第四十話 くのいち その2
帰って来た楓にも同じことを告げた。
中忍・下忍という意識を捨てろ、と。
「無理でありんす。それは無理。無理無理。……いや、無理でありんす。」
「ヒロがそう言ってるの。くのいちマイスターの言葉よ!」
レイナさん、言い出したのはあなたですよね……。
「マイスターのお墨付きを受けた人」から、いつの間にかマイスターに格上げされてるし。
それにしても、やっぱり「無理」なのか。
ニンジャだもんねえ。鋼の掟、みたいな組織なんだろうなあ。
南ネイトに家を借りた二人を、「指導」に行くことになった。マイスターとして。
俺が言い出したわけじゃない。
レイナにアンヌ、トモエと言った連中が鼻息を荒くして、「行くわよ!」と言い出したのだから仕方無い。
滞在しているメル館に訪問してきたわけだから、フィリアと千早も参加してくる。
自らの課題を発見したら克服せずにはいられない勤勉な少年、マグナムの姿もあった。
なぜかつきあわされているイーサンやマリアの姿もある。
挨拶状も出してあったし、手土産を用意してあるし。
その辺のソツのなさは、さすが貴族と官僚予備軍だ。
優雅である。優雅ではあるが……。
つまるところ、出歯亀さまご一行によるお宅訪問である。
二人の出迎えを受けた。
ヒュームは特段いつもと変わらぬ書生姿。
ヒュームは、普段は詰襟の制服か、書生的な和装をしている、
ニンジャ装束に着替えるのは仕事や演習の時だけ。まあ、里の若様として留学に来ているのだから、当然かもしれない。
ともかく、いまは書生姿であった。
楓も、やはりニンジャ装束ではなかった。
大正時代っぽい和服姿。
顔もしっかり出しているし、ずいぶんと雰囲気が違う。
「いい感じじゃない!」
アンヌが真っ先に食いつく。
「で、どう、楓さん?ヒューム君、少しは変わった?」
「若様はいつも通り、若様でありんす。」
上司を目の前にして批評なんかできるわけないよな、そりゃ。
「『若様』じゃだめよ!ヒュームって名前で呼ばないと!今はクラスメートみたいに対等なんだから!」
レイナが攻勢をかける。
「ほら、呼んでみなさい!」
「あの、その、それでは、ひゅ。ヒューム様……」
顔を真っ赤にしている。これは演技じゃない。
やばい。これはやばい。
煽ったレイナまで、というかレイナが真っ先に生唾を飲み込んでいる。
声をかけられたヒュームだが……驚くべき事に、顔色が一切変わらない。
「何か、楓。」
「おいコラヒューム、お前!」
男子全員からツッコミが入る。
そちらにはやや疎いマグナムからも、謹厳なイーサンからも。
……ジャックにスヌークからも。ノブレスも含め、ほぼ全員に召集がかかっていた。
いや、召集はかかっていない。ここにいるのはみな誇り高き志願兵であった。出歯亀の。
「この野郎、何ていうか……クソッ、この野郎!」
「果報者だということを自覚したまえ!」
「楓さんがどれだけの勇気を振り絞ったと思ってるんだ!」
女子も負けていない。
「ヒューム殿、それはないでござる!」
千早の拳には、霊気が集まっていた。
「驚きました。」
俯きだすフィリア。この事態を、ヒュームの人柄を、どう理解すべきか。必死に考えている。
「楓さん、泣いてもいいのよ。」
マリアが声をかける。
そうだ、ヒュームも大問題だけど、楓をフォローしないと。
そう思ってみんなが楓のほうを振り返る。
泣くか怒るか……と思っていたら、そうじゃなかった。
もっと真っ赤になってはいた。いたけれど、しかし。楓の口から発せられたのは。
「若様、さすがでありんす……。任務のためとは言え、かほどの失礼に動揺もせず……。」
やばいやばいやばい。
恥ずかしくて、こっちが直視できない。
直視できないからヒュームを見る。
「楓、『ヒューム』と呼ぶのであろう?いや、くらすめーとのように遇するのであれば、『楓殿』と呼ぶべきでござったか。」
うわっ。
このヤロー、ナチュラルに「ころがし」やがった!
「なあ、俺達いらないんじゃない?完全に邪魔者だろ、これ。あとは若い二人にお任せしてってか、ハハッ。」
「お待ちくだされ、ヒロ殿!まだ何の指導も受けてはござらぬ!」
「しまいには怒るよ。温厚な俺でも。ねえ、怒っていいところだよね?」
「待って、ヒロ君。まだ観察と取材が終わってない。」
アンヌ……君さあ……。
そういやピンクも随分と気配を大きくしている。
本当に物書きというヤツは業が深い。
「ともかく!……楓殿、何のお尋ねにござるか?」
ヒュームの言葉に、下を向いてぷるぷる震えている楓。
「いえ、これほどお客様がお見えになるとは思いませなんだゆえ、支度が……。食器等を買ってまいりますと言おうとしたのでありんす。」
「さようでござったか。それでは頼む、あ、いや。お頼み申す。」
「ヒューム、そうじゃないでしょ!」
レイナが突っ込む。
「一緒に買いにいくの!二人の生活に使う物なんだから!できるだけ二人で過ごす時間を作らなくちゃ修行にならないでしょ!」
嫌な屁理屈を組み上げるもんだ。
「しかし、某は、皆様をおもてなしせねば。」
「いいの!私たちは指導に来ただけなんだから!二人の生活をしてもらうことが最優先!と、言うわけで。みんな、ついていくわよ。二人を邪魔しないように。」
「あの、若様と二人で歩くのでありんすか?街を?」
ああもう!
ヒューム、このヤロー!
南ネイトの一隅にある雑貨屋に行く。
日本的に言えば、デパートといった趣。客を迎えることもあるし、あんまり安いものを買うわけにもいかないということか。
「そう言えば、某も必要なものがあったのでござった。」
「私もです。」
千早、フィリア……。
「はいはい、分かりましたよ。」
店内用の買い物籠を手に取る。
前を見ると、そんな俺達の様子を、ヒュームと楓が観察していた。
「籠は某が持つべきなのであろうか、楓殿。」
「若様、いえ、ヒュ、ヒューム様。それは恐れ多いでありんす。楓は侍女。わっちが持つでありんす。」
こっちが恥ずかしい!
「レイナさんとマリアさんが提案した、クラスメート作戦ですが。」
フィリアが口を開く。
「ヒュームさんではなくて、楓さんの『くのいち』技術の向上に役立ってはいませんか?」
「そうね。男子のみんな、楓さんの虜になっちゃってるかも。」
マリアがくすくすと笑う。
女子連中の、男子を見る目が冷たくなる。真夏なのに冷や汗が出る。
「つ、つまりだ。クラスメート作戦は、作戦そのものとしては有効だということが証明されたわけだ。それにさ、ヒュームのヤツ、結構ナチュラルに楓さんを『ころがし』ていないか?」
「いや、楓殿は最初っから『転んでいた』というだけのこと。」
先日の無礼は許してやるでござるか。
千早がつぶやく。
「あの態度のヒューム殿を見ても、たとえば我々が、ヒューム殿になびくことはなかろう。それでは『くのいちの術』を使えるようになったとは申せまい。」
「やっぱり、治・ド・立花伯爵閣下に会って話を聞いてみないとダメだよね!」
アンヌが雀躍する。
「親父には釘を刺しておかないと。友達に手を出したら、ヒロに暗殺させるからって。」
レイナの目が尖る。
買い物を終え、再び南ネイトの家に戻り。
いろいろな話をして、解散。
門のところでヒュームと楓に送られた、その帰り道。
みな、思わず感想が口を突く。
「いいわねえ。」
「恥ずかしかったなあ、全く。」
「私が楓さんを煽ったおかげよ。『ヒューム』って呼べって。」
「今ごろどうしてるかな。」
マグナムの、なんの気もないひと言が、空気を凍らせる。
途端にみなが沈黙する。
まさか、ね。
ま、まあ、里としては、想定内だろうし。
楓もそのつもりだろうし。
たぶん皆そんなことを妄想している。
マグナムが、「また俺何かやらかしたか?」という、哀れを誘う表情を見せる。
なんとかしてやらんと。
「た、たださ、ほら、ヒューム。結局最後まで何考えてんだか、分からなかったなあ。」
そんなことを口にしてみる。
「そ、そうね。」
マリアが拾ってくれた。
「悪い人じゃないんだけど、何だろう、鈍いのかなあ。」
フィリアもフォローする。
「やはり立花伯爵やロータスさんのような、経験豊かな方に聞いてみたいところですね。」
ちょうどメル館に到着したので、解散。
「やっぱり、もうしばらくヒロとヒュームに付き合わせてくれ。今年は実家に帰らず、新都の兄貴のところに厄介になる。」
……さっきはありがとうな。
何も悪いことをしていないマグナムの後姿は、まさに孤影悄然。
8月の西日を受けた背中が、小さく丸まっていた。




