第五十九話 南西部 その4
「何もそのような姿をなさらずとも。」
「千早さんは、そうは思っていないようですよ?ヒロさん。」
昼前のこと。
応対に出る「いつもの3人」の前に現れた館太郎貞家は、白装束であった。
「いかなるお咎めにも服しまするゥ~」ですか。
見え透いた真似を!
俺の顔を見た貞家の表情に、わずかながら反発の色が浮かんだ。
「実際のところ、ギリギリだろうと思っていたのです。皆さんの桐乃に対する評価が、私の想定を超えて高ければ……。」
「太郎さんを排除して、桐乃さんに館家を継がせる、ですか。」
言わずもがなでも、口にせずにはいられない。
「あり得ませんよ。」
フィリアが苦笑した。
「桐乃さんでは、さすがに年が足りません。ファンゾで重視される、『武威』もありません。安定させるためには、メル家のバックアップが必要になります。」
「そこまでの手間・暇・費用はかけられないよね。太郎さんなら、間違いなく安定するだろうし。」
「腹立たしうござるな。」
「千早さん、政治を安定させるためならば、私達は全てを犠牲にするものでしょう?」
「太郎殿、存じておるゆえ腹立たしいのよ。太郎殿の仕置きは、万全にござる。その白装束も、本気のもの。だからこそ、苦々しい。」
芝居じゃなかったのか?
千早に向けた疑問顔を、貞家に見透かされたようだ。
「桐乃の方が適任であれば、私が死ねば良いだけのこと。」
貞家が、昂然と言い放った。
そんなことも分からないのか、覚悟がお前には無いのか。
そう言いたげに。
「この上なく優秀ではあるが、小細工の多い政局屋」かと思っていたが……。
どうやら貞家も、大山親子の同類か。
頭に来た。
「死ぬ覚悟よりも、生きる覚悟、生かす覚悟をしていただきたい。」
馬鹿にされたら言い返せという、メンツのためではない。
腹の底からの、これが俺の持論だ。
「死ぬ方が、簡単です。誰だっていつか、死ぬんだ。」
言葉が、止まらなかった。
「太郎さん、あなたの白装束ですが。」
声に力が籠もる。自分でも気づいた。
「私には、滑稽に見えた。すでにあなたは、生き延びるために必要な策を、全て完璧に打っていたから。死ぬ必要など、全くないから。」
俺、こんなに偉そうな口を聞いたこと、あったっけ?
頭の片隅でそんな不安を覚えながらも、言葉が、止まらなかった。
「あなたは、死ぬ覚悟をとっくに踏み越えているべき人のはずです。」
それでも最後まで我慢して聞いていた貞家が、嚇っと口を開いた。
眉が吊り上がり、眦が裂けている。
「滑稽だと?貴様、武家の覚悟を嗤うか!」
「やっと素顔を見ることができたな!」
フィリアが発したのは、軍令用の気合声。
貞家と二人、思わずフィリアに向き直る。
「……先ごろ亡くなった大山家嫡男、道治さんの言葉です。」
再び穏やかな声で、フィリアが言い添える。
「むっ、これは。失礼を致しました。」
「いえ、私こそ。自分の失敗を八つ当たりしていたようです。」
口にしてみて、気づく。
そうか。俺は、館貞家に大山道治を重ねていたのか。
死んでほしくはない人として。
大山道治にも、館貞家にも、感心はしつつも反発ばかり感じていたのに……。
何だ、この気持ち。
俺の感傷を余所に、フィリアがすらすらと話を進めていく。
「それでは、私からの口添えによって、北条家と豊津家は存続が許されるということで。」
終始ペースを崩さないフィリア。微笑して、さらに踏み込む。
「これで、北条家と豊津家への義理が返せました。太郎さんに、何かお礼をしたいのですが。」
俺とのやり取りのせいで、一旦はフィリアにペースを握られた貞家だったが。
この頃にはもう、元の顔に戻っていた。
済まん、貞家。
「生きる覚悟」は持っていたんだな。暴発せずに辛抱できるのだから。
桐乃の言葉を思い出す。「生き汚さと執着心は強うござるぞ」という言葉を。
全くその通りだ。
何を要求してくるかと固唾を飲んでいたのだが……。
とんだ肩透かし。貞家の言葉には、何の力みもなかった。
「では、妹を、桐乃をよろしくお願い致します。良き嫁ぎ先を見繕っていただければ。」
またまたこのヤロー。
一旦は感心したけど、やっぱ気に食わない。
人質として預かる以上、それぐらいするのは当然のこと。
「メル家にお願いすることなどありませんよ。全部自分でやりますから」って、かっこつけやがって。
あとは、事務的な問題の打ち合わせ。
百人衆(二十八騎)各家の代表と幹部達が、南西部を視察し、館氏の居城に入る。
そこで必要な処置を決定した後、南東部の問題について会議を開く。
南東部攻略の間は、館氏の城が、作戦本部となる。
そういう流れを、取り決めた。
「それにしても。」
話し合いを終えた貞家が、苦い顔を見せる。
「フィリア様、ヒロさん、塚原先生に、……メル家ではないが、アラン師に、立花伯爵家の玲奈さん、でしたか。一対一ならば太刀打ちもできるが、束になってかかられては敵いません。戦だけではなく、政の駆け引きでも、やはりメル家は強く大きい。」
よく言うわ。
「絵を描いて、タイミングを逃さず果断に実行。こちらに口を挟ませる間も与えず、問題を収拾する。全て一人でやり遂げた太郎さんの手腕に、私は感じ入りました。恐れすら覚えます。」
「ヒロさん、主家が寄騎に対して恐れを抱くなど、あってはならないことですよ。『主家を恐れさせては、潰されるのではないか』と、寄騎は怯えてしまいます。」
営業用美少女スマイルで、またまた危ない話を。
恐ろしいのはあなたでした、フィリアさん。
「わきまえております。家の力が違いすぎるゆえ、私など脅威にはなり得ない。だからこそお互いに信用することもできる。……今後とも、よろしくお願い申し上げます。」
差があるのは才覚ではなくて、家の力。
低頭して恭順の姿勢を示しながら、言ってみせますねえ、貞家さんも。
悠然と帰っていく貞家の背中を見送る。
青い空と緑の大地の間にあって、馬上の白衣はよく目立つ。
その姿は、いつまでも目に映り続けていた。
いまいましい。上に何か着ろよ!
「佐久間の家は、まことに旗頭を務められるのであろうか。」
千早?
「滝田の武威。大山の精神。館の知略。どれ一つを相手取るのも、平次兄上には荷が重いのではござるまいか。」
「いかにも。これは骨が折れるぞ、平次。」
モリー老のつぶやきも聞こえてきた。
「佐久間には、メルの後押し。それだけでも、十分な脅威ですよ。」
「フィリア殿、それは存じおるが……。個人として、これぞ!という取り柄が兄に無いのは、少々頼りなく思える。」
「佐久間の大胆、なんてどうかな。」
さすがに平次がかわいそうになって、フォローをしてみる。
「ヒロ殿、兄にも取り柄がござったか!?」
「ぜひ伺いたいところですね。」
しまった。
到着初日に夜這いを仕掛けようとしていたなど、言えるわけがない。
……そういえば、誰が狙いだったんだろう?
慌てている時って、意味の無い問題にばかり、頭が回転するんだよなあ。
言葉に詰まった俺に向けられた二人の目が、鋭く尖り始める。
「何を隠しているのですか。」
「ヒロ殿と知り合うて、ほぼ一年。顔を見れば一目瞭然にござるぞ?」
「もともと隠し事がヘタな人ですよね。……そういえば、ほぼ一年。私と出会ったのは昨年の一月でした。ヒロさんからは、何の言葉もありませんが。」
「某と出会ったのは二月でござったな。やはり何の挨拶もないでござるが。」
「いや、先月は横流し事件の捜査があったし、今月はこれだし……。遅ればせながら、この一年、ありがとうございました!今後ともよろしくお願いします!」
「まあ、許してあげましょうか。この一年は大変だったでしょうし。」
「さようでござった。記憶を失い、旅をし、学園に放り込まれて、戦は……何度目にござったか。」
ノックの音がした。
「よろしいでしょうか。」
フリッツか?助かる!
「どうぞ。」
「戦費賠償に関する、大山家との交渉がまとまりました。こうなりましたが……。」
「妥当にござるな。」
数字を一瞥した千早が断言する。
大きな桁の出し入れは、決して間違わない千早。
これで決まりか。
「実際の受取額を大きく下げましょう。」
「フィリア様、何か不手際が?」
「いえ、フリッツさん、そういうことではありません。」
「館家との兼ね合いか!」
「なるほど、そういうことならば……おおよそ、6割に。と、言ったところにござるか?」
「だろうね。」
「半額にしましょう。その方が、分かりやすい。」
「南西部で戦費がかからなかったことを思えば、それでも問題はござらぬ。」
「承りました。では、その旨をフィリア様から大山家に宣言してください。その後に、受け取りの手続きに入ります。」
「なるほど。メル家の温情であるぞと、そういうことか。」
「交渉事におけるフリッツさんの判断は、あてにできます。」
照れくさそうな顔をしたフリッツ。
「もう一件。これは、ファンゾと王国……いえ、メル家と王国との関係に絡む話なのですが。」
「どうぞ。」
「百人衆の成り立ちと、メル家の寄騎になった経緯、各家の家紋を、記録しております。この記録をメル家に残し、また王国にも提出することで、他家に対して、明確に主従関係を主張できるようになるのではないかと。」
「これまでは、あえて曖昧にしていた部分ではありますね。今後、どうすべきか……。姉夫婦や父とも相談すべき内容ですが……。そうですね、記録だけはつけておいてください。王国への手数料と、フリッツさんの手間賃は、後でメル家から支払います。百人衆からは受け取らないように。先払いが必要であれば、ヒロさんに言ってください。」
「そのような問題もござるのか。」
「私の専門分野ですので。」
「よく気づいてくれました。」
退出していく後ろ姿には、気力が充実していた。
フリッツ、アレックス様の期待にみごと応えたな。
「で、ヒロさん。」
「兄の大胆とは。」
誤魔化されてくれよ~。
「フィリア様、百人衆の代表が、南西部の巡行について伺いたいと。」
お、今日の俺は、星回りが良いらしい。
って、え?
いや、これは!?
おい、まさか。
ジロウ!
駆け戻ってきたジロウから、アランが怪我をして動けなくなったとの情報が伝えられる。
新都を出てから24日目の午後。アランが出発してから、6日が経過していた。




