第三十七話 新都の歩き方 その1
治・ド・立花伯爵閣下を仮住まいに送り届け、警察署に戻った頃には、日は完全に暮れていた。
「遅い!」
レイナにどやされる。
「……酒臭くは無いわね。あいつのことだから一杯付き合えとか言って、ヒロのことだから付き合わされてるかと思ったけど。」
「あまり遅くまでレイナを待たせちゃ悪いだろ?」
「分かってるじゃない。署長さん、それでは失礼します。父がご迷惑をおかけしました。」
「あー!」
「ちょっと、何よ、ヒロ。いきなり大声出したりして。」
「いや、伯爵閣下、『もうこの街を出る潮時だな。いったん家へ帰るよ』って言ってたから……。今レイナが帰ると、実家で鉢合わせになるんじゃないかって……。」
「ちょっと、ヒロ、何してくれちゃってるワケ!?待ってよ、家には帰れない、寮の門限には間に合わないじゃ、どうすりゃいいのよ?」
と、叫んだ割には、すぐに落ち着きを取り戻した。
「…って、外泊すればいいか。この辺だと、きちんとしてるのはラグアの方かしら。費用はヒロ持ちだからね!」
無茶苦茶な。いくらこっちの13歳は日本で言う16~18歳相当だと言っても、それはマズイだろう。
「レイナ、俺と二人で学園を出て、その晩家にも帰らず外泊してたとなったら、レイナの外聞とか評判はどうなるんだよ。伯爵閣下と同じ扱いになるぜ、それ。」
「それだけはゴメンよ!!じゃあどうすればいいのよ!おとなしく実家に帰るしかないの!?アイツと顔を合わせるなんて絶対に嫌!」
ここまであえて口を挟まずにいた署長さんが、発言した。
この顔は、笑うのをこらえてやがるな。
「そのことですが、レイナさん。先ほどヒロ君に頼まれまして、メル家へ連絡を取ったところ、折り返しで。」
いったんかしこまる姿勢を見せる署長さん。
「玲奈・ド・ラ・立花嬢宛に、アレクサンドル・ド・メル征北将軍閣下とソフィア・P・ド・ラ・メル夫人の連名で、お招きの書状が届きました。こちらになります。」
うやうやしく書状を渡す。
顔のニヤつきは隠せないみたいだけど。
「ヒロ君にはこちらです。」
アレックス様からの手紙だった。
レイナ嬢へ宛てた書状は、儀礼的なものだ。細かな事情までは記せないので、こちらにしたためる。……マリア嬢がこちらに来ているだろう?君の件で女神の加護の話になり、彼女が歌の神の加護(祝福)を受けているということを聞いた。少し歌を聞かせてもらったが、素晴らしいね。彼女がレイナ嬢と組んで行っている最近の音楽活動は、貴族のご夫人がたの間でも評判になっているらしいが、当然だ。
伯爵家が留守で、レイナ嬢が閣下をお迎えにあがったそうだな。君はその付き添いだと。レイナ嬢が近くに来ているならば、お招きしようと。マリア嬢とのミニコンサートを聞かせてもらえないものかと、そういう話になった。
奥様が、「フィリアのライバルのレイナさん?どんな方なのかしら。」とおっしゃっている。別に悪意があるわけではない。むしろ好意だが、いずれにせよ強い興味をお持ちだ。……そうなってしまったら、私では止められないことは、もう理解できているだろう?
署長からの報告書は、さすが署長だけあって、簡にして要を得ていた。「遅くなるようであればメル館に伺うのを遠慮しようか」と君が言っていたこと、レイナ嬢が「留守宅の伯爵邸にお招きしましょうか」と申し出たことも、きちんと記してあった。
署長に倣い、私の方でも報告書に要約を加えて読み上げた。君が警察署への宿泊を申し出たことは、話題の本筋とは関係ないと判断し、省略させてもらったよw
wと書かれてあったわけではない。
だが、ピリオドが乱れてwのように波打っている。笑いを堪えていらっしゃったことがよく分かる。
フィリアも千早も、レイナ嬢をお招きすることに、大変熱心になった。遠慮がちであったマリア嬢も、ミニコンサート開催に前向きになったな。
君の周囲は美少女ばかり。妻帯者としては多少羨ましく思わぬでもない。武技に優れた美少女達が、君の来訪を心待ちにしているぞw
レイナ君には、私としても会ってみたい。ぜひおいでいただけるよう、お話ししてくれ。
千早からは、『紳士的にエスコートして差し上げるでござるよ』との伝言を頼まれたので、あわせてここに記す。それでは。
アレックス様もしょうもないことを……。
ソフィア様と言い、メル家は、好奇心や悪戯心の神と相性が良いに違いない。
俺がフィリアに拾われ、メル家に目をかけられた理由は、案外そんなところにあるんじゃないのか?
「レイナ、どうする?」
「征北将軍閣下ご夫妻からとあっては、お断りするわけにもいかないでしょう?喜んでご招待に預かります。」
「いいのか?」
「私はメル公爵家には隔意はないわよ?何が言いたいわけ?」
意地っ張りだなあ。
「俺もアレクサンドル様から、『是非おいでいただきたく、レイナ嬢に伝えて欲しい』というお手紙をいただいたよ。それじゃあ、行きますか。」
「あー!ドレスとか持ってきてない!どうすんのよ!!って、制服だからいいか。これもいちおう礼装だもんね。内々の集まりって書いてあるし。ヘタなドレスとか、かえって着ていけないよね。メル家に伺うんなら。」
「いろいろ難しいんだねえ。」
「そう!女子はいろいろ大変なの!そこは理解しておきなさい!」
メル館は、ここからは南の方角にある。
ついでだから、ネイトの街を概観すると……。
北から順に、「夜の街」北ネイト。なお、北ネイトからは、太い道が西へ向かって走っている。以前通った、高岡軍道である。
その南に、新都の官庁街。東西に双子のちょっとした高台があるのだが、西が行政庁舎で、東が警察所ほか、治安関係組織。新都の行政はこの2箇所で行われている。治安関係業務のうち、幹部級の集まりはメル館で行われることも多いそうだが。
その南側が、メル館。官庁街よりも高く広い高台の上に、館というより城として聳えている。
メル家の郎党のうち、上級軍人と言える者は、さらに南側に居住している。南ネイトだ。新都の民の意識から言えば、「やや高級」な住宅街である。
メル館の東側は、谷として落ち込んでいる。ここは商業地域。
西ネイトは、平地が続き、住宅街となっている。メル家の郎党の多くが、ここに居住している。
ややあって、メル館に到着。
馬車のまま門の内側に入り、守衛長のエルトンさんにご挨拶。
「お話は伺っております。さあ、こちらへ。」
館内を移動するための馬車に乗り換える。
背の小さなレイナ。
乗り降りの手助けをしていると、エルトンが穏やかな微笑を見せ、頷いた。
どうやらマナーとして間違ってはいないようだ。
エルトンにも家名がない。庶民出身なんだろう。メル家に出入りする度に「おっかなびっくり」行動している俺の気持ちが分かるのかもしれない。
エルトンの前では、さすが優雅に振舞っていたレイナだが、馬車が動き出すと愚痴り始めた。
「アプローチが長いわねえ。大邸宅……っていうか、城じゃない。武家として防備が大事ってのは分かるよ。領邦貴族、それもキュビと並ぶ王国最大の領邦貴族だし、大金持ちってのもよく分かってる。それにしても、この差!」
「出費も多いはずだよ。郎党の数とか、いろいろ話を聞いてみると相当みたいだ。」
「ええ、そうよね。役にも就かず、軍備もしていない立花家なんて、大した出費じゃないはずなのよ。親父が浪費さえしてなけりゃあね!」
また変なスイッチが入ってしまったか。どげんかせんと。
「でも、レイナもさすがだな。エルトンさん……さっきの守衛長さんだけど、彼に対する態度とか、優雅だったよ。俺なんか、初めて来た時はガチガチで、どう対応していいかまるで分からなくてさ。入り口でずらーっと人が並んでるの見た時は、ちょっと怯えたよ。」
「当たり前じゃない!ヒロみたいな愚図と一緒にしないでよ!伯爵家令嬢の振る舞いを見せてあげようじゃないの。」
アプローチを抜け、車溜まりに馬車が到着し。
レイナの降車をエスコートし。
レイナの後ろに続いて、押し開かれたドアを抜ける。
ずらっと並ぶ使用人の皆さんの奥に、メルご夫妻にフィリア、ほか先着メンバーが待ち構えていた。
こっちに歩いてくる。
「ようこそメル家においでくださいました。この館の主人、ソフィア・P・ド・ラ・メルです。」
「同じくアレクサンドルです。お待ちしておりました。」
「ご招待に預かり、光栄です。玲奈・ド・ラ・立花です。」
やいのやいの。
どうしたら良いか分からないので、とりあえず黙っておく。
考えてみれば、ヒュームもマグナムも庶民出身。多少は勉強もしただろうけれど、男子連中は、基本的には「よく分かってない」ヤツばかり。そうっとそっちに混ざって、おとなしくしておくことにした。
女子連中は、やはりレイナと「よそ行き」のご挨拶を交わしている。
何か怖いなあ。
「ヒロさん、こちらまでのエスコートありがとうございます。」
バカ、レイナ!振るな!
「いえ、エスコートさせていただく機会を賜り、光栄です。」
こんなんでいいのか?
ソフィア様がくすくす笑い出した。
「また軍人さんになってるわね、ヒロさん。」
「伯爵家へお招きに預かるところをお呼び立てしてしまったようで、お詫びいたしますね?」
フィリア、やめてくれ!
「ヒロ殿は紳士的にござったか?優れた刀術家ゆえ、間合いを詰めるのがお上手にござる。」
「ええ、千早さん。間合いを詰めるのがお上手ですよね、ヒロさんは。」
「あら、マリアさんも?私もそう思います。」
やべえ、何か言わなきゃ。
「レイナさんとは同門ですが、切り込みの鋭さではとても及びません。……そうですよね、ヒュームさん。」
「ヒロ殿!?え、ええ。まことさようにて。」
見えないところで俺の背中を殴りつけながら、何とか言葉を返すヒューム。
全てを見ていたアレックス様が、収拾してくれた。
「ははははは、ヒロもやるようになったな!もういいだろう?とりあえず奥へ。」