第四百四十二話 御暦奏(ごりゃくのそう) その1
コミックス版『異世界王朝物語』(文藝春秋社)、ピッコマにて連載中です。
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ご覧いただきたく、なにとぞお願い申し上げます。
冬への備えが口にのぼる季節がやって来た。
磐森館の外れにも薪割りの音が聞こえ出す。
置かれたお茶の湯気に煙った斧の響きは重かった。
「今日はライネンさんですか」
侍女衆が聞き分けるまでに精出しているユルに限らず、アカイウスも俺も暇を見つけては鉈を手に取っていた。
これも修行の一環などと大げさな話にしても良いけれど、実のところはストレス発散である。腕を振るたびかぽんかぽんと音が鳴る、その心地良さからいつしか無心の境地に……入るのがなかなか難しいんだよなあ、たまにおかしな割れ方するせいで。そして本人が肩を落とすその前から煽りのツッコミが各所に上がる、このあたりはご愛嬌である。
ユルの精励についてはなお別の理由もある。磐森館お出入りの幼年組に付き合ってやっているのだ。
大斧で丸太を玉にして、手斧で手ごろに切り分けて、鉈をちょんと叩き込んだところで選手交代。受けた子供が薪ごと大上段に振りかぶって……カツンと行けば良いのだが、大概はカスッ、でなければドシン。そうそう、まっすぐ力を伝えるって難しいのよね。まだ足の踏ん張りも腕の力も利かないし。で、悔しがる彼らを脇目にユルおじさんの再成型。
そんな子供たちからメイドから、郎党衆までを眺めていて気づいたことがある。
ひとつ。この異世界に住む人々は、あんがい数学に強い……というか、空間認知(?)に優れている。
何せうず高く積まれた丸太の山を前にして、自他共に認める数字嫌いのユルがあっさり概数を当ててくるのだ。それも陰になって見えない部分まで含めて――論理パズルでよくあるアレ、積まれたサイコロの裏まで見通す感覚である。
これがユルだけならば「代数嫌いの幾何得意」で済ませるところだが、右京でネグレクト気味に育ってきた「たまねぎ姉弟」あたりもなかなか良い数字突いてくるとあって考えを改めたという次第。
(何が言いたいわけ?)
いえピンクさん、この道に関してあなたが天才的であることを疑ってはおりません。ただ思っていたより平均レベルが高いんだなって。
(戦場の奥行きやらを把握できぬ男は生き残れない、ゆえに目につかない。それだけのことではないのか?)
(死んでるお前が言ってもなあ)
朝倉の指摘は別段、ネヴィルの主張にも同意しかねるところがあった。
それと言うのも、もうひとつ気づいたところとして……この世界の人々は眼前の小山について「丸太何本」、「木材何トン」という数え方をしない。小山を捌くのに「何日かかるか」と、第一義的にはその視点から捉えていたから。
(物の……かたちを、時間で数えてる? わけがわからないぞ)
ヴァガンを煙に巻く気はないが、こういうのはカタい言葉のほうがおさまりが良さそうだ。
というわけで、ふたつ。この世界の人々は空間認識に優れるのみならず、その捉え方に時間軸の意識が直結している……とでも言うべきか。俺の理解力ではだんだんアヤシくなってきた。
なお、さらにさらに考察――というほど高尚なものでもないが――の結果として。
そんな彼らに仕事を頼めば「花が散るまでに」「カエルの声が聞こえる頃には」「楓が色づく前に」と来る。これがまたほぼ当たるのだ。日数で聞けば10日前後を指折り数えてなお間違いをする人が、である。
すなわち。みっつ、彼らにとっては空間も時間もよほど身近な実感で、物理的な具体のモノとして存在している……んじゃないかなって。たぶん。ひょっとしたら。
翻って思えば、日本にいた頃はやたら数字に囚われていた、ものかもしれない。
きょうは何月何日、いまは何時。講義が始まるのは何分後。
そこそこ田舎育ちの俺でも「花が咲き初め散り終える」その景色を推移を意識した経験は――むしろそれこそが時間であると、そう認識したことは――皆無であった、ように思う。
こうしたギャップに気づくのがいいかげん遅れたのにもいろいろ理由はあるけれど、そのひとつとして「王国にもカレンダーが存在していた」事実は挙げられよう。
カレンダー、時計でも良いけれど、数字の記されたモノがあればそちらに依拠してしまうのが現代チキウ人の自然な感覚ではなかろうか。
秋も深まるこの日、磐森を訪ねていたのがまさしくこのあたりの専門家だった。クスムス、テラポラ、ダツクツ。陰陽寮の三巨頭ォが揃いも揃い眉間に深き皺を寄せ。
それもそのはず、十一月の……もとい、ここは王国ぶりに……木の葉も色づき霜降りる時節に訪れる御暦奏と言えば彼らにとっての最重要行事である。
御暦奏。読んで字のごとく「カレンダーの提出」だが、アタマに「御」の字がついているからには宮廷行事にして国家事業なのである。
ここで陰陽寮から提出された暦を踏まえて来年の行事予定は決められる。
生活者が用いる農暦もこの「欽定カレンダー」から派生する。陰陽師の小遣い稼ぎのタネとなる。
などと小さな話に流れるのは俺の悪い癖で、大きなところに戻せば「外様」のメル家キュビ家も王国暦に拘束される……表向きは。ウラでは自分ちで作ったカレンダーを併用したりもしているが。
さきに考察を加えた王国民の意識を考え合わせるとき、これらの事実はあんがい深刻な意味合いを帯びる、ような気がした。
つまるところ中央政府は、国王は、領土という空間のみならず時間までをも支配している。それもかなり具体的な感覚を伴って。そういうことではあるまいかと。
「そんなものに囚われないから私は神さまなんだよヒロ」
「チキウでも同じじゃん。文明と名がついてる文化圏はだいたい暦を残してるでしょ?」
神さまと天才が告げる事実の空恐ろしさには薪割りの汗も引く……けれど、いま問題にすべきは別にある。
陰陽寮、オカルトの総本山にして最先端の科学者集団だが、ここから強訴もとい陳情が入ったのだ。
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