第四百二十八話 見えないところ その2
キール氏が磐森まで出張った理由というのが、村の秋祭り――時代ごと世界ごとに細かな違いはあれど同じこと、いわゆる収穫祭である――におけるトラブルであった。
祭や何や「こうしたこと」を仕切っているのは天真会であろうと思っていたし、じっさい間違いではなかった、のだが。ともかく事の起こりからここに記しておこうと思う。
それは月例三者会談――聖神教「精神病院」のシスター・テレサと天真会「孤児院」の士誠・劉を招いての茶話会だが――のこと、天真会の老師ジエイが「仕切り担当」の後輩を連れて祭礼挙行の挨拶に来た。
仕切り担当、さすがにお祭り男だけあってなかなかになんだ、粋でいなせと言うのだろうか。魅力的な男であったが、やおら立ち上がるや妙な角度で頭を下げた。
「私こと○○、以前の名はご容赦いただきまして入道の先達は老師××、これなる老師ジエイに杖を借り、教えを受けますは同道士誠・劉、また畏れ多くもミューラー卿…………」
息継ぎすら惜しむかのようなとんでもない早口でまくし立てる。
聞くに祝詞でもなさそうだし、おそらくこれは挨拶だろうと。
それは良いのだが千早がどうしたかと。なんで名前が出てくるかと。
挙がった名前を聞く限り男の活動範囲は王都周辺、接触期間は限られるが。
いえ、決して嫉妬だ悋気だというわけじゃないんですよ。見たことも聞いたこともない男からその名が出たので好奇心が涌いたと申しますか?
で、つい顔を上げて彼のお顔を正視したところが。
お祭り男氏、ご領主の威厳()に触れて口上を噛んでしまっていた。
気にせず続けてくれれば良いものをなぜか沈黙している。顔面蒼白で震えるばかり。
「連れが失礼をお詫び申し上げます」
見かねた先輩・老師ジエイが助け舟……というには少々慌てていたらしい。
今まで見せたこともないおかしな挨拶を重ねたのだから。
「私ことジエイ、以前の名はご容赦いただきましてこの道における先達は老師周・李、教えを受けますは同道士誠・劉……(中略)……ご領主さまのご寛恕を得て本日まかりこしましたるゆえんはこのたびご領地某村のご祭礼、御めでたくもにぎにぎしくはご開催の段……」
内容は要するに、「自分はこういう人間です、今回お邪魔した理由は祭礼です、ルールは守ります(?)、トラブルは起こしません」。
疑問符つけたのは彼らの言う「ルール」と俺(領主)が定めたルールが果たして一致しているのかというあたり。そういう行き違いにはね、当方さんざん悩まされてきたもので。
聞くも見事な口上は終わったが、さてどう返せば良いものかと。
流れる小さな沈黙を遮ったのはシスター・テレサの大笑い。
「そちらは大変だねえ。『知り合いの知り合い』以外に信用を得る手立てが無い」
なるほどピラミッド型組織の聖神教はネットワーク型の天真会と異なり、位階を示すだけで人間関係あるいは「信用」の大小(?)を伝えることが可能である。
「天真会にも私らと似た人々があるとは聞いていたけど、ご苦労されているようで」
理解した。
そこのあんちゃん、和光派か。天真会の中でも中央集権化(?)を志向しているとかいう。
これまで磐森お出入りはほぼほぼ李老師の関係者――彼らが言うところの山岳派、それも南嶺派――だから、これを機会に食い込みをと。
そのこと自体は別に構わないっちゃあ構わない……こともないか。
ただひとつだけ言えるのは、彼らの流儀に俺が合わせる理由はないということで。
「上書の件は承知した、挨拶は捨て置くとして」
こちらは挨拶から不要、名前すら出す必要が無い。領主なのだから。
それともうひとつ、許可の根拠は担当十騎長が受理した提出書類とさせてもらう、口上の宣誓ではなく。まくし立てられてる中に話術のあやが仕掛けてあったら困るので。
すると案の定、祭礼担当の兄さんが再び顔色を変えた……と思いきや、隣の劉老師に後頭部を掴まれ額を卓に押しつけられて耳元に二言三言……因果を含めるってこういうことなんやなって。
おそらく。彼らにとってあの挨拶は神聖なものなのだろう。
文字が読めなくとも通ずる形式、会員の名を出したからには裏切れない、古き古き誓約。
だからこそトチったり噛んだりするわけにいかない、お辞儀の角度間違いから許されない。
ある意味宮廷の礼法と同じ……だけどそれってつまり、「仲間内」の作法でしょう?
「向後、館内での口上を禁ず。なお李老師に免じて今回は許す」
受け容れてしまえば天真会の会員扱いだろうから。
どうもいたずらが過ぎませんかね、和光派の皆さん。李老師に絞られて?
観測気球か犠牲の羊か、「若いの」を盾にするのも何かイヤな感じだし。
……と、そうしたかすかな善意の芽生えに敏感であってこそ務まる仕事も世にはある、修道女など典型であろう。
「宗教者に向かうご領主の仁慈を主も見そなわしておいででしょう」
(ウチが何かやらかした時もお手柔らかに頼めるんだろうなあ、当然)
「ロンディア聖堂はピウツスキ枢機卿の謹厳にも倣いたいものです」
(ロンディアの件、覚えてるかー。調子のんなよー?)
そう、宗教家との対談はいつだって実りをもたらすのである。お腹いっぱいに。
だから彼らに配慮してやった(えらそう)にも関わらず、また「トラブルはおこしません」(意訳)とか言ってたくせして、事件は起きたのである。
そこに出張ってきたのが天真会ではなくてシンカイ工房だというのがこれ分からないが、大男のキール氏説くならく。
屋台というか縁日というかそこの仕切りは天真会が行うのだが、「刃物・農機具」を取り扱う出店は「別格」にして「特別の配慮を要する存在」なのだそうな。
で、この刃物屋を上部で仕切っているのが武器を扱う鍛冶ギルド、王都北郊ならシンカイ工房。
「それを私に明かして何とする?」
領主(邑主)には見えないところだ。
挨拶すなわち彼らの礼法から祭礼の流れそれも出店のしきたりから、当日借り出される自警団(村の若者)の勢力図に宗教界と産業界の現場など。
手を突っ込まぬほうがお互い幸せになれるだろうと。
ともあれ事件の経緯だが、当然のように割り振られた「一等地」にデカデカと小屋掛けをしていた農具屋に客が――タロウ・カワバタ氏(仮名)だが――訪れた、それがきっかけであったらしい。
タロウ氏のことを、そのふところ暖かきゆえんを快く思わぬ若者が何か言う。
鋤を買ってくれそうな上客を慮った刃物屋が何ごとか言い返す。
刃物屋の特別待遇を快く思わぬ別の屋台がガヤを入れる。
……で、祭り(意味浅)に発展したと。
「死者一名重傷者一名、ほか怪我人が出ました」
出店のバイト――地元の部屋住みであった。地域密着を志向する天真会は利益還元にも余念が無い――と、カワバタ家の小作人――いっぱしの独立自営農家だもの、常日ごろから連れ歩くぐらいの用心は欠かさない――であったと。
「これぞまさしく『お祭り騒ぎ』、構うつもりはない」
平和な日本だってそれぐらいのこと、ちょいちょいある……昔はあったでしょうと。
そこからあれだ、「祭礼が穢された」ってうるさ型の年寄りが騒ぎ出し、「敵討ちだ」と息巻く若いのが現れて……そこまで含めて祭だろうが。そういうの地元で収めてくれて良いから。
「問う。シンカイ工房は領主の私に何を求める」
なお実行委員長()にあたる天真会の兄さんからは泣きが入っていた。
詫びるのは良いとして事実の報告にバイアスかかっていたし、「どうか来年も開催許可を」とか何とか言うばかり。
預かる、主催すると言っておいてもろもろ領主の裁定を呼び込もうというのは、ねえ……ちょっと違いませんかねそれ、そちらの流儀的にも。
「まずはお騒がせしたこと遺憾に存じます。なおご下命により非礼を省みず謹んで申し上げるならば、古来明主は事に臨んで良知を致し細大を弁じ、のち……」
初回の顔合わせが険悪だったせいで気を使っているつもりであろうがこの男、ご機嫌伺いがどうにも似合わない。頭を下げれば下げるほど開き直っているように見えるのだから損をしている。
「ランツではあるまいし、手短に頼む」
勢い込んでその巨大な頭を持ち上げたと思ったら、まあ立派な風采であった。
偉そうにしているほうが良い印象を与えるのだから得である。
「事後承認を願い上げる。この件、我らと老師ジエイまた地元で解決します」
粋でいなせなお祭り男、はしごを外されてしまった模様。
天真会にもなかなか居辛くなるだろうけれど……ジエイあたりがどうにかすると信じて。
「呑める話を持って来ることだ」
そして出張った名高い民政家、元キュビの経験とその雄大な体格から来る強烈な押し出し(婉曲表現)を活かしたものか、お祭り騒ぎをみごと鎮圧……鎮静化に成功した。
で、互いに皮肉顔で報告書を受け渡し、何事も無かったかのようにハンコを押してあっさり別れ。
ややあって、噂が流れているとの報告を聞いた。
いわく、「磐森の領主は民情を分かっている。見るべきところと任せるところの線引き、また人選を過たない」とか。
それこそ自分には見えないところ、関わるのは野暮だろうと。
半ば以上は噂の主の自慢だろうし。