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第三十六話 修学旅行 その1


 春の中間試験が終われば……。


 「待ちに待っていたー」

 「「「 修学旅行ー! 」」」である。(小学校の卒業式並感)

 

 学園では、一年次と二年次の春に修学旅行がある。

 三年次はみんな忙しいし、冬には実習(俺がフィリア・千早と出会うきっかけになったアレ)が入るから、修学旅行は無し。


 行く先は毎年決まっている。

 何せ名家の子女が多く通う「学園」。

 生徒の安全は、確保されていなければならない。


 安全の確保には武人が必要なわけで。

 つまりはやっぱり、メル家の勢力圏内にならざるを得ない。


 サクティ・メル中央部にある「雁ヶ音(かりがね)城」こそが、その目的地。

 25年前に起きた、荒河夜戦(こうがやせん)の舞台となった地である。



 修学旅行の前には、目的地について予習をさせられる。それは日本もこの世界も変わらない。

 エリート揃いの生徒達にとっては耳タコなのだろうが、俺にとっては新鮮だった。


 概要を、修学旅行委員長の、イーサン・デクスターが説明している。

 

 イーサン・デクスター。

 トワ系の名門、デクスター家の長男。

 

 父親のデクスター子爵は、現在のところ極東道内閣学士(極東道政府の閣僚)の一員、つまりはアレックス様の同僚である。

 アレックス様は、極東道では事実上のトップと言っても良い地位にあるが。

 こと一般行政に関しては、年長でもあり専門家でもあるデクスター子爵ほか、主にトワ系の官僚政治家に会釈を施している。それぐらいには大物なのだ。


 父の跡を継いで、官僚政治家(宮廷貴族)となることを目指しているイーサン。

 彼をひと言で評するならば、「優等生」である。

 フィリアやレイナと並ぶ、いやしのぐかも知れないほどの、トップクラスの成績を収めている。


 そんなイーサンの説明は、さすが簡にして要を得ている。聞く者を飽きさせない。

 とは言え、やっぱりクラスの皆にとっては耳タコな話というわけで。教室の空気はダレていた。

 そんな中、俺だけは身を乗り出すようにして聞いているので、心なしかイーサンも嬉しそうにしているように見えた。


 イーサンの説明によると……。

 


 約30年前、王国は新都を征服、確保した。

 そのまま北上し、数年のうちに現在サクティ・メルと言われている地域の南半分も支配するようになった。

 その当時の王国の北の要が、サクティ・メル中央部に鎮座する「雁ヶ音(かりがね)城」であった。


 「雁ヶ音城」は、台地の上に立つ平山城。

 北に突き出すかたちをしている台地の周りを巡るように、大きな川が走っている。

 城から見て南西方向から北上し、城の北を東向し、城の東北角で向きを変えて南流する、横入川(よこいりがわ)である。

 まさに天然の堀としての機能を果たしている。


 それとは別に、さらに北方から城の東北にかけて、「荒河(こうが)」という大河が走っている。

 荒河は、サクティ・メルの西方の山からいったん北上し、そこからサクティ・メルをほぼ斜めに両断するように、北西から南東にかけて流れていく、名前のとおりの「荒れ川」である。

 横入川は、城の南東でこの荒河と合流する。荒河は、南東へと流れ、新都の東北境あたりで南ティーヌ河に流れ込む。


 雁ヶ音城は、対北方については、横入川と荒河の二本の堀を持っているというわけだ。

 サクティ・メル南部を守るための要衝となるのは、ごく自然な成り行きであった。


 

 25年前のこと。

 王国の民が言うところの「北賊」が、大規模な反転攻勢をしかけてきた。


 荒河北岸に大軍を集結させて、面で圧力を加えつつ、雁ヶ音城北方で荒河を渡り、横入川の対岸に迫った。

 雁ヶ音城側でも奮戦したのだが、何せ相手は大軍。

 城の東側にも圧力を加えられたため、北方を守りきれず、荒河を突破されてしまった。

 そこで王国軍は、横入川を防衛ラインとして、籠城。新都に救援を求めた。


 王国は船で援軍を送った。

 北賊とてバカではない。きちんと斥候を出し、その様子は荒河北岸にある本陣へと報告していた。


 だが。王国軍はその一部を割いて、途中から陸路、雁ヶ音城に援軍を送っていたのだ。

 北賊はこれに気づいていなかった。

 「いや、北賊は気づいていた」という説もある。だがその説でも、「入城して防備を固めるための別働隊だと思い込んでしまったのではないか」とされている。

 軽視されても仕方ない程度には、小勢であった。いや、絶対的な数字としては、「小勢」と言うほどではない。

 しかし主力決戦を控えての別働隊としては無視してよい、いや、無視しなければならない程度には、比較的な数字として「小勢」であった。


 三国志好きの人ならば、「官渡の戦い」を思い出してほしい。曹操は南から、東と西に、「そこそこの人数」の別働隊を出した。袁紹はそれに過剰反応して、「大軍」を左右に割いた。結果、中央で起きた主力決戦の際に、有利であったはずの頭数で圧倒することができなかったと言われている。

 北賊は、そのような愚は犯さなかった。

 ちょろちょろ動く別働隊など、無視すべきなのだ。主力決戦で敵を粉砕しさえすれば良い。

 

 だがこの別働隊、城を守るためのものではなかった。牽制のための遊軍でもなかった。

 

 雁ヶ音城の南に到着した別働隊は、いったん休憩を取った。

 日暮れ時。別働隊の……というか、この戦の主将、当時の征北将軍、若き日のメル公爵(当時はまだ爵子)は、横入川の対岸に上がる炊煙を見て、敵の油断を察知したと言われている。

 いや、これはただの逸話かもしれない。征北将軍は最初から「ぶちかます」つもりだったのではないかという説もある。

 

 薄暗闇の中、王国軍は横入川を北に渡った。渡河地点については、当然事前に知っている。

 ここでも、北賊は愚かではなかった。

 「半ば(わた)らしめてこれを撃つは利なり」。

 王国軍が半分ぐらい渡ったところで、撃滅しようと動き出す。

 

 が、撃滅できなかった。

 兵法上の道理をひっくり返すぐらいには、この年25歳であった征北将軍、セザール・ド・メルが率いる別働隊の働きは、苛烈であったと聞いている。

 雁ヶ音城からの必死の援護射撃もあったらしい。

 結局別働隊は全軍が川を渡りきり、南を横入川、北を荒河に挟まれた狭い地域で乱戦となった。この方面の敵の司令官を、初陣であった当時14歳の故・ウッドメル伯爵(まだ領地を持っていたわけではないが)が討ち取ったことで、短時間で戦闘が終結。


 なお、敵司令官を発見し、最初に一撃入れたのは当時30歳の、現・ギュンメル伯爵(やっぱりまだ領地を持っていたわけではないが)。司令官が逃げ出したところを、鉢合わせたウッドメル少年が見事に討ち取ったのだという。

 ギュンメル伯爵、戦場で気が立っていたこともあって、怒鳴り散らしたらしい。それに対してウッドメル少年が、「私が出会った時には、敵はすでに重傷を負っていました。功績はギュンメル卿のものでしょう。」と申し出たために、ちょっと恥ずかしい思いをした。

 「馬鹿者、武人の癖に功績を譲る阿呆がどこにいる。ここは怒鳴り返すところだろうが。誰がどう見ても無理な主張でも、とりあえず言うだけは言ってみるもんなんだ!」

 そう言ってさっさと引き下がるのが、ギュンメル伯の良いところ。

 後年、「どうもあの若僧とはウマが合わないというか、気質の違いを感じる。」とか、「『無理な主張でも言うだけは言うもんだ』なんて教えるんじゃなかった。ウッドメルのヤツ、また無茶振りをしてきおって。」とか、苦笑しながらぼやくようになったらしい。



 まあともかく、夜半の時点で、別働隊は荒河の防衛ラインを取り戻すことに成功。

 北賊は、それでも落ち着いていた。

 その判断は、間違っていない。

 緒戦の負けは、あくまでも別働隊同士のもの。決戦は、南から船でやってくる敵主力と行われるべきものだ。

 そのはずだったのだが。

 別働隊はあかあかとかがり火を焚き、征北将軍の軍旗を掲げて、気勢を発した。

 あまつさえ、北賊が渡河に使った船を漕いで、荒河を渡り始めた。

 

 敵の大将が、小勢で対岸にいる。

 こっちが主力だったのか?と一瞬は迷っただろうか。

 それでも、北賊の上層部は、判断を間違わなかった。

 別働隊は別働隊。そちらに力を割いてはいけない。


 とは言え、下の方では必ずしもそういう訳には行かない。

 敵の大将が小勢ですぐ近くにいる。

 無茶な渡河作戦を試みている。

 千載一遇のチャンスではないか。

 統率が、乱れ始めた。


 その頃、船が雁ヶ音城の南に到着した。

 待ちに待った、決戦の機会である。

 大軍で夜中に戦争を起こす事はまずあり得ないので、乱れた統率を整えるのに苦労しながらも、北賊は決戦用の陣地を布いた。有利な地はあらかじめ押さえてあるし、船から下りるところを襲う必要はない。大軍で夜に奇襲など、狂気の沙汰だ。

 後方はあい変わらずうるさいが、数としてはたかが知れている。一部に相手させれば充分だ。

  

 繰り返すが、ここまで、北賊には間違いはなかったのだ。


 唯一誤算があるとすれば、後方の人数を読み誤ったぐらいか。

 征北将軍が苦戦して荒河を渡り、渡河地点を確保した後、王国軍は雁ヶ音城に籠城していたほぼ全軍を、静かにそちらへと合流させたのだ。

 これは征北将軍の指示であったとも、城主の判断であったとも言われている。戦争狂(ウォーモンガー)には事欠かないというメル家のこと、誰かが勝手にやりだしたと言われても不思議は無い。

 

 さて。決戦開始は、夜明けになるはず。

 それなのに、夜明けを待たず、後方の喧騒がその大きさを増していく。

 

 決戦に備え、北賊は、左右に大きく部隊を広げつつ、本陣周りは前後に部隊を重ねていた。

 七段構えであったと言われている。

 本陣は、六段目。ごくごく自然な構えである。主力は前から来るのだから。


 しかし、セザール・ド・メルが率いる別働隊は、夜の間中、前へ前へと突進。城から出てきた、体力の有り余っている将兵を併せて圧力を増し、北賊が後方に残した押さえの部隊を突破。

 主力決戦用の布陣の、その七段目、後備えへと噛み付いていたのだ。

 

 さすがにこれは看過できない。

 後ろから見れば、本陣は二段目なのだ。

 

 後備えに加えて、左右に広げた部隊のうち、翼の根元にあたる二部隊を後ろに回して、対応する。

 ここでようやく、王国軍別働隊の鋭鋒が鈍り始めた。

 前の晩から戦い詰め。二本の河を渡り、体力的にもキツイものがあったのだろう。

 

 それでも、別働隊は崩れない。なかなか前に出られなくはなったが、三部隊を相手に押し合いを続けている。

 ドメニコの祖父、カルロ・ドゥオモは、ここで奮戦していたらしい。


 その状態で、やっと夜が明けた。

 

 大軍の戦となれば、普通はだいたいのところ、流れは決まっている。

 飛び道具の応酬があり、接近するにしたがって、乱戦模様となっていく。

 のだが。


 この日の王国軍は、違った。

 夜が明けた時点で、自分達の主将、征北将軍の軍旗が、敵本陣の後方に見えている。

 そこを目指さなくてどうするのだ。

 三部隊の縦陣で、しゃにむに前へと駆け出した。


 本隊を率いていたのは、故・ウッドメル伯爵の父。

 物腰穏やかながら、なかなか知恵が回る人だったそうだ。

 老人など、ケイネスにこの祖父の面影を見るという人もいる。

 

 全軍に声をあげさせながら、前へ出る。

 「敵本陣は落としたぞ!」 


 敵本陣の旗が立っていないということはなかったであろう。

 ただ、動揺のせいか、だいぶ乱れてはいたようだ。

 それに対して、征北将軍の軍旗は、真っ直ぐに立ち、風に翻っていた。

 

 敵に疑心暗鬼が広がる。

 王国軍三部隊のうち二部隊が、広がった翼の薄いところ、翼の根元へと殺到した。

 中央の縦陣が対応しようにも、王国軍中央の縦陣が圧力を加えてくるので、思うに任せない。


 勝負は、決した。

 二部隊が敵本陣と後備えを粉砕し、別働隊と合流する。そのまま反転し、敵中央を前後から挟撃する。

 翼として広がった部隊は、中央のその様子を見て浮き足立つ。

 左右から圧力をかけても、力強さがなかった。


 敵の総司令官は命からがら逃げ出し、王国軍は北賊軍を追撃して充分な打撃を与えた。

 当たり前だが、追撃戦には、征北将軍以下の別働隊は参加していない。

 やっとの思いで雁ヶ音城にたどりつき、爆睡していたそうだが、その姿はとがめられるどころか、むしろ「頼もしい」と受け入れられたそうだ。

 勝てば官軍ってヤツだ。


 この野戦により、サクティ・メル南部は王国が確保することとなった。

 このあと5年かけて、王国はサクティ・メル北部へと進出していくこととなる。


 

 イーサン・デクスターの話は、なかなか面白かった。


 「参考資料は、『荒河夜戦全資料集』と、治・ド・立花の『叙事詩・荒河夜戦』です。」

 

 やっぱりレイナの関係者……だよなあ、間違いなく。





 


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