第四十六話 人形の家 その5
「これが短剣の絵図でござるか」
……これは、家紋?
「ええ、王家の紋章です」
あれか?
強烈な集中線つきで驚愕しなくちゃいけないところか?
「見事な切れ味なのでござろうなあ。そしてそれ以上に……」
「ええ、千早さん。王家の紋章が入った下賜品を紛失したとなると」
その王子を通じて得た、王家との縁。
王子付きだった同僚の子孫との、家同士の縁。
「ひびが入るってわけか」
フィリアが頷く。
「事件を整理してみようか」
男爵家から渡された資料だということは、後で差し引くとして。
とりあえず、勝手な推理を試みるならば。
武術大会で優勝し、一躍アイドルとなったヴァンサン・ビガールは増長し、天狗となった。
で、ノーラ・ロッシを誘惑。ノーラはデュフォー家を出て、ヴァンサンの下に奔る。
マルセル・デュフォーがヴァンサンに決闘を申し込み、死亡。ヴァンサンとノーラは逃亡した。
……何も見えて来ない。どこに逃げたものやら、見当もつかない。
「短剣を奪った原因も分かりません。渡してくれるよう話すにしても、説得の材料がないですね」
「かなり脅したつもりだったんだけどな。隠すな、嘘をつくなって」
「舐められたのでござるよ」
それでも何度か眺めているうちに、ひとつ疑問が起こった。
「婚約者ってのは、男性の家に同居するものなの? 『デュフォー家から』出奔したって書いてあるけど」
「またそこからでござるか! ……いや、しかし。此度は重要やも知れぬ」
「ええ、手がかりにはなりますね……ヒロさん、普通はそうではありません。結婚するまでは、ノーラさんはロッシ家にいるはずです」
それが、デュフォー家から家出したとなると。
「恐らく、ですが。ノーラさんのご両親は早くに亡くなっていたのかと」
「子供は親戚じゃなくて、婚約者側で引き取るの?」
「貴族社会では、それが普通ですね。女の子については」
「庶民の間でも、そういうことがござるな」
女の子については……すなわち、男女で違いがあるとのこと。
「男の子の両親が亡くなった場合、有力な親族が育てます。実の息子のように、いや、それ以上に立派に育て、父の家を継がせることが、育てた親族の、一族の名誉となるのです」
「ギュンメル伯は、ウッドメルの兄弟を立派に育て上げたことでも讃えられていると、以前申したでござろう? 孤児を託されるということは、特別な名誉にして責任なのでござる」
戦争も多い、中世的な王国社会。
親が早くに亡くなるというケースは、これまでも数多く聞いてきた。
たとえ自分が戦死しても、親族が息子を立派に育て、家を継承させてくれる。そう思えればこそ、全力で戦いに臨むこともできる。
そのために、遺児を養育することを「家の名誉、一族の名誉」として顕彰すると。
よく考えられてるもんだ。文化ってヤツは。
「塚原先生から、ヴァンサンは幼い頃に両親を亡くしたって話を伺ったんだけど」
「親族もつらいでござろうな。育てた遺児が武術大会で優勝して、名誉を得た直後にこれでは」
「……ヴァンサンさんの背景も、後で調べる必要がありますね」
で、本題。
女の子の両親が亡くなった場合だが。
「婚約者が決まっていれば、婚約者の家で引き取ります。婚約の時点で、『事があった場合には財産を譲り渡し、養育を任せる』旨の契約を取り交わしておくのです」
男子とは違い、残された親族が育てることはレアケースだと。
「いくつか理由があります。ひとつには、約束を反故にせず、身柄を確実に送ることで家のつながりを強化できます。女子の兄や弟のためになるわけです。ふたつには、女子の場合は、婚約の履行が受け容れ側の名誉となります。『両親が亡くなり、家の勢いが無くなっても、その家を見捨てず義理を果たしている』というわけです。第三に、早くから婚家の流儀に馴染めます。他にも、無責任な噂から保護することができます。」
「はい?『第三に』の二つが、よく分からないんだけど?」
「丈夫は、武術の道場や学問の私塾、あるいはそれこそ『学園』に通うでござろう?そこで成長した姿を社会に見せる事ができるでござる。一族の名誉をアピールするためにも、積極的に人目に曝す。なれど貴族の姫君は深窓にあり、サロンにでも出てこぬ限り、どう育っているやら分からぬ。それならば、婚家としては、己が家に引き取りて教育したくはなり申さぬか?……なお、無責任な噂とは、その」
「ああ、分かった。深窓だから何が起きているか分からないと」
親族の男性との関係を疑われるよりは、婚家に引き取ろうというわけね?
「実際にはそのようなこと、滅多にないはずです。ただ、家同士の角逐がある場合など、どのような策を使ってでも貶めようと考える不届きな者も出ますから」
「庶民のルサンチマンもあるでござるよ。無責任な噂を立て、『貴族など一皮剥けば』的にあざ笑う。気分の良いものではござらぬ」
小さな女の子がアリエルに抱きついて別れを嫌がっていたビジョンを思い出す。
あれは色恋ではない。いや、子供の甘酸っぱい初恋とか、そういう話にすぎないと言うべきか。
そんなことすら「はしたない」とされる社会。ヴィクトリア朝的な価値観なのかな。
肌の露出については、そこまで極端に禁圧はされていないみたいだけど。
ん? 待てよ?
「なあ、じゃあさ。新都に来るまでの旅。フィリアや千早と一緒に宿に泊まったりしたのは……」
「ええ、本来ならば大変に『はしたない』行為ということになりますね」
「庶民の場合はそれほどではござらぬよ。噂を立てられても文句は言えぬでござるが」
「それならそう言ってくれれば!」
「そのようなことすら知らない、記憶喪失の人を一人には出来ません」
「悪さなどせぬ御仁であることは見抜いておったでござるよ」
ちょっと面映い、そんな表情を見咎められたようで。
「そんな勇気もない人ですしね」
「『こども』であったと、山の民も申しておったし」
13歳に見透かされて舐められる21歳ってどうなのよ。
(分かった、ヒロ? これが女子よ。保護者面してんじゃないわよ?)
(情け無い男だ)
(ヒロ君、カッコ悪い……)
幽霊達からもフルボッコ。
それでも言うべき事は言わなければ。
「あのな、それでも男なんて、その場の勢いでどうなっちまうか分からないんだから。それと、噂とか評判ってのはさ、自分じゃどうにもできないだろ?」
「ヒロ殿が錯乱しようとも、捩じ伏せるぐらいは造作ござらぬ。あの頃のヒロ殿であればなおさら」
「噂や評判ぐらい、『力でごり押し』すればどうとでもできます。実態として何もなければ、愧ずることなどありません」
それに。
「信じてくれないような男性ならば……」
「然り。こちらから願い下げでござる」
確かに、二人とも「力」があるもんなあ。いろいろな意味で。
メル家なら、噂を立てた人間を炙り出してすり潰すぐらい朝飯前だろうし。
ともかく!
「そうすると、駆け落ちしたヴァンサンとノーラは共に、両親を早くに亡くしていたわけだ。それじゃあ実家に逃げてるって線はないな」
「気持ちが通い合ったのでござろうか、な」
「それだけでしょうか。ノーラさんとマルセルさんの仲は?」
二人の関心は、少し違うところに向いているみたいだ。
でもやっぱ、気にはなるよな。
「3人ってことは、関係も3つだろ? ヴァンサンとノーラ、ノーラとマルセル。で、マルセルとヴァンサン」
「ふむ。ヴァンサン殿とマルセル殿は、いかなる関係であったのか」
「それも気になりますね。セコンドに立っていたということは、武術大会までは相当親密だったのでは?」
もうひとつ、疑問があった。
先入観を持たずに考えることができる、それは異世界人のメリットであろう間違いなく。
「こういうケースで決闘を申し込むのは、当然なわけ?」
「ヒロ殿自身、4月に決闘を申し込んだではござらぬか! 家の名誉に関わるとなれば、当然でござる!」
「いや、待ってください。貴族同士は、決闘をすることもありますが、決定的な対立を避ける工夫も数多く持っています。大抵のことはお金で済ませたり、とか」
「ヴァンサン殿が裕福とは思えぬでござるが」
「しかしマルセルさんは、武術に自信があったのでしょうか? 他でもなく、なぜ決闘という手段を?」
もう少し事情が分からないと、説得も出来ない。
どころか、動きようも無い。
「調べる必要がありますね」
「気が重いでござるなあ」
ペンディングして、霊能調査第二弾。
「『霊気を練る』の意味が分からぬと? ヒロ君はまこと面白い」
浄霊師、周・李老師は笑うけれど。
本人にしてみれば笑い事ではない。悩んでいるから、天真会極東総本部(兼・新都支部)まで顔を出しているのだ。
「どれ、見てみよう。わしで分かるかは分からぬが」
ひょいと木刀を俺に手渡し、自分も木製の小太刀を手に取って。
「霊を呼び出し、かかってきなさい」
ピンクの指示に従い、二十合ほど打ち合っただろうか。
李老師は、真壁先生よりも動きが、何と言うかその、だいぶ「柔らかい」。
直線的でないのだ。円を描くようだというか、攻防が一体になっているというか。
「ぐぬぬ。崩せてるのに仕留め切れないよ」
ピンクも困っているけれど。
もう少し、もう少し打ち合えば、何かがつかめそうな気がする。
「これまでとしようぞ」
ふわりと跳び退る、李老師。
ふわりとしているのに、一気に距離を開けられた。もう間合いの外だ。
「そこから先は、教えてあーげない」
がくっと力が抜けた。子供じゃないんですから。
いや、子供相手の指導もしているからこそ、か。
「気勢を殺がれたであろう? 気分が乗ってきた相手の鋭鋒を避け、試合を止めるには有効なのよ。ともかく、そこから先は自分で詰めること。幽霊達とも話し合ってな」
俺に向かってそんなことを言っていたと思ったら、もうくるりと背中を振り返っている。
李老師、身軽というか気軽というか。
「千早、それはお主の見立て違いよ。真壁先生はヒロ君のことを初心者と思うて、あしらうつもりで対峙していた。わしは、最初っからいっぱしの武人として扱った。あらかじめ話を聞いていたかどうか、その違いが出ただけよ。本気でやりあったならば……互角、かの?」
「未熟でござりました。一手、お願い申し上げます老師。」
「私もお願いいたしたく」
孝・方であった。
出稽古……と言うか、師匠(李老師の弟子)と連れ立って、老師を訪問していたのだ。
「まあ待て、まずはヒロ君の霊気の話だ。ヒロ君、君は霊気を練ってはいるようだの。そこは普通の霊能力者よ」
つまり質には問題ない。
だが、使っている霊気の量が「あまりにも」少ないのだとか。
それゆえ「銃からは弾が出るのみ」、「ぬいぐるみはぴょこんと動くのみ」。
「練っていないならば、ぴくりとも動かぬはず。実感できぬのは、扱っておる霊気の量が少なすぎるからか、言葉の意味がよく分かっていないからか、まあそういうところだろうて」
なんとなく納得したような気になったけれど。
(でも、旧校舎でコンニャクをかわしたじゃない。霊気を使って)
アリエルが口にした疑問に、再び首を傾げる。老師に伝える。
「それは、武人の気働きよ。霊気とは異なる。すでに体験しておろう?」
塚原先生のあれか!
「少しずつでも、そちらが身に付いておるのよ。そちらは霊能の多寡とは違い、努力次第。どうだ、やる気が出てきたろう」
孝・方とマグナムの気配が大きくなった。
これを感じ取れるのが、武人の気働きと。
「少ない霊気で、いかに幽霊を使役するのでござるか? かなり精緻な連動やに存じまするが」
霊気の問題とあれば、千早としても聞けることは聞いておきたいと。
だが李老師の答えは、これまた意外な切り口で。
「『使役』しているのか、ヒロ君?」
「いえ、使役しているという感覚はあまりありません。依頼というほど弱くはないですが」
(俺様を使役?)
(冗談じゃないわよ)
(使役って、響きがちょっとやらしいよね。悔しい、でも……みたいな)
ピンク色なのは髪の毛までに留めておいてもらえるかな?
ともかく。
「幽霊たちも、使役されているつもりはないそうです。協力? でしょうか」
「そういうことよの。人間同士が組んでいるのと大きくは変わらぬ。だから霊気をあまり使わぬのであろ」
うめき声が聞こえた。
声の主、まさかのフィリアで。下を向いていた。
「幽霊は、使用の対象たる霊気とは異なる、ということですか。霊気で構成されてはいるけれど、それだけにとどまるものではないと」
ややあって、顔を上げる。
「虚心坦懐に眺めれば、そういうことになるのでしょう。もう少し調べなければいけないとは思いますが」
老師の顔が、一瞬だけ輝いて。
なぜか、悲しそうに歪められて。
再び口を開いていた時には、微笑んでいた。
「フィリア嬢、お主は強いのう」
李老師のその気持ち、分かるような気がした。
「老師、ユウはどうなのでござろうか。ヴァガン殿は?」
「確かにそうだの、千早。それも気になるのう」
「霊能の有無なら、俺の銃を撃たせてみれば分かるぜ」
「冴えておるよの、マグナム君。お願いできるか?」
ヴァガンは撃てなかった。霊能力者ではなかったのか?
ユウは撃てた。かなりしっかりした弾道だ。
「どうやら、ユウは霊能によって幽霊とつながっているようだの」
決め付けるべきではないような気がする。ユウの場合、母と子なのだ。
俺のその表情を、心の動きを、李老師は掴み取ってしまう。
「む、確かにそうだ。ユウは普通に霊能も使える、と言うのが正確なところかの。幽霊とどうつながっているかは要検討と言うべきだのう。今分かるのはこれぐらい。……待たせたの。千早、孝。いざ順に。後でマグナム君も」
霊能のことも気になるし、ヴァンサンの件も気になる。
しかし。「もう少しで何かがつかめそうだ」という、その衝動が今は強くて。
余事など全て忘れ、ついつい見稽古に熱が入ってしまった。