第五十話 新年 その5
正月3日の鍛錬場は、なかなか盛観であった。
ここの責任者と言ってよい真壁先生が、塚原先生と並んで立っている。
2人と談笑しているのは、天真会の周・李老師。控え目な位置ながら、会話に参加できる距離からは絶対に離れないアラン支部長と連れ立って。
アラン支部長は孝・方を従えているし、塚原先生はシンノスケを従えている。
その塚原先生を目に認めた女性が、挨拶にやって来た。
「あけましておめでとうございます。ご無沙汰しておりました、塚原先生。それに、真壁先生。」
「お、樹。おめでとう、久しぶりだな。武術大会ではベスト4に残ったと聞いている。松岡が自慢していた。」
「松岡も仕方の無いやつだ。俺に自慢するなら分かるが、西山は塚原の弟子でもあるだろうに。」
樹・西山。薙刀と小太刀を使う。
俺とシンノスケ、レイナの姉弟子にあたる女性だ。
ん?レイナ?
「なんでレイナがここにいるんだ?」
「あのねえ。2日はともかく、今日は3日。立花の跡取りがメルの跡取りと正月の挨拶をしない方が問題でしょうが!メル家の郎党でもないあんたまで塹壕脳になってどうすんの!」
やきう脳とかヘディング脳っていう雑言は聞いたことがあるけど……。
「それより、ファンゾの人間が集まるって聞いて見に来たのよ。私には中々会う機会が無いし、どんな人達なんだか気になるじゃない?」
挨拶の方が口実に聞こえてくる。
好奇心に誘われて、後悔しなければいいけど。たぶん、レイナが一番苦手とする手合いのはずだ。連中は。
ここにいる理由が分からないと言えば。
「なあキルト、お前だけはここにいちゃいけないんじゃないか?いろいろな意味で。」
どうにも居心地が悪そうにしている、キルト・K・G・キュビに声をかける。
彼が何者かを知っている郎党であろう、数人が凄まじい目つきでキルトを睨んでいた。
さすがはメル家、不審人物の侵入を見逃さない……のはいいけれど、彼らの感情はなだめておかないと。
キルトは「死ににくい」体質ではあるらしいが、正月早々から、鍛錬に事寄せた「かわいがり」なんて見たくも無い。
「ソフィア様に声をかけられたんだよ!」
「はあ?何だそれ?」
「こっちが聞きたい!」
「おはよう、ヒロ。」
「アレックス様、おはようございます。その、どういうことか……。」
「私の策だ。春休みは寮が閉鎖されるだろう?実家に帰る前に襲撃されては哀れだ。ならばファンゾへ連れて行ってもらおうというわけさ。頼んだぞ、ヒロ。」
「それだけではない、ですよね?」
「分かってきたじゃないか、ヒロ。私が新都執金吾だということから考えてみたまえ。」
「治安維持……のほうではないですから、公安とか諜報とか、そちらでしょうか?」
「ふむ。」
「『諜報は嫌がらせの応酬』でしたっけ。キュビ家の末端を、メル家が保護した。郎党の地盤であるファンゾ島にまで連れて行った。『キルトは、K・G・キュビ家は、メル家に取り込まれたんじゃないか?』と、そういう疑心暗鬼を生じさせる……と、いうことでしょうか?」
「正解だ。路地裏で少年に大怪我を負わせるよりは、よほど『すがすがしい』だろう?」
ずいぶんな皮肉ですこと。
ひょっとして。
「アレックス様、やはり気分を害されていたのですか?」
「それはそうさ。私が預かっている極東に、新都に、直接手を突っ込んでくるとは許せぬ。それもキュビの名を持つ者を使って。キルト、君にも責任の一端はある。我慢したまえよ。」
「俺、帰る場所あるのかなあ……。あのクソ親父どもが針のむしろってのは痛快だけど……。」
「ま、まああれだ、キルト。これで卒業までは安全に暮らせるってことで。」
「スリルの神がそんなに甘いわけないじゃん。」
その声は。
「あけましておめでとう。今年もよろしく、ヒロ!」
ラスカル!
「えへ、来ちゃった。」
「あけましておめでとう、ヒロ。今年もルームメイトとして、よろしくね。」
「ありがとな、ヒロ。チャンスをくれて。」
「おめでとうござる。」
ノブレスにマグナムにヒューム。さすがに余裕があるな、彼らには。
ドメニコ他、見知ったメル家の郎党も数多い。
フリッツ・ヨゼフ・ベッケンバウアーも、今日は大仰な正装ではなく、細剣を携えた軽装であった。
どうやら、春のファンゾ遠征、いや出張業務のメンバーがなんとなく見えてきた。
「メル家郎党」は当然として、「学園の生徒」「塚原・真壁門下」「天真会メンバー」。
そのあたりが主流になるということか。
そして、もちろん。
百人……とまではいかないが、数十人以上は集まっている、荒武者達。
正月早々、祭りがあると聞いて目を輝かせて来た、若武者達。
「ファンゾ百人衆」、その若様たちが、そこにいた。
「百人衆」の家柄のひとり、千早も腕組みをして立っている。
朝のうちに運び込んだ、大岩に背を預けながら。
「石垣の補修に使う岩を、借り受けてきたのでござる。百人も相手をするのは面倒にござるゆえ。」
まだご機嫌斜めみたいだ。
「それでは始めましょうか。あらためまして。皆さん、あけましておめでとうございます。」
「「「あけましておめでとうございます。」」」
「今日は、ファンゾ島の皆さんにお話を伺うために集まってもらいました。後で『お話し合い』もしてもらいます。」
「聞いてござらぬぞ。」
「何と。防具を持ってきておらぬ。ぬ?何故貴様は着ておるのだ?」
「さては、たばかったな!」
「騙してはおらぬわ。フィリア様が我らをお呼びだと伝えたでござろう?」
「寄騎でありながら2日に挨拶に来ぬとは何事。」
「寄り親に呼ばれたら防具を身につけて参集するは当然。心掛けが悪しうござる。」
「これだからファンゾのたわけ者どもは!」
千早が舌打ちした。
「『全員に伝えよ、抜け駆けするな』と申さば、『抜け駆けはしてござらぬ。伝えはしたでござるよ。なれど防具の指示はござらなんだ。』と来る。どこまでもこすっからい!」
どうやら、ファンゾの衆は、ただの猪侍ではないようだ。
こすっからい、狡猾だと言うか、機転が利くと言うか。人を出し抜く頭脳がある。
これは敵に回すと手強そうだ。
「なるほどのう。ではお主から借り受けるとするか。」
「何、返すでござるよ。そのうちに。」
何の躊躇も無く、掴み合いが、祭りが始まる。
この世界の男祭りは、年末だけには限らない模様。
「何なのよ、こいつら。」
「レイナ殿、これがファンゾの民、いやファンゾの上流階級でござる。」
「千早、あんたもこの同類?」
「否定しきれぬのがつらいところでござるな。」
李老師が静かに口を開いた。
「皆の衆、これがファンゾよ。侮るなかれ、蔑むなかれ。熱い血と冷えた頭を持った、古の武人。手強いぞ。」
ファンゾ者を新都者に観察させる時間を取ったフィリアが、声をあげた。
軍令用の、やや低く、よく透る声を。
「静まりなさい。」
即座に手を離し、整列する百人衆。
「ちょっと、ほんとに何なのコイツら。」
「レイナ嬢、だから言うた。冷えた頭を持っておると。」
「防具を持ってきていない方も参加できるよう、準備してあります。」
フィリアの声に、連中の目が輝く。涙を流す者までいる。
血が熱い。
見ない振りをするかのように、フィリアの命令が続く。
「皆さんのことを知らない方も多い。ひとりひとり名乗るのは後回しとして、簡単なご挨拶と説明をお願いします。」
「は、それでは。」
「あけましておめでとうござりまする。」
「我等は俗に『ファンゾ百人衆』と呼ばれる、メル家の寄騎、寄り子でござる。」
「ファンゾ島各地の、豪族・領主と呼ばれる存在でござるな。」
「百人衆と申すが、もう少し細かく申さば、『中津三十六家』『南方二十八騎』『山家五行八横』に別れており申す。」
「それぞれ中ファンゾ、南ファンゾ、北ファンゾの有力者にござる。」
「今ここにおるのは、そうした豪族・有力者の子弟にて、新都に滞在しておる者ども。有り体に申さば、人質にござる。」
「新都にて学び、メル家との繋がりを保つために来ているとも申しますな。」
「まずはこれぐらいかと。」
あちこちから声が上がる。タイミングも内容もかぶらない。
「決め事」なしでもスイスイと動いて行く集団。
「地理や細かい情勢はまた後ほど。ファンゾの流儀については、千早さんから。」
「さよう。『ファンゾでは、拳で語れ』でござる。……まず殴り合う、然る後話し合う。さよう心得られよ。」
「それでは早速『お話し合い』を始めてもらいますが。百人衆の皆さん、ご希望はやはり。」
「さよう、千早殿とやり合いたい。」
「さもなくば、そちらの童。いや失礼、若衆と。フィリア様のお側付きたるの腕前、この身にて拝見させていただきたい。」
童と来たか。それに「この目にて」じゃなくて、「この身にて」かよ。安い挑発を。
でも、ともかく言い返すのが王国文化、と。
「その身では荷が勝りましょう。」
言ってやった言ってやった。
「言うたなこの童!」
挑発は無視無視。
「身ではなく、まずは目に確かめていただきたく……。」
「ああ、問題ないぜ?」
朝倉が、俺からの質問を先取りして、答えてきた。
「千早、岩ひとつ借りるぞ。」
朝倉を抜く。
「刃筋は、それでいい。握りのバランスも良くなった。しっかり踏み込め。お前の良さは脚だ。」
土盛りの上に乗せられた岩に、上段から朝倉を振り下ろす。
見事両断……したのは良かったのだが、土盛りに食い込んだ朝倉が喚き出した。
「ヒロ貴様!キッチリ止めないか!土まみれじゃないか!」
ペッとつばを吐くような音が聞こえてくる。
悪い朝倉。でもお前、口があったのか?ああそうか、しゃべるってことは口があるのか。
しっかりと拭ってやる。
「見切りがなっとらん!どこまで振り下ろすか、目測と力加減と……修行不足だ、このアホ!」
朝倉の目から見れば間抜けな俺も、ファンゾの衆からすれば畏怖の対象。さすがに言葉を失っている。そりゃそうだ。ふつう刀で岩は斬れない。
俺の腕じゃなくて、朝倉の性能のおかげなんですけどねー。
「さよう、怪我をさせるわけにもいかぬ。同じ百人衆のよしみぞ。」
棒を手に取った千早が、もう一つの岩の向こう側に回った。
フィリアが千早の後ろ側に位置を変える。
何となく嫌な予感がして、俺もそちらに移動。
李老師や塚原・真壁両先生が下がったことからしても、たぶんそれが正解だ。
「形あるもの、土に帰せざるなし……散華同塵!」
真っ向から金属棒を岩に振り下ろす。
やはり真っ二つになるのだが、刀と異なりスパッといくわけではない。棒は、接触した部分を破壊しながら下へと進んで行くわけで……。
火花と共に岩の破片が飛び散っていく。百人衆に向かって。
何人かに当たっている。致命傷にはなっていないようで、安心した。
棒は土盛りに達するも、まだ止まらない。
首をすくめて岩の破片をやり過ごしていた百人衆に、土砂が降り注ぐ。怒号が上がる。
「見知ったか!なお挑まんとする者はあるや!」
高らかに宣言する千早。
土砂まみれのイノシシ侍どもを見て、昨日からの溜飲をようやく下げたようだ。