第五十一話 立場 その8
この晩の談話室は、早めに切り上げられた。
ソフィア様夫妻が、千早に配慮したのだと思う。
お二人は年長者で、保護者で、権力者。その発言は、どうしたって千早に影響を与えずにはおれない。
ここから先は、千早が決めるべき問題なのだ。
「フィリア殿、ヒロ殿。もう少し話を聞かせてくだされ。」
それでも、千早は、まだ決しかねていた。
場所を移す。フィリアの私室に。
千早が、俺を見た。
「ヒロ殿の言われること、いちいち尤もにて。佐久間家は、困難な道を歩む。その佐久間家には、某の居場所は、今はもう存在していない。そもそも家の方から某を疎んじ、遠ざけた。それならば、ひとり独立して歩めばよい。……理が通ってござる。」
そして、フィリアに顔を向けた。
「フィリア殿の言われることも、胸に響いてござるよ。佐久間の家を見捨てることができるかと問われると、苦しいものがござる。」
「先ほどは売り言葉に買い言葉で、『佐久間家は難しい立場に置かれる』と言いましたが、私達はそこまで悲観してはいないのです。ヒロさんには、そこが違って見えているのですか?」
「悲観的に見ているつもりは無いけれど……。失敗したときに、周囲の怨念が凄まじいことになるような気がするんだ。失敗の可能性の大小よりも、被害の大小に対する見積もりが違うんだと思う。」
植民地からヨーロッパが去った後の、アラブやアフリカの民族紛争。
ツチとフツ。どうしてもそのイメージが拭えない。
「ヒロさんの見積もりを意識するならば、一つの方向性が見えてきますね。」
情報や発想を提示すれば、即座に「かたち」を構築してくれるのがフィリア。
「千早さんが領地を持てば良いのです。表向きは佐久間とは異なる家として、一家を立てる。佐久間家が全滅の危機に陥った場合には、そちらに人を引き取る。」
「これならば、佐久間家とは適度な距離を保ちつつ、何かの時には役に立てます。ただし……。」
「その生き方は、武人としての道、メル家の郎党か寄騎か、そういう生き方を選ぶということを意味する、と。……でも、佐久間家で複雑な思いをするよりはいいんじゃないか?さすがフィリアだ。」
「やはり、ヒロさんには、まだ見えていないのですね。さきほど義兄が言ったように、独立して一家を立てるよりは、いまある家を継ぐ方が、『良い話』なのです。誰もがそう思うはず。メル家としても、千早さんのために良かれと思って出した話なんです。……私が口にした方向性は、条件を下げた提示なんですよ?」
「じゃあさ。その方向性で、本当にそれだけしかないか?たとえば、ブルグミュラー商会みたいなものを作って、人を引き取るということは?」
言ってみただけ。現実味が無い。この世界では、商会は「領地」ほどの生産性を持てないだろう。まして引き取るのがファンゾの民とあれば、商会は無理だ。
それにそもそも、千早が結果を出そうとするならば、経済力よりは腕力に頼る方が確実だ。
「ヒロさん。」
フィリアが悲しそうに笑った。
「無理だと分かっているなら、口にしなくても。分かったでしょう?私の提案は、そもそもが魅力や『利』に欠けているのです。」
「フィリア殿。なれど、その提案、某には魅力的でござる。『利』は少なくとも、心が軽くなったでござるよ。……某が帰って佐久間家を継いでも、家のためになるとは思えぬ。皆を嘆かせる。それに比べて、家から離れつつ多少は家の役に立ち、メル家への恩返しもできるフィリア殿の提案は、良きものと映る。それに、その立場であれば、こたびの遠征、心置きなく働くことができるでござる。これまで某を育んでくれた佐久間家への置き土産もできる。」
決断してござる。
某は、佐久間の家から離れることといたす!
「決めてしまえば、急に心が軽く、為すべきことも見えてきてござるな。まずは兄の手助け。その後は手柄を積み重ねる。領地を持てば、天真会で行き場のない者や、佐久間家周辺の次男坊も引き取れよう。これは良い。」
フィリア殿、ヒロ殿、感謝申し上げる!
「さて、そうと決まれば。ヒロ殿、おなごの部屋にいつまでとどまっておる。帰った帰った。」
押されるようにして、部屋を出る。
背後から、両肩を掴み締められた。
「簡単に言うてくれるものぞ。なれど、確かに、簡単でござった。某も、分かっていたのやも知れぬ。分かっていて踏み出せぬとは、我ながら不甲斐ない。かたじけのうござる。」
良き肩になってござるな。
「なれど。」
力を込め始める。最近、オンオフのほかに、微妙なコントロールを身に着けているところだとは聞いていたけど……。
「痛いって!」
「まだまだでござるな。頼り甲斐が感じられぬ!朝倉殿に頼り切らず、鍛えることぞ!」
翌日、千早の決断を聞いたソフィア様夫妻の反応は、早かった。
「それでは、候補地を見繕っておきましょう。しばらく先の話になるでしょうが、楽しみにしてくださいね?」
「独立して領地を得ようとするならば、功績を積み重ねる必要があるぞ。」
「そうですね、では早速。……フィリア、行き掛けの駄賃ではありませんが、輸送担当……あいまいですね、部か課か、そういうところも詰められてはいないようですが……。まあともかく、輸送担当の隠し事の件、千早さんと調査をお願いできますか?これは王国の機関である幕府に関係しますから、明確な功績になりますよ。」
「功績にならない話であってくれるほうがありがたいのだがな。レイナが、立花が嗅ぎつけたとなるとなあ。……もちろん。」
アレックス様が、俺を見た。
「死霊術師ヒロ殿にも、お願い申し上げる。」
おどけていたが、目が笑っていない。
シャレにならん疑惑だし、俺を、死霊術師を、「そういう風に使う」ことには、どうしたってある種の「暗さ」が伴うもんなあ。
「名人アリエルがいます。心配ご無用にございまする。」
できるだけ明るく答えたつもりだ。けど……。
扇で口元を覆いながらフィリアに何事かを告げているソフィア様の姿が目に入る。
この程度が精一杯だった。