第四百三十五話 輝かしくも その2
隠すようなことでもない。
何らの罪も犯してはいないのだから。
「個人的に補填した」
言い訳を終える前に到着したアカイウスから受けた帳簿、そのまま投げ渡した。
「当カレワラ家は、5年にわたり総計大金貨300枚相当の宝石を大金貨800枚で購入する約定をナバールと締結している」
王国官僚四十八手がひとつ「流水暢なれば棹さし難し」であったか、さらっと流せば争点に気づかれない……はずもないのであった。
「補填しては賠償を課す意味が無いではありませんか。そもそも閣、ヒロさんのポケットマネーであれもとを正せば国富です。大金貨にして500枚相当が流出……いえ、それよりも。300枚は6倍になり、その代価は800枚。ならば差し引き大金貨1000枚相当、1年あたり200枚の利益を得ているはずだ。以上三点、お認めになるのですね?」
この道千年の相手に付け焼き刃で挑むからには苦戦も道理、毎度のことだ。
「認めるさ。第一点、抑止効果は指導者の首……人死にで十分。ナバールとのパイプを断ち切ることこそ国益を損なう」
反論は無かった。検非違使の本分をよく心得ているようで何より。
「第二点、大金貨500枚相当の国富流出と言うが、いみじくも君の言を借りれば細工その他で1000枚相当の国富を生んでいる。そもそもこの契約、きっかけこそ通貨偽造事件だがその内容は王国の友邦ナバールといち王国貴族の純粋な商取引だ。とがめられるいわれは無い」
――このあたり、準男爵にして事務弁護士(兼介護士)たるブノワ・ケクラン氏と相談のうえで紡いだ話ではあるが――
「最初の年から利益を出さなくては。以前メル家との革取引でも申し上げたところではありますが……」
今回は特に、係争地どころか事実上南嶺の、まして天然資源だ。
生産拠点を移せないという事実が前提として立ちはだかる。
「いつ占領されるとも分からない。南嶺による国有化やら取引停止やら、そういう話にならないとも限らないわけか」
「ですからまともな商社であれば、『長期で大きな得になる』以上に『短期でも損にはならない』ように組み立てるものなんです、相手にも十分な利を食らわせて」
議論の熱に、客賑わいに当てられてあるじも顔を覗かせた。
90も半ばに至ったハサン殿下の笑顔には巧むところのひとつも無くて。
……無垢の輝きを帯びた話ではない、その自覚はある。
それでも。黄金の輝きに追い縋り並び立つためならば。
「3つ目の問いにこそお答えいただきたい。この2年で大金貨400枚相当、その宝石をどうなさったか聞いている!」
眼鏡の奥に潜む輝きもまた無垢にして愚直であった。
焦がれたところで俺には望むべくも無く、ならば端緒から求めぬに限る。
「だから帳簿を見せている。就任してより一年、さきの戦に向けて後宮七英に対し大金貨800枚相当の政治工作を行った。各所の有力女官への付届け、検非違使にしてまさか調べが及んでいないとは言うまいな?」
カレワラ男爵の名をもって得た利益につき近衛中隊長の名をもって拠出したのだ、これは犯罪どころか奉仕活動に等しい。
(開き直りにも節度というものはあるの。このあたりは「引き算」だけど)
なら広告宣伝費としておくさアリエル、正しきカレワラの裔よ。
近衛中隊長とは輝かしくも優美なるアイコン、評判を買わないことには仕事に入れないのだから。
「この取引は近衛中隊長名義で引き継ぐ予定だ」
左右に目を投げれば、輝きを父祖より継いだ若者が――七光りとは言うまい、彼らもまたその輝きを後の世に繋ぐのだから――小刻みに肩を震わせていた。
「僕には僕なりのあてがあるよヒロ君」
「提案には感謝するが中隊長どの、当ノーフォーク家はダーマ州を通じてほぼ同じことができる」
「なら全額を、年に大金貨200枚をそこの金庫に放り込んでくれれば良いさ」
否定はしない、お互いに。
切磋琢磨は宝玉の自負あらばこそ。
「こちらからは以上。ほか何か違法があるか? さらに礼、王国貴族のわきまえを問うのであれば私も全く知らぬではない」
「なお帳尻が合いません。七英に支出した金額とほぼ同額で2箇所、後宮以外のところに」
負け惜しみはよせチェーザレ。私的なマターと言っている。
お前の正義、その理屈では斬り込めない、斬り込ませるわけにいかない。
組織を運営する側にもそれなりの理屈と正義がある。
「気に入らねえ」
……そうだな、その理屈はあった。
「お前が言うのかティムル。その金で検非違使庁の再編まで回してもらって」
「だから気に入らねえつってんだフィリップ! 通貨偽造は検非違使庁の本丸だ。その成果をこんなカタチでせこせこと、あまつクソアマずれにばらまきやがって」
「いつまで小役人でいるつもりだ、いいかげん大人になれ。ヒロさんが……隊長格がせこせこ稼いだその金で近衛は回ってんだ。何かっちゃあ聖上に泣きつく女狐どもをいちいち先回りして口封じ、武器糧食を山盛り積んで、当然のごとく敵に勝つ。栄光ってのはそういうことだ、積み上げるものなんだよ」
この日のフィリップはやけに執拗、いや情熱的だった。
長年の同僚相手にしても度が過ぎていた。
「私も大尉どのと同じ見解です。それでもこれは官吏のすることではない。そこのふたりに胸が張れるのですか中隊長どの」
とは言え口にすべからざること、というものは確かにあると思う。
次の暴言を――むしろ卑劣は貴様だサッソ少尉、などと――招き入れてしまうのだから。
「番長コニー・バッハ、君はこちらに踏み入るべきではない。フルートさんにも言われただろう……メッサ貴様、そのシケたツラは何だ。三世代がとこ小馬鹿にされてきた我らインディーズがメルキュビ相手に胸張って歩けるのは誰のおかげと思っている!」
倍近い年の上司に言われて竦むでもなく必死に怒鳴り返すのだからメッサもだいぶ慣れてきた。
「賠償金を3倍に増やして国に尽くす、個人的な取引で儲けたお金も近衛府の活動資金に……立派だと思います。中隊長閣下のなさることだ、法にも礼にも触れていないのでしょう。誰に迷惑かけてもいない。戦争にも政治にも金がかかる、どうにかひねり出さなきゃいけない。それでも……これは私が受けてきた教えとは違う。そして私が、ヴァージュの家が間違っているとも思えないんです」
「それで良いんだよメッサ、難しく考えることはねえ。こういう時に言うんだ『気にいらねえ』ってのはよ。留守の間に鍛えたんだろ? 隊長どののあの薄いシケっ面に何が何でも一発入れてやれ」
たぶんティムルが正しいのだろう。
検非違使の、近衛兵のあり方としては。
「気に食わない、不適切だとなお言い募るならば約束通り告訴の手続に入ろう、デクスターの名にかけて……ただ、その先は近衛府の上級官庁たる蔵人所に限定させてもらう。蔵人頭リーモン閣下は公正な方だ。ヒロ君が間違っているなら処分を下されるはず」
「さきにも述べたが国防の問題がある。大隊長、メルとキュビに容喙の口実を与えるわけにはいかない。これはノーフォークのみならずトワの大方で見解の一致を見ている」
そういうことになってしまうのだから、チェーザレの正義を貫く限り。
「開き直りを拳で修正」、ティムルの理屈を貫くほうがおそらく「上」に反映できる。
「すでに報告されているのでしょう? ニコラス閣下とオーウェル閣下にも」
……オサムさんにも、雅院にも聖上にもな。
それこそ検非違使の知るところではない、知らしむべきところでもない。
眼鏡に潜む理知の輝き、次の中隊長とこそ響きあうはず。
そのためにも引継ぎを。ティムルと練っておいてくれ。
「……ああ。たしなめられたよ」
処分はすでに下っていた。咎めは無かった。
聖上が「からくり」に興趣を覚えておいでであれば。
なお、雅院とはいま少し突っ込んだ議論を行った。
オサムさんからは一席をたかられた。