第三十五話 不毛 その1
連休明けの朝早く、俺とフィリアと千早は、メル館から学園に戻った。
寮の入り口に立っていたのは、塚原先生。
「ずいぶんと変わったな、ヒロ。三日会わざれば、か。これだから教官はやめられない。いろいろ聞いたぞ。真壁の手から木刀を飛ばしたとか。これは私もうかうかしていられないな。」
「型稽古の重要さを思い知りました。実戦でも、自然に体が動きました。」
「だろう?皆そう言ってくれる。……で、どうだ。」
人を斬ったこと、か。
「やはり、良い気持ちはしません。それでも、もう怯えたりすくんだりすることは、ないのだろうと思います。」
「そうか。」
塚原先生が、ぽん、と俺の肩を叩いた。
「お帰り、ヒロ。無事で何より。」
「ただいま帰りました。」
「しかし、気になるなあ、その刀。間違いなく大業物以上なんだが……あまりにも禍々しい。大丈夫なのか?」
「契約を交わしたので、私に害を及ぼすことはありません。」
「何か憑いているということか。不気味なわけだ。死霊術師の面目躍如だな。」
「お、ヒロ、帰ってきたか。大活躍だったらしいな。聞かせてくれよ。」
マグナムが出てきた。
「ノブレスの手柄自慢がうるさくて。あいつの腕は知っているが、お膳立ても良かったんだろう?機密の部分まで聞く気はないさ。作戦の概要や部隊の配置、戦術方面の判断を教えて欲しい。ヒロとヒュームと、二人から聞けば多角的に見えてくるだろう?千早やフィリアにも後で聞く。」
相変わらず、どこまでも研究熱心なマグナム。
ああ、帰ってきたんだなあ。
マグナムを連れて、部屋に戻る。
ノブレスは寝ていたが……青あざがあった。
「何だ?酔っ払ってぶつけたか?」
「ジャックとスヌークだよ。ノブレスの癖に生意気だとさ。」
「おい、暴力は禁止じゃなかったのか?」
「まあ、さすがに、あそこまでうるさく自慢されるとな。暴力禁止の趣旨は、相手を辱めたり追い詰めたりするようなことは禁止、ということなんだ。暴力でなくとも、相手を追い詰めてはいけない。そんなことをしたら、誰だって誇りのために立ち上がる。そして、ここの生徒が立ち上がれば。」
「まさに命のやり取りになるな。」
「そういうことだ。ノブレスのあの態度は、庶民の俺でもイラッと来た。ジャックやスヌークがあいつを殴ったのは、気持ちの上で追い詰められる寸前だったからだよ。趣旨から言って、あれは許されるだろう。」
……ヒロは、知っておいた方がいいかもな。
「何だよ、マグナム。」
……悪気がなくとも、あいつらには、今のヒロは眩しすぎるだろうから。
そんな言葉の後に、マグナムが事情を説明してくれた。
「ゴードン家は、トワ家系列の武家だ。ミーディエ辺境伯の寄騎『だった』。7年前のウッドメル大戦で、ジャックの親父さんは、命令違反を犯したんだ。退却するのを良しとせず、戦場に残った。」
……わずかではあるが、ミーディエの名誉を救った武人の一人さ。
ミーディエにもマシな奴がいる、って。
「ミーディエ家内部での、親父さんの立場は微妙になった。持ち上げる者と、嫉妬する者と。判断を評価する者と、命令違反をとがめる者と。その狭間に立たされて。……ミーディエ辺境迫は、政治家だ。家の内に不和を招くことを好まない。因果を含められて、ジャックの親父さんはミーディエ家を出たというわけさ。その後すぐ、戦傷と失意によって、亡くなったと聞いている。」
「それは……」
何を言えば良いのか、分からない。
「ゴードン家の問題は二つ。『トワ家系列』の色が強すぎるんだ。メル家としては、簡単にはジャックを呼ぶことはできない。引き抜きみたいに見えてしまうから。大戦でもあれば、別なんだがな。もう一つは、主家を退転したこと。これは武人としての評判の良さを、相殺してしまう。だからジャックはああ見えて、地道に評判を高めようとしている。学園に通い、クラスの中でリーダーシップを取って、武術の腕を磨き。いつかチャンスを、と願っている。……極東道は、ほぼメル家の勢力圏だ。ジャックの出番は、なかなか来ない。出番が来ても、ゴードン家の名誉回復は、簡単じゃない。手柄を挙げないと。」
「ヒュームのおかげで簡単に手柄を挙げて、脳天気にそれを自慢するノブレスにイラついた、というわけか。」
「スヌークの方だが。スヌークの祖父さまは、金で爵位を買った。それでも、長男、孫と続くハニガン本家の家系のほうは、三代目ということもあって、まあ色眼鏡で見られることは少なくなってきた。本家の孫、スヌークのいとこのスヌキチさんが有能な人だということもある。」
金で爵位を買う。準男爵、か。
「スヌークの親父さんは、次男だ。それでも自らの腕一本、金を稼いで爵位を買った。だからスヌークは二代目だ。親父さんは立派だと思うし、スヌークに責任は無いが、成り上がり者扱いは仕方ない。武家としての信用がまだ足りないから、やはり簡単には呼ばれないだろう。」
武家としての信用、か。分からないでもない。
ドゥオモ家のドメニコを、俺は見てしまった。人柄と言い、武術と言い、堂々たるナイトだった。
あの覚悟と武術は、本人の資質や努力ももちろんだが、代々伝えられた蓄積という部分も大きいだろう。
「ノービス家は、細々とではあっても、代々大過なく貴族の義務を果たしてきた家だ。祖父さまも親父さんも、極東で起きた大きな戦には必ず参加している。それが武家としての信用となっているから、メル家としてもノブレスは呼びやすいのさ。……もちろん、ああ見えて腕は確かだということもあるしな。」
説明を終えたマグナムが、苦い笑顔を見せた。
「実を言えば、俺もお前がうらやましいよ、ヒロ。だがまあ、羨むという行為は、不毛だ。そんな暇があれば努力を重ねるべきだと、俺は思う。」
言ってしまって、苦味が消えた。
今度は満面の笑顔を見せる。
「と言うわけだ。さあ、俺の欲求不満を発散させるためにも、情報をキリキリ吐いてもらおうか。」
「次に機会があったら、誘うよ、マグナム。ひとり押し込むぐらいのことは、できる立場になったみたいだしな。マグナムの人柄と腕なら、文句なく信用できるし。」
「本当か?頼むぜ。」
マグナムとの会話は、俺にとっても勉強になった。
「面白いもんだな。ヒュームは淡々と、事実をメインにして話していた。『何で3つの部隊をそう配置したか』について、『危険な洞窟から賊をおびき出して包囲するため』って言っていた。ヒロは少し政治的というか、『現地の郎党に手柄を挙げさせるため』ときた。まあもちろん、ヒュームの言っていることは当然の前提なんだろうけど。」
「考え方は人それぞれ。多角的に見るって大切かもな。」
「だろう?役に立つだけじゃなくて、単純に面白いぜ。それにしても、その刀は……酷いな、おい。何が憑いてるんだよ。大丈夫なのか?」
「みんなそれを言うんだよな。説法師にはとくに酷く見えるかもな。でも、契約を交わしてあるから、大丈夫さ。」
教室でも、俺達の初陣の話題で持ちきりだった。
千早の周りには、いつものように女子が団子となり。
フィリアの元には、まじめな生徒が戦術等の問題を質問しに集まっている。
俺の傍に寄って来たのは、レイナ。
「で、何か面白い話は無いの?」
「面白いって、どういう意味で?」
「詩の題材になるような話とか。」
「そうだな、じゃあ……」
緊張感のある話として、ヒュームの潜伏。
騎士物語として、ドメニコの活躍。
悲劇として、テオドル・ファン・ボッセの最期。
ノブレスの手柄、その喜劇も(スパイに一服「盛らされた」話は割愛して)伝えた。
「分かってるじゃん、ヒロ。そういう話が欲しいのよ。ヒロも活躍したって聞いてるわよ。」
「そうそう、凄まじいスピードで駆けて行って弓使いを斃し、また駆け戻って、敵の手練を一刀両断!フィリアの危機を救ったのよね!」
早口でアンヌ・ウィリスが口を挟んだ。耳が早いなあ。
「戦場だからね、仕方ないさ。」
「ちょっと、情けないわねー。英雄物語の主人公にできないじゃん、それじゃあ。……まあ、ヒロらしいっちゃあヒロらしいか。その話は勘弁してあげよう。フィリアを救った話なんか、物語にしたくないし。」
どこまで嫌ってるんだよ。
「おいこら、俺様の活躍だけ物語にしないだと!このちんちくりんめ!何か言ってやれ!」
朝倉が騒ぎ出す。
声は聞こえないはずだが、やはり気配のようなものはあるのだろうか。
アンヌもレイナも、俺の腰に目を向ける。
「それにしても、その刀、なんか怖いね。」
「フィリアに厄を押し付けられたんじゃないの?」
「よせよ、俺にとっては名刀だ。メル家には感謝してる。幽霊が憑いてるけど、契約を交わして俺が使役しているから、怖いことはないって。」
霊能もなければ、武術も初心者の二人にまで恐れられるとは……。
どれほど厄いんだ、朝倉は。
「まあ、それはともかく、本命の話があるはずよ。それを聞かせなさいよ。」
「本命って?」
「初陣と言えば、醜態。フィリアの醜態、あったんでしょう?なに、フィリアをおとしめようって言うんじゃないのよ?少しぐらいかわいげがある方が、人間味があっていいじゃないの。だからさ、教えなさいってば。」
かわいげ、か。
あの晩を思い出した。
フィリアにだって、かわいげも人間味もあった。
「ちょっと、何、その間は。それにその顔。何かいやらしいわねえ。何があったのよ。」
「何も無いってば。自分の醜態を自嘲しただけだって。」
「初陣のくせに醜態が無かったの!?本当にあの子は。何か苦手とか、ないのかしら。」
「あたしは幽霊が苦手だな。」
アンヌが口を挟む。
「あんたの苦手や弱みを聞いても、何も面白くないじゃない。」
「俺は、人に刀を向けることができなかったけど、どうやら克服できたみたいだ。」
「うわ、ヒロってば怖い。脱童貞ってヤツ?男ってのはこれだから。急に偉そうになるのよねー。やだやだ。どこも変わらぬ冴えない男なんだから、自意識過剰もほどほどにしなさいよね。」
男どもからは、「ヒロは変わったなー」と言われるのだが。それこそ「三日会わざれば」とも言われるぐらいに。
女子にとっては、そういう変化は「どうでもいいもの」「評価に値しないもの」なんだろう。
「他になんか苦手……あ、ピーマンは苦手かも。」
「ぷぷっ。ピーマンって。子供じゃないんだから。でもいいじゃん、それ。そういうの、聞いたこと無かったわね。後で皆に聞いてみようっと。」
実利だの目的だのがまるでない、不毛で非生産的な会話。
これこそが日常。
昨日までの一週間が夢の中の出来事のように思えて来る。
フィリアや千早にも、苦手なものってあるのかな。