第四百二十七話 紙くず
「まこと、大慶に存じます」
いつの間にやら顔見知りがそこに立っていた。
顔見知りと言って部下ではあるが、特に親しくもないし予算回りにも関わりないし、そのおかげか寝不足の脂も感じさせない瓜実顔がどうにも今は浮いている。
さらに言うなら日ごろ人当たりも悪くないし仕事ができないわけでもないが、やっぱりどこか浮いている。嫌われ者、というほどでもないのだが微妙に敬遠される理由があるとすればただひとつ。
三十手前のこの男シコウスキー氏、ギャンブルの負け(等)を踏み倒された連中に接近しては債権を買い集めて……いわば回収機構を私的に担っているもので。
俺も彼には世話になっている、というか世話している。
どうしたわけかは知らないが時おり声をかけられる。
「回収できなかったぶん、買い取ってはいただけませんか」
部下の「やりくり」に付き合うのは古き社会の上司の義務……とは言わないまでもあれだ、「付き合い」の範疇には入ってくるものだから。
そうしたわけで主にエドワードあての賭金債権(ひどい字面ではある)をこの男から買い、現金を渡し。
なるほど好かれる趣味ではない、どころか恨まれるだろうと思うのだが。
漏れ聞くに、債権者からの買受け手数料(割引率)はわずか2%なのだとか。
(それお駄賃のレベルよね? 延滞してる側から利子取るわけでもないんでしょ?)
80年ほど前には存在していなかったビジネスモデルにアリエルは首をひねっているが、世風はいつだって嘆かわしいほうへと下っていくのであるからして。
隙間無く仕事に追われるその一方で払え払えと言い募る面倒を思えば、多少はね?
そもそも使って消えるはずの「交際費」であったことまで考え合わせれば、98%を回収できるのはずいぶんおいしい話でもあるし。
ただ分からないのは回収業者のシコウスキー氏である。
「債務者」の身元これはガチガチだけに高飛び取りっぱぐれの危険は小さいが、大した得にもならない……ビジネスにならないどころか小遣い稼ぎにしてもうま味が無いし、他に微妙な問題もある。
「買取の話をこちらから持ち込むことはありませんよ」
不快に思われるから、とのこと。
そのあたりはさすがに彼も近衛貴族、いろいろわきまえているらしい。
「頼まれ事を引き受けるうち、なぜかこういうことに」
ひとつ聞いたらぽつぽつと、ということらしい。
急に資金が入用になった、たとえ小銭(小さいとは言ってない)でも……
意に染まぬ付き合いに駆り出されて、稼いだ小遣いも取り戻せないでは……
山の神にバレて大変な目に遭った。プレゼントを買わないと……
お気になさらずと笑顔で引き受けるうち、近衛府でも妙な存在感を発揮するようになった男の背を見送り終えてふと漏らす。
「言うてこれがあるから、俺は賭け事を禁止してるんだけどな」
部下だと言って、郎党衆は大のおとなであるからして。
おとなの嗜みでギャンブルすることに口出しなどするもんじゃないとは思うのです。
しかし君主それも軍人貴族としてはですね、前にも申し上げたところでありますが、自分が作った(認めた)秩序以外のところで「力の上下関係」ができることを許すわけにはいかんのですよ。
ギャンブルすれば借金のかさむヤツが出る。貸したヤツは立場が強く、また胴元などは頂点に立つ。それも「俺の目に映らぬところで」。
もちろんそっちで頭いっぱいになって仕事が上の空とかも困るし……ほんとねえ、ギャンブルはねえ……「おとなに口出しするのも」って建前はそりゃありますけど、ねえ? 俺も気をつけないと。
「その点お前はやっぱ大物だよな」
恬として恥じることもなく踏み倒すのだからこの赤毛は。
金を返さないヤツに対して金貸しはマウントを取れない以上、前記の懸念は生まれない。
「お前ほどじゃねえよ。俺は全部踏み倒さなきゃ通らない」
エドワードに言わせれば「お前だって気に食わなきゃ踏み倒すに決まってるさヒロ」……貴族とはみなそういうものなのだから、とのこと。
「機嫌良く払ってやるか、唾吐きかけて踏み倒すか。気分次第で勝手放題やれるご身分じゃねえか。そこで相手を選ぶような勝手をしたら俺なら潰される、だからいつだって踏み倒すのさ」
立花閣下の遊民論に劣らぬ衝撃を俺に与えた暴君論だが、アリエルに言わせれば「近衛貴族の標準的見解」であるそうな。
(ていうか理屈はなんでも良いのよ。思うがままに振舞えってこと)
「そういうわけでヒロ。お前の持ってるそれ、紙くずだから」
紙くずと言ってそもそも証文なんぞあって無きがごときもの、それこそマージャンの点数計算だのといったメモ書きに過ぎない。誰が頼りにするものかと。
「最初から払わす気なんか無えよこの赤毛、よその役所に恥と怨みをばらまくなってだけだ」
回収機構のシコウスキー氏からしてそうした勘所を押さえて持ってくるから買取りを断りづらいのだ。
加うるに全額まとめたところで《日本円の感覚にして百万単位》、個人としてはそりゃ大きいが領主どうしの「行って来い」なら日課レベル……は無いにせよ……週刊レベルの話ではある。
「本気で金づまりになったところで。その時にはあれだ、当主対談で侯爵閣下にツケてやるから安心しろ」
「いい大人が親に泣きつくんじゃねえよ。だいたいそんな反故を後生大事に、中隊長がケチくせえ」
泣きつくことになるのはどっちだと。お袋さまに持ち込まぬだけ有情だろうが。
だいたいいい大人がギャンブルの負けを踏み倒すんじゃない。ケチだ何だと細かい話を毎度サボりやがってこの野郎、それならこっちにも考えがある。
「ここに点数計算の表があるじゃろ?」
驚きのマイナス3万点、レートは……触れないでおいてやる。
「ひっくり返して白い紙。左を向いたワンコの絵」
隣に小さな菱形を、上には斜めの横線を。
あっという間にジョワユーズ。
「聞きたいなあ、エドワード卿のご活躍ぶり」
騒ぐな喚くなご領主サマがみっともない。
もとが双葉諸侯の領地なんだから王国が地理を押さえてて当然だろう?
「たくさん書き込めば地図も消えるし裏の数字も読めなくなると思うんだ」
なお10枚ほどあるんでレポートよろしく。
教本に載せられるレベルでまとめとくように。
 




