第四百三十七話 重陽の陰 その2
アエミリアさまとの会談中、公爵閣下に退屈な思いをさせるわけにもいかないのである……と、それはさすがに後付けだが、頭痛の無聊を慰める手立てぐらいは備えておくのでありまして。
「嫌がらせの意趣返しとは小面憎いマネを」
「薫陶の賜物です。で、レディ・インテグラは何と?」
重陽とは一族の集い。
親父どのが体調不良と聞かされたインテグラ嬢も――ソースは国王陛下の信任篤き宮廷の星と来たものだ。まったく気の利く若者である――医者を一個小隊がほど引き連れ帰省を果たしたという次第。
そのまま孝行娘ご一行にうるさく問診され寝かしつけられひっくり返され、消化器官の終点に至るまで……の検査だけはどうにか辞退した公爵閣下はたいへんにおむずかりであった。
「脇の小娘に耳打ちされたが高血圧と言うらしいな。あれが五十男とは悪ふざけにもほどがある」
わざわざ伝えてやるぐらいには身につまされていたのだろうアンジェラも。
「心配せずとも死ねたものかよ。隠居の父母が存命のところ、実績抜群の弟もいまだ現役。引き換え総領は年若、片付け先の影すら見えぬ娘が四人、と思いきや末には性質の悪い虫……いや、頭痛にもなるわけだ」
「一寸の虫でもなけなしの魂に誓った身です、メル家のためにならぬことはせぬと。だいたいアエミリアさまさえご存命ならば磐石そのもの、どうとでも回せましょう」
「武家の男は消耗品、貴様も分かってきたようだな。ともあれせっかくだ、ゆっくりしていけ……連れて来たぞ諸君、要望どおり」
重陽とは一族の集い……のはずが何です、このメンツ?
連枝郎党は当然として、妙に目につく近衛の輩。秋の戦で留守番任された人々、行賞に異議申し立てた武辺者。ほか大きなところでユースフにムーサのヘクマチアル兄弟。
ああなるほど、公爵閣下を慕う皆さまですか。病気と聞けば顔色を窺うのは当然ですよね。でしたらどうぞ、私などに構わず大物を頼りにしていただいて。
「嫌がらせとは二段三段に構えるもの、貴様のそのツラ拝んだら頭痛も消えたわ。いや、さすが陛下のお見舞いである」
そのまま陳情捌かせといて頭上からいちいち茶々入れてくるのだからどうしようもない。
「昇進ポイント(仮称)あと2つ? ツケにしてやれ中隊長」、「預けたご息女が外地に? それはご心配であろう、無責任な男もあったものだ」……責任取れと仰せですかそうですか。
ともあれどうにか大方を追い払ってのちに現れた若者は額にコブをこさえていた。
「お久しぶりにござるヒロどの。楓を送りがてらの帰省から戻ったところにて」
彼女の体調を思えば強行軍は控えるはずで、ならば日付が合っていない。
戦争が終わり、王都に帰還して……そこから一ヶ月では無理というもの。
「催促する気はござらぬが建威将軍府より『霞の里』宛の行賞、いかが相成ってござる?」
我が幕府に名を連ねたのは「ヒューム」ではなかったとおっしゃるか。
戦の途中からハクレンに入れ替わっていた……当然ご承知おきのはずと言わぬばかり。この男において無表情とはそのままドヤ顔を意味するのである。
「庶兄もヒロどのにはずいぶん入れ込んだようで。『我が残るゆえ若は里に帰れ。良からぬ動きも当然だ』などと言い出すもので、取っ組み合いに」
跡取りが長の留守をすればはしゃぐ者が出る、世の常ではある。だが人その性はもとより善、閑居するから不善をなすこれもまた世の習い……ならば王都でこき使おうと。
そこで楓を送った帰りがてらに「元気な」輩を里から離して連れて来たと。ヒュームにはめずらしい満面の笑顔を見せつつ事情を説明してくれた。
「庶兄に罪はござらぬが、連中の眼前で格付けは終えてござる。ともあれそうしたわけでヒロどの」
右の掌をこちらに差し出してくる。なにがともあれなんですかね。
「そろそろ帰るつもりであったが、『いましばらくそちらにおれ』と命ぜられたゆえ」
さらに左手を差し出してくる。ひっくり返して両の甲を見せた……と思いきやぷうっと頬を膨らます。
「里長も感嘆しきりにござったよ。我らまこと井中の蛙、その点さすがヒロどのは『せんす』が違うと」
気持ちのかけらも感じられないおべんちゃらをほざきながらケロケロ声マネなど始め出す。うまいどころの騒ぎではないあたりにまた腹が立つ。
「それがしも国王陛下の姫君をお迎えいたしたく。さすれば身内もミーディエも悶着起こしかねるというもの。要は血統『まうんと』にござる」
ようやく理解が及びました。
けっこうなお話かと。言葉は悪いが「あぶれてる」姫君がたも多いだけに。
でも相当な物入りよ? まず手始めに仲介者……陛下と直接に話のできる若手とか、僕も心当たりがないでもありませんけれど……それなりお礼しなくちゃいけないでしょう? お友達価格ってものも無いとは申しませんけれど。
「里ではこれまで、メル家より降嫁願うことも考えてござった」
こちらの無表情に負けじと、そういうわけでもないとは思う。
ヒュームの顔もたいがい薄口なのである。
「『あまりに意気地が無いようでいかがなものか』とほざきおったわ、まったく小面憎い。類友とは良く言ったものよ」
公爵閣下まで無表情でしゃしゃってきた。その雄大なあごひげをわしわしともみほぐしつつ……頭痛の原因それじゃありませんかね? 重みで首が凝ったせいでは?
「怒鳴られてみれば惜しいことをした気にもなるのだから、我ながら勝手にござるが……思えばソフィアさまもいわゆる賢君、ならば次代のメル本宗家にべったりも悪くはあるまい。無茶振りも重なるであろうが、是も非も無く命に従うこそあるいは得策やも……はて、どちらが良うござるやら。ヒロどのにも聞いてみたいものと」
いつの間にか左手は引っ込んでいた。再び天井を向いた右手に紙が乗っている。
記された数字の絶妙ぐあい、さすが長年のお付き合い。
「働くとあらば、もとより我ら湖に生きる一党ゆえ」
書き付けをひったくれば笑顔でも見せるどころかさらなる無表情に迎えられてしまう。
「先島村に多少の地所など併せて借りられぬものかと」




