第四百三十九話 独り立つ その1
心おだやかな謹慎の日々に意外なところから雑音が聞こえてきた。
「いただけませんな男爵閣下」
ぷりぷりとその頬を揺らしつつご挨拶を見せてくれたのは当カレワラ家が事務弁護士ブノワ・ケクラン準男爵であった……ならば、それがハサン殿下のご意向であることにも想像はつく。
なんとなれば遠い昔のこと、殿下も近衛であったから。
あまりに低い継承順位をそれでも捨てずに保持したせいで時の陛下に疎まれて、地方の拠点をたらい回しに回された……そのおかげで「地域の実情」には精通しておいでなのだ。
「『一隅を照らす士があった、天下に範たるの人物も見た。かたや禽獣としか言いようのない輩もあり、それも蒙昧に過ぎぬ者から生来の邪悪に至るまで』……と、これは折々伺った思い出話」
その殿下の存在に光が当たったことも良し悪しであったものか。
春先に双葉の使者から表敬訪問を受けたせいで「ご生存」が世に広く知られて以降、なんだ、いわゆる「在郷軍人会」の象徴的な存在に祭り上げられたと申しましょうか。
門前の栄えは良いとして客人と来たら保守派どころか筋金入りの守旧揃いで頑固ジジイを煮しめたような者ばかり。それがヒマにあかして近衛府の発令をいちいちチェックしているようではたまらない。
「我らが思い出の地にも中隊長閣下じきじきの指導が入るそうです」
「鄙に注目が集まるならば、いかなる形であっても」
「これも殿下のお口添えによるものと、もっぱら……」
お追従に付き合って「ワシが育てた」とか言わないところがハサン殿下の良いところではある。
むしろ「カレワラのはようやっとる」との仰せであったとか……「カレワラめ」だったものが中隊長に就任してより「カレワラの」に変わっていた。そういうところはまだまだ耄碌を感じさせない。
「戦勝の一報にも『アリエルの孫たるだけのことはある』と。よほどの人物だったのですね」
(分かるかヒロ、これが中隊長の本分だ。いつの時代も子供の憧れ、もう少しシンプルにカッコつけてくれ)
(ねえアリエル、まさかと思うけど。いちおう詰めさせてもらう)
(いいかげんになさい、当時10歳かそこらよ?)
「『それを謹慎とはいかに。大功も以て身を贖うに足らずと知れれば世は怯える。だいたい公侯はどこを見ておるのか。眼高は結構、だが低きに伸べる手があることも忘れてはなるまい』と」
たかが謹慎に大袈裟な話である。だいたいこちらも納得ずくの処分なのだ。
「功は功、罪は罪」これぞあるべき運用かと。
それはともかくハサン殿下であるが、憤慨のあまりお部屋に反故を散らかし出したとのこと。
「たとえご不興を買おうとも。これが最後の忠義である……ぐぬ、なんだこの字は。二重に見える。手に力が入らぬ。ええい、筆が悪い紙が悪い」
それでなくとも上奏文は書式に手続その他がクッッソ面倒であるからして。
だいたい処分の不当を主張するなら別に手軽なやり口があるではないか。
「年を取ると回りくどくていけない。まずは謹慎の無聊を慰めてこそ」
(前中隊長のお邸に日参した紳士がおいででしたね)
(これは師弟ですわ)
机を前に唸るぐらいなら見守っていられたケクラン氏だが、車を回せと言われてはさすがに黙っているわけにもいかない。
「男爵閣下からは『謹慎が明けたら必ず伺います』と、内々に……殿下のお志は私が必ずお伝えしますから、どうか」
嘘も方便。若き頃より無茶振りに――気位高き淑女を相手の無償奉仕である――耐えては裏切られつつ財を成した男には老人をあしらうなど何ほどのことも無い。
そんな脂の乗った、乗り切った、少々乗り過ぎな中年が一転、いまは若者を諭している。
「殿下のお怒り、私にはよく分かります」
お説教のマクラにふさわしいインパクトではあった。
何事につけ利害でものを見るブノワらしからぬセリフだが。
「貴族嫌いの私がどうしてこうハサン殿下の言うことは聞く気になるものかと、常々首を傾げていたのですが」
まさにそれな。
なんか知らんが逆らえないというか、こっちから言うこと聞きたくなるというか。
ある種の人徳なのだろうがどうにかできないかな俺もそのあたりと常々思っているところ。
「理不尽……でもありませんか……世間の理屈としては正しくとも、しわ寄せを食う者はある。それでも殿下は黙って独り立ち向かっていた。明かされる前からにじみ出ていたその気魄に私は惹かれたんでしょう」
諭すと言えるほど穏やかな話でもなかったらしい。
反骨剥き出しの獰猛な面構え、懐かしい顔をブノワは見せていた。
「どうにか間を埋めようとする男爵閣下のお志も正しい。他人を巻き込もうが自ら泥をかぶろうが為すべきを為す、正しいんです。だが正しくとも今ひとつ……冴えないんですよ。それが何をもたらすものか、いまに分かります」
最後までさんざんなご挨拶だったが、綺麗ごとを言えた口かと。
資金繰りにまつわるあれやこれ、冴えなどかけらも無い話を日ごろ語っておきながら。
いや、嬉々と語るに留まらない。俺を引き込むことにブノワはどうにも陰惨な喜びを覚えている。
ともあれ。
ケクラン氏の予言どおりに、あるいは働きかけでもあったかどうか。謹慎は十二日で解けたのだが……なるほどこれは厄介だ。満期でお勤めさせてくれと。
たかが2日、されど2日。短縮されたことに意味が生まれてしまうのだから。
自ら泥をかぶろうものならおためごかし……親切心でタオルを差し出す人もある。
他人を巻き込みでもしようものなら、それは自分も巻き込まれる。
巻き込みにかかった面々についてはくさぐさ思い当たりもあるが、およそ貴族は何ごとにつけ誰をはばかることも無い。筆頭と思しきデュフォー侯爵閣下からさっそくお招きをいただいたのである。