第四百三十二話 銃後の人々 その2
お茶のお代わりを勧めに来た万葉侍従が小さく首を傾けた、柔和な笑顔を見せながら。
能弁で名を取る彼女にして言を用いるまでもない、分かってはいる。だがこの日は相手もあることで、その先様においては細かな事情を知る由もない。日ごろ王宮にお勤めではないのだから。
「現場の推移、決断に至る心理状態。やはりご本人の口から聞いてこそ」
「ええ、若をお連れして正解でした」
片方がお追従など口にすればもう片方が追従し、そして時間が過ぎてゆく。超過勤務を誰より嫌うクレシダさまのお局で。おいでの客人、婿君スレイマン殿下を頼ったA・I・キュビ家とついでにA・G・キュビ家の重臣が浮かべる笑顔の極まった鈍感さと来たら! これぞ貴族の鑑である。
「航路の件も御礼申し上げます。男爵閣下から働きかけていただいたとか」
スレイマン殿下の御前でその話題に触れますか、兵部卿宮さまの構想その評価が定まらぬうちから……いやそもそも俺は男爵、階級違いだ。ジャブの矢面に立つ気は無い。
「称賛さるべきはセシル家です。何よりエルンストさんの……彼の兄君ですが……熱心な勧めあってこそ。私も心を動かされました」
強張った笑顔でこちらを睨みつけていた弟アルバート氏もあわてて相好を崩してみせた、次のコンビネーションに備えるべく……「おお、七万を率いてノリノワール公本軍を釘付けにされたと伺う」「沈勇、我ら武門にもなかなか見られぬところです」
などと無駄なおしゃべりの衣に包まれ揚げられる情報交換を嫌うわけにもいかないが、祝賀使節が近衛隊長と面談するその場所選びはあんがい窮屈だ。
まず両陛下の御前というわけにはいかない。国事になってしまう。
雅院というわけにもいかない。「国王の親衛隊長が、大国の使者と、王子の宮殿で、私的な会合を」持つなどスジが悪すぎる。
同じ理由で王妃殿下のお住まいも控えるべきところ、後宮序列第三位・尚侍さまのお局にはスレイマン殿下が入れない。
結果として事務官枠のお局に「招かれた」身であれば長っ尻の文句を持ち込まれるいわれは無いはずが、開き直りも許されない。近衛中隊長とは仮面ライダーであり寺生まれのTさんなのである。不思議なことが起こってでも解決せねばならんのである。
「商都の磐石により南廻り航路はさぞ繁盛のことと、これもお祝い申し上げます」
終着点ではなくその途中、航路の安全が確保されてしまったがゆえのご訪問ですよね?
ま、そこはそれこそ足元というヤツであれば、お歴々こそがご高見をお持ちなのである。
「王国は南北両航路の繁栄を等しく望むものです。若君がたが御家の柱石となる頃にはますます……そうであろう、中隊長どの?」
もちろん次世代まで続く方針に決まっているのであった、雅院びいきのデュフォー閣下に言わせれば。
そうしたわけでスレイマン殿下の優雅なる含み笑いを横目に感じつつ、ようやく本題に入るを得た。
「よく来てくれた。兄君フェルディナント(・A・G・キュビ)さんとは治部省でご一緒してね、南嶺との付き合い方をご指導いただいたものさ……A・I・キュビ家のお話もこちらのディサロ君から。尚武の気風と伺っている」
王国の近衛中隊長は「南」、B・O・キュビの兄弟と懇意である……無色でありたいその事実が戦勝を境に妙な色合いを帯び始めていた。「近ごろ珍しき長期任用のうえ十万の軍を預けられた、国王の覚えめでたき側仕え」に「食い込んでいる」と。ならば「北」としても顔つなぎぐらいはしてみたくなるわけで。
だが近衛府を、若君ばらを預かる身に余計な思惑など不要。
誠実に雄々しく、しかして華々しく。
「皆さまと出会うを得た今宵の幸い、これもひとえに陛下のご威光あまねきがゆえ」
四柱全ての若君を王都に引っ張り出し繋ぎ止めた中隊長ということになる。
これでまたひとつ難しくなった、その自覚から祝辞を紡いでみたけれど。
「逃れる」ことはできないらしい、こちらに向かう人々の顔を見るにつけ。
そう、逃れることはできないのであった。
宵の口にまで至ってしまったのであれば。
「クレシダさまにはくれぐれもお詫び申し上げてくれるか、万葉どの」
「陛下のご威光あまねくその恩は深きこと、クレシダさまにおかれても日ごろより……」
うわキッツ。これはご機嫌斜めですわ。
やはり学者から時間を奪うその恨み、もといその罪は重い。
「その恩恵はこちらよりも閣下を慕う方々にこそ及ぼされたきもの。長き宴に待ち人が」
妙な期待をさせておいて現れたのは見目麗しき…………青年であった。
近衛大尉にして大隊長秘書官、キュビ侯爵の側近である。
「私が顔を出しては警戒のあまり同胞の口も回らず『ますます長居されてしまいますから』と、侍従どのより……こちら、預かってきた書信です」
もたらされた二通に認識のゆがみを知らされた。
大隊長秘書官、嫡男リチャード・キュビ閣下の側近であるらしい。
さっそく開いた一通は――祝宴で開くはずの手紙であれば大したことは書かれていない。第三者の目があるところで開くほうが何かと気楽だし――案の定、なんの変哲も無い戦勝祝いだった。
「お人柄はかねがね年長の諸卿から。『誉れも高き征南将軍閣下のお耳に届いたこと、光栄に存じます』とお伝え願いたい」
その人となり沈着、剛毅、中庸を知り過激を嫌う……身近なジョン&エドワードに言わせると、どこか俺に似たところがあるそうな。聞くに「いかにも跡取りってあたりだよ要するに。ああ腹が立つ」とか何とか。
もう一通はジョンに送った戦勝祝いに対する礼状であった、母君名義の。
こちらも要するにお礼の言葉、戦勝の祝福、そして「これからも息子をよろしく」……どこまでも当たり障りなきつれづれのついでに王都にあったジョンの暮らしぶりその機微にそっと踏み込むあたり、これ要するに「誰かいい人の話を聞いてはいませんか」と。
むべなるかな。
ジョンはエドワード(どう転んでも跡継ぎの目が無さそうな庶子)以上に難しい立場だ。それこそ仮にB・T・キュビ家のベアトリス嬢がジョンに入れ込みでもした日には大変なことになる。
母君としてもそのあたりは重々承知で、しかしエドワードにばかり良い話が来るのもどこか腹立たしい……そういうものかもしれない。
思えばフィリアの母君もどこか似たような物思いを抱えておいでだった。
長女は跡取り公爵、次女(四女)は王太子妃。で、三女(六女)はおそらく何も無し。その現実を頭では理解できても情の部分で割り切れずにいる。
メル公爵夫人にしてもキュビ侯爵夫人にしても、あるいはデクスター男爵夫人にしても。家を切り回す敏腕経営者でありながら、この情というものばかりはいかんともなしがたいものでもあろうかと。
夕焼けと闇に挟まれほの青き色味を残す空、その中で力強く瞬く星を――美しくもあまりに複雑で時に小うるさくも思われるその輝きを――眺めるにつけても覚える気だるさ。そのくせ妙な力が身のうちより湧き上がる気もするのだから不思議なものだ。
などと考えに耽りがちなのは俺の悪い癖かもしれない。世の人々皆がみな小うるさき憂いを抱えているはずもないのだから。ことにこの秋もの思いから遠ざかっている(はずの)方からもお招きを受けたとあっては、秋らしく爽快な面持ちで望むべきところ……でもあるはず。
「商都以来ですね、鶺鴒閣下」
「この件で肩入れする気はないよ、疵……お招きに感謝いたします、北の方さま」
疵に鬼瓦、潮焼けに筋肉ダルマ。
四人が揃うところ令嬢もまた並び立つのである、赤髪の貴公子を前にして。
なお(母君から恋人レイラ嬢を隠されたせいで戦勝の猛りを収めきれずにいた)エドワード卿だが、この日は一転しぼみきっていた。もうひとりの客人シメイ卿の目が秋空のごとく澄みわたるその傍らで。
「年貢の納め時とはよく言ったものだね」
時しもまさに秋だけにってやかましい。
「カレワラ閣下からも何か、お口添えをいただければ」
「弟より伺っております、判断に一点の曇り無き方であると」
そう、近衛中隊長とはなんでも解決してみせるヒーローなのである。
だがトモエ夫人と言いハンナ嬢にベアトリス嬢に誰と言い彼と言い、人の恋路馬の蹴り脚その前めがけて俺を押しやらずとも。
お前もだぞエドワード、甘えた顔を見せるのはどっちか選んでからにしろ……と言って、何もしないことを責められるその一点については同情を禁じえないところではある。
「この件は彼に一任するとして、ちょうど良い機会ですので連絡事項を。A・G、A・Iの両キュビ家から若君が近衛府入りした件はご存じ……ですよね? 戦役を経て『語るに足る』人々が増えたことでもありますし、国防のいわば総点検を行う予定です。メル家またウマイヤ家、兵部卿宮さまにもご協力を願い、もちろんお二方の弟君にも」
銃後にあっても皆さま辣腕経営者なのである。案件をちらつかせれば目鼻がそっちに向かうのである。感謝しろよエドワード? ともかくそうしたわけで私も忙しき身、ここは失礼いたします。




