第四十二話 武術大会まで その3
「どうした?」
扉を開けるか開けないか、それを待つこともできずにユウがしゃべり出した。
「患者さんが転んでしまって。僕の力では起こせないから!」
「よし、分かった、待ってろ。」
再び「二人羽織」氏のところに移動。ジタバタしていた。
「くそっ。自分で、自分でやるんだ!起きるんだ!」
必死に身を起こそうとしている。気のせいか、先ほどよりも霊と体のズレが大きいような……。
待てよ?
「ヒロ殿、何をしているでござるか。早く起こさねば。」
「すまない。やはりまだ自分では起き上がれないようだ。」
慌てて助け起こし、車椅子に乗せる。
「幽体離脱、できないかな。」
「ヒロさん、何を?」
「カデンの街のお母さんだよ!いったん体から抜けて入りなおせば、うまく収まるんじゃないか?」
「押して駄目なら引いてみな、でござるか。」
とにかく、二人羽織氏に試してもらうことにした。
「体から抜けることはできますか?」
「試したことがない。そんなことありうるのか?いや、霊に関しては君達の方が専門家みたいだな。試してみよう。」
「おっ?少し離れたけど……駄目だ、うまく抜けきれない。」
「されば。」
千早が拳に霊気を集める。構えを取る。
「君、何を!おいよせ、やめてくれ!」
構わず正拳突き。逃げようとした霊が、すぽっ と体から抜け出した。
もちろん寸止め。
ふわふわと浮いている自分にとまどっている霊に、話しかける。
「体に戻ってみてください。」
案の定、すっぽり収まった。
「見える。言葉も……大丈夫か?聞こえていますか、皆さん。」
「聞き取れるでござるよ。」
「動く。動かせる。」
筋肉が大分衰えているので、思ったようには動かせていないようだが、感覚としては全く違うのだろう。
男性が、泣き出した。
「こんな、こんなことが。夢じゃないんだよな。ありがとう。どうお礼をしたらいいのか。」
騒ぎを聞きつけた院長に、事情を説明する。
「なれど、幽体離脱の件も、我ら3人の秘密にしていたのでござったな。」
「院長、この件は、できればあまり広めてほしくはないのですが。」
「穿鑿は悪しき行い。患者さんを治してくれた皆様にご迷惑をかけたくはありません。いつか話をしても良くなった時に、教えてください。」
しばらくは入院してリハビリをするそうだ。まだ体が万全ではないだろうし、長居して体力を消耗させても悪いので、帰ることにした。
「しかし、霊とか霊能って、何なんだろうな。」
「分からなくなってきましたね。」
「『分かるような、分からぬような』とばかりは言ってもいられぬ、ようでござるな。」
「お、君ら、また来てたのか!」
元・不良少年だった。
「あの後親父が面談に来てさ、驚いてた。変わったなって。また泣き出したよ。」
「それほど変わったようには見えぬでござるが。」
「いや、見違えた。確かに変わりましたよ。」
「やっぱり、どうも女には分かってもらえねーんだよな、これが。男はみんな分かるのに。」
「この間、あんたに教えてもらった話をした。親父も、『その策があったか』って。『ありがとうございます』と伝えてくれとさ。『息子に、父祖の子孫に、家名を名乗らせることができる。感謝してもしきれません』って。俺からも。ありがとう。必ずここを出て、復帰する。こんどは全うに暮らしてみせる。」
「どういたしまして。まずは戦を生き延びねばならぬ。ナース殿、なお一層絞ってやってくだされ。」
「ええ、もちろん。」
異能・霊能に関する新事実が続出したせいで、帰りの馬車の中では、みんな頭を抱えていた。
何をどう考えれば良いのやら。
ヴァガンをどうするか。
幽体離脱の件をどうするか。
時は8月。窓を開け、風を入れても蒸し暑い馬車。
沈黙が重苦しい。
ヴァガンが俺の腕をつかんだ。念話で伝えてくる。
「なあ、ひょっとして、俺が捨てられたのって、このせいか?念話ができるせいだったのか?」
ひょっとしたらそうなのかもしれない。
いや、そのせいだという気がしてならない。
しかし。
この異能が発動していなければ、山で幼子が生き残れるはずもない。
「逆に言えば、グリフォンに拾われたのも、その異能のおかげかもしれないぞ、ヴァガン。俺達がこうして出会えたのも。」
「そうか。それなら悪いばかりでもないな。でも、俺はこれからどうしていけばいいんだろう。」
「ヴァガン、それは念話じゃなくて、実際に口にした方がいいんじゃないか?たぶん、動物と人間の大きな違いって、言葉を使えるかどうかだと思うよ。」
「アラン兄ちゃん、俺はこれからどうしていけばいいんだ?」
早速口にするヴァガン。素直なのは美点か、それとも少し危ういと見るべきなのか。
「天真会に、少なくとも姐さんと老師には相談しないと、結論は出ませんが。大丈夫ですよ。ヴァガン。悪いようにはしません。これまでどおりに過ごせるようにします。」
「ヴァガンさんご自身は、どうしたいですか?」
フィリアが口を開いた。
「いろいろと難しい問題はあると思いますが、天真会の皆さんは、たぶんできるだけ尊重してくれると思いますよ。一番大切なことです。」
「へ?俺がどうしたいか?うーん…………特に、したいことなんてないなあ。メシ食って、寝られれば、それでいい。」
「他にはありませんか?」
「ええと、あ、グリフォンの兄弟の世話はしないと。山に帰るのが一番なんだけど。」
「ならぬ、ヴァガン殿。お主は人でござる。人とともに暮らすべきでござる。」
「そうだね、千早ちゃん。みんなと過ごすのは、楽しい。山じゃ人間に会えないもんなあ。……グリフォンが気楽に住めて、人間の友達がいるところで暮らしたい。それが、俺がしたいことだよ。えっと、フィリアちゃんだっけ。」
「それだよ、ヴァガン。会話して、名前を呼んで。念話じゃあ友達を作れないんだ、俺たちは。霊能や異能で人と繋がりを作ることはできないんだよな、結局。『人は霊能の有無によって量られてはならない』だっけ?カヴァリエリ司教もいい事言ったもんだ。」
「逆に言えば、異能があるという理由で差別されることも、あってはならないはずなのですがね。」
アランの声は、厳しかった。
「今はまだ、私達の側で、配慮を重ねなくてはなりません。」
「念話だったんですか。秘密にしますね。」
ユウがいたのを忘れてたー!
「ごめんなさい、ユウ君、秘密を背負わせることになってしまって。」
「大丈夫です。僕も死霊術師。天真会に入る前にはずっと隠し通してきましたから。それぐらいなら何でもありません。」
「頼もしいでござるぞ、ユウ。それに引き換え、ヒロ殿!大丈夫でござるか?」
「自信無くなってきた。」
「千早姉さん、ヒロさんは大丈夫。このメンバーだから安心しちゃっただけだよ。千早姉さんよりはずっと大人で、考え深いし。」
まさか、大ジジ様みたいに、魂が見えているのか!?
そんな疑念を、俺の代わりにアランが口にしてくれた。
「死霊術師には分かるのですか、ユウ。」
「アラン兄さん、なんでも異能のおかげにしちゃいけないんでしょう?僕たちの方からそれを口にしたら、溶け込めなくなっちゃうよ。」
「これは……。ええ、まさにその通り。ユウの言うとおりです。」
「ユウ君はしっかりしていますね。」
「頭が痛いとばかり思っていましたが、これは。気分が明るくなりました。」
「なんか難しいなあ。今までどおりでいいんだろ?異能は隠す。友達を作る。できるだけ話をする。」
「ええ、そうしてください、ヴァガン。」
「じゃあさ、早速だけど。フィリアちゃんは、みんなは、何がしたいんだ?」
「え?う~ん。」
「言われると難しいだろ?俺も困ったんだぞ。」
「僕は学園に通いたいな。」
ユウが即答した。
「いろいろ勉強したいし……『十人隊長』がほしい。それがあれば、信用してもらえるから。逃げ回らなくて済むから。そうだ、言い忘れていたけど、ヒロさん、おめでとうございます。千早姉さんも、フィリアさんも。」
「ユウ、ありがとう。あなたのお陰で、私も考えがまとまりました。」
アランが続く。
「私は、天真会の子供達が、ヴァガンのような異能者たちが、怯えずに暮らせるようにしたい。そのための道筋を、少しでも切り開いていきたい、広げていきたいです。」
「ロータス姐さんも、でござろう?」
千早がまぜっ返す。
「姐さんが、怯えながら暮らすタマに見えているんですか?」
真顔のアラン。
「それをそのままに伝えて良うござるのか?」
「支部に帰る前にお茶をご馳走しますので、許してください。」
「男性は女性には勝てないものなんですね。」
こちらも真顔のユウ。
先ほど来から、どうもこのユウが、アランの正統な後継者に見えてきてしまう。苦労することになりそうだ。ロータス姐さんの後継者は、あのマリーだろうし。
「私は、まだ見えてきていません。ただ、それを言い訳にしていてはいけないのかもしれませんね。あの真面目なイーサンさんでも、『自分の好き放題にやること』をひとつ、決めました。」
姉妹の中でも、決めていないのは私ともう1人だけですし。
フィリアが、そんなことをつぶやいている。
気まずい思いをさせちゃいけない。
そんなことを考えるようになったのは、社交の場に出るようになったせいだろうか。
割り込むようにして、口を開いてしまった。
「俺は!」
ちょっと口調が強かった。馬車の中の5人が、こちらを見る。
その視線にヘタレる。
「……いや、俗物っぽいと思われるかも知れないけど……。今は、出世したい。もう少し上に上がって、社会をいろいろと見てみたい。人と接していきたい。」
「ヒロさん、俗物などと馬鹿にすることはありえませんよ。」
アランが答えた。
「私達のような、宗教人と接したせいで、少し恥ずかしいような気持ちにさせてしまったのであれば、お詫びいたします。出世を願うのは、人であれば当然のことです。能力のある人、教養のある人が上に上がるのは、社会全体としても利益になります。」
「僕達異能者にとっても、身近な人が頑張っている姿は、励みになります。」
「さよう、カッコいいでござるぞ、ヒロ殿。ようやく丈夫らしい腹が据わり始めたでござるな。」
俺の正面に座っているフィリアが、笑顔で頷いた。
たぶん、発言内容よりも、割り込んだことへの感謝だろう。
「されば、某もそろそろ決めねばならぬでござるな。」
最後は、千早。
「『お前は俺の息子、まごうことなきご先祖の子孫だ』でござったか。さよう、武家は、武家の者とは、そういうものでござったよ。……某も考えねばならぬでござるな。家名を名乗るか、否か。」
決然と、顔を上げた。
相変わらず、綺麗な顔だ。
「次の長期休暇には、一度実家に帰るでござる。それが、某の『やりたいこと』『やらねばならぬこと』でござる……たかがそれだけ、ではござるがな。」
「大丈夫ですか、千早。」
アランが細めた糸目を千早に向ける。
「アラン兄さんには、ご迷惑をかけぬでござるよ。これぐらいのことは、自分で始末をつけねば。」
言葉とは裏腹に、やや顔を俯けている千早。
ほっとくわけにはいかないな、これは。
「俺とフィリアまで邪魔者にはしないよな?」
「ええ、千早さんは、私の側近ということになっているのですから。私も行きますよ。……南ファンゾには、そろそろ安定してもらわないと困りますし。むしろ『3人だけ』では済まなくなるかもしれませんので、そちらを覚悟してくださいね?」
春の休暇は、南国への旅行で決まりだな。
「来年のことを口にすると鬼が笑う」と言うけれど。
笑っているのは、フィリアだった。消しもあえぬ……というか、消す気もないほど鋭い眼光のままに。
何があるのか、事情は知らないけれど。
鬼も泣き出すヴァカンスになることだけは、間違いなさそうだ。