第四百四十二話 御暦奏(ごりゃくのそう) その5
コミックス版『異世界王朝物語』(文藝春秋社)、ピッコマにて連載中です。
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報告のため戻った蔵人所は灯ともし頃も過ぎていて、ミカエルの白い鬢が輝いていた。
「両者に通達しておきました」
いわく、陰陽寮は自らの名で提出できれば不満は無い。いっぽう新たな暦を「発見」した侍女についてはその身軽きを突くだけのこと、相応の褒賞と昇階で買収すれば事足りると。
「あちらはそれで通るのか? 学者が名誉を奪われて」
確認せずにはいられなかった。人死にまでも飲み込んで目礼をほどこす陰陽頭のクスムス氏を見る限り、つまりは俺ひとりが繊細に過ぎるのかもしれないけれど。
「まさに神察、居合わせた万葉侍従どのが強硬で。クレシダさま付きの女官でもないでしょうに、困ったものです」
大振りに袖を広げて声を張るあたりバカにしているとしか思えなかったが、言い返すどころかミカエルの言葉も終わらぬ先から女官の訪問を告げられた。
これはどうやら「通達」とは字義通りのそれ、言い捨て逃げ帰っただけのことかと。
「再び足を向けるのも芸が無いようです。そうは思いませんか中隊長閣下」
最初から尻を持ち込む気でいたか……いや、ノーフォーク公爵もイーサンも姿を消しているあたり、「欠席裁判による掃除当番決め」が行われたに違いない。
そしてお使いの女官どのにせよ素性怪しげなる叩き上げよりは栄光の近衛中隊長というわけで、クレシダさまの局までエスコートの栄誉に浴する次第とあいなった。
なお到着した先のお局では、「良いお話」と捉える向きも多かった。「お手柄の本人も喜んでいることですし」と聞くにつけ、素直な女官で助かった。
だが反対派が少数ながら強硬で、「断固受け入れ拒否すべき」と……俺の姿を認めるやその声にも一段と高さが増す。
「総大将の手柄首にも並ぶ話とお考えください。譲れと言われて軍の皆さまは納得できるものでしょうか。昇進だ、領地も与えると言われたところで、武人の栄誉と……千載の『名』と引き換えにできますの?」
日ごろ洒脱な応答で鳴らす万葉侍従どのだが、この宵に限ってはまるで余裕が見られなかった。
血の毛が引いたその顔は白く、ぶるぶると頬を震わせ……とは言うものの、その手の顔には俺もいいかげん慣れている。真正面から見つめ返せばさすがに怯えたか視線を彼方へ逸らしていた。
「あなたが譲ろうとなさっているものは個人的名誉にとどまらぬのです、道理や正義まで売り渡すものと……」
「発見者」を睨みつけるやぱたりと気絶してしまった。絵面としてはさすがになかなか強烈で、身軽く年若きくだんの女官などすっかり怯えきっていた。
「そんな、私は……」
「位階を与えられる、たいへんな名誉です。まさかご存知ないとおっしゃいますの?」
「まあ! 志を同じくする先達があなたのためにここまで言を尽くし身を細くしているのに」
文字通り「局外」の皆さまはなんだかずいぶん楽しそうですけれど。
「私は……学問ができるだけで、ここに置いていただければそれだけで……」
だからどうして皆さん俺を見るんです?
なんで俺が泣かした流れになってるの?
「ともあれ病人が出ております。皆さまお引取りを」
超過勤務を何より嫌うクレシダさまの半ギレが今度ばかりはありがたかった。
「またしくじったの? まこと誠実な(訳:女あしらいのヘタな)中隊長どのですこと」
「大事となれば後宮の恥にもあたりましょう。事務担当の立花典侍さま御みずから事に当たられては?」
完全撤退からの仕切り直しと思ったところがその意図さえも潰された。
後宮の入り口にちんまり聳えるお局に袖を引かれて上がり込む。
「フィリアにしては珍しいじゃない、ここはヒロをどつくとこでしょ?」
「姉やヴィスコンティ猊下も関わりかねない問題とあっては」
「それは面倒だわ確かに。介入される前にヒロにどうにかさせないと……でもま、とりあえず」
妙なる楽の音()が響き出す。これはどうやらお泊りコースであるらしい、隙無く居並ぶ女官たちを見るにつけ……噂とかされると恥ずかしいからね、しかたないね。
「誰も彼も背負う物とかしょってるところがあるのにさ、何で気楽に片付けられるんだって思うわけ」
人死に出すまで意地を張り合ってるんだぞ?
それをミカエルは、いやイーサンからノーフォーク公爵まで、「こんなもんでいいだろ」と言わんばかり。
「言うけどさ、ヒロあなたね……」
言いさし口ごもるレイナに、フィリアはどこまでも冷えた目を向けていた。
「ヒロさん、あなたには背負う物が無いとでも?」
刺すような目を返すレイナを顧みもせず言葉を突き刺し続けていた。
「自覚すれば強硬に出ざるを得なくなる、男性ならなおのこと。レイナさんには『つまらない』落ちでしょうね」
「できない男を良しとするつまらない女だって言いたいわけ?……ああわかった、言ってやるわよ」
ほんとこのふたりもね。
言葉を交わすうち回転数上がってくるあたり、強いエンジンをお持ちなんだなって。
「ひとつ、この件は解決しなきゃいけない。何でも良いから結論出すことが求められてる。ふたつ、結論出ればどうしたって誰かがしわ寄せ食わざるを得ない。一人に押し付けるかみんなに配るか、そこは別として」
そんなことは分かっていて、分かっているから悩んでいて。
「その結論を押し付けるのは誰かって話。閣僚あたりからガツンと行く?」
「納得が得られません。『強制された』と傍に見えれば意気地無しと思われる」
それこそ間違い無く何かが起きる、人死にが出る。意地を立て通すために。
「後宮のフラストレーションも相当、いいかげん分かるでしょ?『私が選んだ、関わった』体を取らせなきゃ」
「そうした結論を押し付ける地位と、能と、力。その背に負いながら何をしているかという話です」
分かっているから、俺ならではと背負っているから。
陰陽寮の代表三者と連絡取って、意見を言わせて、上に伝えて。
後宮にもつなぎをつけて、頭を下げて。
「その気配りは美点だと思う。フィリアは納得してないみたいだけど」
「私が言いたいのは方法の問題です、レイナさんも分かっているはず」
落雷……の季節はとうに過ぎていたけれど、小夜時雨もなかなか心に響くものがある。
じわりと重く、内に押し込めたものをにじみ出させてくるような。
「女に言うこと聞かせるのに下手に出るバカがどこにいる!」
「ぶん殴れば良い、エミールさんではないけれど。所詮この世は殴り合いです」
分からないではなかった、一面の真理。
できれば目を逸らしておきたかった、粗雑きわまる世渡りの術。
「フィリアあなたね、そこは背中で引っ張るとかその手を取るとか……何ならたぶらかすとかほだすでも」
「議論の相手が違います。『殴る』の意味が分からぬヒロさんでもない」
ブノワ・ケクラン言うところの「冴えない」――ひとりひとりに気を使い頭を下げる――その姿、それがかえって解決を遠ざけている。
取るべき態度とは――何となし理解も及んでいて、でも心のどこかで反発していたそれは――いうところの「俺様ムーブ」。
正直ガラじゃない。だがいい加減そうも言ってはいられない。ため息ばかりが口を突く。
「それでもね、ヒロ。典侍のメンツを、零細女官の置かれた立場を、研究者の思い入れを掬おうとしたそのことには感謝してる」
「ええ、今回は助けてさしあげると決めました」
ふたりも分かっているのだ。
目の前の男は自覚さえすれば、ひと押しさえすればと。
そこまでしてなお応えぬようならそれまでのこと。
晩のうちに出した指示に従僕ピーターはよく応えてくれた。
見たことも無い華やかな衣装――ミカエル氏と比べれば3割引といったところ。良識と美観をも併せ備えた逸品となっております――を持ち込むあたりやや図に乗った観はあるけれど、派手な拵えを貼り付けられた朝倉の罵声もたまには悪くない。
威儀を備えて礼を踰え、真正面から踏み込んだ。
驚愕に目を見張る者、小さなはにかみを返す者、赤くなってうつむく者。
ひとりひとりに近衛府の、中隊長の何たるかを――かたちなきその姿を、ただ印象を叩き込む。
彼女たちにしてみれば都合を押し付けられ従わされる、そこは間違いないところだが。
しかしそれ自体を「快い」と思わせないようで何とする。
「昨晩の意見聴取を踏まえ、決定をここに内示する。謹んで承りませ」
どなたに断ったものか誰が決定したかなど余計な口は挟ませない。
「『実録』に名を記すよう式部省にも申し付けた」
任せてくれ。悪いようにはしないから。
それだけの力を、地位を、責任を、俺は背負っているのだから。
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