第六十一話 南東部へ その4
「地図によると、今しばらくは登り坂にござるな。」
「そうだね、ヒューム君。となると、峠を先に押さえられていたら、危ない。……キルト君。」
「了解、李紘さん。俺らが先行して様子を見るべきだな。」
何を言う必要もない、新都を出てから28日目の暁闇。
モリー老も満足げだ。
2人のレンジャーから遅れることおよそ30分。
見え隠れする朝日を真正面に受けながら、東へと騎行する。
「おい、大丈夫か?」
左に落馬しそうになったノブレスをどうにか支える。舟を漕いでいたようだ。
落馬させたらニンジンがもらえなくなる馬が、不機嫌なうなり声をあげる。
「分かってる。馬、お前は悪くない。」
俺はヴァガンじゃないけど……通じるかな。
「昨夜は、目が冴えちゃって。あまり寝られなかったんだ。」
「珍しい。いつでもどこでも寝られるノブレスが?」
「笑い事じゃないよ。初めてだったんだから。人に怪我をさせたのは。」
「初陣でも、大将株の足を射止めたじゃないか。」
「あれはヒュームと李紘さんに騙されたんだって。」
「手柄をお膳立てして恨まれるとは、いやはや。」
「あ、いや、感謝はしてるよ、ヒューム。そういうことじゃなくてさ。」
早足で歩ませている、その馬蹄の音3回分。
それが、ノブレスが次の言葉を繰り出すのに要した時間。
「当てようと思って、案の定当てて、怪我をさせたんだよね。」
「いつもながら、見事な腕前にござったな。」
「ああ、まあね。」
ノブレスの気持ちは、分かるような気がする。
だから、声をかけた。
「怖いよな、人を傷つけるのって。俺も去年の今ごろは、人に刃を向けられなかった。」
ハンスは、人だ。
幽霊だけど、人だった。
「ああ、怖かったよ。……たださ、そういうことじゃあ、ないんだ。」
口を噤めば、聞こえるのは馬蹄の音ばかり。
何歩、進んだだろうか。
朝日が背の高い木に遮られ、暗くなったところで、ノブレスが次の言葉を搾り出した。
「快感が、湧き上がって来たんだよ。」
そのひと言を搾り出した後は、堰を切ったかのように。
「当てた!当たった!僕にもできるんだ!見ろ、敵をつかまえたぞ!って。誇らしさに胸が一杯になった。」
ぶるぶるっと体を震わせる。
「怪我させて、これだよ?もしも、狙って命を奪ったら。そしたら、もっと大喜びしちゃうんじゃないかって。」
「そういう悩みを抱える者も、いるらしいな。」
カルヴィンが、後ろから語りかけてきた。
「『もうすぐベテランになる』ぐらいの者に多いらしい。無邪気に手柄を上げ続け、順調に出世の道を歩み、若手のエースになり。20代を迎え、いつものように敵を倒したところで、ふとその思いに囚われる。『俺は今まで何をしてきたんだ?人を殺して手柄にし、人を殺すことに喜びを覚え……。』と、そういうわけだ。」
「で、どうなるんだ?カルヴィン。」
俺が聞いてしまった。
「人それぞれらしい。そのまま引退する者、信仰に目覚める者。その悩みを……こう言って良いかは別として『克服』し、ベテランからさらにその上へと歩を進める者。」
「神官の『かうんせりんぐ』も、頼りにならぬものでござるな。」
「自分で答えを見つけるしかないのさ、ヒューム。案外お前みたいなヤツがかかるかもしれないんだぞ?」
「その通りだ。自分で答えを見つける他はない。」
孝・方も言葉を添えた。
「天真会の会員にも、その悩みを抱える者が出ると聞いている。聖神教よりはだいぶ少ないらしいが。『その思いも、そのままに』受け止めれば良い。そういうことさ。」
「答えになってないだろう!」
「この言葉の意味を、『何となくでも飲み込める、そこに共感できる』のがうちの会員なんだ!」
「「ただ、一つだけ言えることは……」」
言い合いを始めていた、孝とカルヴィン。
ケンカしていたはずが、シンクロする。
思わず言葉を飲み込んでいた。
「戦場では、生き死にを賭ける場では、その迷いに囚われるな。死ぬぞ。」
塚原先生が、ぴしりと決め付けた。
「そうらしいですね。」
「私もそう聞いています。」
光が差す。
視界が、開けた。
峠に出たのだ。
「遅いぞ、お前ら。」
「早すぎても問題だよ?」
キルトと李紘が、死角から姿を現した。
眼下には、朝日が昇りつつある、海。
右手が南方。敵の本拠。
左手が北方。尾根の陰になっているのが、問題の入り江かな。
その間に広がるのが。その表現があてはまるほど広くはないが、ともかく。千歳家の領地。
だが何よりも、前方に広がるは、大海原。
この景色に、憂悶は似合わない。
胸糞悪いヤツは、もっと似合わない。
「今は迷うな、悩むな、だな。」
「そうだね、ヒロ。今は考えないようにするよ。」
ノブレスの声にも、力が感じられる。
「ヤツはさ、この景色を知らないんじゃないか?」
「違いない。」
「よし、行くか。」
「その号令は隊長殿の仕事にござるぞ。」
「ヒロ君、ご指名だよ。」
「よし、行くか!」
朝の爽やかな空気。
ファンゾの穏やかな気候。
馬の足取りも軽く。
そして曲がったカーブの眼下に見えるは……。
戦場であった。
左手すなわち北方の部隊には、見たところ、サムライ然とした人物が多い。
大将株らしき者の姿がないのに、的確な進退を見せている。個々人の戦術理解が高いのだろう。
家ごとに存在する、「お約束」。その不文律に従って動く、いかにもなファンゾ百人衆の部隊。これが、千歳家の郎党か。
数も優っている。およそ50。
対する右手、すなわち南方の部隊は、軽装……とは言うも愚かな格好であった。ひどいのになると、「腰にだんびら、褌一丁」という有り様。その勇気にだけは、敬意を表する。
個々人で動いているのは左手の部隊と同様なのだが……。これはひどい。
大将株らしき者がいるのに、統制が取れていない。
数も、20未満。
その状況で、「戦場」が成立するわけがない。普通ならば。
だが、押しているのは右手の部隊。
左手の部隊は、必死で攻撃をあしらいながら、戦場から徐々に退却しようとしているところであった。
その原因は、ひとえに、右手の部隊の先頭に立つ大男にある。
当たるべからざる勢いで、大槌を振り回している。
その身には、霊気が纏わりついていた。
間違いない、あれは説法師だ。
力だけなら、千早ほどではないにせよ、マグナムに及ぶかもしれない。
20対50の戦で、大将がマグナム並みの剛強を誇る男。
その状況ならば、やはり逆の意味で、「戦場」が成立するはずがない。普通ならば。
だが、右手の軍勢は、左手の部隊を押し切れずにいた。
その原因もまた、ひとえに、先頭に立つ大男にあった。
部隊の統制ができないだけならば、まだ良い。
その男が暴れまわれば、後はどうとでもなる、はずなのだが……。
説法師の大男、個人的な武勇の点においても、問題があった。
「力」ばかりで、「技」が「てんでなっちゃいない」のだ。
左手の部隊はそれを見透かし、大男が近づいてくれば弓を射掛けて打ち白ませ、足が止まればその隙に負傷者を抱えて後退する。
いきり立った男が前へ駆け出そうとすると、石つぶてを飛ばす。
それでも、徐々にリズムをつかみ出したか、敵が退却する姿に勢いづいたか。
ファンゾの民の名に相応しい大勇を奮って、右手の褌兵も前進を始めた。
これはマズイ。高いところから見ていると、一目瞭然。
あれだ、言ってみれば……「あと3ターン」。
それで戦線が崩壊してしまう。
「ノブレス、李紘!弓を先頭の大男の足に打ち込んでくれ!」
言い捨てて、馬に鞭を入れる。
背中から声が聞こえてきた。
「ノブレス、とりあえず一発撃て。二発目以降のタイミングは、私が指示を出す。」
お願いします、塚原先生!
一射。敵の左足に、ボウガンの矢が突き立った。
飛び退った男の脚を、李紘の放った矢がかすめる。
男が、こちらに体を向けた。
目が合う。
李紘の二射めが、再び男の足の甲を襲う。
大男が大槌を下げ、ノブレスの二射めを受け止めた。
やはり、そう来るか。
先ほどから、矢弾が飛んできた時には、大槌を盾代わりにしていた。
距離が縮まる。鐙から足を外し、鞍上にしゃがみ込む。
ジロウが現われ、馬に並走する。
頼む!
李紘の三射めも、足の甲に向かう。
大男が、あらかじめ下ろしていた大槌を、僅かに動かして受け止める。
その動きは、読めている。
「ここは一騎討ち。下段からの振り上げで勝負。」という構え。
説法師よ。お前にはそれしかない、よな。
ジロウが馬の脚に噛み付く。
悲鳴を上げて、馬が棹立ちになる。
間合いを外された大男の足に、ボウガンの矢が飛ぶ。
大槌を振り上げるタイミングが、どうしようもなく遅れる。
馬の鞍から跳び上がった俺の、大上段からの振り下ろし。
大槌は、間に合わない。霊気の防御も、朝倉には通用しない。
男が朽木倒れになる間も惜しむかのように、俺に続いて坂を下った4騎……ヒュームが、キルトが、カルヴィンが、孝が、20人の兵を駆け散らしていた。