第五十二話 始動 その1
「ソフィア様は何て?」
「目ざといですね、ヒロさんは。……そうですね、では。聞きますか?聞きませんか?」
アンティークドールが動き出したりはしないだろうけど、何か嫌な予感もする。
とは言え。ソフィア様の呼吸にも慣れてきた。
「こういうやり取りが行われる」ことは予測済みのはずだ。
「フィリアからは言わないだろうから、ヒロから首を突っ込ませよう」って、そういう魂胆だな。
「水臭いでござるよ、フィリア殿。」
千早は、そう言うに決まっている。ただし、千早は、「ソフィア様は何と?」とは質問しない。そこには気を回さない。
フィリアは、抱え込む。こちらから質問しない限りは。
だから俺ってわけね。
「放っておけないでしょう(だろう)?」
そんなご夫妻の声が、脳裏に響く。ああもう。
その通りだけどさ、いつか驚かせてやるぞ、あの二人。
「聞くよ。千早の言う通り。水臭いでござるよ。俺も少しは背負うって。」
千早が俺をちらりと見た。俺の肩を。
前とは視線の高さが少し違うような……。あ、俺の背が伸び始めたのか。
「ジャックさんとスヌークさんについては、使うかどうかフィリアに任せます。」
だそうですよ。
苦笑しながら、フィリアが息を吐いた。
「なるほど、軍事行動で使うわけには行かないが、警察業務、公安活動ならばというわけでござるか。二人にとってもチャンス。ありがたい話でござるな!」
「それぐらい微妙な話ってことか、フィリア。メル家で内偵したことにするか、外部に気づかれた事にするか、選べって?……あいつらにとっては『危ない橋』なんじゃないのか?」
「ヒロ殿。そこで引き下がるわけにはいかぬのがあの二人でござろう?危ない橋でも渡らねばならぬ。」
「小山」の盗賊退治に参加した次男坊・三男坊達。危ない思いをしても手柄が必要な連中。
ジャックとスヌークは、そいつらと同じなのか?いや、しかし。
「学園を卒業すれば、それなりの『その後』が見込めるんだろう?」
「『それなり』以上が必要でござるよ、あの二人には。今の某には分かる。話をすれば、間違いなく乗ってくる。試練でもあるが、メル家の心意気でもござる。二人は必ず応える。丈夫でござろう?ヒロ殿とて分かるはず。そのような配慮は、二人を見損なうものと心得られよ。」
分かったよ。いや、分かってたよ。分かるようになっちゃってんだよ。
だけどさ……とは、言ってはいけないか。
「悪かった。つい、ね。だとすれば、後はフィリアの決断次第ということか。フィリア、全体的な見通しは?」
「まずは、内偵します。何も問題がなければそれで良し。隠していることが小さなことであれば、注意を与えるか、泳がせて『小さな問題が起こる理由や構造』を調査することになるでしょう。……大きな問題であった場合には、2つ。監察に回すか、『処分』するか。」
「フィリア殿。そもそも、なぜ我らに?はじめから監察局に任せれば良いのでは?」
「最初に気づいたのが立花で、次に知らされたのがメル家の中枢だというのが問題なのです。本来、下で気づいて、調べて、確証ができたところで、問題が大きければさらに上に、となるはずなのですが。」
組織というものは、難しいのです。
そう口にして、フィリアがため息をついた。
「上が調べろと言ってしまうと、『何か問題がなくてはならない』という話になりかねません。無理やり粗探しをしたり、冤罪をでっちあげたり。それでは困るのです。」
「上から『調べろ』という指示を出すのであれば、確証がなければならぬということでござるか。それを調べるのが我らの仕事、と。」
「そうなりますね。」
「二人を参加させる場合には、表ざたにするルートに乗せる、監察に回すってことか?」
「そうですね。『処分』には二人は使えませんから。」
サラリと厳しいことを言うフィリア。確かにその通りだけど。
「処分」となれば、むしろ俺に出番が回ってくる可能性がある。
ゴメンだぞ、それは。そこは譲れない。絶対、たぶん、おそらく……。
「いや、あるいは。これは……。聞かれて気づきました。場合によっては、大々的に公開してしまうという選択もある。そのことを姉は伝えたかったのかも。メル家の問題であれば、秘密裏に『処分』か、綱紀粛正のために監察ルートか。いずれにせよ、極東軍内部での処理になるでしょう。しかし、他家が関わっている問題であった場合には、軍内部で処理しても綱紀粛正にはなりません。公開して政治問題にする方が良い。」
「軍のみならず、極東全体を引き締める、ってわけか。他家に対して優位を取るという効果もありそうだね。取引材料にしたり。今後協力をとりつけるためにも悪くない。」
「その通りです。」
「ヒロ殿もえげつないでござるなあ。」
「たださ、監察に回すにしても、公開するにしても、ジャックとスヌークを……言い方はあれだけど、どう『使う』わけ?」
「それがまだ見えてこないのです。」
「いずれにしても、まずは内偵か。」
「ええ、まずは表向きの書類を読み込むところから、です。」
「全部つじつまが合ってるかどうかのチェックか。うわあ。」
「スヌーク殿が必要でござるな、これは。」
「ですね。やはり巻き込まれてもらうとします。」
謹慎処分を受けて、男子寮の自室に引き籠っているスヌーク。
フィリアと千早が立ち入れる場所ではないので、話を持って行くのは俺ひとり。
幸いにして、ジャックとスヌークは同部屋だ。
話を持っていく俺にとっても幸いだが。
謹慎処分中のスヌークにとっては、それ以上だろう。
親友だし、ジャックだし。こういう時には、な。
「ヒロが来るなんて珍しいな。いや、そもそも誰も行き来しないか。」
男同士なんて、そんなもんだ。物の貸し借りの際に、部屋の入り口にお邪魔する程度。
男同士と言えば、部屋もそれらしい。余計な飾りなど、まるでない。
こういう話は端的に行くに限る。腹芸など、すればするほど陰惨だ。
「ジャック、スヌーク。メル家から依頼が来ている。結果につながれば、公的な功績になる。……職階に直結するかは分からないけど。公安活動と言うか、監察業務だ。兵站局の輸送部門に、不正がないか調べるそうだ。どうする?」
「何で外部の、一番縁遠い俺達を?いや、乗った。コケットに挿れたくば……なんだっけ?」
「ジャック、間違うにしても下品すぎるよ。虎穴にいらずんば虎子を得ずだって。」
図らずしてジャックの性癖を知る事となった。誰も得しない。
「虎穴か虎口か知らないけど。でもいまの僕が挽回するにはそれしかないんだろうな。乗るよ。……で、何を?」
「まだ全体像は見えてきていないし、不正があるかどうかすら分かってない。最初は表向きの書類・資料のチェックだ。」
「おいヒロ、お前も僕を馬鹿にするのか!商人の息子だ、帳簿を見るのは得意だろうって?」
余計な配慮は「二人を見損なうものと心得られよ」、か。そうだな、確かに。
「不得意なのか?スヌーク。降りるか?」
「おいスヌーク、俺達は『虎穴に入らずんば』何だろう?」
「クソッ!分かってるさ。言わなきゃ気が済まないだけだ!」
連れて来たラスカルのポケットから、大量の書類を取り出す。
3畳ぶんはある、紙の山。
「おい、何だよこれ、全部読むのか!?」
「言葉を返すよ、ジャック。僕達は……。」
「分かった!悪い!」
「頼むよ。」
俺達は、ファンゾ島遠征の……軍事活動の準備があるから。
何てひと言をつけ加えるほど、趣味は悪くない。
そういう配慮は、「二人を見損なうもの」じゃないはずだろ?