第五十一話 立場 その3
気合を入れて見学すべきは、軍人志望の、男子3人組。
しかし、マグナムの態度は、マリアとあまり変わらなかった。
いや、アンヌとあまり変わらなかった、と言うべきか。
屈託無く、あちこちを見回しては話を聞き、メモを取っている。
軍人志望でも、マグナムの場合、それでいいのだ。
ことマグナムに関する限り、兵站に配属を希望したとしても、それが通ることはありえないから。
説法師マグナム。
アメフト選手やラガーマンの3倍の筋力を持つ男。
年齢が上がってからならともかく、こんな若者を現場で使わなくてどうするというのだ。
ストイックなマグナムに、将来の夢を聞いたことがある。
何を目指して、そこまで努力しているのか、気になったから。
帰ってきた言葉は、「特に無いなあ」。
「初めは千早に勝とうと思ってたんだけど、最近は努力そのものが楽しくて。やればやっただけ前に進むって、気分いいだろ?進めなければ、悔しいし。……でも、そうだなあ。百人隊長には、なりたいかな。うちの村長が十人隊長で、隣の町長が百人隊長だから。両親もさ、『卒業したら十人隊長』って話に舞い上がっちゃったんだ。『16歳で十人隊長!?うちの家から?授業料無料で?』って。それで入学したってとこがあるからなあ、俺の場合。」
百人隊長。十騎長とほぼ同格。
庶民のヒーロー、憧れの名士。庶民がこの職階を得られるのは、普通なら30代以上。
マグナムも、「十騎長」レベルのところを見ている、普通の少年だった。
「でもそうだよな、その後どうするんだろう、俺。そのまま軍隊に居続けるのか。どこかで除隊して、他の組織に勤めるのか。それとも村に帰ったり街で暮らしたりするのか。」
向上心がある割りに、出世への興味が薄い。
薄いというよりも、むしろ、彼こそがまさに「『偉い人』に対してリアリティが描けない」タイプなのだろう。
農村に生まれ育ち、偉い人といえば村長か町長。学園に来て、もう少し上を見る機会も増えたが、やはり具体的なイメージは、そのレベルに留まっている。
この発言に、冗談抜きで「愕然」とした表情を示したのが、フィリアだった。
「マグナムさん!何を……本気ですか?上を目指してるんじゃなかったんですか?」
「上って言うと、カキサワカの市長とか?身分保証はもらってるけど、会ったことはないんだよな。」
「それは最低ラインです!」
「あと知ってるのはアレクサンドル様ぐらいだけど、いくらなんでも庶民の俺には無縁だろ。」
「努力次第では将軍位も可能ですよ。学園の生徒・卒業生ならば、せめてその手前、千騎長や百騎長あたりは意識しなくちゃいけない立場です!行政なら州知事を目標にしてください!」
努力の人、マグナム。
誰もが、「大きな夢を抱いているんだろう」と思っていたが、見ていたのは、つねに小さな夢。一歩一歩、自分の立場を進めることしか考えていなかったようだ。
どっちが正しいんだろう。
誇大でもなく、卑小でもなく。一番堅実に自分の立場を見つめていたのは、ジャックだった。
これも後日聞いた話なのだが。
「俺は、兵站への配属希望を出すわけにはいかないだろ?極東の軍隊はメル家閥。トワ系列の俺が、軍事行政の中枢に入れるわけがない。戦場に出て、手柄を立てないと。それで百騎長。そこまで行けば、親父を超えられる。ゴードン家の再興は成る。……それと、できれば領地が欲しい。小さくて良い、当主に何かあっても家族が飯を食って行けて、後継ぎが貴族仲間と顔つなぎをするための、基盤が欲しい。親父はある程度の財産を残してくれた。主家を退転するときにもらったんだろう。金もいいけど、領地の方が安定しているからな。」
そこまで言って、天を仰いだジャック。
「マグナムと俺、何が違うんだろうな。たぶん、家の財産とかは大して変わらないだろう?あいつの家、確か富農……とまでは言わないにしても、村の寄り合いには出られるぐらいの独立農家だったよな。なら俺もさ、軍隊でそれなりに頑張って、除隊して、街や村で暮らして、って夢を見ててもいいはずなのに。家名持ちはつらいよ。……なんてことを言っちゃあいけねえな。マグナムは三男坊。泣きたい思いもしてきただろうし。」
複雑な表情をしていたジャック。
しかし、俺に視線を戻した時には、澄んだ目をしていた。
「ま、おれの目標はシンプルだ。考えなくて済むってのはありがたい。手段も明快。メイスをぶん回すだけさ。」
エリザの案内は続く。
物資の購入を担当している部署に来た。
「この書類をお見せするわけには行きません。」
お兄さんが、わざわざ生徒の前で封筒に書類をしまいこんだ。
興味を引こうというパフォーマンスだろう。
「入札予定価格が書かれています。」
マジか!?
いや、本物じゃないはずだ。いくらなんでも、そんな重要書類を。
俺達の表情を見てニヤニヤしている。
悪い冗談だよ。
「入札予定価格?」
そういう興味の持ち方をされるとは思わなかっただろう。
悪い冗談……ではなくて、ノブレスだった。
「競争入札は知っていますよね?」
エリザの方が、まさかの表情を見せた。
学園の生徒たちはエリートだ。14歳であっても、知っているはず。
「なにそれ?」
ここにいたって、我ら生徒側も、ニヤニヤしているわけにはいかなくなった。
「すみません、知らないのはコイツだけです!」
「おいノブレス、俺達の、学園の評判を落とすな!就職にも関わるんだぞ!」
スヌークが、ノブレスの正面に回りこんで説明を始める。
「あのなノブレス。軍隊とか役所ってのは税金を使うわけだし、できるだけ安く買うべきだろ?でもあんまり安すぎて、安かろう悪かろうでも困る。信用できるところから買うとしても、担当の人と業者が癒着したりするのもまずい。……だから、物資を購入する前に、値段の幅を決めとくんだよ。例えば、大金貨100枚以上なら高いから買わないけど、80枚以下でも品質が信用できないから買わない、とか。……で、この数字を教えないで、『いくらで売ってくれますか?』って公募する。80枚以上100枚以下で、一番安い数字を申し出た業者から買うわけだ。この80枚とか100枚とかが入札予定価格!絶対に秘密なんだよ。俺達なんかの目の前で扱うはずが無いの!」
さすがスヌークも、学園の生徒。
きちっと理解した上で、ノブレスにも分かるように説明する。
「笑いどころを解説されるって、切ないものなんだねえ。」
担当のお兄さんが、頭をかく。
「済みません、コイツは本当にどうしようもないヤツなんで。」
「おい、大丈夫か?スヌークの説明で分かったのか?」
ノブレスが、いつもの間抜け顔で答えた。
「バカにするなよ。スヌークの説明、分かりやすかったね。さすが、実業家の息子は違う!」
そう、いつも通りの間抜けな返答のはずだったのだ。
しかし。
「貴様!」
スヌークが、佩剣の柄に手をかけた。
顔が青黒く変色している。
即座に反応したのは、真後ろに立っていたマグナム。
眼下にその光景を見て、小柄なスヌークを抱え込むように両腕を巻きつけた。
「離せ!」
「スヌーク。」
ジャックが、スヌークの前に立った。
「ダメだ。こらえろ。」
スヌークが俯いた。
体の力は抜けているようだが、マグナムはまだ押さえている。
「その剣、しばらく預かるぞ。いいな?」
ジャックの言葉に、スヌークが頷く。
細剣を取り上げたところで、マグナムが力を抜く。
「ノブレス。」
スヌークから顔を逸らし、ジャックが声をかける。
「今日は帰れ。」
「何を怒ったんだよ……。」
「ノブレス。この場で無ければ、俺はスヌークを止めなかったぞ。」
「ジャック?」
「ノブレス君、黙るんだ。帰るよ。」
「ラスカル、待ってよ~。」
さすがに女神も空気を読んだか。
「軽率な行動をお詫びいたします。」
スヌークの謝罪は、震え声だった。
「いえ、こちらこそ、冗談としては軽薄に過ぎました。」
入札担当の人は、何も悪くない。
悪くないけれど、そう返さざるを得なくて。
スヌークの顔を見ようとする者は、いなかった。