第三十九話 社会科見学 その4
「ヒロさんは、何を?」
会長から尋ねられたのだが、実は、質問内容を準備していなかった。
商会と聞いて、ここを思い出しただけ。
何となくだけど、しかしなぜか確かに、会長の声を聞きたいと思っただけ。
それだけだったから。
ためらう俺を励まそうとしたのか、会長は言葉を継いだ。
「それにしても、立派になられた。」
3月の末、ハンスをここに送り届けた時の俺は、「はぐれ大足」の血に染まった真っ黒なローブを着て、腰には大鉈を下げていた。まるで山賊だった。
6月の末、いまの俺は、エリート候補生であることを示す学園の制服に身を包み、腰には派手な拵えの大業物を下げている。デクスター家の高級な馬車から、さも当然のように降り立っている。
なぜだろう。ものすごく気恥ずかしい。顔が真っ赤になる。
早口で否定してしまった。
「いえ、何も変わっていません。ハンスをこの手で送ることができなかった、あのときの私と。」
口にしてみて気づいた。
俺は、変わっていない。逃げてばかりで、行動を起こすのは追い込まれた時だけ。
ここに来たのは、あの時の俺の行動を、許してもらいたかったのか。……あるいは、非難されたかったのか。
逃げたくせに、何を求めているんだろう。
「ヒロさん、あなたは良くやってくだすった。ここまで連れてきていただいた、それだけで十分すぎるほどです。友人を斬るなんて、できなくて当然です。気に病まれないことです。」
そのひと言が、欲しかった?……わけでは、ない。
それは自分でも、分かってる。
「私の行動も、切羽詰って仕方なく、というものばかりです。逃げた事だって、何度もあります。おとなの行動、やれ会長だ大旦那だ言われる、世間では大物と目され始めた男の行動だって、そんなものばかりですよ。お嫌かも知れませんが、慣れます。慣れるに従って、対応や事前の準備ができるようになってしまいます。慣れるとともに、忘れます。いや、忘れるというよりも、印象が薄れてきます。神様はよくしてくれたもので、そうなるように私達を作ってくだすったのでしょう。全てを鮮明に覚えているままでは、あまりにも……。」
なんで、ここまで?
カッコ悪い思い出話を……。
「あの時の行動、私には『逃げ』には映りませんでした。『逃げ』であるとするならば、逃げて正解……これはおかしな物言いですね。よくぞ逃げてくだすった、ありがとう、そう申し上げたいところです。何も千早さんを責めているわけではありませんよ。……ハンスは苦労続き。これからだというところで亡くなってしまった。それでも、最後は隣に友がいた。つらいばかりではなかった。くどいようですが、私はそれが本当に嬉しかったのです。」
……。
「ヒロさん、行動の意味を、武人・軍人の立場からのみ考えるべきではありません。軍人の考え方には、染まり切らないでほしい。逃げて何が悪いのですか。逃げた結果として得られた物、私はたくさん持っています。悩んで良いのですよ。どうか今のうちにたくさん悩んで、たっぷり考えてください。軍人さんにもいろいろいますが、単細胞で無慈悲な軍人は、庶民にとっては迷惑極まりないのです。」
「決断」ってことを意識し始めたばかりなのに。
こんどは、「迷え」「逃げろ」か。
当たり前だけど、人は、みな、それぞれ。
「これはメル家のご令嬢の前で、失礼を申し上げました。」
「いえ、軍人は、効率を重視します。その結果、こぼれ落ちるもの、切り捨てられるものが出てくることも、確かな事実です。」
「私はどうしても、その『こぼれ落ちるもの』に目が行ってしまうのですよ。『大きなもの』に目を向ける方が、効率的で儲けも大きいことは分かっているのですが。商人としての限界ですね。……若い紳士諸君は随分と胸のつかえを下ろしたようですし、よろしければ商品を見ていってもらえますか?目の肥えたレディからの批評をお願いしたいのです。」
雑貨は、ブルグミュラー商会の得意分野である。
レディの皆さん、目を輝かせて眺めていた。
ついでだし。
「なあピンク、絵を描くために必要なペン、欲しいのがあったら言ってくれ。」
そう、テレパシーで口にしたのが運の尽きであった。
普段は内気なピンクの気配が途端に大きくなり、凄まじい勢いでしゃべりだす。
やれGペンだ、丸ペンだ、ベタ塗り用の墨がどうこう、ミリペンだ、万年筆だ……。
こっちの工房が作ったペンは使い勝手はいいけど耐久性が、とか……。
何を言っているのだか、まるで分からない。それでもピンクはしゃべり続ける。
「分かった。全部買ってやる!だからもう少し落ち着け!」
「本当?ヒロ君、いいの?」
「こないだの初陣にしても、『新都の歩き方』にしても、ピンクのお陰で随分助かったから。これぐらいは取り分として妥当だろ?」
「ヒロ君、大好き!あ、そういう意味じゃないから、勘違いはしないでよね!」
「うわ、キモッ。ブサイクのデレなんて誰も得しないぜ。」
朝倉が即座に口を出す。
寒気を覚えているのだろうか、腰から実際に震えが伝わってきた。
またピンクが騒ぎ出す。
「分かってる、ピンク。何度でも言うが、そういう気持ちはないから安心しろ。朝倉も、まぜっかえすのはほどほどにしてくれ。」
朝倉には、実用一点張りの戦拵えをプレゼント。7月末までには出来上がるそうだ。
ピンクには、お絵描き道具を。
ジロウには、時々骨だの何だの与えているし。
「アリエルは、プレゼントに何が欲しい?詩を書くためのペンとか、どう?高級なのでも遠慮いらないよ。」
「あら、ありがとう、ヒロ。気が利くわねえ。神経が細かいのも、悪いばかりではないわね。でも、ペンは自前の使い慣れてるのが一番なの。気持ちだけ受け取るわ。」
そう言うアリエルは、先ほどからずっと同じ商品を眺めていた。
「それがいいの?」
「あらヒロ、本当に気が利くわねえ。そういうところ、好きよ。ついでにピンクみたいに、勘違いしないでよね!って言うべきところかしら。いや、バッチこーい!って言うところね。」
わかったからやめてくれ。
アリエルが眺めていたのは、扇子だった。
「それは今年の新商品なんです。」
ベルンハルト・ブルグミュラー会長から説明を受けた。
「どうでしょう?」
この世界、扇も団扇もあるのだが、扇子は無かったのだそうな。作られだしたのはつい最近。
夏向けの商品として、今年から売り出し始めたとのこと。
「いいわね、これ。心惹かれる物があるわ。……絵の付け方にセンスが問われるわね。うるさい人には間違いなく受けるわよ。」
「うん、なんかいい感じだね、このかたちとか大きさとか。」
「あら、ピンクも分かるのね。このかたち、何か落ち着くのよねえ。」
アリエルとピンクの言葉をそのまま会長に伝える。
「詳細は言えないのですが、私の連れている幽霊は、美術・芸術関連には相当なセンスを持っています。」
そのひと言をつけ加えて。
アリエルのために扇子を何本か購入。
ついでに、もう五本購入。
「アレックス様・ソフィア様ご夫妻と、レイナと、立花伯爵と、マリア・クロウ。五人にプレゼントして、モニターをしてもらおうかと思います。いわゆるセレブですし、宣伝にもなるんじゃないでしょうか。あ、アンヌにも買わなきゃいけないか、そうなると。」
「ありがとうございます。ヒロさんとのご縁を作ってくれたハンスには、感謝しなくてはいけませんね。」
「ヒロ殿はマメでござるなあ。幽霊に対しても日頃の感謝を欠かさない。クラスメートの女子達にも付け届け。」
「もちろん、千早とフィリアにも何かプレゼントするつもりだって。二人には特に世話になってるし。何を選ぶべきか、迷ってるんだよ!ヘタなものは選べないだろう?」
危ない危ない。
アリエルにテレパシーを送る。
「何か無いかな?センスならアリエルが一番だし。」
「ヒロ、追い詰められてから行動を起こすっていうのは、やっぱり悪い癖よ。」
「こんな時ばっかりあたしを持ち上げて。悪い男に育っちゃったわねえ。反省なさい!大切なプレゼントなんだから、自分で選ぶの!」
参ったな。
でも実は、千早に関しては、これだというものがあった。
鮮烈な真紅の髪留め。さっき、通り過ぎた千早の背中と同じ視界に入っていた。
映えるだろうな、って思ったんだよね。
「自分で使うために買うには、お高い。大仰なプレゼントとしては、安い。だけど、ちょっとしたプレゼントとしてなら、ちょうど良い。」そんなお値段。
「千早には、これだと思うんだ。」
買ってその場で渡す。
問題はフィリアだ。
何をどう贈っていいか、わかりゃしない。
「自分で選ぶの!」、か。フィリアにとっては安物だろうけど、これだな。
ブルーのブローチ。ローブの胸元を止めるのに良さそうだ。
買って渡す。
「つまらないものだけど、これまで二人にはお世話になったから。」
「ヒロさん、会長の前で『つまらないもの』はないでしょう。」
「いつまでたっても締まらぬ御仁でござるなあ。」
「でも、まあ。」
「「ありがとうございます。」」
これからもよろしくお願いします。
「ヒロさん、詰めが甘い。渡すのではなく、直接付けて差し上げては?」
「ヒロ殿?さすがに髪に触れられるのは。」
「私も、胸元は抵抗ありますね。」
一歩下がられてしまった。
「『つまらないもの』扱いされた仕返しですよ!」
会長、意外と話せる人みたいだ。
最初の印象とは随分違う。
「お三方にはあまり関係ありませんが、最後に……。」
会長室に通された。そこには、なんと言うか、日本で言う仏壇みたいなものがあり。
会長のご両親、弟さんの位牌と並び、片隅ではあるがハンスの位牌が。
ああ、良かった。
会長の気持ちは良く分かっている。だけど、こうして形にしてもらうと、ますます嬉しくなる。
「やはり喜んでいただけましたか。私には思いつきませんでした。これは、妻の提案なのです。先ほどは、結婚できなかったと言っていましたが、数ヶ月前、並木街で知り合いまして。ご挨拶なさい。」
随分と若い女性が入ってきた。20代だ。
会長は、確か50代。
うん、まあ、ね。
現代日本人の感覚で考えちゃいけないんだろう。江戸時代の商人とか、良くある話だったらしいし。
「来春には子供も産まれます。もう10年、20年は頑張らないといけなくなりました。」
「おめでとうござる、クララ殿。お大事にされるでござるよ。」
「ありがとう、千早さん。天真会のおかげです。」
ちょっと心配してた。財産目当てで入り込んだりとかしてないだろうなって。
千早の知り合い、天真会会員なら、大丈夫だ。きっと。
会長も元気になったし、ブルグミュラー商会は、まだもう少し大きくなるんじゃないかな。