第五十話 新年 その4
「イースの件、よくやってくれました。適切な処理です。」
それが、元旦の夜、帰ってきたソフィア様からのフィリアへの評価。
賞罰の件、お家騒動の危険については……。
「今はまだ大丈夫でしょう。私は22歳、フィリアは14歳。権限にも大きな差がありますし、誰もが私を後継者と見ていますから。危険が出てくるとしたら、今後フィリアが大手柄を立てた場合。それで20代になった頃合でしょうね。その時、私に男の子がいるかどうかがカギでしょう。」
やっぱりちゃんと織り込み済みだ。
「気にはなっても口に出さない、というのもひとつの考え方ですよ、フィリア。口にしてしまうと、考えが表面化・具体化してしまいますから。しかしなるほど、率直になった方がいいというのも一理あります。」
「私たちはどうしても、それぞれにスタッフを抱えるからな。ひとりひとりの思惑だけでは済まなくなってくることもある。連絡を密に取っておくことは重要だろう。場合によってはスタッフも交えて。……そういうわけだ。今年も談話室での会話は大事になると思ってくれ。話のタネを準備するのを忘れないようにな。」
「さっそくですが、今日、新都の政庁で……。」
立花伯爵がうまいこと一首詠んで、美酒一本をせしめたのだそうだ。
元旦、有力貴族は新都の政庁に出向き、征北大将軍殿下に新年の挨拶を行う。
あわせて、お互いの挨拶も済ませておく。
正月の挨拶に出向くとなると、貴族どうし、招いたか招かれたか、出向いたか受けたかで、格が上だの下だの、めんどうなことになる。だから政庁で済ませておくというわけ。
開けて2日は、有力貴族は館に留まるのが通例だ。
寄騎や郎党、あるいは、「縁の深い、やや格下の貴族」達が挨拶に来るのが正月2日だから。
館の主であるソフィア様と、アレックス様が、来賓室で挨拶を受ける。
来客の数が多いので、ほぼ流れ作業。
で、流れて退場してきた者は、執事やメイドによってホールに案内され、そこで一杯振舞われつつ、仲間どうしのご挨拶を交わす。
そのホールで主人役を務めるフィリアのところにも、来客が挨拶に来る。
ドメニコ・ドゥオモもやって来た。母親と共に。
ドメニコは今年13歳だが、すでにドゥオモ家の当主である。ソフィア様ご夫妻に直接挨拶して良い、またそうすべき立場なのだ。
当主がお母さんに連れられて来るのは、なにもマザコンだとか自立してないとか、そういうことではない。
挨拶だのセレモニーだの、そういう場に出てくる場合は、男女一対で来る必要がある、それだけの理由だ。お母さんに連れられて来るというからおかしいのか。「ドメニコがお母さんを連れて来ている」というのが、より正確な表現だろう。婚約者がいれば婚約者と共に来たはずだ。
しかし、ドメニコの父は早くに亡くなったため、ドゥオモ家の勢いは弱い。そのためドメニコは、なかなか婚約者が決まらずにいた。
それでも累代の功績により家の継承を認められ、初陣で功績第三等を得た。こうなると、俄然ドメニコの、ドゥオモ家の株が上がる。
それで最近のドメニコは、モテモテらしい。お見合い市場において、だけど。
「頭では分かっていますわ。ナイトは体を張るお仕事。我が家は早くに当主を亡くし、つらい思いをいたしました。あのような思いは二度としたくありません。早くドメニコを結婚させ、後継ぎを作らなくてはいけない。それは分かっているのです。それでも、フィリア様。つらい時期にはこちらを見向きもせず、家同士のお付き合いも絶えがちになっていた人たちが、ドメニコが手柄を立てたとたんに縁談を持ち込んできますの。それがもう、情けなくて。」
ドメニコのお母さんは、正直な人のようだ。
「まだ嫁に息子を取られたくはない、というのもありますわ。」
正直すぎる。
「母上、おやめください。」
ドメニコが赤くなった。
「ドメニコ、背伸びた?」
「ヒロさん、あけましておめでとうございます。ええ、累代の鎧を着られるようになりました。」
フィリアにちらりと視線を送る。頷き返してきた。
「ちょっとした話が出てるんだけどさ。明日、またネイト館に来られるかな?」
「承ります。」
真顔になったドメニコ。慌てて笑顔を作り直す。腹芸は苦手そうだなあ。いや、ドメニコに腹芸は似合わない。これでいいと思う。
「おお、ヒロ、ドメニコ。」
「真壁先生、あけましておめでとうございます。」
「ん、おめでとう。」
聞きなれた声が、真壁先生の後ろから返ってきた。
「塚原先生?あけましておめでとうございます。あの……。」
「塚原は特にメル家と関係があるわけじゃない。お前らがファンゾに行く間、俺は新都に残るから、臨時に塚原を推薦していたんだ。塚原は武者修行でファンゾに出入りしていた時期があったから、適任だろうと思って。正月の挨拶を兼ねて紹介しに連れて来たというわけだ。」
「塚原先生においでいただけるとは、心強いです。」
「ん、よろしく頼む。」
「ドメニコ、あちらはお前さんのご母堂か?」
「はい、真壁先生。お恥ずかしい。」
「ははは、照れるな照れるな。母親というものは子供がいくつになってもああなんだよ。」
「しかし、いつまでもフィリア様を独占しては、他の方にご迷惑が。止めてきます。」
その前に、侍女がうまいこと収拾をつけていた。
「ドゥオモ夫人、ドメニコさんの戦友の皆様が、ご紹介を求めていらっしゃいます。おひとりはメル家の武術師範、もうおひとりはフィリア様の側近の方です。」
「あら、まあまあ。それはそれは。大変お世話になった方々でした。失礼致しますわ、フィリア様。」
大柄なドゥオモ夫人が、侍女に連れられてこちらにやってきた。
「私の母です。……母上、こちらはヒロさん。初陣の際には追捕副使を務めていらしたのです。こちらは真壁先生。メル家の武術師範で、いつも鍛錬場でお世話になっています。で、ええと。」
「塚原と申します。真壁とは同門です。今後よろしくお願いいたします。」
「まあ、お噂はかねがね。ヒロさんと真壁先生、おふたりとも素晴らしい腕前と伺っております。あの初陣があって後、ドメニコは随分武術に熱心になりました。お二人の一撃を受け止められるぐらいにならないと、と申しまして。」
「母上!」
「目標にされるとは、光栄です。武術の腕も良いが、ドメニコ君はナイトの心映えに優れていると、武装侍女団の間で大層な評判ですよ。ドメニコ、ほら。」
ドゥオモ夫人を連れて来た侍女に目をやる。真壁先生、よく分かっていらっしゃる。
「クレアさん、こちらが母です。」
俯き加減で、早口に紹介するドメニコ。
「母上、こちらがクレア・シャープさんです。私を推薦してくださいました。初陣の機会を得たのも、手柄を立てたのも、この方のおかげなのです。感謝申し上げます、クレアさん。」
「あら。……あら、まあまあまあ。」
にこにこと笑顔を見せつつ、上から下まで眺めている。言葉を選んでいる。感情を整理している。
一発で何かを理解したようだ。これは怖い。
「ありがとうございます。息子がお世話をかけました。ドメニコのどこが良くて推薦を?」
「立ち居振る舞いがまさにナイトでした。あとでドゥオモ家と伺い、僭越に恥ずかしくなりました。」
「心映えとは?」
追及が止まらない。
「フィリアお嬢様のテントに、夜明け前から歩哨に立たれた姿に、みなが心強さを覚えました。テントからの距離の適切さにも感銘を受けました。」
「戦場では、死角からこちらのクレアさんに向かってきた投槍をドメニコ君が防いだのですよ。冷静な処置でした。」
真壁先生による爆弾投下。
「申し遅れました。その通りです。ドメニコさんには危機を救っていただきました。」
「ドメニコ?その話、母は聞いておりませんよ?」
「ことさらに言うべき話でもありません。ナイトならば当然の仕事です。」
「受けた弓や石の話、事細かに教えてくれたではありませんか。」
「それは母上が事細かにお尋ねになられたからです。」
「なぜ隠したのです?」
うわあ。
「当主として、軍人としての仕事です。ナイトの仕事です!本来、申し上げるべき話でもありません!……あ、あちらは同僚のナイトの方!母上、挨拶をしておかなければ。あちらへの会釈を欠かすわけには参りません。」
「うまく逃げたな、ドメニコめ。」
「真壁、メル家の指南役をやるようになってから、変わったな。」
「人付き合いが増えて、いろいろ見えるようになった気はする。昔を思うと、冷や汗が出るな。」
「全くだ。」
「あの、塚原先生。明日、ネイト館にお越し願えますか?」
「ん、分かった。シンノスケも連れてくるか?」
「お願いいたします。」
どうも会場の一角が騒がしい。
メル家は武家ではあるが、統率の取れた一団で、自重というものを心得ている者が多い。
めでたい年明けでもあるし、このような場で騒擾を起こすべきではないことぐらいは、分かっているはず。
そう思ってその一角に目をやる。
うん、まあ……。騒擾というほどではないか。
単に声が大きく、振る舞いが粗野なだけだ。
あれぐらいなら、目くじら立てるべきでもないだろう。
「元気があってよろしい!」とは、このような場合にこそ使われなくてはならない表現だと思う。
しっかりと飲み食いをしている。
それも悪くない。腹が減っては戦ができぬ。武家たるもの、軍人たるもの、いつだって動けるようにしておかなくてはいけない。
燃費が悪い体に作り変えられてからというもの、切実にそう思う。
その一団が、フィリアに向かってきた。
挨拶前に、まず腹ごしらえしてたのかよ。
「華を去り実に就く」……というのは、さすがに褒めすぎか。
一応、フィリアの前に立つ。一団を軽く遮るように。
千早も前に出てきた。
「あけましておめでとうござります、フィリア様。」
「おめでとうございます。」
「旧年中は実家がお世話になり申した。紛争調停等。」
「こうして新都で安心してうまいものが食えるのも、メル家のおかげでござります。」
最後の一人が、この集団の正体を教えてくれた。
「ぜひ一度、われらがファンゾ島へご来駕を。歓迎いたしまする。」
ああ、やっぱり。
「ええ、ちょうど、ファンゾ島のお話を伺いたいと思っていたところなのです。よろしければ、みなさん、明日もネイト館にお越し願えますか?できれば留学されている方全員にお越し願いたいのです。」
連中が、顔を見合わせたり、目を細めたりしている。
「フィリア殿の仰せぞ。抜け駆けなど思わず、確実に全員に伝えてくだされ。」
「何を貴様!」
「我らを疑うか!……と、おなごでは殴るわけにもいかぬ。」
沸点が低すぎる。
「おい待て、フィリア様の傍にいるおなご……これが千早殿ではござるまいか。」
「げえっ!千早!」
ジャーンジャーン。
こんな連中に恐れられるって、どういうこと?なにやったの、千早さん?
「いやまて、千早を倒したとなれば、名が挙がる。」
「一度やりたいと思っておったのだ……。」
聞き様によっては大変にいやらしいのだが、まるで色気が感じられない。
だけどねえ、さすがに見過ごせない。
「場をわきまえてはもらえませんか?」
「ほう、貴様も遮るか。」
「男子なれば、遠慮は要らぬな。いざ尋常に。」
うん、知ってた。
「ですから、時と場所を変えて。」
「逃げ口上を張るか?」
ここで黙ったり、グダグダ言ってはいけないわけね。最近分かってきた。
「外へ出ろ。」
「おう、話が分かってござる。そうでなくては。」
「メルの名を以って、止めます。……明日皆さんをお呼びしたのは、お話を伺うと共に、そういう『お話し合い』の場も設けるつもりでいるからです。明日お願いします。」
「やっ。フィリア様のご命令とあれば。」
「我ら、メル家のお下知には従いまする。」
「新年早々、場を設けていただけること、感謝いたします。」
フィリアの、メル家の言うことには絶対服従か。
こりゃあ強烈な集団だ。
「覚えておれよ、あの猪どもめ。ヒロ殿、明日は徹底的に痛めつけるでござるぞ。」
千早よ、お前もか。