているとのことだ。戦略を担当しているのだろう。」
「最近霊能力者が増えているのも、その者の入れ知恵のせいだとか。そういうことがありうるものだろうか?」
孝が疑問を提示する。
ひょっとすると。
「例の仮説」を知っていたのは、教祖ではなくて、その「賢者」なのか?
「ついでに言うと、教祖の愛人だという噂もあるらしいね。下世話な話だけど、何かの役に立つことがあるかもしれないから、伝えておくよ。」
年少者に言わせる話ではない、そういう配慮を李紘が見せる。
「愛人?」
なぜか、教祖は男だと思い込んでいた。
いや、同性愛でないとは言えないか。
「教祖は、女だ。もともとは巫女のような仕事をしていた。」
塚原先生にそう言われると、今度は女としか思えなくなるから、不思議なものだ。