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第四百四十三話 あとさき知らず その2

 

 折り良く聖上は王后陛下の宮殿へとお出ましになるところであった。

 行列に鞍を沿わせて――文句を言われることも無くなった――轡を預け小走りで鳳輦に身を寄せたところが。


 慣れぬ匂いがした。

 甘く、どこか熱と気怠さを思わせるこの香を俺は知っている。確かに記憶があった。


 「良きように」、強い香りに包まれたそのお言葉を残して御輦の紗が降りた。

 非礼があったか……いや、礼は体で覚えている。履践に誤りはないはず。お許しも得られた。だがこの落ち着かぬ心地は何だ。

 

 ご到着を見計らうようにシーリーン閣下も王后宮にご到着であった。

 拒まれるなどとはつゆも思っていないらしい。全く豪気なことで。


 (あなたの申請なら必ず通るってことも、ね。少し落ち着きなさいな)

 (そういうとこだぞヒロ)


 戦勝に至るまでの簡易な経過報告にウマイヤ家子息誕生の件と、言上のたび竜顔はうるわしく。

 こちらはその報告でさんざん絞られいびられたわけだが、全く要領の良いことで。


 要領が良いと言えばシーリーン閣下、御前へ渡る案内の際にひとことを滑り込ませていた。

 「そのイゼル知州だが庭先でお目見得させるゆえ、よろしく頼む」


 黙って連れてきていたのである。それでも事前承認を取るあたりがまたいやらしい。

 

 (入城の時点で掴んでたくせに)

 (騙されたふりするあたりがいやらしいんだよなあ)


 不審人物をチェックするのは近衛なら当たり前ですぅー!

 公爵家の跡取りにして先任将軍のご機嫌損ねても良いことなんかないんですぅー!


 ともあれ。やって来た当のイゼル知州(イーサンの叔父)だが、当直衛士エミールとアルバートの間に挟まれてなお臆せず威からぬその姿はそう感じの悪いものでもなかった……が、シーリーン閣下はあからさまに面食いであるからして、つまりはゲスの勘繰り抜きに国防の要と捉えておいでなのだろう。

 じっさい悪い評判は聞こえてこない、どころか知州の中でも筆頭ものの業績を挙げ続けているのは間違いの無いところ……さすがはイーサンの叔父君と言うか、ここはむしろデクスター公爵閣下のご次男と言うべきところか。

 

 「陛下より親しくお褒めの言葉を賜った、分かるな」


 後から思えばシーリーン閣下のこれが余計な一言として波紋を招いたのだ。発言の際にはあとさきを……前後左右上下まで含めて……よくよく考えていただきたいものである。

 まあ俺も俺で陛下が纏っておいでの御香を、その調合ばかりを気にしていたのは油断だったけど。 

 

 なおも御前で薄氷を踏み抜かぬよう冷や汗かきかき、当直交代を機と捉えてようやく退出したところでコンラートにつかまった。割れた顎がアルバートと目配せを交わしている。


 「話がある。馴染みの局を貸してくれ」


 俺の馴染みといえば金橘で、言うては悪いが王后陛下宮――要は後宮内の「一等地」だが――からは距離がある。コンラートのほうで都合してくれても良さそうなものだがと、そんな小さな顔の変化も見逃してはもらえない。近衛づきあいとはそうしたもの、濃密な時間を重ねざるを得ない。


 「お前さすがに冷たくないか? いや、俺たちに対してって話じゃなく」


 女官の皆さまにおいて若手有力貴族の訪れは「箔」となる。金橘の御方個人について言えば俺が彼女を信頼している旨の宣言になると、そうした話だ。行動で示すって大事らしいしね、男女間は。


 しょうことなしに小一時間をだべりつつ歩み進んで局の歓迎を受け、出された紅茶に思い当たる。

 陛下の御香、あれは盛夏の薫香だと。厳冬に向かういま纏うようなものではないはず。


 「さっきの話だが」

 

 だがアルバートにしてみればこちらこそ本題、イゼル知州がお褒めを賜った件だ。

 シーリーン閣下の念押しは「手出し無用、その旨イーサンに伝えておくよう」ぐらいの意味で間違いないけれど……まあ綸旨でも無し、急急如律令の要はないからこうして二人に付き合っているのだが。

 

 「陛下の御気色を思えば、イーサンもここは難しいところじゃないか?」


 それでいいだろ。それよりもあの香だ……俺あたりが季節外れの香を纏ったら無教養だの言われるんだろうけど、国王陛下だもの。「そういう気分」で押し通せば「格別の感性」と受け止められる。


 「デクスターの、『家』の問題だぜヒロ」

 「これに関しては国王陛下も貴族の筆頭・第一人者に『過ぎない』、違うか?」


 やけに絡むものだ。それこそ熱っぽく、気怠く。


 「と言って、諫言を呈すべき話でもない。『功ある臣下にお声がかりの栄誉を賜る』、遮るほうが筋違いだ」


 「このあたりなんだろうな、ヒロのバランス感覚」

 「エミールに行かせて正解だったか。あいつがいたらひとくさりだ……『だから女を政治に関わらせるな』」


 エミールからでも構わない、イーサンに陛下の御意――いや、そこまで確たるものでもない。あくまでも御気色だな――が伝わりさえすれば良いのだからと、めんどうな議論その気配からの逃避だな、これは。


 「権力に慣れてない連中はさ。上から言えば収まる、そう考えがちな癖があるんだよ」


 王様やら皇帝やら、第一人者を押さえれば通ると……せいぜいその周囲数人の人間関係しか見ていないと、そういうところはあるかもしれない。


 「『女だから』と言う気はない。だが俺に言わせれば『叩き上げ』には間違い無くその傾向がある。だから上に不要なまでの媚びを売る。『恒産なくして恒心なし』って言うだろう?」

 

 当職のあずかり知らぬところナリ、ではなくていえその、資産を持っていないヤツが己の意志を貫き通すことは難しいっていうアレ。あの言葉は士大夫おきぞく階層に向けられたものじゃないとは思うのだが。

 

 「だから役人は貴族でなくては、貧乏からの叩き上げじゃダメなのさ。閣僚に逆らえない。ダメなものは絶対にダメと啖呵切って辞めるだけのバックグラウンドを持っていない。そんなヤツに高級官僚は任せられない」


 各人が忠義なり誠意なりプライドなりをもって剣突食らわせ合うことで緊張感を保つと、そういうところは確かにある……あくまでも俺が生きる『異世界の、この王国では』。


 「ミカエルが出世したとして、あいつが閣僚いや『その上』に逆らう姿が想像できるか? 兄貴があいつを嫌がるのは遺恨の問題だけじゃないんだ」


 ああ、彼らにしてみればミカエルも自分たちと「同じ階層」ではなかったなそう言えば。

 

 「そこはまだしもユースフ・ヘクマチアルか」


 毎度あまり考えたくも無いところだ。茶化して流すに限る。


 「そこはヒロ、お前だろ。いちばん面白いヤツだからご寵愛を受けてんだって」


 「おもしれーやつ」をご寵愛って、まさか中華後宮ものでもあるまいし……やめてくれ毎度絶対考えないようにしてたんだからって、なんでこんな時に限って妙な記憶が、甘い香りが鼻に帰ってくるんだよ……まさに異世界『王朝物語』だねってやかましい、頼むからピンクはどっか行っててくれ……いやだから、ツルのひと声ってのはいつでも通るものじゃないって話ですよね。


 「ヒロ、かりに陛下がアスラーン殿下を討てと命じたらお前どうする?」

  

 不敬である、前近代君主制国家の官吏として生きる限り。

 そうとも、厳厲なるこの空気こそいまの季節に、われ近衛中隊長にふさわしいのであるからして。ひとえに眉を怒らせ顎を上げ直視せんのみ。


 「口にするだけが不敬か? 中隊長就任時点で想定したに決まってる」

 「まあお前の口からは、なあ? 言ってやる。陛下の脚にすがりつき――それこそ影よろしく――説得するさ。印綬を取り上げられるか自ら叩き付けるまで。そうしてご翻意を願うか殿下が逃げる時間を稼ぐ……が、それ以上の暴挙に出る才覚あぶなげはない」

 「死罪はまずない我らが王国、あとは磐森で隠居生活だろ?」

 「バヤジットを婿に迎えた時点でお前は『恒産』を手に入れたんだ」


 バレバレなのであった。じっさい頭の回転、殊に政局周りのムーブメントでトワの連中に勝つことは絶対にできない。


 「何が言いたいんだよ」

 

 恒産、危険な口車だ。

 それは思うがまま振る舞うためのバックグラウンドなのだから。

 何だってやれるご身分だろう? ……続く言葉は挑発のはず。


 「イーサンは、デクスター家は最初から『恒産』を持ってる。そしてヒロ、お前はそのうえカレワラの『当主』だ。縛る者がいない」

 「だから陛下の御気色につき、お前からイーサンに伝えさせるわけにはいかない。今お前らに喧嘩されると大きくなる。俺たちが……セシル、クロイツ、そしてバルベルクが迷惑する」

 

 挑発ではなく説得、自重を求める言葉であった。ならば素直に従っておいても……いや待て、まさか。

 庭に映る影の、陽の傾き具合。陛下とウマイヤ将軍の対談終了予定時刻からいまだ半刻。


 「イゼル知州はまだ王宮を出て……」

 

 腰を浮かせたところが「ここで報告だ」と、その庭先から声が上がる。

 なるほど頃合ではあった。王后宮から近衛府のイーサンに会って、この局まで。


 「お前と一緒にするなヒロ。イゼル知州の息子四人につき、アサヒ家を通じ弾正台にキツい告発があった。ま、これで『先』はない。少なくともデクスターの跡を継ぐ地位とこまで上れない」


 知州の入城は近衛の周知事項である、当然のところ。

 するとイーサンめ事前に叔父の動きを察知のうえ準備しておいて、陛下のお言葉を賜る頃合を見計らい……わざわざ御意もとい御気色に逆らってみせるかよ。


 「孫にあたる連中だが、トモエ夫人の名で全員を養子に取った。良かったなヒロ、こっちには『先』があるぞ」

 

 ひとりじゃなくて全員……従兄弟連中、競って機嫌を取りイーサンを担がざるを得なくなる。だがそれも子が生まれるまでの話で……イゼル知州家の親子仲とかデクスター家の風儀とかどうする気だ。


 「イーサンらしくもない。後のこと考えてるのか?」


 だめだ、この期に及んで御香が気になる。甘い記憶が思考を塞ぐ。

 何だったか、あの香り。どうしてここまで気にかかるんだ。


 「3回殺されかけたんだ、一度は夫人まで。あの恐妻、じゃなくて愛妻家が」

 「ウマイヤの暴れ馬に遅れを取るようではトワを名乗れない、そういうことさ」

 「イゼルの叔父御はどうするかね、世代的にはそれこそ兄貴エルンストあたりだが」


 明確な事実はただひとつ。そのエルンストが弟アルバートを、「同じ時代を過ごした」コンラートをこちらに寄越した。

 ならば、あとさきは知らず。当座の態度は決められる。

 

 「イゼル知州本人には何も起きていないだろう?……官界おもてむきのところでは。だいたい全てデクスターの、他家よその問題だよ俺に言わせれば」


 割れ顎の上に白い歯が光った。エミールもアルバートもいい笑顔を浮かべてくれる。


 そういうことさ。知ったことじゃない。

 と、言い切れれば良いんですけどねえ、毎度毎度。


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― 新着の感想 ―
3月始めから、再読を始めここまで一ヶ月かけて読み切りました。人生の中で一番2周目、3周目が楽しい小説だと思っております。この先のヒロの行く道を楽しみにしています
ほぼ一カ月かけて全て読み返しました。とても楽しませていただきました。ありがとうございました。
[一言] 5年以上前から応援していた一作です。注文しましたとも!(古参自慢)
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