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第三十九話 社会科見学 その5


 次の金曜日は、聖神教女子修道会が運営する病院、「安らぎの家」を見学しに行くわけだが。

 この「安らぎの家」は、聖神教極東大司教区の司教区座聖堂(カテドラル)が鎮座まします、クリーシュナグの街に建てられている。


 「新都の南西の入り口」、有り体に言えば関所。それがクリーシュナグの街。

 新都の北東側にある学園からは、だいぶ距離がある。

 

 そういうわけで、前日の木曜日の夜、ネイトのメル館にご厄介になることとした。

 ネイトからならば、約半分の距離だから。


 アレックス様・ソフィア様ご夫妻と面識がないのは、トモエ・アサヒだけ。

 例によって例のごとく、社交的な挨拶が交わされ。イーサンを通じた、デクスター子爵からの堅苦しいお礼が述べられ。

 そしていつものように談話室。


 ノブレスからは、ノコギリつきボウガンの話。これは大いに受けた。

 イーサンからは、オスカー・マイヤーと、アイン南地域の話。

 俺からは、扇子の話を。興味を持ってもらったところで、プレゼント。

 フィリアからは、社会科見学で隣の班がもめていたことを。夫妻は笑い転げていた。そして最後に、「軍部か警察の見学をする機会をいただきたいのです」。

 

 「そのお話のついでに。」

 イーサンが、話を継いだ。

 「メル家の鍛錬場への出入りを、お許し願えるでしょうか?」


 「こちらとしては大歓迎だが……またなぜ?」


 アレックスさまの疑問は、しごくもっともなもの。

 デクスター子爵家は、宮廷貴族(官僚政治家)の家柄。

 イーサンには、鍛錬場で武術を磨く必要も、メル家上層部とのコネを作る必要も無いのだ。

 貴族である以上、家伝の武術を身に付けることは求められる。だがそれは、いわば「教養」の一環。官僚政治家には、それ以上のことは求められない。

 

 「8月の武術大会に参加したいのです。先頃、ヒロ君と試合をして、より多く他流に触れる必要を痛感しました。」

 

 「なぜ大会に?……と、これを聞くのは野暮というものか。くだらぬ嫉妬に駆られて喧嘩を吹っかけるヤツなどとは、さすがに器が違うな。」


 「お父様の許可は得られたのですか?……と、これも聞くまでもありませんね。」


 悪戯な笑顔を並べている。これぞ、おしどり夫婦の阿吽の呼吸。


 「ええ、『聞くまでも無いことだったので聞かなかった』で、お願いいたします。」


 「デクスターさん!何を!」


 「トモエさん、これは私達が口を出してはいけない話ですよ。」

 プレゼントされたばかりの扇子を広げて口元を隠し、二言三言、トモエの耳元でソフィア様が囁く。

 トモエが顔をあからめる。


 「歓迎しよう。他にも学園の生徒で出入りしたい者については、言ってくれれば開放する。存分に鍛錬場を使い倒してくれ。しかし、ヒロとの試合?それについては聞いていないな。」 


 イーサンとの試合についてはトモエから、カルヴィンとの試合については千早から、講談風に語られる。正確さを必要としない報告は、おもしろおかしく。それが談話室。


 「ほう、ヒロに勝ったか。これはなかなか。」


 「いえ、『得物を打ち合わせない』というハンデをもらっていたようなものです。肩の痛みに2週間は顔をしかめていました。」


 「謙遜の必要はない。戦場であっても、いや戦場であればなおさら、君の勝利だ。朝倉だったか、ヒロの刀は例外と言うべき代物だ。あのレベルを意識しだすと、努力の方向を踏み誤るぞ。」


 試合の話を聞いたアレックス様が、ぽんと膝を打った。

 何か思いついたな?


 「さて、デクスター子爵閣下からは警護についてのお礼の言葉……という形式を踏んだ警護のお願いがあったが。いつもの3人に、功績第二等のノブレス君、そして君ならば、大仰な護衛は必要あるまい。ちょうど真壁先生が、医者に行きたいと言っていたし、馬車に同乗していただこう。女性3人はともかく、向かいに座るのが男性4人では窮屈だろう?真壁先生は大きいしなあ。」


 と、言うわけで、だ。


 「馬を貸そう。イーサン君、ヒロ。2人は騎行しては?」

 

 イーサンの顔が明るくなった。

 さすがアレックス様、よく分かってる。

 

 「ありがとうございます!」

 ご配慮、感謝いたします。


 「明日は早いのだったな。この辺で切り上げるか。」


 「さてトモエ殿、さきほどソフィア様に何を言われたか、白状してもらうでござるよ。」

 笑顔を浮かべる千早に引きずられるようにして歩いていくトモエ。フィリアも逃がすつもりはなさそうだ。

 


 翌朝早く、南のかたクリーシュナグへ向けて出発。

 

 「真壁先生、おはようございます。」


 「ああ、おはよう。」


 ぱっと見、どこも悪くなさそうだ。

 そんな思いを読み取られたのだろうか、苦笑が返って来た。


 「武人は弱みを見せないものだ。大したことはない。心配は無用だ。いちおう、念のためさ。」


 随分と口数が多い。何やら言い訳がましい。かえって心配になる、が。

 この対応からすると、心配するのは失礼に当たるんだろうな。

 

 「警護いただけるとのこと、ありがとうございます。」


 「何、気にするな。用事のついでだ。」


 さすがネイト館につながれている馬は、見た目も堂々としていれば、癖も良い。

 俺が少しずつ慣れてきたということもあって、快適な騎行であった。


 それにしても。

 イーサンの乗馬姿も、さすが見事なものだ。ビシッと背筋を伸ばし、揺らぎを見せない。

 馬の良さも合わせて、これは警護の郎党には見えようが無い。

 「婚約者の馬車に同道する、貴族の若様」の姿である。

 ……実際、それでほぼ間違っていない。

 

 「宮廷貴族の乗り方なんだよ。」

 との説明をいただく。

 「ヒロ君、軍人貴族なら、君の乗り方が正しいんだ。馬の動きに合わせて、身体を少し動かす。人馬ともども、体力の消耗を抑える。そういう乗り方だろう?対して僕らの乗り方は、見栄え重視というわけさ。」



 「しかし、参ったね。ブルグミュラー商会の会長さんも、アレクサンドル様も。全部お見通しか。」


 もうすぐ梅雨も終わるという季節。カラリと晴れ上がった空の下、気持ちよい風を顔に受け。

 解放的な気分になったか、イーサンが打ち明け話を始めた。

 

 「分かってはいるんだ。僕は、デクスター子爵家の跡取り息子。大きな過ちをしないことだけ心掛けていればよい。長じては行政家として王国に貢献する義務がある。今はそのための準備に励むことが、何よりも大事。父を見ていても、やりがいのある仕事だと思っている。僕らにしかできない仕事でもある。」


 「ああ、その通りだ。腹が減っては戦もできぬ、だよ。安定した行政と経済あってこそ、民生が回る。兵站が成立する。全ての基礎だよな。」


 「分かってもらえるかい?でも、なかなか、そうもいかなくて。」


 学園には、軍人志望が溢れている。脳筋思考のせいか、補給部隊を一段低く見るような考え方をしている者も多い。軍人ですらない行政家となると、なおさら「軟弱者」扱いである。

 それでも子爵家。表立っての非難はしにくい。イーサンは成績もほぼトップ。難癖のつけようが無いほどに立派な少年。

 だから、陰口。嫌味。

 そうでもしなけりゃ、「持たざる者」は、やり切れない。

 いや、中途半端に「持っている」者だからこそ、尚更つらいのだ。学園の生徒は、貴族政(アリストクラシー)にして能力政(メリトクラシー)を採用する、王国社会のエリート達である。

 そのすぐ目の前に、名門の跡取りがいる。貴族政で重要となる、努力では覆しようの無い、「家柄」を持つ者。

 じゃあ能力だ、と努力を重ねても、成績でもそいつに敵わない。

 「勉強は大切だが、成績が全てじゃないぞ。社会に出てからが勝負だ」と教官は言う。

 しかし実際に社会を見ていない以上、目の前にある尺度は大きく見える。

 愚痴や嫌味のひとつ、言いたくなる気持ちは分かる。

 分かるけど、イーサンがまともに取り合う必要はない。そういう類のものだ。

 

 「気にするなよ、イーサン。言わせておけばいいさ。分かっているヤツだって多いよ。周囲の皆、家族や郎党は分かってくれてるんだろう?」 


 「あ、うん。自分で言っておいてなんだけど、学園でのことはあまり気にならないんだ。ただ、それこそ周囲が。」


 「周囲」。この場合は家族や郎党のこと。 

 

 「僕は、デクスター家の若様、跡取りでしかないんだなって。そう思わされることが多くて。『何かをした』ことじゃなくて、『何かである』ことに意味がある人間なのかって。……ブルグミュラー会長も、アレクサンドル様も、『自分で勝ち取った』人だろう?ヒロ君、君だって、これから『何かをする』『勝ち取っていく』人じゃないか。いや、すでに一つ、『十人隊長』を勝ち取った。」


 何か言おうとして、目で押しとどめられた。


 「……謙遜や卑下はやめてくれよ?僕だって君だって、『十人隊長』クラスに満足して安住するつもりはないことぐらい、当然分かってる。それが小さいものだってことは、お互いの共通認識だ。……ただ、事実として、どれほど小さくても、君が『自らの腕で勝ち取った』ことは確かだ。失礼な物言いになるけど、ノブレス君ですら、『自分で勝ち取って』いるんだ。」


 もやもやしていたんだけど、ブルグミュラー会長の話を伺って、分かったことがある。

 そう口にしたイーサンが、再び前を向いた。


 「僕は、ヒロ君やノブレス君、あるいは会長やアレクサンドル様が羨ましいんじゃない。『勝ち取った』ことが羨ましいわけでもなかったんだ。『勝ち取る』ことを目標にしていたわけでもなかった。」

 

 ああ、そうか。

 そういうことか、イーサン。


 「僕は、自分で何かを勝ち取ろうとしていなかった。自分から何かをしようとしていなかった。それが無性に情けなく、腹立たしい。……アレクサンドル様が鍛錬場への出入りを許してくださったことで、それが確信できたんだよ。」


 たぶん一度は、そういうことを考えなくちゃいけない。

 世界が違っても、男って、そういうもんなんだと思う。 


 「もし羨んでいるだけだったなら、叱り飛ばされるか、やんわりと断られるか、そのはずだ。鍛錬場に出入りしている皆にとって、『持っているのに羨んでいる若僧』は場違いだろう?」



 「くだらぬ嫉妬に駆られて喧嘩を吹っかけるヤツなどとは、さすがに器が違うな。」という、アレックス様の言葉が思い出された。

 全くその通りだ。だけど、一つだけ気になったことがある。


 「なあ、イーサン。学園の成績のことなんだけど……。これだって、それこそ『小さいもの』だけど、『自分から努力しなけりゃ勝ち取れないもの』だろう?『自分から何かをしようとしてなかった』なんて、少し自虐が過ぎないか?」

 

 「謙遜や卑下はしないよ。傲慢だとは思わないでほしい。……僕にとって、あれぐらいは、ただ座って話を聞いているだけで得られるものだ。努力はしてない。フィリア君やレイナ君にしたって、多分そのはずだ。近くでフィリア君を見ている君なら、分かってくれると思うけど。」


 アッハイ。ソウデスネー。

 面食らったけど、フィリアを例に出されてしまえば、完全に合点がいく。

 

 「武術はそうじゃなかった。努力すればするだけ、前に進める。怠れば、後ろに下がる。もう少し、先へ進みたいと思った。誰に勧められることもないし、それどころか止められもしたけど、先へ進みたいんだ。これは確かな僕の意思だ。……来週、学園の武術師範にもこの話をするよ。」



 7月の日差しは強い。

 ここのところ、照り返しの熱に浮かされたかのような色をしていた、イーサンの目。

 しかし今は、澄んだ落ち着きを見せていた。



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