第六十二話 千歳家 その1 (R15)
「郎党への助太刀、かたじけなく。」
戦場から北へ半日、案内されたのは山城の本丸。
礼を述べる当主の顔には、疲れが浮かんでいた。
「メル家の姫君がいらしていることは、北の白浜家からの連絡により、存じておりました。寄騎でありながら、このような仕儀にて参上できぬこと、真に申し訳なく……。」
当主を叱咤することで士気が回復する状況では、なさそうだ。
「厄介な敵を相手に、粘り強く戦線を維持。メル家の寄騎として、また百人衆の名に恥じぬ戦振り、先ほど拝見いたしました。」
おべんちゃらを言ったつもりはない。事実、感心した。
通じてくれたか、面々の顔がほころぶ。
「寄騎の義務を言われるならば、寄り親の務めは、寄騎の窮状に手を差し伸べることです。」
俺が寄り親を名乗って良いものか、疑問が頭を掠めなくはなかったが。
息を継ぐ。声に力を込める。
「遅くとも10日のうちに、メル家の本隊が到着します。南方二十八騎を引き連れて参ります。」
当主の顔に、生気がみなぎった。
これが本来の顔か。意外と若いな。
「皆の者、聞いたか!あと10日だ。触れ回れ!」
タイミングを逃さない。
とにかく機敏なのが、百人衆の良いところ。
主君の命に応じて歓声を上げた近臣たちが、部屋を飛び出す。
「副使殿、重ね重ね、かたじけない。」
人が減って静けさを取り戻した広間。
当主の言葉が、よく響く。
「お疲れかとは存ずるが、お話を伺いたい。外の状況について。」
「ご当主。私たちも、敵の情報が足りなくて困っています。」
「それでは……ともかく、まずは食事を。南東部は、魚が自慢にござる。」
そう言って腰を浮かせた千歳家当主の目が、俺の背後に注がれた。
「塚原先生は、千歳の魚をご存知にござりますな?お懐かしうござる。」
「お久しぶりです。虎丸ぎみ。」
二人の哄笑が、広間に響いた。
「虎丸はよしてください、いまは氏元と名乗っております。千歳藤太氏元にござる。」
「ご立派になられた。」
「先生はお変わりない。」
「して、腕は?」
「二言目にはそれでござるか。薙刀を学んでござるが、先生のお眼鏡にはとても敵わぬかと。」
「武術バカの性です。ご謙遜は不要。なかなかの腕前になられたようだ。」
「なれど敵を討ち取れず、切歯扼腕とは、まさに今の某のためにある言葉。」
「殿!前に出ることなど許しませぬぞ!塚原先生からも言うてやってくだされ!」
「じいや殿の言うとおりですよ。」
「じいやが二人に増えたか、これはたまらん。」
やはり塚原先生は、南東部に縁があるようだ。
そんなことを考えていた俺の眼前に、お膳が運ばれてくる。
自慢するだけあって、魚は旨かった。
刺身に叩き、お吸い物。飯が捗る……が、あまり食べ過ぎても。今は苦戦の最中だろうし。
食事が終わって、さて、話し合い。
千歳家の近臣たちも、戻ってきていた。
まずは、そう。
たった今、気になったことから。
「兵糧の支えは大丈夫ですか?田畑の荒れ具合は?」
「当座は心配ござらぬ。白浜家からの援護がござるゆえ。」
俺達が知らなかった地域事情が、存在しているのだそうだ。
入り江を挟んで北にある白浜家と南の千歳家とは、双子のようなもの。非常につながりが強い。
そしてこの両家は、地理的には南東部に属するものの、政治的には独立勢力なのだと言う。
千歳家は、俺達が通ってきた峠道を通じて中央部や南西部と、白浜家は海路を通じて北東部と、それぞれ通じ合い、他の南東部とはむしろ対立していると聞かされた。
「田畑も、心配ご無用。援軍があと10日で来るならば、そこから戦が終わるまで、かりに20日要しても、農事には間に合うでござるよ。」
「それはひと安心ですね。」
そう前置きして、本題に入る。
「早速ですが、敵の主力は、こちらに来るのでしょうか、南を目指すのでしょうか。」
この疑問だけは、解消しておかないと。
「南進して南西部に進出するというのが、敵の基本方針だそうです。しかしなぜか、北の千歳家を……あるいは、『入り江』を目指しているらしいとの話も聞きました。何を考えているのか、よく分からないのです。」
「いや、それは、その……まことに訳の分からぬ連中にて。」
当主のその言葉を、居並ぶ重臣の一人が、遮った。
「10日なれば、防げまする。ここは固く踏んで、敵の主力に備えてはいかがか?」
何を隠そうとしている?
言葉を継ごうとする前に、下座から、間延びした声がかかった。
「メル家の郎党、李紘と申します。」
立場を名乗った?
そんな俺の疑問顔を、まさに春風を思わせるにこやかな顔で、李紘が受け流す。
「ヒロさんを、若年と軽く見てはいけません。客将ながら総領の信頼も厚く、末のお嬢様の側近。今回は副将として来ています。」
何の気負いもなく、穏やかに。
放たれた次の言葉は、しかし、矢の如き鋭さであった。
「情報不足で彼に大事が起きれば、いえ、彼の機嫌を損ねるだけでも、家の存立に関わりますよ?」
その顔で、その声で、なんちゅう因縁のつけ方をするんだ。
こんなとき、どういう顔をすればいいか、分からない……ともかく、笑っちゃいけない。それだけは確かだ。
不穏な空気を振り払ったのは、取次ぎの声。
「敵方より、使者です!」
通された使者は、「きちんとした」男だった。
「三原家家臣、中海三郎衛よりの言伝てを申し上げる。『弥五郎を打ち倒した若武者との、一騎討ちを所望する。刻限は明日の昼』。返答やいかに!」
「弥五郎とは、朝の、大槌を振り回していた男のことか?」
「然り!」
「ヒロ殿を出すまでもない、ということは?」
「見くびられるか!」
「ご指名とあれば、私が応ずべきところでしょう。」
この機は、利用させてもらう。
そのように、決心した。
「おお、そちらの御仁にござるか。馬上か徒歩か、いずれを所望される?」
「では、徒歩試合を。おそらくは、お互いその方が力を出せましょう。」
「承った。それでは明日をお待ちいたしまする。」
「待たれよ、使者殿。茶の一杯でもいかがか。」
「見事な使者ぶりにござる。なぜ怪しげな者に付き従う。」
「君命にござる。ごめん!」
「さて、それでは……。」
邪魔も入ったことだし、埒が明きそうにもない。
「ファンゾは、拳で語る地と聞き及んでいます。入り江の話は、明日の勝負を受けて後といたしましょう。」
勝ったら、話してほしい。
言外に、そう伝えた。
千歳氏元が瞑目し、ややあって、目を開いた。
「……承ってござる。」
二言はない。そういう男達だ、百人衆は。
翌朝。
昨日の戦場に、武者が姿を現した。
やはり霊気を身に纏い、剛力を発揮している。これも説法師か。
昨日の大男より、倍率は小さいようだが……。
きっちりと兵を指揮している。武技もある。
使者の口上通り、これは百人衆の家来、筋目の正しい武人だ。
「ヒロ、行けるか?昨日の男よりは使うと見たが。」
「行けます。」
力を出させるつもりはない。
ここで敵の気力を殺ぎ、味方の士気を高めなくてはいけないから。
千歳家からの信頼を得なくては、……いや、千歳家に対し、優位を取らなくてはいけないから。
「徒歩試合の方が、お互いに力を出せましょう」、か。
どの面下げて。俺がやりやすいだけだ。いろいろと。
これぐらいは、機略のうちにも入らない。けれど。
新都を出てから29日目。太陽が中天にかかる頃合。
先ほどの武者が、装備を整えなおして、姿を現した。
緋縅の甲冑に、兜は金の鍬形。手に携えるは、五尺の大太刀。
源平合戦の武者もかくやという扮装であった。
「三原家侍大将の一角、中海衛。いざ、勝負。」
「メル家客将、南ファンゾ招安副使のヒロ。お相手する。」
互いに駆け向かう。まず一合。
説法師の剛力に対するは、俺の底上げされた筋力と朝倉の霊力。
押し合える。
「名のある武人が、なぜつまらぬ詐欺師の言いなりに!」
「三原は今や名のみの存在。教祖によって、俺は霊能を得た!力を得た!」
「教祖に恩義を感じているのか?」
「恩義などに囚われるとは小さな男だ!俺は強くなる!大きくなる!名を挙げる!」
この男は、生かしておいても、ファンゾの、メルの役には立たない。周囲に迷惑を振りまくだけだ。
「死んだらおしまいだ。とにかく生きろ」とは、なぜか思えなかった。
ふたつの感情は、どちらも素直な気持ち。いったい俺は何を考えているんだろう。
「戦場では考えるな」、か。
今はただ、塚原先生の言葉に従う。
「分かった。お前とはもう、話すことはない。」
脚に、背中に、力を込める。
朝倉の霊力も、出力を増す。
敵を、跳ね除ける。
「ぬっ!仕切り直しか!来い!」
跳ね除けた敵に、無言で駆け寄る。
もう、話すことは、ないのだ。
二合目。
派手に撃ち合ったその刹那、すでに敵将の体は崩れ落ちていた。
男のわき腹から、血が噴き出す。
深々と突き刺さった槍は、すでに引き抜かれている。
モリー老が、穂先を拭う。
力を出させるつもりなど、始めから、なかった。