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第三十九話 社会科見学 その7


 患者たちの中に、変わった暴れ方をする男性がいた。

 他の患者とは異なり、説法師のような剛力を持っているという訳でもなければ、暴れるタイミングがつかめないという訳でもない。

 しかし常に何かを叫びながら、不器用に暴れているのだ。

 伝えたいことがあるようだが、暴れる以上は隔離せざるを得ない。


 なぜそうしているのか、俺にだけは理解できた。


 魂が、身体から少しはみ出している。身体と魂が、ずれてしまっているのだ。

 二人羽織状態である。

 魂は必死に身体を動かそうとし、言葉を発しようとしているのだが、ずれているから命令がうまく伝わらない。

 それで変な動きになり、言葉も紡げない。たまに癇癪を起こし、暴れ、叫ぶ。


 

 「院長、私はこの人と意思の疎通ができます。」


 「本当ですか!?是非お願いします。」

 

 「そこの人、俺ならあなたの話が分かる。聞かせてくれ。」


 「またそんなことを!皆はじめはそう言うんだ!どうせすぐ諦めるくせに!」

 うなり声を発する。しかし俺にだけは、意味のある言葉も同時に聞こえてくる。 


 「俺は諦めないぞ。あなたの言う事は聞こえている。」


 「本当か?…………いいや、嘘だね。本当なら、犬のまねでもしてみろ!」 

 やはりうなり声とともに聞こえる声。

 

 「わかったよ。」

 四つんばいになって、ワンワンと吠える。

 院長が、俺がおかしくなったと勘違いする。

 千早が俺をつまみあげる。


 「待ってくれ、患者が言ってるんだ。犬のまねでもしてみろって。」


 「済まん!本当に聞こえてるのか!助かる!話を聞いてくれ!」


 愚痴を聞かされた。ずっと会話もできなかったのだ。仕方無い。

 とはいえ、院長も忙しい身、俺達にも時間の問題がある。

 内容を要望に絞るよう、お願いした。

 

 「怖がらないで欲しい」ということ、そして、「時間さえかければ自分の事は自分でできるから、どうか自分でやらせて欲しい、焦らせないで欲しい」ということ。あと、「他の患者と同室にすることは無理でも、隔離病棟はイヤだ」ということ。「『他の人がいることを感じられる』ようなところにして欲しい」と。


 「こんなでも人間だ、人間扱いして欲しい。いや、シスター達が誠実なのは分かってる。それでも、今の生活には耐えられないんだ。」

 そう言っていると伝えた。


 「一緒にいてくれないか?君の生活の邪魔はしないから。頼む、話し相手になってくれるだけでも。」

 これは俺に対する言葉。


 取り次げずに黙り込んでいると、千早が口を挟んだ。

 「ヒロ殿、己がいわば修行中の身であることを忘れてはなりませぬぞ。」 


 「学園の寮にその方を連れては行けないでしょう?」

 フィリアも口にする。


 何を言われているか、何に悩んでいるか。

 二人にはお見通し。


 「『学園』の生徒さんか。それでこんな俺とも会話できる異能を。」

 

 「耳は聞こえるんですね。」


 「ああ、耳は聞こえる。目も、ぼんやりだが見える。だから、自分のことは自分でやれるんだ。健康だった頃の何倍も時間がかかるけど。……いや、済まなかった。ずっと人と会話も何もできなくて、ついつい君に縋ってしまった。学園の生徒さんは、もっと大きな仕事をしなくちゃいけない。子供に負担をかけるつもりもない。さっきの言葉は忘れてくれ。」

 

 この人は本来、相当きちんとした大人だったのだろう。

 責任感も自立心もプライドも高く、だからこういう扱いに耐えられない。 


 「『自分のことは自分でやれる』って言ったんだ。吐いた唾を飲み込むつもりはない。どうにかしてみせる。」

 

 「ヒロさん、何と?」院長から通訳を求められた。

 

 「『耳も聞こえる、目も見える。自分の事は自分でやれる。人に縋りっきりになる気はない。どうにかしてみせる』と、そう言っています。」


 しっかり説明しなければいけない。

 彼の要望を満たすためには、それが必要だ。


 「この方は、言ってみれば二人羽織状態なのです。魂が体から後ろにはみ出しています。少しだけズレているのです。だからうまく身体を動かせない、うまく発語できない。そういう状態です。非常に自立心の高い方です。さきほどはつい、私に縋るような言い方をしてしまったが、それは忘れて欲しいと。」

 

 「ありがとうございます、ヒロさん。……さん、これまで申し訳ありませんでした。」


 「気にしないで欲しい。むしろ感謝申し上げるべきところ、不満ばかりだったことをお詫びする」と、言っています。


 「症状がわかれば、対処の方法は追い追いいくらでも考え付けます。後は私達にお任せください。皆さんが心配なさることはありません。」

 俺達3人に対して決然と言い放った院長。

 聖職者だと思っていたけど、これは医者の言葉だ。プロのひと言だ。

 

 「休暇中に、もう一度お邪魔して良いでしょうか?こちらでも何か調べられることがあるかもしれません。」


 「ぜひお願いします。」


 「ありがたい、お願いできるか。」

 うなり声とともに、そう聞こえた。



 

 「安らぎの家」、その全病棟の見学を終えた。

 ずっと聞きたかったことを、質問する。



 「このお仕事は、大変に厳しいものがあると感じられます。始めようと思うにも勇気が要ると思いますし、逃げずに続けることは、もっと難しいのではないかと。……どうして、逃げずにいられるのですか。」


 「宗教生活を送る者には、信仰があります。それが心の拠り所になっているから、という答え方はあります。そうした説明の仕方は、決して間違っているわけではありません。私達が日々実感している確かなことでもありますし、『正しい考え方』です。」


 こちらに、少し寂しげな笑顔を見せた。

 目の前の少年は、それなりの知性がある、異教徒。

 そういう者は、これでは納得してくれない。そのことを院長は知っているのだ。 


 「これは、信者の方に、教会で説明する時の……何でしょう、そう、そういう時の『論法』でしたね。少なくとも、信仰の芽が、根がある方への説明。芽や根でもお持ちであれば、ご理解いただけます。……しかしおそらく、いまのヒロさんには届きにくいでしょう。」


 教えを堅持しつつも、柔軟な頭脳を持ち、説明上手。

 ここの院長職よりも「上」を目指せる器の人であろうと思わせる。

 「上」だの「下」だの言い出したら、それは宗教家ではないのかもしれないけれど。

  

 「信仰に生きる者の考え方としては、他に、『天に帰った時』のことを、心のどこかで意識しているところはあるかとも思います。『楽園』に入りたいという、その気持ち。全く無いとは、言えませんわね。……他にも、『主神が見ていらっしゃる』、そういう思いでしょうか。そう思うと、逃げることはできなくなります。目の前にどれほど恐ろしい事態があったとしても、主神のみ前で逃げ出すことの恐ろしさに比べれば何でもありません。」

 

 賞罰。

 つとめれば報酬がもらえるから。怠れば罰があるから。

 お金よりも、司法による刑罰よりも、それを「ずっと大きいもの」と感じているから。

 現世利益ならぬ、来世利益と言うべきか。そういう発想。


 「いろいろな理由はありますが、おそらく、ヒロさんにもご理解いただけるのは、こういう理由かと。『自分で決めたことだから』。」


 説明しながら、考えていたのだろう。

 世俗に生きる、異教徒に通ずる言葉を。


 「迷う事はあります。ためらうこともあります。しかし、事に臨むと体が動いてしまうものです。終わった後に悩んでも、また同じように行動する。もちろん反省や改善点を踏まえますが。……それは結局、最初に取った行動が、自分の思いに、自分の考え方に沿ったものだからではないでしょうか。」


 話をするにつれ、見抜いていた。

 少年が何に悩んでいるのかを。


 「軍人は、人を殺めます。殺めなかったとすれば、軍人としては失格でしょう。それは『逃げた』と言われてしまうことなのかもしれません。でも、その人は、軍人ではない道を『自分で選んだ』とも言えませんか?」


 ここからは、一直線だった。


 「逆に申し上げれば、軍人も、『殺すべからず』という規範から『逃げた』訳ではない、ということになります。殺めることを、『自分で選んだ』のでしょう。……軍人は、殺人者ではない。誰しもそう思っています。すると、選んだのは『犯罪者・罪びとになること』ではない。」


 お分かりいただけますわね?

 

 「『殺すべからず』とは別の規範を、選んだということです。」


 別の、規範、か。


 「『殺すべからず』は、重い規範です。それを身の内に持っていない人など、まずいません。ヒロさん、あなたが決断した理由とは、『殺すべからず』から逃げた、ということではないのです。ヒロさんがお持ちの、他の大切な規範を、自らの意思で選択した。そういうことではありませんか?」


 院長が、ダメを押しにかかった。


 「逆に『殺める』という選択をしなかったのは、その時には『他のより大切な規範』が求められていなかったからです。『殺める』ことから『逃げた』わけではありません。『殺めない』ことを『選んだ』のです。」

 


 何となく、分かってきた。

 全部、自分の選択であり、決断だったんだ。自分の行いだ。

 少なくとも、初陣で人を斬ったこと、試合で人を斬らなかったこと、その二つの選択は、間違ってないと自分では思う。あの場面に再び立たされたとしても、また同じ選択をするに違いない。

 

 こういう悩み方は、もうしない。


 反省はしなきゃいけない。悠長に悩む暇なんて、普通は無いから。瞬時に決断する必要があった。


 だが、後悔しても意味は無い。

 俺は決断していなかったわけじゃない。決断はしていたのだ。それをその場で、あるいは後から、言い訳を探していたところに問題がある。

 逃げるなら逃げるで、その場では全力で堂々と逃げなくちゃいけない。

 逃げた後に、逃げたことに胸を張らなくちゃいけない。

 逆もまた然り。

 たぶん、そういうことだ。 



 「院長、ありがとうございます。何かつかめたような気がします。」


 「宗教者としてのつとめを為したのは、久々です。私も感謝いたします。」


 

 「安らぎの家」を後にする。

 振り返ると、白い建物が、日に照らされて眩しい。

 

 「何か憑き物が落ちたようでござるな、ヒロ殿。」


 「ええ、ずいぶんとすがすがしい顔をされていますね。」


 「爽やかな死霊術師になったね。」


 「ノブレス君、それってどこか矛盾してないか?」


 「デクスターさんも、だいぶ爽やかになったわよ。」


 「二人とも賢者タイムだね。」


 ノブレスの言葉に、トモエが赤くなる。

 そう言えばノブレスはあの患者を見ていなかった……。しかし、トモエサン?

 千早の裏拳が入り、吹っ飛んだノブレスが俺に激突する。

 

 「千早?」


 「それぐらい避けられよ。……どうもヒロ殿にもひと当てしておく必要を感じたでござる。気のせいであったならばお許しあれ。」

 


 真壁先生も帰って来た。

 「何だノブレス、鼻血など出して。病院に来て怪我をするなんてお前らしいなあ。」


 随分とご機嫌だ。

 「体調は大丈夫ですか?」


 「ああ、問題ない。完全に治った。大したことではないと言っているだろう。心配をかけたな。」 

 

 「お、その声は真壁。やっぱりお前も来てたのか。」

 病院に向かおうとしている男性が顔を上げ、声をかけてきた。


 「全くいい年してバカをやったもんだ、俺達も。激辛鍋と聞いて食いに行き、お互いに張り合ってさらに香辛料を突っ込んで、二杯三杯とお代わり。しかしやはり道場仲間はいいなあ。久しぶりに集まると、気分まで若い頃に戻ってしまう。」

 

 そこまでなら、良かったのだが。 


 「武人は無駄に意地っ張りなのがいかんな。俺も尻が痛くてたまらんよ。……と、失礼。」

 大声で話しながら近づいてきて、そこで初めて俺達の、特に若い女性の存在に気づく。


 「いや、ハハハ。舌が痛くてたまらんと。まあ、そういうことですな。」

 逃げるように去って行く。


 ああ、道理で。馬車はつらかっただろうなあ。

 馬でなかったのはせめてもの救いかも。

 

 「ネイト館の医師はみな、女性なのです。メイドも多いですし、男性の武人も士気が上がるだろうと、姉が気を回して。」


 「それも美人揃いでござったなあ。眼鏡に白衣で、何と申すか、『ツボを心得た』人選でござったかと。」 


 ソフィア様ったら、王国最大の領邦を持つ公爵家の総領娘なのに。

 随分と下情に……いやまさにシモジモの事情に通じていらっしゃる。


 「最終面接後の具体的な人選は、義兄に任せたと聞いています。やはり男性の、武人のことは義兄の方が分かるだろうからと。」


 アレックス様!それ罠です!嗜好(このみ)の内偵です!



 「ばれてしまっては致し方ない。恥ずかしくてネイト館の先生には見せられなかったのだ。」

 

 「この潔さ。まさに武人でござるな。」 


 「ええ、私もそう思います、真壁先生。」


 そう、こういう潔さだよ。俺に必要なのは。 


 「『女性の前では意地を張る男性も多いから、男性医師の採用も検討しては?』と、姉に申し出ますね。」

 

 「そうしてもらえると助かる。今回のことはともかく、確かに意地を張るヤツもいるからなあ。」



 俺はスッキリとした気分で梅雨明けを迎え。 

 ネイト館には新たに男性医師が着任し。

 

 穏やかな外貌の塚原先生は、真壁先生以上の意地っ張りなのだということも知った。

 何せ医者に行くことすらしていなかったのだから。



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