第五十一話 立場 その1
「フィリア、夏前に頼まれていた見学の話だが、調整がついた。我々としては、学園の生徒諸君にはぜひ見ておいてもらいたい部署だ。」
アレックス様の口ぶり・顔つきが、不人気部署だと告げている。
「兵站だ。」
なんで兵站が不人気なのか、よく分からない。重要なことは間違いないし、結構楽しそうだと思うんだけどなあ。
そんなことを思った俺の顔を見て、アレックス様が苦笑した。
「目に見えた手柄にはなりにくいからな。出世したい若者には『コースから外れている』ように見えるのだろう。」
「理解していなければ、千騎長以上には絶対に上がれないはずです。百騎長でも必要でしょう。そこを強調されてみては?」
「フィリア、私もそうだったが、若い者には『千騎長になる』ことにはリアリティが無いのだ。『十騎長』になりたくて仕方ないのだよ。」
「そこまで難しい話でもござらぬような……。おそらくは『学科が不得意だから』という理由で軍人を志望する者が多いというだけのこと。兵站は算術が必要でござろう?想像するだけで頭が痛くなるのでは?」
「学園の生徒や卒業生がそれでは困るのですけれどね。若者が十騎長に憧れるという話はよく聞きますが、それほどなのですか、アレックス?」
「ソフィアよ。ここは私よりも、今の若者に聞くべきところだろう。記憶がなくてピンと来ていない上に、卒業すれば十騎長のヒロに聞いても仕方ないな。フリッツ、奥様にご説明を。」
「はい、十騎長は、私どもには憧れの存在です。」
そこから始まったフリッツの説明は、地に足がついたもので、分かりやすかった。
口では「将軍を目指す!」などと気勢を上げても、それは遠い道。実際に将軍と面識がある若者など、ほとんどおりません。アレックス様のおっしゃる通り、リアリティがないのです。
これに対して、十騎長ならば、親戚や近所のお兄さんの中に1人2人は居るものです。多くは戦場で手柄を挙げた若者ですから、たくましく快活。子供から見ても人気のお兄さんです。どうしたらそうなれるのかも、具体的に聞くことができます。戦場の手柄話は、子供には人気の物語なのです。
千早さんの言うような事情もあります。悪戯ばかりして親に叱られているような子供でも、話を聞いて、「優等生の兄貴よりも、俺の方が先になれるんじゃないか?」と思うわけです。
15歳、成年を迎える前に十騎長になれるのは、名門の子弟か、よほどの腕利きで機会に恵まれた人でしょう。ヒロさんは十人隊長ですか。で、16の春には十騎長。正直申し上げて、うらやましい。子供から若者になると、そういう意味でもリアリティが出てきます。単純に出世競走で一歩負けているような、情け無い気分。戦場に出たときの手当てにも差が出ます。
「……お金や社会的地位の問題もありますが、それ以上に。」
そこから先のひと言には、やけに実感と悲哀がこもっていた。
「何と言っても、十騎長は女性にもてます。たくましくて快活で、結果も出している若者ですから。正直に申し上げれば、これが一番大きいのです。みなが十騎長を目指す理由です。」
「アレックス?」
「ソフィア、何年前の話をしているのだ。」
「8年前です。私達が出会ったのは、互いに十騎長になった直後でしたね?」
ま~た始まったよ。
「その頃のことをとやかく言われても、その、何だ。私が悪いわけでもないし。」
アレックス様の容姿なら、十騎長になってなくてもモテモテだったはずだ。
「ヒロさんも学園を卒業したら女性に大人気ですか?」
「ええ、フィリア様。間違いなく。百人隊長でも大人気です。」
「これは今のうちから教育が必要でござるなあ。調子に乗らぬように。」
おいフリッツ、なんだその顔は!「してやったり」ってツラしやがって。
「と、ともかく!いまなすべきは、兵站の話でしょう?」
「そうだ、ヒロ!話を戻すぞ。」
アレックス様が、その十騎長と兵站の関係について、説明をしてくれた。
「兵站部門でも、功績を重ねれば十騎長になれる。だが、兵站部門には軍人だけではなく、官僚貴族からの出向組もいる。脳筋の軍人よりも仕事ができるので、どうしても彼らが先になる。……官僚貴族にしても、ある程度の家柄の若者なら、十騎長ぐらいは持っておかないと格好がつかないからなあ。そういう事情もあって、兵站担当の軍人貴族は少し出世が遅れるのだよ。内部評価のポイントはきっちり溜まっているから、戦場に出ればすぐに追いつくがね。」
いちどため息をつき、再び言葉に力を込めるアレックス様。
「だが、兵站は重要だ。諸君は分かってくれていると思うが。どうしても兵站を軽視しがちな若者に、それも幹部候補生たる学園の生徒には、ぜひ見ておいてもらいたいのだ。筋が良さそうな者を見つける機会にもなる。……学園で見学の生徒を募集しておいてくれるか?3年生はもう卒業だから、1、2年生で最大300人か。そこまでになるとは思えないが、2年生は別の日程にしよう。」
2年生については、生徒会の役員に任せることにした。
1年生については、ジャックに任せる。快諾してくれた。
お互いに分かっている。どれほど小さくても、その小さな実績を積み重ねることが、今の彼には大事なのだ。それがジャックの、ゴードン家の立場。
「おいスヌーク、お前も手伝え。級長なんだから。」
これもジャックの良いところ。
見学先は、征北大将軍府兵站局糧食部施設課。
説明をしてくれたのは、雁ヶ音城城代補佐からこちらの課長になっていた、エリザ・ベッカー十騎長であった。
「兵站局には、糧食部・装備部・輸送部……などがあります。どれほどの勇者でも、強力な軍隊でも、腹が減っては戦もできません。武器無しでは戦えません。兵站の重要性は皆さんにもご理解いただいているとは思いますが、是非、より一層のご理解を。糧食部は、まさに『食べ物』を担当し、責任を負います。施設課は、食料集積基地の担当です。」
前置きの後、エリザが大机に差し棒を向けた。
極東道全域の地図が広げられた大机。
輸送路や基地が目立つように記されている。見るだけでも楽しい。
「地図をご覧ください。皆さんとは昨年、雁ヶ音城でお会いしていますが、たとえば雁ヶ音城も一大集積地です。他にカンヌ州にも集積基地があります。各領邦にひとつは存在しています。……こうした各集積基地の維持・管理、場合によっては新規建設や配置換え。そういったことを担当するのが、施設課の仕事です。」
と、ここで言葉を切ったエリザ。
「何かご質問は?」
誰やらが声をあげた。
「サクティ・メル、ウッドメル、ギュンメル、ミーディエは封建貴族の領邦ですし、ファンゾ島は自治区ですよね?極東道……ではなくて征北大将軍府が名実共に管理しているのは、新都とカンヌ州だけになるかと思うのですが。この関係はどうなっているのですか?征北大将軍府が、サクティ・メルに口出しできるのですか?」
「さすがに目の付け所が違いますね。面倒なところを突ついて下さいました!」
笑い声が起こる。
「征北大将軍府は、王国の下にあります。それとは別の縦割りとして、各領邦がありますが……。極東については、各領邦というよりも、一かたまりの『メル家』だとお考え下さい。征北大将軍府とメル家と、形式的には2つの縦割り系列があり、その関係がどうなっているかという問題ですね。」
この問題では、サクティ・メル、ウッドメル、ギュンメルを区別する必要は薄い。
「メル」で良い、ということか。
「征北大将軍府の主流派閥は、メル家です。かく言う私も、メル系列。もっとぶっちゃけてしまいますと、征北大将軍府とは、その名を冠したメル軍閥だと思ってください。それゆえ縄張り争い・縦割りの弊害は生じていないと、まあそういうことです。……カンヌ州と新都、ミーディエ担当だけは、ややメル色が薄い。それぐらいのイメージでお考え下さい。」
また別の誰か。
「それでは、その、新都の食糧事情はメル家に依存しているということになりませんか?たとえば戦争が起こったら、全て北に食糧が送られてしまって、新都の食糧がなくなってしまうということは?」
「いえ、新都の食糧については、極東道政府や新都政府、つまり幕府ではない一般行政部門の担当ですから、心配しなくても大丈夫ですよ。征北大将軍府兵站局は、軍事部門の糧食担当ですから。」
「あ、なるほど。」
「もちろん、戦争が起こってしまえば、食糧価格が上昇するのは仕方ありません。その影響を小さくするために、私達や一般行政部門で調整して農地を広げたり備蓄をしたり、買い入れの円滑化を進めたりしているわけです。」
質問が収まったところで、エリザが次へと話を進めていく。
「ここ最近、施設課で進められている一大プロジェクトが、オネス集積基地の建設です。」
大机の地図に描かれたオネス市に、差し棒が当てられた。
「オネス市は、湖城イースの隣町。これまでは、『まだまだ前線に近いから』という理由で、ここに集積基地を作ることはしてきませんでした。安全な後方、雁ヶ音市を集積基地にしていたわけです。しかし近年、北方が安定してきたこともあり、集積基地を前方に押し出そうという決定がありました。……雁ヶ音にいた私が呼び戻されて施設課の課長になった理由も、このプロジェクトと関係があります。『サクティ・メルで仕事をしていたから、その地理に詳しいだろう。基地として、安全で効率的な場所を選定するところから、彼女に担当させよう。』と、そういうわけだったのです。」
エリザは、やはり有望な若手だったのだ。
「少し自慢に聞こえてしまったかしら?私としては、兵站を皆さんにアピールしたいのです。兵站担当でも、こうしてやりがいのある仕事ができる。若くても大きな仕事を任せてもらえる。十騎長に叙任もされる。……いかがでしょう?官僚志望の方はもちろん、軍人志望の皆さんも、ぜひ兵站担当を希望してみてくださいね?どうしても不人気ですから、志望すれば間違いなく配属してもらえますよ!」




