第五十一話 立場 その2
エリザの説明に、爆笑が起こった。
その陰で、ひそひそと会話を交わす。
「なあフィリア、オネスの集積基地は『安全になったから』じゃなくて……。」
「ええ、準備のために北へと押し出すのです。」
「正月の火災、もしや?」
「北賊の疑いがあります。」
オネス基地建設の件。
フィリアは知っていた。俺と千早は知らされていなかった。
その背景となる、大戦の予感。
俺と千早は知っている。エリザは知らされていないはずだ。知っていて誤魔化している風にはとても見えない。
立場の違いだ。
それをとやかく言うつもりはない。
フィリアの、ソフィア様の、背負うものの重さを知ってしまったから。
俺にはとても背負えるものではないと思うから。
……少なくとも今は。
その一言が心の中に浮かぶぐらいには、俺にも欲が出てきたのか。
いつか、ひとの立場を羨む時が来るのだろうか。十騎長を羨む少年のように。
不愉快な想像は、やめておくに限る。
気分を変えるべく顔を上げたら、視界の片隅に、ヒュームがいた。
書生姿に懐手。眠そうな目つき。いや、傍に眠そうだと感じさせるような目つき。
知らされていなくても、気づいただろう。オネス基地建設の意味に。
あいつの仕事は本来、自分で情報を集めることではない。下のものが集めてきた情報をまとめて分析する立場のはずだ。気づかぬはずがない。
目が合った。思わず、あいまいな笑顔を浮かべてしまう。
向こうもあいまいな笑顔を返してきた。
笑顔とは便利なものだ。ここで下手に力の入った視線などを送ったら、どんな誤解が生ずるか。
とは言え、見詰め合っても仕方ない。あんまり見ていると、見透かされそうだし。
そう考えて視線を別の方向に振ると、そちらではイーサンが俯いて考え込んでいた。
ヒュームとは異なり、文官には、彼の父であるデクスター子爵には、「大戦の予感」は知らされていないはずだ。
勘付いたか?……いや、間違いなく勘付いたな。目を見開いた。
こちらも慌てて眠そうに目を細めた。ポーカーフェイスの基本なのか、「眠そうな顔」って。
で、視線をそっとこちらに移してくる。さてどうしよう。
「デクスター家には釘を刺しておく必要があるようですね。」
フィリアは、俺の顔を見ていた。ヒュームとイーサンを探っていた、俺の顔を。
そしてイーサンに最高の笑顔を見せる。口に、立てたひとさし指を当てながら。
その顔!?
予想外の反応にイーサンの目が再び見開かれた。
その顔が正解だったわけか。フィリア、恐ろしい子!
後で話をしてみたところによると、イーサンは、木材ほか、建築資材価格の上昇が気になっていたのだそうだ。
調べてみると、ウッドメルシティーで大規模な建築、包まず言えば築城が行われているらしい。まあそれは良い。世代交代が始まり、復興も進んでいる。北への備えと言う問題もある。
しかし、そこへもってきてこの話。
「北に力を入れすぎている」と思ったのだそうな。
「当然父も気づく頃だと思う。フィリア君、話してくれて感謝する。父とアレクサンドル様の話し合いとなると、これはお互いチクチクやり合う過程を挟まずにはいられないだろうから。」
これもまた、立場の問題。
軍人が文官に、下手に戦争のことを教えるわけには行かない。
しかし高位の官僚政治家としては、なぜ知らせておかなんだ、という話になるのは当然で。
あの2人ともなれば、足を引っ張り合うことはしないはずだが。
それでもチクチクやり合うのは避けられない。
「そのうち姉夫婦とイーサンさんがチクチクやり合うことになるのかもしれませんね。」
デクスター子爵は30代半ば。アレックス様が25歳。で、イーサンが14歳。そういうめぐり合わせ、ありうる話だ。
「分かってても言わないでくれよ、フィリア君。気が重くなる。」
千騎長や将軍にリアリティを抱けない少年もいれば、子爵位や幕府高官に、その仕事にリアリティを感じている少年もいる。これがイーサンの立場。
十騎長を羨むのはよく分からないが、イーサンの立場を羨む気持ちは、そこはかとなく理解できるような気がしたものだ。
エリザの説明は続く。
施設課を離れ、あちこちの課に俺らを案内しながら。
もともとこの見学は、「マリア・レイナ・アンヌとマグナム・ジャック・スヌークのために」というきっかけで企画されたものであった。
そのご当人たちはどうしているのだろう。
マリアは、観光気分みたいだ。もの珍しげに周囲を眺めている。
アンヌは、やたらにメモを取っている。「ネタ帳」か。
レイナは、人を見ていた。常に。
こちらも後で聞いてみたところ、「輸送担当が気になる」と言い出した。
「雰囲気悪いわね。何か隠してんじゃないの?あいつら。軍事機密ってヤツ?軍人は秘密主義だからイヤなのよ。」
とかなんとか。
「そうか?俺は気づかなかったなあ。見学者を迎えてよそ行きの態度だったろうに、よく気づいたねえ。」
「ほんと、男って鈍いわよね。知性の差かしら。」
「ソフィア様によるとさ、真の令嬢ってのは『間抜けなお姫様』らしいんだけど。」
「うるさい!……それとも、フィリアに何か含むものでも?」
近づく影を察して、そんなことを言いだすレイナ。
「何か言いましたか?」
「真の令嬢は聞き耳なんて立てないものですわよ、フィリアさん。」
「あらレイナさん、陰口など淑女の行いとは思えませんわ?」
「「ヒロさんはどう思いまして?」」
「俺が悪かった。そういうことでいいから、勘弁してください。……レイナがさ、輸送担当の連中が気になるんだってさ。何か隠してるんじゃないかって。」
フィリアの目が、細く光った。
「レイナさん、このこと他言無用。近づいたりしないでくださいね?」
「何よ、何を隠そうってわけ?」
「隠すつもりはありません。後で必ず教えますから。近づかないと約束してください。」
「やっぱり軍人ね、フィリアも。全く気分悪いったら。」
「やっぱり文人ですね、レイナさんは。護身の意識が低すぎます。」
「おいフィリア、まさか。」
「まだ分かりません。本当に何かあった場合が危険なんです。レイナさんの勘や感性は信用できます。今回は特に認めたくないケースですけれど。必ずこちらで調べておきますので、それで満足してもらえませんか?」
「思ったより大ごとになるかもしれないってこと?分かった分かった。危ない話は勘弁。後で絶対聞かせなさいよ?」