第四十六話 人形の家 その9 (R15)
(あの時は、あなたが私を守ってくれた。今度は、私があの人を、ヴァンサンを守る番。私たちは兄妹みたいなもの。そうでしょう?)
ノーラの霊は、マルセルにしがみついていて。
(ありがとう……迎えにきてくれたんですね。ごめんなさい、マルセル。愛してたの)
マルセルも、固くその背を抱き締めていた。
(ああ。そうだ。愛していた。……いや、今も愛している。ヴァンサンには、いや、ノーラ、君には悪いことをした。こんなことになってしまって……)
(ううん。いっしょに逝けるんだから、私たちは幸せ。でも、ヴァンサン……)
マルセルが取り戻した、最期の記憶。
テレパシーに乗って俺の中に流れ込んだ。
あの時。
八百長試合のような決闘をして、マルセルがヴァンサンに剣を突きつけた。
二人の間に、ノーラが立ち塞がった。
「止めてください、私はヴァンサンを愛しています!」
そう言うはずだったのだ。
「真実の愛は、君達の間にあったのか!」
そうマルセルが宣言するはずだったのだ。
マルセルとノーラの目が合った。
目が合って、ノーラが、口走る。抑えていた思いが、噴き出してくる。
「どうして? どうしてこんな簡単に私を譲ることができるの? 私たちは婚約者じゃなかったの? 私はあなたを愛していた! ごめんなさい、私が悪かった。でも、あなたが納得しているとは思えないの。……いつもそう。あなたは物分かりがよくて、自分を殺して皆の期待に応えて。綺麗に飾られているだけのお人形みたいだった。……お願い! お願いだから、本当の気持ちを聞かせて! せめて最後だけでも!」
「ノーラ……ノーラ! 私は……君を愛していた。君のために良かれと……君の幸せを……」
「あなたは、あなたはどうしたかったの?」
「ノーラ……」
マルセルは、震えていた。
俺にまで伝わっていた。
震えるままにノーラを抱きしめたマルセル。
ヴァンサンは、立ち上がれずにいて。二人の立会人も、何も出来ず。
「ふざけるな! マルセル様の気も知らずに! どれほど心を痛めていたか、気づきもしなかったくせに! マルセル様は伝えてた! お前が聞く耳を持っていなかっただけ! 今になって、愛してるなんて口綺麗なことを! お前が愛を語るな!」
ノーラの背中側から、女性が駆け寄っていた。
マルセルの目に、まっすぐ飛び込んでいた。
「ジゼル!」
乳兄妹! 弟のエリクの後をつけて来たのか。
そのジゼルの手には、光るものがあった。
「よせ! ジゼル!」
ノーラを抱き締めたまま、マルセルは寸前で体を捻っていた。
ジゼルに背を向ける。
がっ!
熱い……寒い……
ノーラ、無事か、ノーラ……。
ひどい衝撃に、流れ込むマルセルの記憶からやっと解放され。
意識をどうにか保った俺の目の前では。
「ノーラ……ノーラ!」
今や響くのはヴァンサンの声。
「ああ、ノーラ! どうして! ノーラ! マルセル兄さん! 俺ひとりを残して! なぜ!」
「この一件、フィリア・S・ド・ラ・メルが預かります! 不服ある者は前に出でよ!」
「天真会が説法師・千早、証人とならん!」
ああ、そうか。
俺と違って二人は、今夜の襲撃に一切関わっていない。
それを口にできる立場だ。
嘆きに身を任せるヴァンサン。
そのヴァンサンの肩を抱きながら、強く抱きしめあうノーラとマルセルの霊。
その光景を目にしながら、しかし俺の頭を占めていたのは。
フィリアと千早の冷静な対処ぶりへの感謝だった。
「エリク・ギメが懐剣を持っていた」
「私が預かります」
「いや、フィリア、違う。『俺がフィリアに預ける』」
「そうでした。成果はヒロさんが確保した。その上で『私に預けてくださった』のでしたね?」
「その旨、しかとこの目で確認したでござるよ」
「ヴァンサン!」
斬りつけるような声がした。
決して大声ではない。だが力強く鋭い声。
孝・方であった。
「兄妹分がこんな事になって嘆くのは分かる。だが、お前はひとりじゃない! 俺がいる! 両手剣の師匠がいる! お前は生きろ! 立て!」
(そうだった。ヴァンサンは子供じゃない。一人前の武人だったんだ。私はまだ見誤っていた)
(ええ、ヴァンサンはもう大丈夫ですね)
ヴァンサンから離れてこちらに向かってくる、マルセルとノーラ。
残酷と……極め付けることはできないのだろう。三人の間に踏み込んで良いものではない。
(懐剣も戻ってきた。ヒロ、ありがとう。これで逝ける)
全く、めんどくさい後始末を押し付けていきやがって。
これだから貴族は身勝手だって言われるんだ!
(はは、いや、済まない)
(ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます)
安らかな笑顔を見せ、そして。
マルセル・デュフォーとノーラ・ロッシは、光と消えて行った。
唯一の生き残りエリク・ギメから聞き取った、決闘後の事情。
以下のような流れであった。
逆上したジゼル・ギメがマルセル・デュフォーを刺殺。
両立会人は大慌てしたが、「ヴァンサンが決闘の末、マルセルを斃した」と宣言した。
そのまま孝・方は大急ぎでヴァンサンとノーラを連れてその場を去り。
エリク・ギメがマルセルの遺体と、ショックのあまりマルセルにすがりつきながら放心している姉のジゼルを回収。
デュフォー家では懐剣が無いと大騒ぎになった。
忙しさを縫ってギメ家に帰ってみると、ジゼルがマルセルの懐剣で喉を突き、果てていた。マルセルにすがりついたとき、思わず手にして持ち帰ってしまっていたようだ。
姉の死は、ヴァンサンとノーラのせいだ。
エリクの胸に怒りが湧き起こり、復讐を決意した。
「二人が懐剣を持ち去ったに違いない」とデュフォー家に報告し、孝・方を手がかりに、個人的に二人の行方を追う。
居場所をつきとめ、デュフォー家の一部郎党に個人的に声をかけ、襲撃に及んだ。
「二人を殺害して、懐剣を取り返した」という筋書きを描いていた。
孝・方やヴァンサンの側では、決闘後は取り乱したノーラを落ち着かせるのに精一杯。目を離せない状態だったこともあり、今後のことを考えるためにも、静かなところで過ごしていた。社会的に大騒ぎになったので、復讐のおそれもあるとは考えていたらしい。ただ、懐剣のことは知らなかった模様。
メル館にて、フィリアが、「保護者」であるアレックス様の立会いのもと、この件をデュフォー男爵とA氏に報告した。
目撃者・証人である千早と、当事者である俺を引き連れて。
デュフォー男爵からは、恨みがましい目を向けられた。
「仕事を頼まれたからには、穏便に、内々に済ませるべきではないのかね?」
当然、想定済み。
ゆえに準備しておいた「カバーストーリー」を展開した。
幽霊を使役して調査した結果、方家に二人が匿われていることを知りました。
朝一番で訪問し説得すべく、夜分アインの街に到着しましたところ、方家が賊に取り囲まれておりました。懐剣を賊に奪われてはならぬと賊を駆逐したところ、捕らえた賊が懐剣を所持しており、話が全く分からなくなったのです。
生き残った賊の頭目、懐剣の所持者をこちらで確保しようとしたところ、襲撃を受けた方家から、強い抗議を受けました。その身柄と持ち物はこちらで預かるべきものだと。
そこでフィリアに仲介をお願いしたのです。デュフォー家が方家を襲撃していたとなれば、いち死霊術師が扱える問題ではありません。
……朝倉、霊気を放出してくれ。強めに頼む。
「申し上げたはず。死霊術師の取引は、公正なもの。仕事を頼んだからには任せていただかなくては。頼んでおいて頭越しに出し抜こうとは、どのようなご所存であったのですか?……デュフォー男爵家で秘密を守る必要があるならば、私は身を守る必要があります」
「よさぬか、ヒロ」
「この程度のことであれば、メル家にご迷惑をおかけすることはありえません、アレクサンドル閣下」
「許さぬ。男爵家を根切りにするなど」
どす黒く変わった、男爵閣下の顔色よ。
後になって思えば、この時の俺はどれほど怖いもの知らずだったかと。
「何を!」
だがアレックス様は、しかつめらしい顔を崩そうともしない。
「この者にはそれができます、証拠を残すことなく。それぐらいの力がなければフィリアの側近にはいたしません、男爵閣下」
俺ももう一度、脅していた。
筋書き通り。
「死霊術師の取引は、公正なもの。譲るわけにはゆかぬのです」
で、フィリアがとりなすと。
「ヒロさん、私への仲介手数料は、『この件についてデュフォー男爵家に恨みを抱かぬこと』といたします」
「……これはフィリア嬢、ありがとうございます」
「デュフォー閣下も、これ以上この者を刺激しないでください。そちらから手を出されてしまうと、止める筋合いも能力も、私たちには無いのです」
根切りだの止められないだの、嘘八百。
俺をなだめる体で、男爵を脅して遊んでいる。
フィリアもアレックス様も、相変わらず悪戯がお好きなようで。
で、脅しながらも、恩を売る。
フィリアってこういうことになると、ほんとえげつないんだよなあ。
「方家の説得は大変でした。筋合いから言えば、やはり賊は方家に引き渡すべきもの……2人をかばっていたことには思うところもあるでしょうけれど、襲撃があったことも事実。方家とは手打ちとしてもらえますか?」
「どのように説得したのですか? 襲撃を受けたならば簡単には引き下がれないでしょう?」
A氏はそこに興味を引かれた模様。
「賊の総勢は22名。うち13名を殺害し、頭目1名を捕虜としたのがヒロ殿でござった。助太刀の功に免じてもらったのでござるよ」
千早まで脅しに加担、以てとどめとする。
「闇は死霊術師の味方ですから」
なお、嫌なプレッシャーは継続中。
「新都執金吾(新都警察の長官)としては、一応伺っておかなくてはいけません。襲撃は、デュフォー男爵家の命によるものではないのですな?」
「当然です。この度は、当家の郎党がとんでもない事件を起こし……嫡男を殺害した上にその罪をなすりつけるべく他家に押し入るなど、もってのほか」
千早が俯いた。肩が震えている。嫌悪と怒りを抑えるのに必死。
……その気持ちは分かる。
自分の男だからという理由はあっても、乳兄妹は「主家の嫡男を裏切った女」に怒りを覚え、復讐を果たしたのだ。
その弟は嫡男の側近で。姉のためという理由があっても、主家の名誉のために行動したのだ。
そんなふたりを、デュフォー男爵は顔色も変えず切り捨てようとしている。
千早が怒りを抑えているのは、どうにかして主家には迷惑をかけまいと、その一線だけは必死で守っていたエリク・ギメを思ってのこと。
主家であるデュフォー男爵家に、襲撃を知らせていたはずはない。
だがデュフォー男爵家は、本当に気づいていなかったのか。
薄々感づいてはいたんじゃないか。
それでも、主家は認めるわけにはいかない。
部下を切り捨ててでも、家を存続させなくてはいけない。
……それが、郎党の心に応える道。デュフォー男爵が飲み下した苦渋。
「それでは、賊が押し入ったということで処理いたします」
「では、当家としても、参加した者の家族を咎めることはいたしません」
アレックスさまの言葉に、デュフォー男爵が意地を見せた。
それだけが救いだ。
こういう連中相手に意地を張らなきゃいけないんだな、俺は。
「当家から見舞金を出します。メル家を通じて方家にお届けいただけますか?」
「ええ、方家としても2人をかばっていたという事情がありますから、納得してくれるでしょう。」
なおアレックス様の次のひと言は、さらりとしたものだった。
「捕虜とした賊の頭目。『処分』は、メル家にお任せいただけますか?」
デュフォー男爵が、瞑目して太い息を吐いた。
ややあって、口を開く。
「私からは何も言えません。お任せいたします」
闇に葬られる、そう思ったのだろう。
大きくは間違っていないかもしれない。
エリク・ギメは、家を捨て名を捨て、公安・諜報部門に所属することになったのだから。
「これが懐剣です。お納めください」
フィリアが問題の懐剣を、かつての王太子からの下賜品を、デュフォー男爵に引き渡す。
見事な逸品。その存在感、俺の目には重すぎた。
マルセルの弟に渡されるのだろう。今度こそその身を守ってやって欲しい。切にそう願う。
「お礼の申しようもありません、フィリア嬢」
「そのお気持ちに感謝いたします、デュフォー男爵閣下」
ちらりと俺を見た男爵閣下。
「手打ちとなった以上、私から口外することはあり得ません、閣下」
それでも後日、デュフォー男爵から俺に大金貨10枚が送られてきた。
「口止めはした」という事実は必要なのだ。
アインの街は、新都の北の玄関口。
ヴァンサンは北へ旅立つことにしたらしい。
ビガールの家名を捨て、名乗りをヴィンセントに変えて。
「手紙は師匠に渡しておく。俺からも事情を話す。10年後、こんどは真剣勝負だ。それまで死ぬなよ、ヴァンサン。いや、ヴィンセント」
「ああ、絶対に生き抜いてみせる。ノーラに救われた命だ」
気恥ずかしくて、目を逸らす。
千早の黒髪が秋風に靡いていた。
「武術仲間は良いものでござるな」
「方寮長の存在が、ヴァンサンさん、いやヴィンセントさんを救ったのですね」
「ヒロ、君にこれを受けてもらいたい」
渡されたのは、懐剣。
「ビガール家のなごりは、もうこれだけだ。これを渡せば、俺は完全にヴィンセントさ」
「いいのか? 方寮長に渡さなくて」
「「俺達にはそんなもの、必要ない」」
「そんなに重く取らないでくれ。何なら捨ててくれたっていい。今回の件では迷惑をかけた。それと、ありがとう。……それでは! しかしあの日のヒロは凄まじかったな。いつかヒロとも勝負したいものだ!」
これだから武人は、武術バカは。
涙が出そうになる。
「なあフィリア、男爵家からの礼金だけどさ、それで墓を3つ立てようと思う。教会にお願いできるかな? マルセルはさ、跡取りじゃなくなったから、一族代々の墓所には入れなくて、縁の教会が管理する墓地に葬られたそうじゃないか。だからさ、マルセルの両隣にジゼルとノーラの墓を立てようと思って」
そしてノーラの隣に、ヴァンサンの場所を確保しとこうと思う。
(ヒロ、後でヴァンサンが立ち直って、別の恋人ができたらどうするの?)
(経験者は語るね~、アリエル)
(経験のなかった哀れな小娘は黙ってなさい!)
(ひどい!ひどいよ!)
「この懐剣をさ、埋めとこうと思う。これはビガール家の短剣だろう? 墓に入るのはヴァンサン・ビガールだ。でもこれからのヴァンサンは、家名無しのヴィンセントだ。別の墓に入りたければそれで良し。『向こう』でも3人で過ごしたければ、戻ってきてヴァンサン・ビガールとして天に帰ればいいだろう?」
そして懐剣を埋め、花を供えれば。
「今回は懐剣尽くしだったでござるな」
「フィリアも千早も、懐剣持ってるの?」
「ええ、もちろん」
「特におなごにとっては必須アイテムでござるよ。持っていなければ女子力を疑われるでござる」
「男性でも、普通は持っていますね」
「俺も持っておくべきなのかなあ。参考までに、どんな物なの? 良かったら見せてくれる?」
「ヒロさん!」
「ヒロ殿!何を!」
(ヒロ!あなたねえ!)
(うわ~。うわ~)
(救えぬ……)
何? 何かマズイ事言った?
(あのね、ヒロ。女子にとって懐剣は身を守る最後の一線なの)
なるほど。
(なるほどってヒロ君! 最後の一線。分かってる?)
あっ。
あの。
ひょっとして……。「おぱんつ見せてくださいますか?」って言ってるのと同じ?
(だな)
(王国ではね、ヒロ。小説なんかで、懐剣を身から放して……何て書いてあったら、濡れ場の婉曲表現なの!)
(同人誌でもそういう絵で表現するよ?)
「ご、ごめん。その、あの」
口をきいてくれない。
杖と正拳突きが飛んできた。
今度は俺が無言で……悶絶するターン。
「今回の件は果断即決、男爵家を向こうに回して対等に取引をするなど、完璧な立ち回り。見直したつもりだったのです!姉の評価も高かったのですよ!それで最後にこれですか!」
「まことに締まらぬ御仁ぞ!こたびばかりは見事な丈夫ぶりと思うておったに!カッコ悪いでござる!」
俺はまだまだ、とても踏み込めそうに無い。