第五十二話 始動 その11
「スヌークさん、私だって、姉達を見て羨ましく思ったことはあります。」
なんでソフィア姉さまと私は違うのか。姉さまはあれだけ自由に振舞えるのに。
インテグラ姉さまの論文を読むたびに、自分の知性の狭さと浅さを思い知らされてきました。
クレメンティア姉さまの美しさ、愛らしさ。それに引き換え、私のかわいげのなさ。
あ、自覚してたんだ。
「私の霊能は、そうそう誰にも引けを取るものではありませんが……千早さんの才能!」
そこまで言うのか!?
「才能じゃなくて千早のスタイルでしょ。見栄張ること無いじゃん。」
レイナがぼそっと呟く。
冷や汗ものの発言のおかげで、俺もどうにか冷静さを保てた。
幸いにして聞こえていなかったようで。
フィリアが言葉を継いで行く。
「それでも、自分にあるものを見据えず、ないものを羨むことは、羨望は、罪です。何を手に入れても満たされず、飢えと渇きに苛まれ、身を滅ぼします。」
……今回の事件が典型でしょう!
「今ある物を使いこなせない人間が、別の何かを手に入れても、使いこなせるとは思えません!私は、限られた権能で、足りない知性で、限界ある霊能で、何ができるかを常に考えているつもりです。その中で目標を達成できたときの喜びは、何物にも換えがたい。」
……スヌークさん。
「今回の事件を発見し、解決したのはあなたです。帳簿を有機的に活かした才能です。誇らしさを覚えたでしょう?自分が持っているものは、忌避しようと思っても忌避できません。卑しめることもできません。ならばそれを足がかりにして上を目指さなくては。それぐらいの図太さがなくてどうします。……千早さんの言うとおりです。何ですか、男の癖に!いつものスヌークさんらしくも無い。そんな『非貴族的』な下劣な感情、せせら笑ってこそのスヌークさんでしょう!」
……お義兄さま!
「お義兄様のおっしゃることは正しい。人にはそうした感情がある。そのことは事実として認めなければ、足を掬われます。ちょうど今回の事件のように。だからと言って、私たちが下劣な感情を抱いて良い理由はありません!お義兄さまも、どこかで克服されたはずです。」
「フィリアの言うとおりです。そうでなければ、私の夫にはなっていません。」
ソフィア様が口を挟んだ。
「スヌークさん。『こちら側』でいたいのならば、人として立ちたければ、羨望は捨てなさい!」
スヌークが、決然と顔を上げた。
アレックス様だけじゃない。
フィリアも、「あちら側」を。「下の者」を。その心を、救ってみせた。
「いいこと言うじゃん。珍しく感情的だけど。フィリアらしくもない。私を羨んだりしたこともあるの?」
「レイナさん、そこまでの侮辱を受ける謂れはありません。」
フィリアが、あえて視線をレイナの胸に向けた。
さっきのつぶやき、聞こえてらしたんですね……。
「その喧嘩買った。」
「姉さま、事件の全容は分かりましたが、今後の処理は?」
レイナの言葉を華麗にスルーするフィリア。
この二人の喧嘩は、毎度レベルが高すぎる。
「まず、穏当なところから説明します。……船員ならびに船長の給与を、少し上げます。新都は好景気。物価スライドをやや疎かにしていたという問題はありました。……兵站部門については、仕事の評価が高まる方向性で、査定基準を見直します。考えようによっては、区々たる武功よりも兵站部門の働きの方が大きいとも言えますし。」
「その上で、今回の事件関係者は、厳罰に処す。」
アレックス様の声は、平板だった。
言いにくいことは、スパッと宣言するに限る。
「今回は、少数を厳しく処罰し、全体には薄く恩恵を施すことで、規律意識と士気を高めることにした。」
アイリン・チャオの政治センスは、相当なもののようだ。
ぼんやりとそんなことを思ったのは、厳罰という事実を真正面から認めたくなかったからかもしれない。
直接斬った訳ではないが。自分が捕らえた人間が、刑罰を受けるというのも、堪えるものなんだな。
「姉さま、バッハ商会との関係はどうなるのでしょうか?」
「フィリア、その問題については、お父様に下駄を預けました。王都の方が交渉をしやすいでしょうから。」
「そちらの結論が出るまでは、ドン・ノートンをどうするかは、決められない。主犯の処遇が決まらなければ、その他の者の処分も下せない。厳罰という方針だけだな、今のところ決まっているのは。」
「生かしておくということはできませんか?アレックス様。才能があるならば、諜報部門で、とか。」
「ヒロ殿。間諜には何より忠誠心が求められる。功名心や金銭欲のある者には勤まらぬ。」
さすがは本職。ヒュームの断言は、確信に満ちていた。
ドンは、エリク・ギメとはそこが違うのか。
「信賞必罰は、上に立つ者には必ず求められる心掛けです。」
この時の、フィリアの声。
この上もなく、厳しかった。
「寛容は美徳ですが、ヒロさんは甘さを捨てなさい!」
「ちょっとフィリア、さっきから聞いてれば、何様よ。冷静になりなさいよ。」
「……弛んでいました。」
「はあ?」
「私たちが弛んでいるから、下の者が緩むのです。」
「言いたいことは分かった。だけどそれ、フィリア一人の、あるいはメル家の問題でしょ?ヒロやスヌークに言うのは、八つ当たりじゃない!」
「そこからして甘いのです!」
再び、フィリアが叱咤の声を上げた。
「ヒロさんにしてもスヌークさんにしても、学園の生徒である以上は、後々必ず上に立ちます。私の問題ではありますが、私一人の問題にとどめるべきではありません!」
レイナが頭を抱える。
「貴族の、あるいは指導者層の問題ってことか。そう言われると耳が痛いわね。うちは特に、父があれだからなあ。」
「久しぶりに義妹君に叱責を受けたな。なるほど、羨望などという感情は、公然と認めて良いものではない。久々に嫌なものを呼び覚まされて、気弱になったかもしれぬ。征北将軍にあるまじき行いであった。済まぬ。」
と、アレックス様が、一転してからりとした笑顔を見せた。
「さて!」
切り替えの速さも、上に立つ者の資質なのだろうか。
「不愉快な話をした詫びと言うわけではないが。フィリアの言う通り、信賞必罰は絶対だ。征北大将軍府で起きた今回の横領事件の解決、ならびに軍の綱紀粛正。この件について、諸君の貢献したところは大であった。これ一つで職階を上げるまでには至らぬが、そうだな、職階が半分上がる程度の功績として記録されることは保証しよう。ヒュームは、昨年の盗賊退治の件もあるし、事件が全て解決した後、十人隊長に叙任されることは確実だ。レイナも、叙任が検討されると思う。」
「少し甘くはありませんか?受ける側が口にすべきことではありませんが。」
レイナが、困ったような顔を見せる。
「レイナ、君は立花家の後継者だ。軍とは縁が遠いとは言え、学園を卒業する頃、15~16までには十騎長を持っておいてもらわなければ、王国として体裁が悪いのだよ。」
アレックス様には、退くつもりはないようだ。
「ジャック、スヌーク。在学中にもう一つ功績を挙げることができれば、十人隊長だ。卒業時には百人隊長か十騎長だぞ。金一封もある。」
「ありがとうございます!」
「おおっ!夢に一歩近づいたぞ!」
「ジャックさん、どのような夢を?」
ソフィア様が、穏やかな微笑を向けた。
「百騎長になり、田舎の村を領地に貰い、コンサートホールを建てて村興しです!」
だから最後だけは絶対にダメなんだって。
レイナにヒューム、ジャックとスヌークが帰った後の談話室で、フィリアが口を開いた。
「お義兄さま。職階半分と言うことは。」
先ほどは言わなかった、あるいは言えなかったこと。
「そうだ、フィリア。君は十騎長になる。メル家の直系として、妥当であろう?ソフィアは14になる春に叙任された。君は14の半ばほどに叙任されることとなる。……千早はどうする?十騎長と百人隊長と。」
「某は家名を捨てると決めております。後々別途名乗るかはまた別とさせていただきたく。」
「ならば百人隊長だな。ヒロはどうする?まあ、直前までに決めておいてくれれば良い。」
さきほどから、一つ気になっていたことがある。
卒業時には、職階が自動的にひとつ上がるのだ。
もし在学中に十騎長、あるいは百人隊長になってしまうと、卒業時に百騎長か千人隊長に叙任されることとなる。
「卒業時に、フィリアが百騎長と言うのは、納得……いえ、むしろ当然だと思います。有事のことを考えれば百騎、あるいは1000人単位を率いることぐらいは可能にしておかなくてはいけないでしょうから。千早にしても、もともと天真会の幹部候補生です。家名を捨てたとしても、もともとヒュームと同じぐらいの立場ではあるでしょう。千人隊長になったとしても、何の不思議もありません。」
……ただ、私です。
「十騎長・百人隊長ぐらいなら務まるでしょうし、まあ不自然でもないとは思いますが。卒業時点で、百騎あるいは千人の隊長というのは、少々その……インフレ気味と申しますか。」
「ヒロ。そうなっておいてもらわねば困るのだ。ヒュームからの報告を受けた。遺漏無く各小隊を手配りし、自ら目立つ武功を上げようなどと欲張らず、後ろに引いて報告を待つ。若い者には簡単なようで難しいのだぞ。こと武術となれば、あのイーサンですら、血を騒がせていたではないか。……それでいて、門を突破する際には腕を見せ、まずは部下に威を示しておく。なかなかの呼吸だ。」
「さようにござる。某も真似させてもらったでござるよ。武威を見せた上で、手柄を部下に譲る。心憎うござる。」
「蝶番の件だがな、あれも貴重な情報だ。各城門、城内の扉。構造を再検討するか、蝶番部分の補強をするか、命を下したところだ。ヒュームにも口止めした。」
「ヒュームだけで良いのですか?郎党衆には?」
「そこなんだよ、ヒロ。」
アレックス様の声は、やや憂いを帯びていた。
「口止めするまでもなく、彼らには分からぬ。そこまでの知恵が回る者は少ない。郎党達は、忠誠心は高く、武技も持っている。だが、脳筋だ。彼らには、『指揮官がみごと扉を破壊した』としか見えていない。突入して手柄を立てることで頭が一杯だったはずだ。」
自覚したまえ。
「十人を率いることのできる者はいるだろう。百人も、まあいないことはない。だが、千人以上となると、武威のほかに、指揮、冷静さ、教養、知識などが必要になる。経験を積んでそこに至る者もいる。だが、はじめからそれを持っている者に経験を積ませるという方法もある。それこそが、学園の存在意義だ。」
「ヒロさん自身、『十騎長・百人隊長ぐらいなら』と言っているではありませんか。現に今回はその単位を率いた。語るに落ちたというものです。今でも十騎長・百人隊長ならば務まる。この間も、そう言っていましたね。ならば卒業までに、その上の桁を率いる訓練をすれば良いだけのこと。甘さを捨ててください。」
「フィリアの言うとおりです。大戦は数年内に迫っています。私とアレックスが出ることになるでしょう。フィリアは新都の留守居役です。実質的には千騎・万人単位を率いる立場になります。だからこそ、千早さんとヒロさんにも、最低百騎・千人単位を率いられるようになっておいてもらわなくては困るのです。」
「やはり、確実に差し迫っていますか、ソフィア様。」
「5年以内ですね。」
「間違いないところだ。今回の綱紀粛正だが、ティーヌ河の悪霊退治と並び、その意義は大きい。レイナとスヌークには感謝しなくてはな。」
「では、次は某が手柄を立てねばなりませぬな!地元のファンゾにて。」
「ええ、地盤を固めてきます。お願いしますね、千早さん、フィリア。」
「そういうことだ、ヒロ。ファンゾでは指揮経験を積んできてくれ。」




